続いては、2月12日に、京急本線の金沢文庫駅で撮影した、京急800形のリバイバル塗装による京急ラブトレイン2017による普通品川行きです。
当初は、823Fで浦賀まで行った後にそのまま戻り、堀ノ内駅で快特に乗り換えて品川まで行く予定だったけど、5日に乗った時と同じ2109Fだったことで見送り、金沢文庫まで行き、2157Fによる快特に乗り換えたのであります。
これにより、金沢文庫駅でも、待避中の823Fを撮影することが出来、編成全体や品川行きの表示も上手く撮影することも出来たのであります。
金沢文庫駅は、12両編成対応の2面4線の駅であり、平日の朝と夜、土曜日・休日の朝に分割・併合が行われています。
浦賀駅のある場所は、横須賀市の一部となっているけど、1930(昭和5)年4月1日に開業した当時は、浦賀町となっていました。
1943(昭和18)年4月1日に浦賀町が、北下浦村、長井町、武山村、大楠村、逗子町と共に横須賀市に編入され、横須賀市の一部となっています。
逗子町に関しては、1950(昭和25)年に横須賀市から分離されて三浦郡逗子町が再設置され、1954(昭和29)年4月15日に逗子市となったし。
金沢文庫駅のある横浜市金沢区は、開業当時、久良岐郡金沢町だった場所であり、1889(明治22)年4月1日に、町屋村、洲崎村、寺前村、谷津村、富岡村、柴村、野島村、泥亀新田との合併により出来た金沢村が前身であります。
1926(大正15)年1月1日に金沢町となり、1936(昭和11)年10月1日に、六浦荘村と共に横浜市磯子区に編入されていました。
1948(昭和23)年5月15日に、磯子区からの分離により、金沢町だった場所が横浜市金沢区となったことで現在に至っています。
その直後の1948年6月1日には、東京急行電鉄からの分離(大東急崩壊)により、京浜急行電鉄が設立されていたし。
金沢文庫の駅名の由来である金沢文庫は、金沢流北条氏によって開設された図書館であり、金沢文庫の名が知れ渡るようになっています。
現在は中世歴史博物館である神奈川県立金沢文庫となっており、周辺の歴史を学ぶことも出来ます。
1948年8月に設立された東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)は、その名の通りの東京急行電鉄の子会社の鉄道車両メーカーでど、都心から近い金沢区にあるということから、東急の車両のみならず、首都圏の車両が盛んに製造されていました。
1968(昭和43)年には、大阪府堺市に本社のあった帝國車輛工業との合併により、南海電鉄の車両も盛んに製造されるようになっていたし。
2012(平成24)年4月2日には、JR東日本向けの車両が盛んに製造されていることの縁により、JR東日本の子会社の総合車両製作所(J-TREC)に移管され、その2年後には、JR東日本直営だった新津車両製作所の総合車両製作所への移管により、横浜事業所(旧、東急車輛製造)と新津事業所(旧、新津車両製作所)の2ヶ所での製造となったのであります。
東急車輛製造の時代からステンレス車両の製造が盛んであり、京急の車両では、2007(平成19)年に大東急だった鉄道会社(東急、京王、小田急、京急、相鉄)の中で最後にステンレス車が導入されていたのであります。1073Fが第一号であり、8両編成は4+4の1800番台を含めて東急車輛製造→総合車両製作所横浜事業所、4両編成と6両編成は川崎重工業と分けられています。
東急では、1989(平成元)年3月に世田谷線を除いた営業用車両がステンレス車に統一され、世田谷線のほうも2001(平成13)年2月に300系に統一されたことで旅客用車両の全車ステンレス化が実現していたし。
京王のほうも、2011(平成23)年3月の6000系の全廃により、井の頭線を含めて旅客用車両でステンレス車に統一されていたし。
京成電鉄の車両で、現在でも日本車輌製造と共に、東急車輛製造→総合車両製作所との取引が盛んとなっているのは、帝國車輛工業が京成電気軌道の傘下だったことに加え、京急から都営浅草線を介して結ばれていることの縁もあります。
東急電鉄の車両もJ-TRECに移管された後も盛んに製造されているので、東急車輛の歴史が受け継がれているし。
