8月19日は、川越から拝島まで、JR八高・川越線の205系3000番台のハエ85編成(クハ205-3005F)による直通の八王子行きに乗りました。
205系3000番台は、103系3000番台(72系73形からの更新車)や3500番台(加古川線のクモハバージョンとは別)の置き換え用として、2003(平成15)年から2005(平成17)年に掛けて、4両5編成20両が、山手線のE231系500番台の増備により捻出された205系の中間車の一部から改造されていました。
先に営業運転入りしていた仙石線の205系3100番台(山手線または埼京線で活躍していた205系の中間車から改造された車両)からトイレを外した車両であり、ドアチャイムも同一であります。
このハエ85編成は、2005(平成17)年に、山手線で活躍していた旧ヤテ→トウ13編成(クハ205-13F)のうちの4,7,8,9号車から改造された編成であり、ドア部分の小窓に山手線時代の面影があります。
種車は、クハ204-3005号車がサハ205-26号車、モハ204-3005号車がモハ204-37号車、モハ205-3005号車がモハ205-37号車、クハ205-3005号車がサハ205-25号車であり、これらの車両は1985(昭和60)年に東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)で製造されていました。
ハエ81編成は、ヤテ8編成、ハエ82編成は、ヤテ8編成と28編成、ハエ83編成は、ヤテ9編成、ハエ84編成は、ヤテ5編成と12編成の中間車の一部から改造されていたし。
1985年は、9月30日に埼京線の赤羽~武蔵浦和~大宮間が開業し、大宮~川越~高麗川間が電化されていたけど、山手線の205系の増備により捻出された103系が埼京線に転用されていました。
池袋~赤羽間の赤羽線は、かつての山手線の支線であり、1985年9月30日に埼京線との直通運転が行われてからは埼京線の一部として扱われています。
1985年の川越線の電化当初は、仙石線から転用された103系3000番台が3両編成で使われ、非電化時代と同様の大宮~高麗川間での直通運転も行われていました。
川越電車区→川越車両センターは、埼京線の開業及び川越線の電化と共に新設されていたし。
1996(平成8)年3月16日には、八高線の八王子~高麗川間(八高南線)が電化され、高麗川駅で系統分割されたと共に、川越までの直通運転も行われるようになっています。
本格的に4両化されたのは八高南線の電化の時からであり、209系3000番台が4両4編成16両導入されていました。
同時期に1編成改造されていた103系3500番台は、京浜東北線で活躍していた編成から改造されていたので、1988(昭和63)年に全廃となった山手線の103系を彷彿とさせる編成となっていたし。
205系3000番台の営業運転が開始されたのは、2003年11月10日のことでありました。
当初205系3000番台は、7編成が改造される予定となっていたけど、りんかい線の70-000形のオール10両化(JR線乗り入れ対応編成への統一)により、捻出された初代70-020Fと70-030Fの一部がハエ71,72編成としてJR東日本に譲渡(209系3100番台に編入)されたことにより、205系3000番台の導入が5編成となったのであります。
不足分の中間車は、2両製造されていたけど、ハエ71編成のモハ209-3101+モハ208-3101号車が該当しているし。
2002(平成14)年から2005年に掛けて行われた山手線の205系からE231系500番台への置き換えでは、捻出された205系が武蔵野線、京葉線、横浜線、南武線、浜川崎支線、埼京線、八高・川越線、鶴見線、仙石線に転用されて101系や103系が置き換えられていたという大掛かりな転用計画がありました。
今年5月からは山手線のE235系の増備が開始されたことにより、捻出されたE231系500番台が中央・総武緩行線に順次転用され、209系500番台やE231系が武蔵野線などに転用されて205系が置き換えられていくので、大掛かりな転用計画が再発したことになります。
八高・川越線の205系3000番台も中央・総武緩行線から捻出された車両への置き換えの対象となっているけど、209系のほうは足回り品が未更新のままとなっているので、どうなるのか気になります。
