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京急1500形1549Fによる花電車

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昨日(6月21日)は、京浜急行電鉄(京急)の品川駅3番線で行われた、京急線・都営浅草線相互直通50周年記念の花電車展示イベントに行ってきました。

こちらのイベントは、1968(昭和43)年6月21日に、京急本線の泉岳寺~品川間の開業及び都営地下鉄1号線(現、浅草線)との直通運転開始されてから、今年で50周年を迎えたことにより行われたものであり、その当日に相応しかったです。

この時に使われた編成は、1500形の1549F(品川口の普通列車や羽田空港~新逗子間のエアポート急行で使われている6両編成)であり、浦賀寄りのデハ1549号車に、開業当時の花電車がイメージされた装飾が施されていました。

この装飾は、今年5月20日に京急久里浜のイベント(京急ファミリー鉄道フェスタ2018)で、旧1000形のデハ1356号車(静態保存車)に施され、開業当時の花電車が再現されていたことで話題になっていたけど、今回は回送の関係により、下半分のみとなっていました。

当時の直通運転区間は、押上~三浦海岸間であり、1975(昭和50)年4月26日に三崎口まで延長される前の時代であったことが分かります。

今から50年前の押上は、都電が走っていた時代であり、1972(昭和47)年11月11日に押上を含めた下町エリアを最後に、現在の荒川線部分を除いた都電が全廃されていました。

現在は、スカイツリーが出来たことにより、押上の知名度が上がっています。

京急品川駅の3番線は、平日朝ラッシュ時の普通列車と、平日夜の下りのみ運転される、京急ウィング号の発着ホームであるけど、10両分しかない為に12両編成の列車が入ることが出来ない状態であります。

京急の品川止まりの普通列車は、2番線に到着した後に泉岳寺寄りにある引込線まで回送され、1番線での折返しが行われるけど、朝ラッシュ時には余裕がなくなる為に3番線発着となっています。

1549Fは、記念式典が行われた後、12時から14時まで、浦賀寄り先頭車のデハ1549号車のみ車内公開されていたけど、それには昔の京急に関する資料やヘッドマークのレプリカ等が展示されていました。

行先表示は、最初は特急押上で、途中からけいきゅんの表示に切り替わっていました。

1549Fは、1991(平成3)年2月に東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)で製造された当時は4両編成でありました。

2008(平成20)年の車体更新され、2010(平成22)年に1622号車と1623号車が組み込まれて6両編成となり、2012(平成24)年4月には、4M2TのVVVF車に改造されて現在に至っています。

1500形の6両編成は、1993(平成5)年の最終増備車の導入当時に1637F(1989(平成元)年に8連で製造され、1993年にその中間車2両が1731Fに転用されて6両化されていた)の1編成しかなかったけど、新1000形の増備により、1500形の8連と4連のほとんどが旧1000形の6連の置き換えの為に6連化されたことで大幅に増えています。

6連化された編成は、界磁チョッパ制御のままで6Mと4M2Tに分かれていたけど、VVVF化されたことにより、4M2Tに統一されていました。

1500形で8連のまま残された編成は、当初からVVVF車である1700番台の編成であるけど、2012年9月24日に1701Fが追浜~京急田浦間での土砂崩れによる脱線事故により廃車となり、5編成が残されています。

1701Fは、1990(平成2)年に京急初のVVVF(試作車)として導入された編成であり、当初は、現在の1177F以降の8連と同様に京急線で限定運用されていました。

1992(平成4)年にはVVVFの量産車である1707Fが導入されていたので、1991年に製造された1549F,1643F(現、1589F),1649F(現、1593F)が界磁チョッパ制御車として最後に製造された編成となったのであります。

1500形の4連は、全て界磁チョッパ制御のままであり、京急大師線や品川~京急蒲田間の普通列車中心の運転となっています。

1968年6月15日から6月20日までの間、大門~泉岳寺~品川間回送扱いで京急の車両(旧1000形)が押上まで乗り入れていたことがありました。

1968年6月15日は、京急に快速特急(現、快特)が登場していた時でもあり、こちらも50周年を迎えていたのであります。

当時の快特は、主に旧600形(1986(昭和61)年まで活躍していた、京急顔の2ドアクロスシート車)が使われていました。

そのうちの旧601号車は、逗子市の神武寺駅(逗子線)近くにある逗子池子第一運動公園で静態保存されており、保存会の有志の手によって大切に手入れされています。

旧600形のうちの6両は、ことでんこと高松琴平電気鉄道琴平線(香川県)に譲渡され、1070形として活躍しているけど、2011(平成23)年に1編成2両(1075F、元京急609+612号車)が廃車となり、1071F(元京急605+608号車)と1073F(元京急613+616号車)が60年(還暦)を迎えても未だ現役であります。

