昨日(2月5日)は、新宿から本八幡まで、ファイナルランステッカー付きの10-300R形の10-330Fによる各停本八幡行きに乗りました。
10-300R形は、2005(平成17)年から2006(平成18)年に掛けて、初期型の10-000形(10-180F以前の編成)の中間車のうちの新宿(橋本)寄りの2両(1986(昭和61)年9月の篠崎延長と1989(平成元)年3月の本八幡延長に伴う8両化の時に増結された車両、経年の浅かったオールステンレス車)に10-300形に準じた先頭車(JR東日本のE231系ベースの車体)を組み合わせた車両で、6編成が組成されていました。
昨年5月26日には、E233系2000番台(常磐緩行線、地下鉄千代田線、小田急線直通用)もどきの新バージョンの10-300形の増備により、10-340Fを皮切りに廃車が発生し、同年6月23日に10-350F、今年5月14日に10-360F、同年7月8日に10-310F、10月3日に10-320Fもそれぞれ廃車となり、残った1編成である10-330Fも近いうちに廃車となる予定となっているので、前面と側面にファイナルランステッカーが取り付けられています。
このことで、昨年6月末に全廃となった、都営大江戸線の12-000形初期車(12-041F)に取り付けられていたファイナルランステッカーを思い出しました。
10-300R形の先頭車は、中間車と一緒に解体された為に、約10年の短命となってしまったので、勿体無いような気がします。
10-330Fは、2005年に10-080F(1978(昭和53)年12月21日の岩本町~東大島間の開業の時に導入された編成)の先頭車を差し替えただけという暫定編成で落成し、翌年の2006年6月には、10-070,090,150Fから転用された中間車に差し替えられて正規編成化されていました。
2005年1月20日に営業運転が開始された10-310Fは、暫定編成時代に10-010Fの中間車が使われていたので、1971(昭和46)年に都営10号線(現在の都営新宿線)用として試作された10-000形の4両(試作車)のうちの中間車(側面の表示が異なっていた)が最後まで残されていました。
顔つきが異なっていたし10-000形試作車(レアな車両)の先頭車は、10-310Fの先頭車への交換の為に2004(平成16)年11月にいち早く廃車となっていたし。
同様に、10-320Fは10-070F、10-340Fは10-160F、10-350Fは10-180F、10-360Fは10-060Fの中間車がそのまま使われた暫定編成となっていました。
このように、すぐに転用されずに暫定的な組み換えとなった理由は、ATC装置の更新前で、誘導障害の影響により、VVVF車の乗り入れが不可能だったことにより、2004年11月に先行導入されていた10-300形の10-370Fが営業運転に就けなかったこと、組み替えの時に車両が不足してしまうことによるものでありました。
10-000形の初期型(前述のオールステンレス車を除く)のうち、10-020F~10-090Fと10-010Fの10-015,016号車は1978年、10-100~180Fは1979(昭和54)年製(翌年の1980(昭和55)年3月の新宿延長用)は、試作車と同様に2段窓で、セミステンレス(スキンステンレス)製であったことにより、老朽化が進んでいた為に2005年から2006年に掛けて初期型の10-300形または10-300R形に置き換えられていたのであります。
2005年5月14日のデジタルATC(JR型D-ATC)への更新に伴うVVVF車解禁により、10-300形の営業運転が開始され、10-000形の置き換えが行われるようになってから10-300R形の正規編成化も行われていたし。
京王9000系の都営新宿線乗り入れへの進出は、その翌年の2006年3月15日のことであり、これまでは都営新宿線のATCの絡みにより6000系しか使われていなかったです。
都営線乗り入れの6000系から9000系への置き換えは、2006年から2009(平成21)年に掛けて行われ、ラッシュ時にしか行われていなかった京王車のオール10両編成化が実現していました。
京王6000系の2+8の10両での都営新宿線への乗り入れは、末期には終日見られていたし。
