続いては1月3日に、京急川崎駅の3番線(京急大師線専用の低いホーム)で撮影した、1500形の1509Fによる、実物の猿のイラストバージョンの干支ヘッドマーク付き電車による小島新田行きです。
京急大師線の干支ヘッドマークは、以前1種類だけだったけど、現在は一般公募による2種類のデザインとなっているので、撮影する楽しみが増えています。
2種類になったのは、2012(平成24)年からであり、一般公募となったのは、今から6年前の2010(平成22)年からであります。
2010(平成22)年の京急大師線の干支ヘッドマークは、旧1000形にとって最後だったけど、諸事情により行かれなかったのが残念でした。
その替わりに、同年6月27日に行われた京急旧1000形のさよなら運転の撮影を行っていたし。
1509Fも、1501Fや1505Fと同様に、1985(昭和60)年3月に導入された編成であるけど、当時は、京急逗子線の京浜逗子駅と逗子海岸駅が統合されて新逗子駅となっていました。
京急大師線で、1500形の4連が主に使われていることは、現在の京成金町線で、専ら3500形(4連)が使われていることに共通していると思います。
京成金町線も、京急大師線と同様に4両編成までしか入ることが出来ず、本線との直通運転が行われていないのはそのはずであり、中間の柴又駅付近にある柴又帝釈天(寅さんで有名な場所)への初詣輸送も行われています。
かつて、1月1日の終夜運転で、京急の旧1000形または1500形の4連による横浜~京成金町間の直通列車が運転されていたこともあったけど、末期は600形の4連(650番台)も使われていました。
金町の表示は貫通扉の部分での吸盤表示となっていたし。
現在は京成高砂駅の金町線ホームが高架化されているので、直通運転が不可能となっています。
京急大師線の干支ヘッドマークは、1月1日から2月3日(節分の日)まで取り付けられているので、正月3が日限定である東武大師線のヘッドマークとは異なる点であります。
京急大師線は、1899(明治32)年1月21日に、前身の大師電気鉄道によって、川崎(後の六郷橋)~大師(現、川崎大師)間が開業したのが始まりであります。
京急川崎駅が川崎駅として開業したのは、1902(明治35)年9月1日のことで、これまでの川崎駅が、六郷橋駅に改称されていました。
大東急の時代の1944(昭和19)年6月1日には、産業道路まで、同年10月1日に入江崎まで延長されていたけど、小島新田駅も入江崎延長と共に開設されていました。
1964(昭和39)年には、小島新田~塩浜間の休止(1970(昭和45)年に正式に廃止された)により現在の路線となったと共に、小島新田駅が現在の位置に移設されていたけど、当時は1面1線となっていました。
京急の歴史は、川崎大師への参拝輸送から始まっていたけど、大師線の開業により、地元の神社や仏閣のみならず、電車に乗って初詣に行こう!という習慣に変わったきっかけでもあります。
川崎大師駅前には、京浜急行電鉄発祥の地の碑があるので、京急大師線が発祥路線であることが分かります。
新宿区西落合(都営大江戸線の落合南長崎駅付近)にあるホビーセンターKATO(カトー)東京店(Nゲージを中心としたKATOブランドの鉄道模型メーカーである関水金属の本社ショールーム)で京急のデハ230形の268号車(湘南電気鉄道デ1形がルーツとなった車両)が静態保存されているけど、晩年700形や旧1000形の4連と同様に、大師線で余生を過ごしていました。
一昨年2月にホビーセンターKATOが改築されてからは、デハ268号車が再塗装、補修されていたし。
268は、風呂屋の語呂合わせでもあります。
末期に大師線で活躍していた700形は、2005(平成17)年11月に全廃されてから10年経ったということで早いもんだなと思っています。
現在は、高松琴平電気鉄道琴平線(ことでん、香川県)に1200形(2両編成7本)として譲渡されているし。
ことでんでは、旧1000形の初期形(1080形)や、かつて快特で使われていた旧600形(1070形)が車齢50年以上経っても未だ現役であります。
初代快特用車だった旧600形は、1986(昭和61)年に全廃されてから今年で30年経つけど、そのうちの旧601号車が原型のまま逗子池子第一運動公園(京急逗子線の神武寺駅付近)で静態保存されています。
こちらは1956(昭和31)年に初代の700形として、保存場所から近い東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)で製造されてから今年で60年(還暦)を迎えることになるし。
川崎大師駅は、2007(平成19)年12月20日に北口が設置される前、初詣の時期には構内踏切が使われていたことがありました。
1986(昭和61)年は、旧600形(初代700形)だけでなく、400形(初代600形)や500形と言った最後の吊り掛けモーター車が引退した年でもあり、京急から非貫通2枚窓の湘南顔の電車が全廃となっていました。
旧1000形も、1959(昭和34)年のデビュー当時に非貫通2枚窓となっていたし。