この日は、総合車両製作所に京急新1000形の1185Fが置かれていることを車窓から確認したので、近いうちに搬入されて、2000形がまた1本廃車となっていくことになります。
横須賀市に入ったところにある追浜駅は、周辺に日産自動車(NISSAN)の追浜工場があることで有名であり、リーフ(電気自動車)、ジューク(SUVタイプのコンパクトカー)、キューブ(箱形のコンパクトカー)、シルフィ(ブルーバードから受け継がれたミドルセダン)、ノート(ハッチバックタイプのコンパクトカー)が製造されています。
日産自動車の本社が東京銀座から横浜みなとみらいに移転されたのは、2009(平成21)年8月のことであり、1933(昭和8)年にダットサン(DATSUN)ブランドの自動車メーカーとして創業された当時、横浜に本社があったので、原点回帰となっていました。
日産自動車は、フランスの自動車メーカーであるルノー・ジャポンの親会社であり、筆頭株主である三菱自動車工業(三菱)と共にルノー・日産アライアンスの一員でもあります。
三菱自動車工業が日産自動車の傘下に入ったのは、昨年10月のことであり、三菱の軽乗用車であるekシリーズ(ekワゴン、ekカスタム、ekスペース、水島製作所(岡山県倉敷市)製)が日産にデイズシリーズ(デイズ、デイズルークス)としてOEM供給されていることの縁もあるし。
日産は横浜の自動車メーカーであるので、タクシーには、セドリックタクシー→NV200タクシー(NV200バネットベースのミニバンタイプのタクシー、後述の日産車体湘南工場製)が盛んに使われていることが分かります。
こちらは、愛知県の豊田市や名古屋市で、トヨタ車が盛んに使われていることと同様であるし。
日産自動車本体による工場は、追浜のほか、横浜(横浜市神奈川区)、いわき(福島県いわき市)、栃木(栃木県河内郡上三川(かみのかわ)町)にもあり、横浜、いわき工場ではエンジン、栃木工場では、シーマ、フーガ、フェアレディZ、スカイライン、GT-Rなどの輸出仕様を含めた高級乗用車が製造されています。
その他の車種は、子会社の日産車体湘南工場(神奈川県平塚市)、日産自動車九州・日産車体九州(どちらも福岡県京都郡苅田(かんだ)町)などで製造されているし。
トヨタ自動車でも、今年中にクラウンコンフォートやコンフォート(どちらもセダンタイプ)に代わるJPNタクシーというシエンタベースのミニバンタイプのタクシーが導入される予定なので、日産のNV200と共に日本のタクシーが大きく変わっていくことになります。
ミニバンタイプのタクシーの場合は、荷物の積み込みにも便利であることに加え、車椅子での乗り降りも楽と言われているし。
追浜駅周辺には、横須賀スタジアムもあり、横浜DeNAベイスターズの二軍の本拠地として使われています。
追浜駅前にあるサンビーチ追浜は、かつて西友が入っていたけど、現在は地下に京急ストアが入っているし。
金沢文庫駅西口には、昨年9月にオープンしたアピタ(APiTA)金沢文庫店があり、改築される前は、ユニー(バザァル)金沢文庫店→初代アピタ金沢文庫店となっていました。
アピタは、ユニー・ファミリーマートホールディングス(旧、ユニーグループ・ホールディングス)の店舗であり、昨年9月1日にファミリーマートとの合併によりユニー・ファミリーマートホールディングスとなったのであります。
ユニー系だったサークルKサンクス(サークルKとサンクス)が、順次ファミリーマートに鞍替えされるのはその為であるし。
サークルKサンクスでも、ファミリーマートと同じ商品となり、サークルKサンクスでもファミチキなどのファミマブランドの商品が出回っています。
このように、金沢文庫駅でも、京急ラブトレイン2017を撮影することが出来て良かったです。
2月12日の京急ラブトレイン2017の乗車レポートは以上となります。 ご覧いただき、誠にありがとうございました。
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京急823Fによるラブトレイン2017 5 金沢文庫駅
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