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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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東急多摩川線の新7000系7101F

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こちらは、11月12日に、東急電鉄の蒲田駅で撮影した、新7000系のトップナンバーである7101Fによる東急多摩川線の多摩川行きです。

東急新7000系は、東急新7000系は、2007(平成19)年から2011(平成23)年に掛けて3両編成7本導入された、新5000系列(元をただせばJR東日本のE231系)ベースの3ドア18m車(3両編成、東急多摩川線と池上線(池多摩)用の車両)で、1986(昭和61)年まで活躍していた青ガエルこと初代5000系や、1969(昭和44)年まで玉電で活躍していたデハ200形(ペコちゃん、現在は204Fが、宮崎台にある電車とバスの博物館で展示されている)がイメージされた丸みを帯びた前面(可愛い系)が特徴であり、自分(しゃもじ)にとってお気に入りの車両であります。

デビューしたのは、2007年12月25日(クリスマス)のことで、7101Fと7102Fの2編成しかなかったことにより、捕まえるのが困難でありました。

2008(平成20)年に7103Fと7104Fが、2009(平成21)年に7105Fが、2010(平成22)年に7106Fが、2011年に7107Fが導入されて現在に至っているけど、今年になってからは、7700系の残りの置き換え用として導入が再開され、一昨日(11月14日)から昨日(11月15日)に掛けて、7108Fと7109Fが、逗子(総合車両製作所横浜事業所)から長津田まで甲種回送されていました。

2本繋がれた双子のような状態で輸送されたのは、2008年の7103+7104Fの時以来9年ぶりだったし。

今から丸10年前の2007年11月16日は、新7000系の7101+7102Fが長津田に到着していました。

12月25日には、営業運転入りしてから早いもんで10年経とうとしています。

当初の予定では、2011年度までに19編成導入されて、7700系、7600系の全てと1000系の一部が置き換えられる予定となっていたけど、副都心線直通に伴う東横線への5050系の導入が優先されたことや、2013(平成25)年3月16日に東横線と日比谷線の直通列車が副都心線直通と入れ替わりに廃止されたことに伴い、1000系が余っていたことにより、2011年の7107Fの導入をもって中断されていました。

日比谷線直通で活躍していた1000系8両固定編成の8編成のうち、先に運用離脱され、伊賀鉄道伊賀線(三重県、旧近鉄伊賀線)に譲渡されていた1006Fを除いて、先頭車を含めた3両が1500番台に改造されて東急多摩川線、池上線に転用されたことで7700系や7600系が置き換えられていました。

近鉄伊賀線(伊賀上野~伊賀神戸間)が、伊賀鉄道に、近鉄養老線(桑名~大垣~揖斐間)が養老鉄道にそれぞれ移管されてから10月1日で10年経ったけど、奇しくも移管された日(2007年10月1日)が郵政民営化と同じ日でありました。

7600系(7200系からの改造車)に関しては、一昨年2月10日をもって最後を迎えていたけど、最後まで残されていた7601Fが歌舞伎顔から7200系の登場当時のクラシックスタイルに戻されていました。

同年2月7日にイベントが行われ、それを撮影したことを覚えています。

7000系のトップナンバーだった7001Fから改造された7700系の7910Fも、2012(平成24)年4月から、池上線開業90周年記念として赤帯が外されたクラシックスタイルとなっていたけど、2014(平成26)年5月に廃車となるまでそのままとなっていました。

現在残る7700系の6編成(7901,7903,7905,7906,7912,7914F)のうち、最古参なのは、7023Fから改造された7903Fであり、1963(昭和38)年に製造されていたし。

東急多摩川線は、2000(平成12)年8月6日に、これまでの目蒲線(目黒~蒲田間)の分割(目黒~多摩川(旧、多摩川園)間は目黒線に継承)によって出来た路線であり、西武鉄道の多摩川線(武蔵境~是政間、西武では多摩川線が正式名称である)や、かつて存在した東急玉川線(玉電)と区別する為に、多摩川線ではなく、東急多摩川線が正式名称となっています。

