こちらは、5月2日に、東急世田谷線の若林踏切(西太子堂5号踏切、環七横断部)で撮影した、301F(玉電塗装)、304F(緑色塗装)、307F(紫色塗装)です。
このように、世田谷線の電車が環七通りを通過するシーンは迫力がありました。
環七通り横断部は、遮断機のある通常の踏切だったけど、玉電の支線時代の1966(昭和41)年には、環七通りの渋滞対策により、現在の交通信号に従う方式に変更されていました。
このような交通信号に従う交差点は、都電荒川線で何ヵ所かあるのに対し、東急世田谷線では、若林の環七横断部だけとなっているので、唯一路面電車らしいシーンが見られることになっています。
1955(昭和30)年から1969(昭和44)年の玉電廃止まで活躍していたデハ200形連接電車(そのうちの204Fは、宮崎台にある電車とバスの博物館で静態保存されている)は、実際に現在の世田谷線部分(当時は渋谷~下高井戸間で直通運転が行われていた)を走っていたことがあったので、玉電塗装の301Fが若林踏切を渡るシーンは、デハ200形の現役時代を彷彿とさせます。
こちらは歩行者信号が青になったと共に進むことになるけど、撮影の時には電車はもちろんのこと、歩行者や自転車にも注意しなければならないです。
このように、東急世田谷線の有名撮影地である環七横断部の若林踏切で撮影することが出来て良かったと思っています。