
9月27日は、とうきょうスカイツリーから浅草まで、東武鉄道の200系りょうもうの203Fによる、特急りょうもう32号🚃💺に乗りました。
特急りょうもう32号🚃💺は、赤城駅(群馬県みどり市)を15時05分に発車した後、途中、相老、新桐生、藪塚、太田、足利市、館林、久喜、東武動物公園、北千住、とうきょうスカイツリーの各駅に停車してから浅草駅へと向かう列車であり、浅草駅からの折り返しは、17時09分発のりょうもう31号の太田行き(途中、とうきょうスカイツリー、曳舟、北千住、東武動物公園、久喜、加須(かぞ)、羽生、館林、足利市の各駅に停車)となっています。
今回は、とうきょうスカイツリー駅で、土休日にしか運転されなくなった350系による特急きりふり283号を撮影した後に、とうきょうスカイツリーから浅草までの料金不要区間で、このりょうもう32号に乗ったのであります。
この時に良い感じで撮影することが出来ました。
相老駅は、群馬県桐生市相生町にある、わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線への乗換駅(わたらせ渓谷鐵道による管理)であり、1954(昭和29)年10月1日に桐生市に編入される前は、相生村となっていました。
相生だと、兵庫県相生市にある相生駅(JR西日本の山陽本線、赤穂線、山陽新幹線が乗り入れている駅)と重なるので、共に老いるという考えがあることによって、相老となったのであります。
群馬県みどり市東町神戸に、わたらせ渓谷線の神戸(ごうど)駅があるので、わたらせ渓谷線沿線に、兵庫県もどきの駅や地名が2ヵ所あることが分かります。
群馬県桐生市は、1921(大正10)年3月1日に山田郡桐生町の市制施行により出来た市であり、東毛地区で初めての市制施行となっていました。
2005(平成17)年6月13日には、勢多郡の新里村と黒保根村が桐生市に編入されたけど、こちらは飛地合併となっていました。
わたらせ渓谷線の本宿、水沼の両駅は、桐生市の飛地部分である黒保根地区(旧、黒保根村)にある駅であります。
赤城駅のある群馬県みどり市は、2006(平成18)年3月27日に新田郡笠懸町、山田郡大間々町、勢多郡東村の合併によって出来た市であり、緑があふれる市であることの願いによって、みどり市と命名されていたのであります。
相老駅は、1,2番線がわたらせ渓谷線、3,4番線が東武桐生線であり、前者は相対式ホーム、後者は島式ホームとなっています。
りょうもう号が相老駅にも停車するようになったのは、ホームが延長された1989(平成元)年10月20日のことであったけど、当時は1800系による有料急行の時代でありました。
そのお陰で、りょうもう号からわたらせ渓谷線に乗り換えることが出来るようになったのであります。
群馬県太田市(旧、新田郡藪塚本町)の藪塚駅付近にある藪塚温泉(やぶ塚温泉)♨️は、新田義貞の隠し湯と言われている温泉地であり、5軒あるうちの旅館の3軒で温泉♨️が使われています。
こちらでも、日帰り入浴を楽しむことが出来る温泉旅館があるので、藪塚温泉またはやぶ塚温泉で検索してみることをオススメします。
藪塚駅にりょうもう号が停車することは、藪塚温泉へのアクセスによるものであります。
現在の太田市は、2005年3月28日に旧、太田市、新田郡尾島町、新田町、藪塚本町の合併により出来たものであり、藪塚温泉も太田市の一部となっています。
藪塚にある藪塚石切場跡は、2013(平成25)年の平成仮面ライダーシリーズである仮面ライダー鎧武/ガイムや、2016(平成28)年のスーパー戦隊シリーズである動物戦隊ジュウオウジャーにも出てきていました。
仮面ライダーシリーズは、れんてつの軌条あさま氏🍳の世界であります。
群馬県太田市には、SUBARU(スバル、旧、富士重工業)の乗用車🚗が製造される工場(群馬製作所本工場、矢島工場)🏭があるので、SUBARUのお膝元(企業城下町)であることに加え、スバリスト(スバル車のファン)たちの聖地でもあります。
群馬製作所本工場🏭のある場所は、群馬県太田市スバル町となっているので、トヨタ自動車(TOYOTA)の本社、工場のある愛知県豊田市にトヨタ町が、その子会社(軽自動車中心の自動車メーカー)であるダイハツ工業(DAIHATSU)の本社、工場のある大阪府池田市にダイハツ町があることに準じています。
SUBARU(スバル)の本工場では、レヴォーグ、インプレッサ、スバルXV、WRXシリーズ、BRZ(トヨタ86)が、矢島工場では、レガシィシリーズ(アウトバックを含む)、インプレッサ、スバルXV、フォレスターが製造されているけど、かつて本工場では、サンバーなどのSUBARU(スバル)ブランドの軽自動車の製造も行われていました。