こちらは、西武鉄道で西武秩父線や西武有楽町線が正式名称となっていることと同様であり、前者は、秩父鉄道の秩父線と区別することはもちろんのこと、西武秩父へと向かう路線であることがアピールされています。

西武有楽町線(東京メトロ副都心線経由で東急東横線にも続いている)も、営団地下鉄→東京メトロ有楽町線と区別する為に西武が付く路線となっているし。

7700系を除いた東急多摩川線の車両のLED表示では、東急多摩川線ではなく、多摩川線と表示されています。

東急目蒲線では、1989(平成元)年3月から、2000年8月4日までの間、7000系→7700系または7200系の4両編成が使われていたけど、1000系も使われていたこともありました。

当時鵜の木駅では、目黒寄りの1両がドアカットされていたし。

2000年8月6日に東急多摩川線として独立してからは、ワンマン化されて池上線と共通の3両編成(雪が谷検車区の本区(雪が谷大塚)所属)が使われるようになったことで、3両編成に戻されていました。

7月3日から8月5日までの間には、準備により3両編成での目黒~蒲田間での運転が行われていたので、目蒲線の末期に3両編成が復活していたし。

目蒲線で使われていた車両は、奥沢検車区→雪が谷検車区奥沢班(奥沢車庫)所属で、奥沢がベースとなっていました。

現在奥沢車庫は、元住吉検車区管理による目黒線の車庫となっているし。

因みに東急世田谷線の上町車庫は、雪が谷検車区上町班であり、以前は上町検車区→長津田車両工場上町班→長津田検車区上町班と呼ばれていました。

東急多摩川線の路線

多摩川~沼部~鵜の木~下丸子~武蔵新田~矢口渡~蒲田

多摩川駅では地下ホーム(5,6番線)からの発着となります。

東急池上線の路線

五反田~大崎広小路~戸越銀座~荏原中延~旗の台~長原~洗足池~石川台~雪が谷大塚~御嶽山~久が原~千鳥町~池上~蓮沼~蒲田

地下にある駅、荏原中延、長原

乗換駅

多摩川 東急多摩川線⇔東横線(横浜駅からはみなとみらい線元町・中華街まで、渋谷駅からは東京メトロ副都心線経由、東武東上線または西武池袋線へ直通運転)、目黒線(目黒駅からは東京メトロ南北線経由埼玉高速鉄道線または都営三田線へ直通運転)

五反田 JR山手線、都営浅草線

旗の台 池上線⇔大井町線

蒲田 東急多摩川線⇔池上線、JR京浜東北線

東急多摩川線と池上線の蒲田駅は、降車専用ホームのある5面4線の駅であり、地上時代の東横線の渋谷駅や、阪急電鉄の梅田駅(京都本線、宝塚本線、神戸本線が乗り入れているターミナル駅)と雰囲気が似ています。

エンド側の車止め部分に花壇があることも共通しているし。

東側の1,2番線は池上線、西側の3,4番線は東急多摩川線の乗り場となっており、朝夕の出入庫に伴う池上線⇔東急多摩川線直通列車の場合は、2番線発着となります。

現在の東急多摩川線(旧、目蒲線)の路線は、1923(大正12)年3月11日に、前身の目黒蒲田電鉄目黒線として、目黒~沼部間が開業したのが始まりであり、同年11月1日に沼部から蒲田まで延長されて目蒲線となっていました。

2000年8月6日に、目蒲線が目黒~多摩川~武蔵小杉間の目黒線、多摩川~蒲田間の東急多摩川線として分離されてからは、目黒線の路線名が復活していました。

一方の東急池上線は、1922(大正11)年10月6日に、池上本門寺の参拝客輸送の為に、池上電気鉄道によって、蒲田~池上間が開業したのが始まりであったので、目蒲線→東急多摩川線と生い立ちが異なる路線であることが分かります。

