
昨日(3月9日)は、新線新宿から下高井戸まで、京王電鉄新5000系(京王ライナーの車両)の5735Fによる快速橋本行きに乗りました。
こちらは、京王新5000系による平日57K運用(都営新宿線乗り入れ運用ありで、京王ライナーに繋がっている)の1つであり、都営新宿線の本八幡駅を14時56分に発車し、新線新宿駅から快速橋本行きとして橋本へと向かう列車であり、橋本駅に到着した後に、折り返しの快速つつじヶ丘行き→調布まで回送→調布から各停橋本行き→折り返しの各停若葉台行きで、若葉台車両基地に入庫された後に、新宿まで回送され、新宿 21時30分発の京王ライナー7号→橋本から折り返し回送→新宿 23時30分発の京王ライナー15号で橋本へと向かうことになります。
京王新5000系の都営新宿線乗り入れは、平日、土休日共に2運用あり、2月22日と23日は、平日55K運用にも新5000系が使われていました。
笹塚駅では、準特急高尾山口行きとの待ち合わせにより4分間停車していたので、笹塚始発の都営新宿線の急行本八幡行き(都営10-300形の10-550F、同じ総合車輛製作所横浜事業所製)との並びも撮影することが出来ました。
このような並びは、京王新5000系が京王新線を介して都営新宿線に乗り入れているからこそ実現したものであります。
京王新線は、京王線の新宿~笹塚間の複々線化及び、京王線と都営新宿線を繋ぐ路線(甲州街道の真下を通る直線の新線)であり、1978(昭和53)年10月31日に開業し、初台、幡ヶ谷の両駅が京王線からシフトされていました。
京王新線が都営新宿線と結ばれるようになったのは、1980(昭和55)年3月16日のことであり、京王線と都営新宿線を繋ぐ路線として機能するようになったのであります。
このことで、1994(平成6)年12月7日に地下鉄副都心線の池袋~小竹向原間が、有楽町新線として開業した当時、現在の副都心線池袋駅が新線池袋駅と呼ばれていたことを思い出します。
有楽町新線のほうも、池袋~小竹向原間の複々線化により出来た路線であり、2008(平成20)年6月14日に渋谷まで延長されたと共に副都心線に改称されたことにより、新線池袋駅及び新線池袋の表示が過去のものとなっています。
京王新線の新線新宿行きは、早朝・深夜の定期列車や府中競馬開催日の臨時急行で見られているけど、2月21日までの間は、都営新宿線直通列車(急行新線新宿行きで、新線新宿から各停本八幡行きとなる列車)でも見られていました。
2月11日まで活躍していた都営10-000形は、先に全廃された10-300R形と共に急行新線新宿行きに入った時に急行新宿と表示されていたので、京王線新宿行きと紛らわしかったことで誤解を招く状態となっていました。
現在は、急行本八幡行き(新宿から各停本八幡行き)に変更されたことで解消されたけど、本八幡からの区間急行調布行き(調布から各停高尾山口行き)のほうも、本八幡から高尾山口行きの表示となっています。
京王新5000系には、2月22日に都営新宿線で乗ったけど、京王新線で乗ったのは今回が初めてであり、新線ということで新鮮な感じがしてきました。
5735Fは、2月22日から28日までの間にデビュー記念ヘッドマークが付いていた編成であり、2月22日(初日)の京王ライナー1号(京王八王子行き)に使われていました。
2月24日の京王ライナー1号(土休日の京王ライナー第一号)にもヘッドマーク付きが使われていたので、大サービスでありました。
この日は、友人のつか氏が京王ライナー1号に初乗車していた時でもあったので、撮影することも出来たという喜びがありました。
自分(しゃもじ)が5735Fに乗ったのは、1月13日の新宿→高尾山口間での各停以来であり、待ち合わせの時に撮影していたので、今回もその法則が当てはまっていたのであります。
LED表示の場合は、撮影した時に切れることが多いという欠点があるけど、今回は上手く撮影することが出来ました。
端のロングシート部分でコンセントが使えるのは、京王ライナーに入った時だけであり、都営新宿線直通を含めた一般列車では使えないので注意が必要であります。
このように、京王新5000系で京王新線を初めて通ることが出来て良かったです。