現在SUBARU(スバル)ブランドの軽自動車は、トヨタ自動車(TOYOTA)が筆頭株主となったことに伴う合理化により、トヨタ(TOYOTA)ブランドの軽自動車(ピクシスシリーズとコペンGR SPORT(軽オープンスポーツカー))と同様のダイハツ工業(DAIHATSU)からのOEM供給となっています。
現在日本国内で純正な軽自動車の製造が行われている自動車メーカーは、ダイハツ工業(DAIHATSU)、スズキ(SUZUKI)、本田技研工業(ホンダ(HONDA))、三菱自動車工業(MITSUBISHI MOTORS)の4社となっているけど、日産自動車(NISSAN)の軽乗用車であるデイズ(DAYZ)と、ルークス(ROOX)は、三菱自動車工業との共同開発車で、ekシリーズ(ekワゴンとekスペース)のOEM供給車であり、三菱自動車工業の水島製作所(岡山県倉敷市の水島地区にある工場)で製造されています。
スバルレヴォーグ(こちらも群馬県太田市で製造されている)は、レガシィツーリングワゴンの後継車であるスポーツワゴン車(全車種ガソリンターボエンジン)であり、10月15日にはモデルチェンジされて2代目に移行される予定となっています。
新型レヴォーグには、レガシィツーリングワゴンGTからの伝統である1.8リッターの水平対向型のガソリンターボエンジンが搭載されているけど、先代の1.6リッターガソリンターボエンジンと同様にレギュラーガソリン仕様⛽となるので経済的⛽💴であります。
先代レヴォーグにあった2リッターガソリンターボエンジンは、ハイオク仕様となっていました。
レガシィの4ドアセダンだったレガシィB4は、8月に国内仕様の製造が打ち切られていたので、日本国内でのレガシィシリーズの乗用車がレガシィアウトバック(こちらは継続生産)だけとなっているけど、来年にはモデルチェンジされる予定となっています。
これにより、インプレッサG4(IMPREZA、4ドアスポーツセダン)🚗が国内での事実上の後継車種となっています。
SUBARU(スバル)伝統の水平対向型エンジンは、前身の中島飛行機(航空機メーカー)✈️で培われた航空機(レシプロ機)タイプのエンジンであり、低重心や低振動が特徴であります。
群馬県太田市スバル町は、2001(平成13)年10月1日に富士重工業→SUBARUの群馬製作所本工場の敷地に与えられた地名であり、これまでは太田市東本町の一部となっていました。
太田市大島町にあるSUBARU健康保険組合太田記念病院🏥は、群馬県の災害拠点病院でもあり、太田高等看護学院も併設されています。
りょうもう号の走る東毛地域は、工業地帯となっているので、ビジネスでの利用が多い状態であり、沿線に工業地帯のある常磐線を走る特急ひたち、ときわ号(E657系による運転)🚃💺と同じような役割があります。
200系は、1990(平成2)年から1998(平成10)年までの間に6両9編成54両が1700系または1720系(1991(平成3)年8月まで活躍していた日光・鬼怒川線の特急用だったデラックスロマンスカー(DRC、デラ))から車体載せ替え更新され、1800系が置き換えられていたけど、207Fが増発用として導入されていた為に1編成分の足回り品が不足していたので、1998年に200系列で唯一の完全新造車である250系の251F(30000系に準じたVVVFインバータ車)が導入されていたのであります。
このことは、2003年に西武鉄道の10000系(ニューレッドアロー)で唯一のVVVFインバータ車である10112Fが導入されたことにそっくりな状態であります。
今回乗った203Fは、1991年に1720系デラックスロマンスカーの1751Fの足回り品流用の上で、アルナ工機(現、アルナ車両)で製造された編成であり、当初は1720系から転用された座席💺が使われていました。
1720系の座席が流用された編成は、203~206Fの4編成であり、現在は、背面にテーブルのある航空機タイプのリクライニングシートに交換されています。
200系の種車は以下の通りです。
201F=1741F、202F=1731F、203F=1751F、204F=1711F、205F=1701F、206F=1761F、207F=1781F、208F=1721F、209F=1771F
いずれも足回り品が製造されてから40~60年以上経っており、208Fの足回り品が1960(昭和35)年製と最も古いです。
