3月2日は、町田から新宿まで、30000形ロマンスカーEXEの30257+30057Fによるさがみ90号に乗りました。
この日は相模大野から藤沢までEXEαによるホームウェイ81号に乗ったので、比較する為にリニューアル前のEXEに乗ったのであります。
平日のさがみ90号は、小田原駅を21時01分に発車し、途中、新松田、本厚木、町田、向ヶ丘遊園に停車してから新宿へと向かう列車であり、1999(平成11)年7月16日まで運転されていた旧さがみ号の停車駅に町田駅を加えたものとなっています。
向ヶ丘遊園駅に停車するロマンスカーは平日のはこね81,83号、さがみ76,90,92号、はこね2号
土休日のはこね81,83号、さがみ68号、はこね46,50号であり、新松田駅停車とセットとなっています。
はこね81,83号に関しては、伊勢原駅にも停車することになっているし。
平日のさがみ90号は、30000形EXEが使われるけど、EXEαが使われる予定がないので、リニューアルされる前のEXEで固定されています。
折り返しは、新宿 22時30分発のホームウェイ19号、本厚木行き(途中、町田に停車)となっていたし。
30000形EXEでは、3月14日に、30252FがEXEα化により松田から豊川まで甲種輸送され、大野総合車両所から新松田まで1000形の1254F、新松田から西浜松までEF65-2127号機、西浜松から豊川の日本車輌までDE10-1581号機による牽引でありました。
新松田~松田間の連絡線では、EF65型電気機関車の運転資格のある小田急電鉄の運転士さんによって運転されることになります。
前回の30251+30051Fの時は、30251Fが昨年3月15日に入場、同年10月31日に出場、30051Fが3月23日に入場、11月9日に出場の為の甲種輸送が行われていたので、30052Fが来週中に日本車輌に入場の為の甲種回送が行われ、今年11月頃にEXEα化されて出場してくることが予想されています。
これにより、1996(平成8)年3月23日に30000形EXEがデビューした当時の編成が全て入場したことになり、リニューアル前のEXEが30253+30053F以降の5編成となっています。
今回乗った30257+30057Fは、そのうちの1編成であり、30256+30056Fと共に1999(平成11)年に川崎重工業で製造されていました。
1999年7月17日には、30000形EXEの導入完了により、3100形NSE車が定期運用から離脱され、新宿18時発以降の下りのロマンスカーがホームウェイ号となり、あしがら号と旧さがみ号が統合されてサポート号となっていました。
サポート号は、その名の通り、途中停車駅の乗客をサポートする列車であったけど、評判が良くなかったことや、ホームウェイ号以外の箱根湯本発着の列車をはこね号またはスーパーはこね号、小田原発着などの小田急小田原線内発着列車をさがみ号と分ける為に、2004(平成16)年12月10日をもって廃止されていました。
これにより、相模の国の由来のさがみ号が復活していたし。
愛称名が停車駅基準から行先基準によって分けられる方針に変わったことは、JR東日本の新幹線(東北・上越新幹線系統)と同じであり、さがみ号の復活は、上越新幹線で、あさま号(長野発着)と紛らわしかったあさひ号に替わってとき号(新潟発着)が復活したことと同様であります。
さがみ号が登場したのは、1966(昭和41)年のことであり、当時は新宿~小田原間で、向ヶ丘遊園駅と新松田駅のみ停車していました。
1968(昭和43)年には本厚木駅にも停車するようになり、1999年7月に一旦廃止されるまで、このような運転体系となっていたし。
あしがら号は、1967(昭和42)年にはこね号の新原町田(現、町田)駅停車バージョンとして登場し、1996年3月23日のはこね号→スーパーはこね号への変更により、新宿~小田原間で途中町田駅のみ停車の箱根湯本発着のあしがら号がはこね号となり、町田駅と本厚木駅停車列車があしがら号となったのであります。
3100形NSE車の箱根湯本への乗り入れは、1996年3月23日に30000形EXEが登場してから大幅に減少し、スーパーはこねの幕が入っていたのにも関わらず、スーパーはこね号にはごく稀にしか使われていなかったです。
EXEと共に始まったスーパーはこね号は、昨年3月26日に上り列車がはこね号に変更され、現在は平日に1本、土休日に2本(共に午前中の下りのみ)で、基本的に50000形VSEが使われているけど、土休日のスーパーはこね13号(新宿 10時10分発)に関しては、7000形LSE車による代走も行われることもあります。
