こちらは、今月11日に西武池袋線の池袋駅で撮影した、9000系9105Fによる準急飯能行きです。
西武9000系は、4ドア化の促進により、1993(H5)年から1999(H11)年に掛けて、旧101系の足回り品の再利用の上、西武所沢工場(現在は武蔵丘車両検修場に移転されて廃止)で、車体更新により新造された車両で、車体は、1993(H5)年まで製造されていたN2000系に準じています。
内装は、6000系に準じていて、ドア上の案内表示、ドアチャイム、自動放送、車椅子スペースも採用されているし。
種車は101系の6両編成と4両編成で、101系のトップナンバーだった101Fも含まれています。
第一号の9101Fは、1993(H5)年12月に先行落成した4連が出場し、翌年の1994(H6)年3月に中間車の6両の落成により10両化されて新宿線(西武新宿~本川越間)で営業運転に入っていました。
当初は、新宿線系統のみの配置で、先行落成していた4連が暫定的に狭山線で活躍していたこともあったけど、1996(H8)年に落成した9105Fからは池袋線にも配置されるようになっています。
その翌年の1997(H9)年3月12日からは拝島線の全線10両化により6000系と共に拝島線にも進出し、1998(H10)年3月26日の改正で、9101~9104Fが池袋線系統に移り、集中配置されていました。そのうちの9101,9103,9104Fはすぐに新宿線系統に戻され、20000系の導入によって再び池袋線系統に集中配置されたのであります。
最終増備車の9108Fのうちの中間車の6両は、1999(H11)年3月に落成した、西武所沢工場製の最終出場車であり、当初からシングルアームパンタが採用されていることで有名です。
1953(S28)年からは、西武所沢工場で、西武線のほとんどの車両が製造されていたけど、阪神電鉄系の武庫川車両工業と同様に、ステンレス車やアルミ車の製造が出来ないことなどの理由によって武蔵丘車両検修場に受け継がれることもなく、所沢工場での製造が打ち切られたのであります。こちらは、10両編成全てを取り込むことが出来なかったし。
1992(H4)年から1998(H10)年に掛けて製造されていた6000系で、ステンレス車は東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所、J-TREC横浜)、アルミ車は日立製作所に委ねられたのはその為であります。
9000系は、101系の足回り品流用車であることから爆音を楽しむことが出来たけど、環境問題により省エネや低騒音が求められたことで、2004(H16)年2月(営業運転開始は3月)の9106Fを皮切りにVVVF化(当時増備が進行していた20000系に準じたインバータ装置に交換)され、前面の貫通扉にエコマーク、助士側の窓下に車両番号が表示されるようになっていました。
初期にVVVF化された9106Fと9107F(2005(H17)年1月出場)は、西武車両(武蔵丘車両検修場)で行われていたけど、2005年7月に入場、同年10月に出場した9101Fからは、東急車輛製造で行われるようになり、9000系が新秋津~逗子間で甲種輸送されるシーンも見られていました。
あの後、東急車輛製造で9104→9105→9102→9103→9108Fの順でVVVF化されていたけど、2007(H19)年10月に最後に入場した9108Fが、最後の9000系抵抗制御車となっていました。
西武線の黄色塗装は、1969(S44)年に登場した101系(当初側面はイエローとライトグレーのツートンだった)から採用され、9000系まで使われていました。
9000系の車体で、ベースとなったN2000系と異なる点は、貫通扉の手すり、靴ずりの色が銀色に対して黒であること、当初から6000系に準じたローマ字入りの方向幕であることであります。
N2000系の方向幕は、ローマ字が入っていなかったけど、2008(H20)年6月14日の改正で一新されてからはローマ字入りとなっています。9000系の方向幕も一新されていたし。
最近になってからは、6000系アルミ車と同様に、戸袋窓が埋められるようになり、黄色い部分がその証となっています。昨日(7月16日)に武蔵丘を出場し、試運転で小手指まで送り込まれた時点では赤1色(5月に京急大師線で運転されていた赤札号風の塗装)であったけど、黄色い戸袋窓跡が目立っていました。
このお披露目が明後日に迫ったので楽しみにしています。