川越線の路線
(埼京線またはりんかい線、新宿、新木場方面へ直通運転)←大宮~日進~西大宮~指扇~南古谷~川越
川越~西川越~的場~笠幡~武蔵高萩~高麗川→(一部、八王子まで直通運転)
八高線の路線
八王子~北八王子~小宮~拝島~東福生~箱根ヶ崎~金子~東飯能~高麗川→(一部、川越まで直通運転)
高麗川~毛呂~越生(おごせ)~明覚~小川町~竹沢~折原~寄居~用土~松久~児玉~丹荘~群馬藤岡~北藤岡~倉賀野→(全列車高崎線の高崎駅まで直通運転)
乗換駅
大宮 埼京線(新宿、新木場方面へ直通運転)、京浜東北線、宇都宮線・高崎線(一部上野東京ラインとして東海道線へ直通運転)、湘南新宿ライン(宇都宮線⇔横須賀線、高崎線⇔東海道線直通)、東北・北海道・山形・秋田・上越・北陸新幹線、東武アーバンパークライン(野田線)、埼玉新都市交通ニューシャトル
川越 川越線相互(大宮方面⇔高麗川方面)、東武東上線
高麗川 八高線⇔川越線、八高線相互(八王子方面⇔高崎方面)
東飯能 西武池袋線(西武秩父線へ直通、所沢、池袋方面へは飯能駅で乗換)
拝島 青梅線、五日市線、西武拝島線
八王子 中央快速線、中央本線、横浜線
越生 東武越生線
小川町 東武東上線
寄居 秩父鉄道線、東武東上線
倉賀野 高崎線
高崎 上越線、両毛線、信越線(高崎~横川間)、上越・北陸新幹線、上信電鉄線
川越駅から西武新宿線の本川越駅、八王子駅から京王線の京王八王子駅へも歩いて行くことも出来ます。
1996(平成8)年3月15日までの全線非電化時代の八高線は、キハ30、キハ35、キハ38形が活躍し、八王子~高崎間の通しでの運転も行われていました。
キハ30形の一部とキハ38形は久留里線に渡り、キハE130系に置き換えられてからは、一部が水島臨海鉄道(岡山県)に譲渡されています。
キハ38形は国鉄末期の1986(昭和61)年に7両がキハ35形からの更新により製造されていたけど、八高南線の電化により全て久留里線に渡り、現在はそのうちの5両がミャンマーに輸出され、1両が水島臨海鉄道に譲渡されていました。
譲渡されなかったキハ38-1号車は、千葉県いすみ市にあるポッポの丘で静態保存されているし。
八高線が開業したのは、1931(昭和6)年7月1日の倉賀野~児玉間であり、当時は繋がっていなかったことから八高北線と呼ばれていました。
一方の八高南線は、同年12月10日に、八王子~東飯能間が開業していたのが最初であるし。
1933(昭和8)年1月25日には、八高北線の児玉~寄居間が、同年4月15日に八高南線の東飯能~越生間が、翌年の1934(昭和9)年3月24日に八高南線の越生~小川町間がそれぞれ開業し、同年10月6日に小川町~寄居間が開業したことにより全線が繋がり、八高線となっていました。
1996年3月16日の八王子~高麗川間の電化により、高麗川駅で系統が分割されているので、八王子~高麗川間の電化区間が八高南線、高麗川~倉賀野間が八高北線と呼ばれています。
現在の八高北線(高麗川~高崎間)で使われている車両は、キハ110系列であり、1993(平成5)年3月18日に高崎~寄居間で先行導入されていました。
これまでの八高線の列車には冷房が付いていなかったので初の冷房車として話題になっていたし。
川越線が開業したのは、1940(昭和15)年7月22日のことであり、1985年9月30日に電化されるまでの間は、大宮機関区所属の気動車(晩年はキハ30系列)が使われていました。
大宮機関区の跡地は、鉄道博物館となっているし。
鉄道博物館が出来てから今年10月14日に10周年を迎えるので盛大なイベントが行われることになります。
川越線の非電化時代は、大宮駅の11,12番線(そのうちの11番線は湘南新宿ラインの北行に転用されている)から発車していました。
高麗川駅では9分停車していたので、八高北線のキハ111-209Fとの並びも撮影することも出来たし。
このように、八高・川越線で、置き換えられることが予想されている205系に乗ることが出来て良かったです。
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八高・川越線の205系3000番台 ハエ85編成
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