今月8日は、長津田からこどもの国まで、横浜高速鉄道(東急)こどもの国線のY000系のY002Fに乗りました。
東急こどもの国線は、1967(S42)年4月28日に開業した、長津田とこどもの国を結ぶ横浜高速鉄道(東急電鉄)で唯一の全区間単線の路線で、弾薬庫への引き込み線が転用されていました。
こどもの国は、1965(S40)年5月5日(こどもの日)に、旧日本軍田奈弾薬庫跡地に整備されて開園した、その名の通りの子供達の為の遊び場(児童厚生施設)であり、神奈川県横浜市(青葉区)と東京都町田市に跨っています。
こどもの国と呼ばれる施設は、千葉県や愛知県などにもあり、名鉄蒲郡線(愛知県西尾市)にもこどもの国駅があります。
こどもの国線の開業当初は、こどもの国協会による保有による、こどもの国へのアクセス専用路線で、こどもの国の休園日には、大幅に減便されていました。
運用や車両の管理は、みなとみらい線と同様に東急電鉄(第二種鉄道事業者)に委託されています。
1997(H9)年8月1日には、こどもの国協会から横浜高速鉄道(第三種鉄道事業者)に譲渡された上で、通勤線化工事が行われ、2000(H12)年3月29日には、通勤路線として大幅に増発されて、途中に恩田駅が新設されていました。
横浜高速鉄道のY000系は、1999(H11)年8月1日に、通勤線化に備えて導入された2両編成のワンマン電車(こどもの国線専用)で、同じ時期に東急目黒線に導入されていた新3000系がベースの3ドア車となっています。
当時はY001Fしかなかったけど、同年12月には、Y002FとY003Fも加わって3編成となっていました。
普段は2両編成だけど、多客期には重連の4両編成で運転されることもあります。
今年9月29日に、東急電鉄の長津田車両工場(恩田駅付近)で公募制による一般公開が行われた時には、一部4両編成で運転されていました。
こどもの国線の専用車(特別塗装でこどもの国のロゴマーク入りだった)は、開業当時は旧3000系が使われていたけど、1980(S55)年から1989(H元)年1月までは、7200系アルミ試作車(晩年は電気検測車および牽引車両で活躍していた)が、1989(H元)年1月のワンマン化から2000(H12)年3月まで、旧7000系ワンマン改造車(7052F)が使われていました。
これらの専用車両が使えなかった時や多客期には、大井町線用の5両編成(当時は8000系列が使われていた)による代走が見られていたけど、夏場は冷房車として重宝されていました。
旧7000系ワンマン改造車(7052F、世田谷線を除いた東急線での最後の非冷房車)は、引退後に東急車輛製造横浜製作所(現、総合車両製作所横浜事業所)に譲渡され、入れ替え用として活躍していたけど、そのうちの7052号車は、5200系の5201号車(初のステンレス車両)と共に東急車輌産業遺産として静態保存されています。
長津田駅では、専用の7番線から発車しているけど、通勤路線化される前は、専用の地下通路による連絡となっていました。通勤路線化されてからは、7番線部分のみ無人化されていたので、一旦改札を出てからの乗り換えとなっています。運賃は東急世田谷線と同様に別立てだし。
こちらは東武大師線の大師前駅と同じような扱いとなっているけど、大師前駅とは異なり、こどもの国線専用の券売機もあります。
恩田駅は、中間にある1面2線の交換駅で、平日の朝夕には、列車の交換が行われています。平日の朝夕以外は、1編成限定運用なので、JR南武支線(浜川崎支線)や、地下鉄千代田線の北綾瀬支線に似ています。
こどもの国駅は、開業当時から1面1線の駅で、通勤線化により改良されていました。改良前は、窓口での発売となっていたことを覚えています。
ここからは小田急線の鶴川駅まで、小田急バスが出ているけど、その途中に、TBSの緑山スタジオがあります。
こどもの国線に乗ったのは、一昨年の6月8日以来2年半ぶりで、当時はekiShしかやっていなかったので、その後に始めた駅コレを制覇することが出来ました。
画像は、長津田駅で撮影。3枚目の画像は、2010(H22)年4月22日に長津田駅で撮影した通勤線化10周年記念ヘッドマーク付きのY003Fで、編成全体を撮影したものです。