
6103F以外の5編成は現在6両編成となっているけど、来年3月までの間には、7両化されるので、前面の6604号車の表示が6704号車に変わることにより、見納めとなってしまうので、撮影しておきました。
旗の台駅は、待避可能な2面4線の高架駅となっているけど、改良前は、2面2線の相対式ホームの駅で、池上線から大井町線の下りホーム(自由が丘、二子玉川園→二子玉川方面、3番線)に行く場合に4番線(大井町線の上り、大井町方面のホーム)を経由し、再び階段を昇り下りする必要がありました。
現在は池上線から大井町線の下りホームまで迂回せずに行けるようになっています。
大井町線⇔池上線の乗換えの案内サインは、上り(五反田方面)が赤色、下り(蒲田方面)が青色となっているし。
1927(昭和2)年7月6日に、大井町線が開業した当時は、東洗足駅で、現在の旗の台駅よりも170m大岡山(二子玉川)寄りにありました。
同年8月28日に、池上線の雪が谷(現、雪が谷大塚)~桐ヶ谷(戸越銀座~大崎広小路間にあった駅)間が、前身の池上電気鉄道によって開業した時に、旗の台駅の前身である旗ヶ岡駅も開業していたけど、現在よりも210m五反田寄りにあった為に乗換駅として認められていなかったです。
1951(昭和26)年3月1日に、大井町線の東洗足駅が現在の位置に移転されて現在の旗の台駅となり、同年5月1日には、池上線の旗ヶ岡駅との合併・統合により、旗の台総合駅となったことで現在に至っています。
旗の台は、源氏の白旗が揚げられたことが由来となっているし。
大岡山駅(駅の真上に東急病院のある駅)は、外側に目黒線、内側に大井町線が入っている地下駅であり、大井町線で唯一の地下駅でもあります。
改良前は、目蒲線(現、目黒線)と大井町線が別々の地上駅であり、目蒲線が島式、大井町線が変則相対式となっていました。
1997(平成9)年6月27日の地下化完了により、大井町線⇔目黒線間で同じホームでの乗換えが可能となっています。
東急病院が、大岡山駅の真上に移転されたのは、2007(平成19)年11月3日のことであり、あれから10年経っていたし。
自由が丘駅は、東横線が上、大井町線が下であり、大井町線部分は、2回ホームが延長されています。
二子玉川寄りには、自由が丘車庫として、5両編成対応の留置線が3本あったけど、6両での急行運転に支障する為に2005(平成17)年10月に1本を残して廃止されていました。
留置線が3本あった頃は、三枝分岐器となっていたのが特徴であったし。
跡地にTrainchi(トレインチ)自由が丘という商業施設が建設された後も、1本の留置線が残されているけど、2007年11月に一旦廃止され、2009(平成21)年に復活していました。
田園都市線の梶が谷駅に、梶が谷車庫として留置線が4線設けられたのは、自由が丘車庫の代わりでもあり、自由が丘とは違って新6000系も留置することも出来ます。
等々力(とどろき)駅は、将来的に地下化され、外側に急行の通過線が設けられる予定となっているけど、周辺にある等々力渓谷(東京23区で唯一の渓谷で、東京都指定名勝でもある)の湧水が妨げられることが懸念される問題がある為に反対運動が高まっているので、未だ地下化工事が着工されていない状態であります。
上野毛駅で改良を期に上りの通過線が設けられたのはその為であるし。
溝の口駅は、二子玉川駅と同様に、外側が田園都市線、内側が大井町線が入っている2面4線の駅であり、改良前は、2面2線の相対式ホームで、現在の大井町線の部分に田園都市線が入っていました。
二子玉川園→二子玉川駅のほうは、1979(昭和54)年8月12日から1999(平成11)年9月4日に大井町線と田園都市線の入れ替えが行われるまでの間、大井町線の列車が外側の1番線または4番線での折返しが行われていました。
1990(平成2)年から1999年までの間、1番線(田園都市線(下り、中央林間方面)と同じホーム)到着の二子玉川園行き(当時)で緑色の幕、4番線(新玉川線(現在の田園都市線上り、渋谷方面)到着の二子玉川園行きで従来の黒色の幕が使われていたこともあったけど、こちらは現在の青各停(二子新地、高津停車)と、緑各停(二子新地、高津通過)に分けられていることに似ていました。
2008(平成20)年2月まで大井町線で活躍していた8000系で、東横線用のようなLED化が行われていなかったのはその為であるし。
溝の口駅の改良工事は、同じJR南武線への乗換駅である小田急線の登戸駅に似ています。
登戸駅の改良は、同じ盛り土式の簡易高架駅だった江ノ島線の大和駅と同様の方式で行われているし。
小田急の快速急行は、来年3月中旬の改正で、登戸駅にも停車するようになり、下北沢~新百合ヶ丘間の究極のノンストップ区間が解消されます。
平日の朝に唐木田、小田急多摩センター→新宿間に新設される通勤急行は、向ヶ丘遊園停車、登戸通過となるし。
大井町線が東急ATSからATC-Pに切り替えられたのは、2008年2月23日のことであり、東急電鉄の4ドア20m線区が全て新CS-ATCまたはATC-P化されていました。
ATC-Pは、JR東日本などのATS-Pと紛らわしい状態だけど、Pということで、ATS-Pと同様にパターン制御が行われています。
現在は東急多摩川線、池上線、世田谷線が東急ATSのままとなっているし。
大井町線の中延駅は、開業当時地平駅となっていたけど、国道1号線(第二京浜)との立体交差の絡みにより、1957(昭和32)年7月に高架化されていました。
中延駅から池上線の荏原中延駅へは、中延スキップロードという商店街を通って行くことが出来ます。
荏原中延駅が地下化されたのは、1989(平成元)年3月19日のことであり、その前に緑色の初代3000系列が全廃されていました。
荏原中延駅が地下化されたことにより、池上線の地下駅が長原駅と荏原中延駅の2駅となっているし。
長原駅は、目蒲線→目黒線の洗足駅と同様に、環七通りとの立体交差化により、洗足駅と共に昭和40年代に地下化されています。
下神明駅付近には、横須賀線(品鶴(ひんかく)線、西大井駅)と大崎駅を結ぶ大崎支線(蛇窪線、湘南新宿ライン等が走る線路)の分岐点である旧蛇窪信号場があるけど、下神明駅の前身が蛇窪駅だった頃の名残があります。
6000系の型式は、1960(昭和35)年から1989年まで活躍していた初代6000系(ブタ鼻ヘッドライトのスキンステンレス車)から受け継がれています。
初代6000系は、東横線でデビューし、晩年は大井町線で活躍していたし。
その一部が日立製作所の水戸工場(茨城県勝田市→ひたちなか市、JR常磐線の勝田駅付近)と、弘南鉄道大鰐線(青森県)に譲渡されたけど、現在は全て廃車となっています。
日立製作所水戸工場では、勝田駅への引込み線が出ていて、元東急初代6000系による通勤輸送が行われていたし。
日立製作所水戸工場では、かつて電気機関車の製造が行われていたことで有名でありました。
現在日立製作所の鉄道車両の製造は、全て山口県下松市にある笠戸事業所で行われているし。
大井町線急行の7両化は、来年3月までに行われる予定だけど、早まる可能性があるので、この機会に6両編成の6104Fを撮影することが出来て良かったです。