11月20日は、日本橋から新橋まで、01系の01-130Fによる溜池山王行きに乗り、新橋駅で撮影しました。
東京メトロ銀座線では、11月5,6日と19,20日の4日間に、渋谷駅の移設工事に伴う線路切り替え工事が行われていたことにより、溜池山王~青山一丁目間と、表参道~渋谷間が終日運休となり、浅草~溜池山王間と、青山一丁目~表参道間で折り返し運転が行われていました。
この時には、普段見ることの出来ない溜池山王、青山一丁目、表参道行きの表示が見られていたことで賑わっていたけど、2編成のみとなった01系も、浅草~溜池山王間の列車に入っていた為、01系の溜池山王行きの表示を撮影することが出来たので、撮影可能な新橋、溜池山王駅が賑わっていたのであります。
地下鉄銀座線の駅は、6両ぎりぎりの駅が多く、撮影出来る駅が限られているけど、1997(平成9)年9月30日に開業した溜池山王駅では、比較的新しい駅らしく余裕のある造りをしている為に、上下線共に撮影が可能となっているし。
こちらでは、赤坂見附駅寄りに渡り線があることから、この渡り線を使って折り返すことが出来るので、メインの列車を溜池山王まで運転させることが出来たのであります。
こちらには、留置線があり、朝には溜池山王、虎ノ門始発が1本ずつあるけど、溜池山王行きは、普段設定されていないので、今回の切り替えの目玉となっていました。
銀座線では、通常浅草、上野、渋谷の表示が使われているけど、溜池山王の表示が付け加えられていたのは、非常時での折り返し運転に対応させる為であります。
青山一丁目~表参道間では、外苑前駅が銀座線側にしかなく、イベント会場の最寄り駅でもあることから、2本の1000系による単線並列運転が行われ、青山一丁目または表参道駅に到着した後、逆走による回送運転が行われていました。
これは、表参道駅での折り返しが不可能であり、外苑前駅の休止を避ける為の苦肉の策であったし。
切り替えの最終日である11月20日は、01系が2本共に浅草~溜池山王間での運用に入っていたことにより最後の大サービスとなっていました。
この01-130Fは、1991(平成3)年に最後の方向幕車のグループとして、日本車輌(1000系と同じメーカー)で製造された車両であり、暖房も付いています。
溜池山王行きの表示なら、01系のLED表示よりも方向幕のほうが味があって良いと思います。
01系のLED車は既に全廃となり、そのうちの01-135Fと136Fは、先頭車が熊本電気鉄道(熊本電鉄、熊本県)に01形として譲渡されているし。
この日の青山一丁目~表参道間では、表参道行き(A線)で1135F、青山一丁目行き(B線)で1013Fが使われていました。
これらの列車を撮影出来たのは表参道駅だけだったし。
今回撮影した新橋駅の渋谷方面(A線)ホームでは、撮影出来るスペースがあるのが嬉しいけど、今後渋谷方面のホームが改良工事が行われていくことになります。
銀座線の新橋駅は、日本橋駅と同様に島式ホームであったけど、混雑緩和により、1980(昭和55)年に浅草方面のホームが増設されて、京王線の仙川駅や山手線の渋谷駅と同様の形のホームとなっていました。
日本橋駅では1984(昭和59)年に渋谷方面のホームが分離されていたし。
丸ノ内線の霞ヶ関駅のホームも、同様の形態となっているけど、やはり1973(昭和48)年に島式ホームから池袋方面のホームが分離されて出来たホームであります。
山手線の渋谷駅は、再開発工事により、埼京線・湘南新宿ラインのホームの移設に合わせ、内回り・外回りホームの統合により島式化されて恵比寿駅と同様の形態となる予定であるので、逆の状態となります。
銀座線の渋谷駅も、島式化されると共に、表参道寄りにずれることになるので、渋谷駅東口の高架を走る銀座線が見納めとなってしまいます。
新橋駅では、上野東京ラインの乗り入れに合わせてJR側でも大規模な改良工事が行われており、1,2番線ホームやコンコースの拡幅工事もその一環でありました。
11月19日の14時から20日の早朝に掛けて、品川駅での線路切り替え工事により、上野東京ラインの東京~品川間が運休していたけど、銀座線の切り替え工事と重なっていた為に、19日は掛け持ちが可能となっていました。
新橋駅東口の地下にあるウィング(Wing)新橋は、2003(平成15)年3月1日にリニューアルされてウィング化される前は、京急しんちかと呼ばれていました。
こちらは、ウィングのうち、唯一京急の沿線外にあるけど、都営浅草線で1本で結ばれているので、京急線から乗り換えなしで行けるウィングの1つとなっています。
ちょうど、都営浅草線の駅側にあり、ゆりかもめの駅とも近隣しているし。
そこにある地下駐車場は、現在でも京急しんちか駐車場と呼ばれています。
京急では、1937(昭和12)年に当時の京浜電気鉄道と湘南電気鉄道による合弁会社である京浜地下鉄道が設立され、新橋~品川間に連絡線を作り、京浜電気鉄道と湘南電気鉄道(現在の京浜急行電鉄の路線)でパンタグラフによる架線集電、地下鉄区間で第三軌条方式による集電でのハイブリッド方式による4社直通運転が計画されていたことがありました。
こちらは都営1号線→都営浅草線直通にシフトされた為に幻となったので、京急本線の一部である泉岳寺~品川間の連絡線(地下鉄規格で作られた路線)が、京浜地下鉄道計画の名残となっています。
1978(昭和53)年まで活躍していた230形が、東京地下鉄道(現在の地下鉄銀座線)への乗り入れを見据えて集電靴の取り付け準備が行われていたことも、新造当時にその計画があったからであるし。
230形は、1978年3月に京急大師線で定期運用から離脱され、4月9日と16日にさよなら運転が行われていました。
230形の保存車両は、京急ファインテック久里浜事業所にあり、原形に復元されたデハ248号車(湘南電気鉄道デ1形18号車)、新宿区西落合(都営大江戸線の落合南長崎駅付近)のホビーセンターKATO(カトー)にあるデハ268号車(旧デ83形)が有名であり、ホビーセンターカトーでの保存車に関しては、一昨年2月のリニューアルオープンと共に再塗装されています。
川口市西青木の青木町公園には、デハ236号車(旧デ6号車)の保存体があり、この場所にあった児童文化センターが2003年2月1日に、SKIPシティ内に出来た川口市立科学館への再編によって廃止されてからは、管理されていない状態で解体寸前となるほど荒れた状態となっていたけど、今年になってから川口市による引き取り希望者の募集が行われた結果、京急に引き取られて里帰りし、修復された後に、2019年秋に横浜みなとみらい地区に移転される予定の本社ビルに出来る企業ミュージアムで展示されることになります。
それに伴う撤去作業が来年4月から5月に掛けて行われることになるし。
銀座線では、来年1月と3月に導入される1139Fと1140Fで、開業当時に活躍していた1000形に近づける形となり、内装のほうも、阪急電車やその系列のアルナ車両製の都電荒川線の9000形と同様に、木目調に緑色の座席となります。
これらの編成の導入により、01系が最後の時を迎えることになるけど、事故やトラブルのないさよなら運転となることを願っています。
自分(しゃもじ)が銀座線の切り替え工事の追っ掛けに行けた日が20日しかなかったので、行くことが出来て良かったと思っています。