翌年の1923(大正12)年5月4日には、池上~雪ヶ谷(現、雪が谷大塚)間が、1927(昭和2)年8月28日に、雪ヶ谷~桐ヶ谷間、同年10月9日に、桐ヶ谷~大崎広小路間がそれぞれ開業し、翌年の1928(昭和3)年6月17日には、五反田まで延長されたことにより、現在の池上線の路線が出来上がっていました。

桐ヶ谷駅は、大崎広小路~戸越銀座間にあった駅であり、1945(昭和20)年7月に休止、1953(昭和28)年8月に廃止されていました。

当初の地下鉄乗り入れ計画では、桐ヶ谷駅を復活させ、そこから泉岳寺方面への都営三田線への連絡線路を通すことになっていたけど、目黒経由に変更された為に、東武鉄道による和光市~高島平間の連絡線(東武高島平線計画)と共に幻となっています。

池上電気鉄道は、1934(昭和9)年10月1日に目黒蒲田電鉄に吸収合併され、後に東急のものとなっているし。

雪が谷大塚駅は、1933(昭和8)年6月1日に、これまでの雪ヶ谷駅と、1927年8月に開業した調布大塚駅との統合により出来た駅であり、統合当時は、雪ヶ谷駅と呼ばれていました。

1943(昭和18)年12月に雪ヶ谷大塚駅となったことを経て、
1966(昭和41)年1月20日に現在の雪が谷大塚駅となったけど、当時は、東急線で、ヶの付く駅で、がの表記に、ノの付く駅で、のの表記にそれぞれ変更された時でありました。

1928年10月5日から1935(昭和10)年10月までの間は、池上電気鉄道によって開拓された支線である、新奥沢線(雪ヶ谷~新奥沢間)が出ていました。

こちらは、国分寺方面への延伸を見据えた路線であったけど、全長が1.44Kmしかなく、中間駅が諏訪分駅しかなかったことにより、利用客が少なかった為に僅か7年で廃止されていたし。

調布高等女学校(現、田園調布学園、現在でも女子校)のすぐ近くを通っていたので、女学校の生徒以外はほとんど使われていなかったです。

新奥沢駅(現在の世田谷区東玉川二丁目にあった駅)の跡には、新奥沢駅跡の碑が残されています。

同じ1928年4月7日に京成電気軌道によって開業し、1936(昭和11)年に廃止された京成白髭線(向島~白髭間)も、似たような路線であり、僅か8年で廃止されていました。

京成白髭線は、当時の京成線と同様に、1372mmの馬車軌間の時代であった為に、白髭から三ノ輪橋まで延長され、王子電気軌道(現在の都電荒川線)と結ばれる計画もあったし。

東急線の蒲田駅は、開業当時は、目蒲線と池上線の乗り場が異なっており、目蒲線が並行、池上線が直角に配置されていたので、西武線の国分寺駅で、国分寺線が並行、多摩湖線が直角に配置されていることと同様となっていました。

1927年には、池上線の駅が目蒲線側に移転され、1940(昭和15)年に直角の位置に再移転、1968(昭和43)年10月29日に高架化されて現在に至っています。

今年は、池上線開業90周年という節目の年を迎えたことによりイベントが目白押しであり、大崎広小路までの延長開業から90年経った10月9日には、東急池上線1日フリー乗車券の無料配布により、無料(タダ)で乗れたことで話題になっていました。

自分(しゃもじ)は行かなかったけど、列車が満員になったことで大フィーバーとなっていたし。

7108+7109Fは、6年半ぶりに導入された編成であるので、仕様変更が行われていると思われます。

新7000系の増備が再開された理由は、日比谷線直通列車の廃止によって余剰となった1000系(1500番台の種車)の先頭車を使い果たしたことであり、その中間車は、福島交通飯坂線(福島県)への譲渡依頼があるのでそのはずであります。

福島交通飯坂線では、元東急初代7000系から元東急1000系への置き換えが進められているし。

このように、来月でデビュー10周年を迎える東急多摩川線と池上線の新7000系を話題にすることが出来て良かったです。















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