東武1700系は、1956(昭和31)年から1957(昭和32)年に掛けて2両6編成12両製造された貫通型の特急型車両であり、1957年に導入された1710番台の2編成には、外国人観光客対策により洋式トイレ🚻🚽も追加されていました。
1971(昭和46)年から1972(昭和47)年には、1720系と同じ車体に載せ替えられ、のちに台車やモーターが1720系と同じものに交換されたので、1720系と同一となっていました。
200系のうち204Fと205Fが、1700系の足回り品が流用されている訳であるけど、1700系から更新されたことは外観上では分からない状態となっています。
1700系が貫通型となっていたのは、特急さち号として分割・併合運転が行われていたことであり、1720系と同様の車体に載せ替えられてからは、分割・併合が不可能となっていました。
このような分割・併合特急は、2017(平成29)年4月21日にデビューした500系リバティ🚃💺によって復活していたのであります。
りょうもう号の200系と250系のトイレ🚻は、1,3,6号車にあり、1号車と6号車が和式、車椅子スペース♿のある3号車が車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽となっているので、西武鉄道の10000系ニューレッドアロー🚃💺(現在は新宿線の特急小江戸号で活躍している)のトイレ🚻(こちらは1号車が車椅子対応の洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽、7号車が和式トイレとなっている)に似ているところがあります。
西武10000系には、東武200系りょうもうにはない男性用小トイレ🚹や洗面所も付いています。
東武200系りょうもうは、西武10000系ニューレッドアローに似ていると言っているけど、ビジネス向けの内装や足回り品だけでなく、トイレ🚻も似ているのであります。
200系と250系の4号車は、とても珍しいドアのない車両となっているので、乗降は3号車または5号車を使うことになります。
このようなビジネス要素の強い特急は、小田急電鉄の30000形ロマンスカーEXE(EXEα)🚃も挙げられています。
6月21日には、浅草駅で、204Fによる特急りょうもう43号(伊勢崎行き)を撮影することが出来たので、この画像も載せておきました。
りょうもう43号は、浅草駅を19時39分に発車し、途中、とうきょうスカイツリー、曳舟、北千住、東武動物公園、久喜、加須、羽生、館林、太田、木崎、境町、新伊勢崎の各駅に停車してから伊勢崎駅(群馬県伊勢崎市)へと向かう伊勢崎線全線通しで運転される列車であるけど、伊勢崎発着のりょうもう号は、翌朝の7時22分に伊勢崎駅を発車するりょうもう10号と合わせた1往復のみの運転となっています。
佐野線の葛生発着のりょうもう号は、浅草 20時39分発のりょうもう49号と、葛生 8時06分発のりょうもう12号の1往復であり、途中停車駅は、とうきょうスカイツリー、曳舟、北千住、東武動物公園、久喜、加須、羽生、館林、佐野市、佐野、田沼の各駅であります。
葛生駅のある場所は、栃木県安蘇郡葛生町となっていたけど、2005年2月28日に安蘇郡田沼町と共に佐野市に編入されたことによって栃木県佐野市の一部となっています。
204Fは、1991年の東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)製で、前述の1700系1711Fの足回り品が流用された編成であります。
200系りょうもうのうち、初期型の201~206Fは、方向幕となっているので、撮影する楽しみがあります。
今日は、浅草から春日部まで、350系351Fによるきりふり283号に乗ったので後日お伝えする予定です。
今月は全部土曜出勤(休日EXE、アウェイ)となったからこのような措置を取らざるを得なくなってしまいました。
早く小麦ぱんこ氏🍞や水湊あおひ氏😸などと再会したいです。
今日は、金土連勤の後の日曜日の公休日(単休)であり、明日はまた仕事という連休にならない悪循環となってしまったことで残念な週末ならぬ終末となってしまいました。
自分(しゃもじ)🐰は今月中にドルヲタ($ヲタ)活動をしてみたいとしてみたいです。
200系りょうもうのほうは、350系と共に危ないと言われているので、今回乗車、撮影することが出来て良かったと思っています。
このように、東武200系りょうもうに乗り、話題にすることが出来て良かったです。