10-330Fの中間車の種車は、10-331,332号車が10-097,098号車(1988年川崎重工業製)、10-335,336号車が10-077,078号車(1989年川崎重工業製)、10-337,338号車が10-157,158号車(1986年日立製作所製)であり、10-000形とは外装だけでなく、内装も共通であります。
10-300R型は先頭車の座席が硬く、中間車の座席が軟らかいので、長時間座って行くなら中間車がオススメとなることは、実際に座ってみて感じました。
ドアチャイムのほうは、10-300形のE系タイプに対し、都営地下鉄標準タイプとなっているし。
先頭車の帯の色が運転台後部のドア部分を除いて黄緑色一色となっていることも10-300R形の証となっているけど、近いうちに見納めとなってしまいます。
運行番号表示が明朝体の小さい文字となっていることも10-300R形の証でもあるし。
この時に乗った各停本八幡行きは、岩本町駅で急行の通過待ちの為に中線に入っていたので、記念撮影することも出来ました。
都営新宿線の路線
(京王新線経由、笹塚、橋本、高尾山口方面へ直通運転)←新宿(新線新宿)~新宿三丁目~曙橋~市ヶ谷~九段下~神保町~小川町~岩本町~馬喰横山~浜町~森下~菊川~住吉~西大島~大島~東大島~船堀~一之江~瑞江~篠崎~本八幡
急行停車駅(土休日朝の2本を除いて全て笹塚発着)
新宿~市ヶ谷~神保町~馬喰横山~森下~大島~船堀~本八幡
岩本町駅と瑞江駅のどちらかで急行の通過待ちが行われており、瑞江駅では、東急田園都市線の桜新町駅と同様に壁の向こう側を通過していくことになるので、通過していくことが車内から分からない状態となっています。
この通過線は、両方共に車両の夜間留置にも使われているので、平日、土休日共に笹塚 23時52分、新宿 23時59分発の瑞江行きが設定されているのはその為であるし。
こちらは双方共に翌日に本八幡まで回送されるので、瑞江始発が設定されていないです。
乗換駅
新宿 都営大江戸線、京王線(笹塚、橋本、高尾山口方面へ直通運転)、小田急線、JR(山手線、中央・総武緩行線、中央快速線、埼京線、湘南新宿ライン(横須賀線⇔JR宇都宮線、東海道線⇔高崎線直通)
新宿三丁目 東京メトロ(丸ノ内線、副都心線)
市ヶ谷 JR中央・総武緩行線、東京メトロ(有楽町線、南北線)
九段下 東京メトロ(東西線、半蔵門線)
神保町 都営三田線、東京メトロ半蔵門線
小川町 東京メトロ(丸ノ内線(淡路町駅)、千代田線(新御茶ノ水駅))
岩本町 東京メトロ日比谷線・JR(山手線、京浜東北線、中央・総武緩行線)・つくばエクスプレス線(秋葉原駅)
馬喰横山 都営浅草線(東日本橋駅)、JR横須賀・総武快速線(馬喰町駅)
森下 都営大江戸線
住吉 東京メトロ半蔵門線
本八幡 JR中央・総武緩行線、京成本線(京成八幡駅)
九段下駅は、同じレベル(地下4階)にある東京メトロ半蔵門線の駅と繋がっており、4番線(半蔵門線の押上、東武スカイツリーライン直通方面乗り場)と、5番線(都営新宿線の新宿、京王線直通方面乗り場)との間で階段やエスカレーター、エレベーターを使わずに行き来することが出来ます。
こちらは、2013(平成25)年3月16日に4番ホームと5番ホームを仕切る壁(バカの壁)が撤去されたことを受けたものであり、同日には、岩本町駅が秋葉原駅への乗換駅として正式に認められるようになっていました。
九段下駅での東京メトロ東西線への乗り換えには、従来通り、一旦改札口を出る必要があるし。
岩本町駅から秋葉原駅に向かう場合には、一旦地上に出て、神田川を渡ることになります。
岩本町行きの列車は以前当たり前のように見られていたけど、現在は笹塚 24時16分、新宿 24時22分発の最終だけとなり、中線で停泊した後、翌朝の5時ちょうど発新宿行きの始発に当てられることになります。
こちらは8両編成なので10-000形や10-300R形が使われることもあるし。
岩本町駅の中線は、京王線の乗り入れ列車が岩本町折り返しだった時に使われていたものであり、1997(平成9)年12月24日の急行運転の開始により、待避線として活用されるようになったし。
大島車両検修場への出入庫駅である大島駅にも中線があり、若葉台駅と同様に京王車⇔都営車の車両交換も行われています。
このように、新宿から本八幡まで、全廃間近の10-300R形に乗ることが出来て良かったです。