ことでんでは、今年4月16日から1080形の1083F(元京急旧1000形の1019+1020号車)に京急2100形風のラッピングが施されていることで話題になっており、それには、くりぃむしちゅー(上田晋也、有田哲平両氏から成るお笑いコンビ)による、都心へビュン。京急!の広告が施されているので、香川県の高松空港から羽田空港までJALまたはANAの飛行機に乗り、羽田空港国内線ターミナル駅から京急に乗って都心に行こうということが、アピールされています。

羽田~高松間の飛行機は、JALが、7往復、ANAが6往復であり、成田空港からは、ジェットスター・ジャパン(オーストラリアのカンタス航空とJALの系列のLCC)が3往復出ています。

広島、長崎、鹿児島の路面電車、大阪モノレール、沖縄都市モノレール(ゆいれーる)にも京急のラッピング電車があるので、これらの街から羽田空港まで飛行機で行き、羽田空港から京急で都心に向かうことがアピールされているので、宣伝効果があると思います。

くりぃむしちゅーは、1991年に結成された当時、海砂利水魚というコンビ名となっていたけど、2001(平成13)年10月に、メンバーの有田哲平氏の好物であるクリームシチューに因んで、くりぃむしちゅーに改名されていました。

1500形がデビューしたのは、1985(昭和60)年4月1日のことで、日本電信電話公社(電電公社)と日本専売公社がそれぞれ民営化された時でもあり、前者は、日本電信電話(NTTグループ)、後者は日本たばこ産業(JT)となったのであります。

1985年4月1日は、フジテレビ系で夕やけニャンニャンが放送開始され、おニャン子クラブ(アイドルグループ)の活動が本格的に開始された時でもありました。

おニャン子クラブは、同年7月5日に「セーラー服を脱がさないで」でデビューし、それにより大ブレイクしたことで、現在のAKB48などで見られるような国民的アイドルグループへと成長していました。

おニャン子クラブが解散したのは、1987(昭和62)年9月20日の国立代々木競技場第一体育館での解散コンサートのことであり、2002(平成14)年には、後述のOGを含めた初期メンバーで再結成され、11月20日には、再結成シングルである「ショーミキゲン」がリリースされていました。

今年7月7日には、日テレ系で放送される「THE MUSIC DAY」でおニャン子クラブの一夜限りの復活ステージが披露されるけど、その時にはOGの内海和子、国生さゆり、立見里歌、新田恵利、山本スーザン久美子、渡辺美奈代各氏が出演予定となっています。

京急1500形の初期型も、山手線で活躍していた205系と同様に、おニャン子世代の電車であることが分かります。

今年7月7,8日と、8月18,19日には、京急の相互直通50周年記念として、1970(昭和45)年に三浦海岸~京成成田間で直通運転されていた臨時列車である、成田山号(三浦海岸発京成成田行き)と城ヶ島マリンパーク号(京成成田発三浦海岸行きが、復刻ヘッドマーク付きのリバイバル列車として運転される情報が入ってきていたけど、どの車両が使われるのか気になります。

当時は、京成の車両(初代3000形など)が三浦海岸に、京急の車両(旧1000形)が京成成田に乗り入れていたので、貴重なシーンが見られていました。

成田山号の時刻 

三崎口 8時18分発→泉岳寺 9時35分発→押上 9時59分発→京成成田 11時19分着

京急線内、浅草線内、京成線内は特急停車駅であり、京成曳舟、八広、四ツ木、京成立石、京成小岩駅にも臨時停車が行われます。

城ヶ島マリンパーク号の時刻

京成成田 7時10分発→押上 8時32分発→泉岳寺 8時57分発→三浦海岸 10時07分着

京成線内は特急停車駅、浅草線内、京急線内は快特停車駅

来年6月20日までのキャンペーン期間中には、都営5300形の5311F、京急600形、京成新3000形に相互直通運転50周年記念ヘッドマークが取り付けられているけど、京急車に関しては、その運転予定を京急のHPで調べることも出来ます。

城ヶ島マリンパーク号の由来となった京急油壺マリンパーク(京急グループの水族館)は、1968年4月27日に開園されていたので、こちらも50周年を迎えていました。

現在京急油壺マリンパークへは、三崎口から京急油壺マリンパーク行きのバスに乗っていくことになるけど、三崎口駅が出来る前は、三浦海岸駅から出ていました。

京急久里浜線は、三崎口駅から油壺マリンパークのある油壺までの延長計画もあったけど、その計画が中止された為に幻となっています。

もしも油壺までの延長が実現していたら、京急油壺マリンパークへのアクセスが良くなっていたところでした。

京急線が泉岳寺駅を介して都営地下鉄浅草線と結ばれることにより、京成線や北総線とも結ばれていることはもちろんのこと、JR線にはない羽田空港と成田空港を結ぶ直通列車も実現しています。

1991年3月19日に成田空港への新線の開業と共に、JR東日本が成田空港アクセスにも参入していたけど、羽田空港へのアクセス路線がないので、東京モノレールが子会社化されたことによって、その代わりの役割を果たしています。

今回のイベントは、平日の日中に行われていた為に行ける人が限られていたけど、行くことが出来て良かったです。

























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