続いては、10月18日に、公開初日を迎えた渋谷駅のハチ公口にある元東急電鉄(東京急行電鉄)旧5000系青ガエル5001号車(初代)によるポムポムトレイン(サンリオのキャラクターであるポムポムプリンのラッピング電車)の車内の様子です。
ポムポムトレインは、外観だけでなく、内装もポムポムプリンのハロウィン仕様であり、中に入った時もムード満点であります。
車内の公開時刻は10時から18時(午後6時)までであり、悪天候時には閉鎖されています。
それ以外の時間帯には警備員が常駐しているので、落書きの再発防止対策となっているし。
旧5000系青ガエルは、1954(昭和29)年から1959(昭和34)年までの間に105両製造された東急初の軽量車体の高性能車であり、直角カルダン方式という斬新な車両でもありました。
東急で旧5000系がそれよりも古い旧3000系列(世田谷線を除いた東急の電車で最後の吊り掛けモーター車だった車両)よりも先に全廃となっていたのは、直角カルダン車でメンテナンスの手間が掛かっていたこと、非冷房車であったこと、下記の地方私鉄の各社からの譲渡の以来があったことでありました。
地方私鉄に譲渡された東急旧5000系は、福島交通(福島県)、長野電鉄(長野県)、岳南鉄道(現、岳南電車、静岡県)、上田交通(現、上田電鉄、長野県)、松本電気鉄道(現、アルピコ交通、長野県)、熊本電気鉄道(熊本電鉄、熊本県)の6社にあったけど、今年2月14日には、熊本電気鉄道で、元東京メトロ銀座線の01系(こちらもかつて渋谷駅に乗り入れていた車両)の導入によって青ガエルの最後の砦だった5000形の5101A号車の引退をもって全滅していました。
西日本鉄道(西鉄)の宮地岳線(現、貝塚線)でも青ガエルの台車が120形のカルダン化により転用され、600形にも受け継がれていたけど、現在は交換されているので、青ガエルの面影が無くなっています。
西鉄貝塚線は、福岡県の貝塚駅(福岡市営地下鉄箱崎線に接続)と西鉄新宮を結ぶ西鉄の孤立路線であり、2007(平成19)年3月31日に西鉄新宮~津屋崎間が廃止されたことにより、宮地岳線から貝塚線に変わっていたし。
熊本電鉄の5101A号車(元東急5031号車)は、昨年廃車となった5102A号車と同様に、1985(昭和60)年に両運転台に改造されて熊本入りしていた車両であり、引退前に東急の青ガエル時代の塗装が復元されていました。
現在は動態保存され、今年10月9日に北熊本で行われた熊本電鉄のイベントであるふれあい祭りで、動いている姿が披露されていました。
このことで、今年4月14日に発生した熊本大地震(平成28年熊本地震)を乗り越えてきたことが分かります。
最初はどうなったのかと不安な状態であったし。
熊本地震の被災地に対して一足早い復興を願っています。
松本電気鉄道上高地線では、1999(平成11)年から2000(平成12)年に掛けて、元東急青ガエルの5000形が元京王井の頭線の3000系から改造された3000形(アルピコカラーでももクロカラーでもある)に置き換えられていたけど、そのうちの5005+5006号車(元東急5055+5048号車)は、廃車後に新村駅構内にある車両基地で保存されています。
こちらは松電(MRC)塗装のままで、痛みが激しい状態でどうなるのかと不安だったけど、2011(平成23)年にボランティア団体の手によって修復され、青ガエル塗装も復元されています。
上高地線の新村車庫には、鉄道院から払い下げされたハニフ1号車が保存されていたけど、現在は修復されてさいたま市にある鉄道博物館で展示されているし。
岳南鉄道でも、1編成が青ガエル塗装となっていたこともあったけど、残念ながら全て解体された為に、松本の青ガエルが原型を保っている貴重な保存車両となっています。
福島交通飯坂線の5000形は、1991(平成3)年の昇圧化により、元東急旧7000系に置き換えられていたので、元青ガエルで一番最初に全廃となっていました。
福島交通飯坂線では、近いうちに元東急の1000系に置き換えられることになっています。
元東急1000系は、上田電鉄を皮切りに、伊賀鉄道(三重県、旧、近鉄伊賀線)、一畑電車(島根県)にも譲渡されていたので、福島交通への譲渡はそれに続くものとなります。
元東急1000系の地方私鉄への譲渡が進められた理由は、2013(平成25)年3月15日に、東急東横線から地下鉄日比谷線への直通列車が、副都心線直通化と入れ替わりに廃止されたことや、それ以前に本数が削減された影響もあるし。
東京メトロ日比谷線では、今年度から4ドア20mの7両編成の新車である13000系が、東武鉄道の70000系と共に導入され、3ドア(一部5ドア)18mの8両編成であるメトロの03系と東武の20000系列が順次置き換えられていくことになります。
東急東横線と日比谷線の直通運転が廃止された理由は、目黒線経由で都心へと抜けるルートが出来た為に日比谷線直通利用客が減っていること、副都心線直通により運用が複雑となることに加え、3ドア18m車でホームドアの取り付けが出来ないことであり、東急の日比谷線直通運用の4ドア20m7連化が幻となっているし。
旧5001号車の反対側(地下鉄出入口の横側)は、青ガエル塗装のままとなっています。
青ガエルが走っていた頃の東横線は、渋谷から桜木町まで全て地上であり、東急時代に地下区間を走ったのは、目蒲線の洗足駅付近のみでした。
地方私鉄に譲渡された青ガエルのうち、地下区間に乗り入れていたのは、長野電鉄の2500系の長野駅付近だけだったし。
こちらは、1981(昭和56)年3月の長野駅付近の地下化による難燃化対策により譲り受けられた車両でありました。
長野電鉄の長野駅付近の地下線(長野~善光寺下間)は、現在元日比谷線の3000系や元東急8500系が走っているので、どちらも長野で地下鉄気分を味わうことが出来ます。
元東急8500系の場合は、長野地下線で、田園都市線の渋谷~二子玉川間や地下鉄半蔵門線と同様にモーター音の響きが披露されているし。
ポムポムトレインには、カエルのキャラクターのぬいぐるみもあるので、青ガエルらしい1枚により撮影、投稿しました。
忠犬ハチ公の銅像は、渋谷駅のハチ公口がお馴染みだけど、忠犬ハチ公の故郷である秋田県大館市の大館駅前にもあります。
1987(昭和62)年8月には、ハチ公物語が公開されていたけど、当時は東横線に初めて乗った時であり、8000系が各停、8090系が急行メインで活躍し、9000系が量産化されたことに加え、8500系が東横線でも活躍していました。