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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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京急1201F(沿線の風景ギャラリー号)によるエアポート急行

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2月3日は、京急川崎から京急蒲田まで、京浜急行電鉄(京急)の1201F(京急沿線の風景ギャラリー号)による、エアポート急行羽田空港国内線ターミナル(羽田空港)行きに乗りました。

こちらは、昨年2月2日に営業運転が開始された、新1000形の塗装バージョンの8連(1200番台)の第一号であり、その直後の2月25日(京急120周年記念日)からは、京急沿線の風景ギャラリー号としてラッピングされていました。

それが一昨日(2月16日)の運用を最後にラッピングが解除され、再びすっぴんの姿となっています。

今年1月1日の初日2号(三浦半島の初日の出輸送、品川発三崎口行き)に使われていたことにより、三崎口、羽田空港、新逗子寄りの1201号車の前面の番号表示に2019年を表す9の表示が付け加えられて、12019号車の表示(2019仕立て)となったことで話題になっていました。

一昨年の2017(平成29)年には、1017Fの前面の017の表示に2の文字が貼りつけられたことで2017の表示(2017仕立て)となっていたので、 このことを思い出しました。

今年の初日1号は、浅草橋発で運転され、都営浅草線に乗り入れることはない2100形の2149F(マリンパーク号)が使われていたことにより、浅草橋→泉岳寺間でありながら、都営浅草線で初めて営業運転入りしていたことで、こちらも今年最初の京急の話題になっていたのであります。

京急の1177,1185Fと、1200番台の3編成(1201,1209,1217F)は、2000形の置き換え用として導入された編成であり、新1000形の更新車と同様に三菱電機(MITSUBISHI ELECTRIC)製のSic搭載により誘導障害をクリアしていない為に、都営浅草線、京成線、北総線に乗り入れることが出来ず、昨年3月まで活躍していた2000形と同様に、羽田空港~新逗子間のエアポート急行中心で使われています。

2000形とは違って、地下鉄乗り入れ対応なので、地下鉄企画で作られた泉岳寺駅にも乗り入れ可能であり、A快特の代走の時などに泉岳寺駅に入ることもあります。

昨年5月20日に京急久里浜で行われていた京急ファミリー鉄道フェスタ2018で、1201Fが展示された時に佐倉(京成佐倉)の表示となっていたけど、京急沿線の風景ギャラリー号との組み合わせという貴重な姿となっていました。

京急沿線の風景ギャラリー号は、地下鉄に乗り入れることもなく終了してしまったのであります。

現在廃車が急速に進められている京急の800形は、823,826,827Fの3編成が京急本線(品川~浦賀間)の普通列車で最後の活躍をしているけど、どの編成が最後まで残るのか気になります。

800形の置き換え用として導入されている新1000形の6連バージョンは、川崎重工業(Kawasaki)製のほか、今年度導入分から総合車両製作所横浜事業所製も加わっています。

羽田空港~新逗子間のエアポート急行の停車駅

羽田空港国内線ターミナル~羽田空港国際線ターミナル~天空橋~穴守稲荷~大鳥居~糀谷~京急蒲田~京急川崎~京急鶴見~神奈川新町~※仲木戸~横浜~日ノ出町~井土ヶ谷~弘明寺(ぐみょうじ)~上大岡~杉田~能見台~金沢文庫~金沢八景~六浦~神武寺~※新逗子

※来年3月からは、仲木戸駅は京急東神奈川駅、新逗子駅は逗子・葉山駅となります。

京急蒲田駅では、列車の進行方向が変わると共に、羽田空港方面の発着番線が4番線(下のホーム、羽田空港からの品川方面の列車と共用)となるので、注意が必要であります。

羽田空港からの横浜、新逗子方面行き列車は、品川方面からの羽田空港行きと同じ1番線発着となるので、こちらもややこしい点となっています。

京急蒲田駅が高架化される前は、1番線が京急空港線(羽田空港方面)と羽田空港からの品川、都営浅草線、横浜方面行き列車、2番線が京急本線下り(横浜、浦賀、三崎口、新逗子方面)、3番線が横浜方面からの京急本線上り(品川、都営浅草線方面)となっていたので、京急蒲田~糀谷間の単線区間や第一京浜に跨がる踏切がネックとなっていました。