当時は向ヶ丘遊園から乗る予定であったけど、乗車時間が短くなるので、町田から乗ったけど、今回は30257F側の4号車の3Aに当たっていました。
30000形EXEや60000形MSEの10連による箱根湯本発着の列車の場合は、箱根湯本まで行かない時に7~10号車に割り当てられることが多いけど、今回は10両全てが小田原発だったので、4号車に当たったのであります。
向ヶ丘遊園駅は、各停が折り返し可能な2面4線の駅であり、1927(昭和2)年4月1日の開業当時は、稲田登戸駅と呼ばれていました。
北口の駅舎は、1927年に稲田登戸駅として開業した時から使われている特徴のある駅舎となっているし。
開業当時は各停が新宿~稲田登戸間の折り返し運転で、新宿~小田原間が直通と呼ばれていました。
稲田登戸駅の由来は、開業当時に橘樹(たちばな)郡稲田村→稲田町だったことであり、1938(昭和13)年10月1日には、川崎市に編入され、1972(昭和47)年4月1日に政令指定都市への移行により、川崎市多摩区となっています。
多摩区は、東京都の多摩市(小田急永山、小田急多摩センター、唐木田の各駅がある)と似ていて紛らわしいので、川崎市多摩区と呼ぶようにしているし。
1955(昭和30)年4月1日には、小田急線の開業と共に開園していた向ヶ丘遊園の知名度を上げる為に向ヶ丘遊園駅に変更されていました。
当初は、駅前から豆汽車→豆電車で結ばれていたけど、1966年4月23日には、向ヶ丘遊園モノレール線(向ヶ丘遊園~向ヶ丘遊園正門間)に変わり、2000(平成12)年2月に休止、2001(平成13)年3月に正式に廃止されるまで、ロッキード式モノレールである500形が活躍していました。
向ヶ丘遊園モノレールが、2002(平成14)年3月31日の向ヶ丘遊園の閉園を待たずに廃止された理由は、2000年2月に行われた定期検査で、老朽化により台車に亀裂が入っていたことが発見された為に、改修するのに莫大な予算が掛かること、バス代行輸送が可能であるからでありました。
2010(平成22)年1月に廃車となった7000形LSEの7002Fでは、北館林荷扱所(渡瀬北留置線)で解体された時に、亀裂が発見され、それが小田急電鉄に報告されたことで7000形LSE車や10000形HiSE車の運行が停止されていたこともあったので、向ヶ丘遊園モノレールの二の舞となっていました。
こちらは、年内に復活していたし。
向ヶ丘遊園の跡地は、生田緑地ばら苑と藤子・F・不二雄ミュージアムとなり、向ヶ丘遊園駅とJR南武線の宿河原駅から徒歩、登戸駅からシャトルバスで行くことが出来ます。
藤子・F・不二雄ミュージアムが開館したのは、2011(平成23)年9月3日のことで、主力キャラクターであるドラえもんの誕生日に当たっていました。
小田急線の登戸駅と向ヶ丘遊園駅に、ドラえもんなどの藤子キャラクター(オールスターズ)のテーマ曲による接近メロディーが使われており、登戸駅の下りは、きてよパーマン(パーマン)、上りは、夢をかなえてドラえもん(現在のドラえもんのオープニングテーマ)、向ヶ丘遊園駅の下りは、はじめてのチュウ(キテレツ大百科)、上りは、ドラえもんのうた(かつてのドラえもんのオープニングテーマ曲)となっています。
昨年9月3日には、JR南武線の登戸駅と宿河原駅の発車メロディーが変更されたけど、南武線のところで述べたいと思っています。
小田急線の登戸駅は、1927年4月1日の開業当時は稲田多摩川駅であったけど、1955年4月1日の登戸多摩川駅への改称を経て、1958(昭和33)年4月1日に登戸駅となっています。
入場前の30252+30052Fに乗ったのは、一昨年6月27日に、相模大野から新宿まで、土休日ダイヤの上りの最終ロマンスカーであるさがみ96号に乗った時でありました。
さがみ96号は、平日、土休日共に30000形EXEが使われており、EXEαも使われることもあります。
EXEαは、明日(3月17日)は運休予定となっているし。
このように、EXEαとリニューアル前のEXEのビフォーアフターでの比較乗車を行うことが出来て良かったです。
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小田急30000形EXEによるさがみ90号
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