6月27日は、押上(スカイツリー前)から、中央林間まで、東急田園都市線の8500系で最後となった方向幕車である8606Fによる、急行中央林間行きに乗りました。
この日は、土休日ダイヤで唯一サークルK編成が使われる30K運用に、この8606Fが使われていたので、押上から中央林間までの急行で、乗り通したのであります。
日中には、準急にも使われ、緑色の準急幕が披露されていたのに、撮影出来なかったのが残念であるし。
地下鉄半蔵門線では、各駅停車で、渋谷からは急行運転となり、途中、三軒茶屋、二子玉川、溝の口、鷺沼、たまプラーザ、あざみ野、青葉台、長津田、南町田に停車していました。
南町田駅の急行停車は、土休日ダイヤのみであり、平日は、長津田~中央林間間ノンストップとなります。
準急の場合は、平日も南町田駅に停車するし。
2003(平成15)年3月19日に、営団地下鉄(のちの東京メトロ)半蔵門線の水天宮前~押上間が開業し、東武線との直通運転が開始されるまでの間は、運用には関係なく使われていました。
押上延長の時に交換された新幕編成は、8606,8607,8610Fの3編成であり、そのうちの8607Fと8610Fはインドネシア(KRLジャボタベック)に輸出され、8606Fが最後まで残った方向幕車、スカートなしと、原型を保つ編成として注目されるようになったのであります。
8590系(8694Fと8695F)も、このような新方向幕のまま残されているし。
やはり8606Fのほうが8500系らしい編成として人気があります。
押上及び中央林間での折り返しの時に、方向幕の転換シーンが見られることもあるのは、方向幕車ならではであるし。
現在見られなくなった水天宮前行きの表示で、旧方向幕の時代に唯一ローマ字併記となっていたのは、水天宮前駅が、東京シティエアターミナル(TCAT)の最寄り駅(動く歩道で直結されていること)であることであります。以前はTCATで搭乗手続き(チェックイン)、出国審査を受けてから、リムジンバスで成田空港へと向かい、成田空港での特設ゲートを通って飛行機に乗って海外に行くことが出来ていたけど、現在それが出来なくなり、羽田・成田の両空港へのリムジンバスの乗り継ぎターミナルと化しています。
朝ラッシュ時には、半蔵門行きの列車が未だ健在であるので、1982(昭和57)年12月9日の永田町~半蔵門間の開業の時から、1989(平成元)年1月26日に三越前まで延長される時までの間を思い出しました。
日中の渋谷発着の田園都市線の電車は、半蔵門まで回送され、折り返し線を使って折り返しとなり、渋谷から客扱いが行われているのは、渋谷駅構内に留置線がないからであります。
水天宮前行きの時代も、1990(平成2)年11月28日の開業から、2003年の押上延長まで、長く続いていたし。
水天宮前始発の列車に関しては、5時03分発の中央林間行き(メトロ車(8000系または08系)による運用)が唯一残されています。
水天宮前駅の由来となった水天宮は、来年までの予定で改築工事が行われているので、明治座(都営新宿線の浜町駅)付近に仮宮が設けられています。
水天宮前界隈は、昔都電が走っていた場所であり、13系統(新宿駅前~万世橋~水天宮前間)と、21系統(千住四丁目~三ノ輪橋~水天宮前間)の折り返しが行われていました。
こちらは、9系統(渋谷駅前~浜町中ノ橋間)と36系統(錦糸堀~築地間)も通っていたし。
スカイツリーで有名となった押上界隈では、1972(昭和47)年11月11日までの間、23系統(福神橋~月島間)と24系統(福神橋~須田町間)が乗り入れていたけど、どちらも現在の荒川線部分を除いた都電で最後まで残っていた路線として有名でした。
地下鉄半蔵門線は、渋谷~押上間全てが、かつて都電が乗り入れていた場所に駅があることで有名であります。
田園都市線での8500系の置き換えは、東横線への新車の導入が優先された為に中断されているけど、今年度中に5000系列の編成単位での導入が予定されていないので、8606Fを含めて安泰の状態であるけど、今年でデビュー40周年を迎えたことを思うと、来年度以降に動きがあることが予想されています。
今年度は、田園都市線の6ドア車の置き換え用の4ドア車の導入が予定されているのでそのはずだし。
8500系のサークルK編成は、押上延長当時、8603~8614Fと8642Fがあったけど、現在は、8606F(方向幕車)と8642F(中間VVVF車)の2編成(どちらも特徴のある編成)だけとなっています。
8614F(伊豆急色)は、2004(平成16)年に8613Fと共に東武線乗り入れに改造されたことでサークルKが解除されているけど、8613Fのほうは現在インドネシアで活躍しています。
表参道駅は、外側に半蔵門線、内側に銀座線が乗り入れている駅であり、1978(昭和53)年8月1日の半蔵門線の渋谷~青山一丁目間(表参道総合駅)の開業までの間は、銀座線の駅が渋谷寄りにありました。
こちらはかつて青山六丁目→神宮前駅(名鉄の駅とは無関係)と呼ばれていた駅であり、1972(昭和47)年10月20日に千代田線の霞ヶ関~代々木公園間の開業、表参道駅への改称から、表参道総合駅の開業までの間、一旦地上に出てからの連絡となっていました。
そのホームの跡は、新橋駅の幻のホームと共に今でも残されており、銀座線の列車から確認出来るので、京成線の博物館動物園駅跡と、京王線の初台駅旧ホーム跡と同様に、地下に眠る旧ホーム跡として注目されています。
地下鉄半蔵門線が、渋谷~青山一丁目間で開業した頃は、東急8500系が借り入れられていたし、路線が短かったので、東急新玉川線(のちの田園都市線)の延長部分というイメージが強かったです。
こちらは、1983(昭和58)年10月1日に、西武有楽町線の小竹向原~新桜台駅が開業してから、1994(平成6)年12月7日に練馬まで延長されるまでの間に、営団地下鉄(当時)の有楽町線の支線のイメージが強かったのと同じことであります。当時は、他の西武線と繋がっていないのに西武線の運賃を取られていたし。
営団地下鉄の8000系がデビューしたのは、1981(昭和56)年4月1日のことで、初級故障が多かったことから小学生にエンコマンと呼ばれていたこともありました。
当時は東急8500系ばかりで営団8000系が珍しかった時代だったし。
田園都市線の渋谷駅は、1977(昭和52)年4月7日の東急新玉川線の開業当時は東急による管理で、翌年の1978年の地下鉄半蔵門線の開業により営団地下鉄(のちの東京メトロ)に移管されていました。
2007(平成19)年12月には、翌年の2008(平成20)年6月14日に開業した副都心線の渋谷駅を受け持つ絡みにより、東急による管理に戻されていました。
壁の紫帯と、細長いタイプの駅名表示は、営団地下鉄→東京メトロによる管理だった頃の名残であるし。
細長いタイプの駅名表示は、1974(昭和49)年10月30日に、有楽町線の池袋~銀座一丁目間が開業した時から、営団地下鉄の標準となっていたけど、東京メトロになってからは、千代田線以前と同様の大型のサイズに戻されています。
地下鉄半蔵門線の水天宮前~押上間は、営団地下鉄時代最後の新線であり、営団地下鉄時代は1年程度しかなかったです。
8606Fの乗車・撮影を行ったのは、今年4月2日以来だったけど、今回再び乗車・撮影することが出来て良かったと思っています。