京急蒲田~雑色間には、環八通りに跨がる踏切があったので、渋滞緩和により仮設高架橋によって先行的に高架化されていたのであります。

2010(平成22)年5月16日には、大森町、梅屋敷、雑色、糀谷の各駅と共に上り線部分が高架化され、京急蒲田~糀谷間が複線化されていました。

現在の羽田空港~新逗子間のエアポート急行が登場したのも2010年5月16日のことであり、2002(平成14)年10月12日から2010年5月15日までの間は、京急川崎~金沢文庫間で品川方面発着の快特に連結された4両編成となっていました。

2010年5月16日の改正で、エアポート快特が京急蒲田駅に止まらなくなったことで、名古屋飛ばしならぬ蒲田飛ばしとして問題となっていました。

2012(平成24)年10月21日には、下り線部分も高架化されて、京成線の青砥駅みたいな雰囲気の駅になったと共に、第一京浜に跨がる踏切が解消されていましたけど、エアポート快特が40分間隔に減らされ、京急蒲田駅停車の羽田空港発着の快特が増やされていました。

エアポート快特(羽田、成田の両空港直通列車がメイン)は、日中40分間隔で、京急蒲田駅通過のままとなっているので、蒲田飛ばし問題が完全に解決した訳ではないです。

京急蒲田駅付近の高架化事業には、1650億円掛かっていたけど、そのうちの200億円は、大田区による負担となっていたので、エアポート快特の京急蒲田駅通過問題により、大田区長の松原忠義氏が激怒していました。

品川からエアポート快特に乗った時に京急蒲田駅を通過し、羽田空港国際線ターミナルまで連れて行かれるので、京急川崎、横浜方面への乗客が誤乗した時には困る状態であるのも言うまでもないです。

京急蒲田駅が出来たのは、京浜電気鉄道の時代の1901(明治34)年2月1日の川崎(後の六郷橋)~大森停車場前間の開業の時であり、当時は蒲田駅と呼ばれていました。

1925(大正14)年11月には、京浜蒲田駅となり、1987(昭和62)年6月1日に現在の京急蒲田駅となっています。

当時京浜が付く駅(京浜蒲田、京浜川崎、京浜鶴見、京浜新子安、京浜富岡、京浜田浦、京浜安浦の各駅)が京急となった理由は、京浜東北線と紛らわしくなったほか、京浜急行の略称である京急が定着しているからだと思います。

そのうちの京急安浦駅は、2004(平成16)年2月1日に県立大学駅となったけど、新逗子駅の前身の一つである京浜逗子駅は、京急逗子駅になることはなかったです。

前述の通り、新逗子駅は来年3月から逗子・葉山駅となるので、京急逗子駅が幻の駅名と化してしまいます。

2月24日までの間、京急606F(ブルースカイトレイン)に昨日(2月17日)就航した全日本空輸(ANA)の羽田~ウィーン(オーストリア)線のラッピングが施されています。

2010年10月21日に羽田空港の国際線ターミナルビルが開設されてからは、羽田空港発着の国際線が本格的に復活し、これまで成田空港に頼っていた海外旅行のアクセスが向上されていました。

これにより、大田区(羽田空港)近辺や川崎、横浜エリアから海外旅行に行く時にも便利になったのであります。

国際線が当たり前だった成田空港では、LCCの相次ぐ就航により、国内線も充実してきているので、時代は変わったな!と思いました。

2019の表示は、京急大師線の干支ヘッドマークと同様に2月3日まで付いていたので、この機会に撮影することが出来て良かったです。

京急大師線の産業道路駅付近が地下化される日は、3月3日(日)の予定であり、ステーション♪のあーにゃこと水湊あおひ氏、はのんこと長谷川葉音氏、みはねんこと足立未羽氏がステーション♪を卒業する翌日のことであります。

これらのメンバーの卒業の日は、産業道路駅の地上駅及び産業道路に跨がる踏切の最終日でもあるのです。

現在の1推しであるあーにゃこと水湊あおひ氏は、ステーション♪を卒業した後も、現在の事務所で芸能活動を続けると言っていたので、卒業後も会える機会があるので嬉しく思っています。

このことは、JR東日本(松本車両センター、長モト)のE257系0番台が、中央東線のあずさ、かいじ号の運用を追われた後に踊り子号に転用されることに似ている状態であります。

京急沿線の風景ギャラリー号の末期は、羽田空港国内線ターミナル(羽田空港)駅開業20周年記念仕様の車内となっていました。

京急の羽田空港への延長は、京急の創立100周年事業の一環でもあり、京急の駅が羽田空港のターミナルビルと直結するようになったのであります。

このように、京急蒲田駅で、2019モードの京急沿線の風景ギャラリー号を撮影することが出来て良かったです。

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