Quantcast
Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 5472

宮の坂駅前の緑色の電車

$
0
0







5月19日は、東急世田谷線の宮の坂駅の隣にある宮坂区民センターで静態保存されている、緑色の旧型電車(87号車→元江ノ電601号車)を見に行きました。


この車両は、玉電の4枚窓電車であるデハ80形で唯一の保存車であり、世田谷線沿線に残る緑色の旧型電車として、後輩たちに当たるカラフルな300系に見守られています。


登場したのは、今から90年前の1925(大正14)年(奇しくも現在の世田谷線部分が開通した年でもあった)のことで、当時は玉川電気鉄道の45号車(木造電車)でした。


1942(昭和17)年に、東京急行電鉄となってからはデハ20形の29号車へ。当時は、小田急、京急、相鉄(1944(昭和19)年には京王も加わる)と合併されて大東急となり、1948(昭和23)年には、京王、京急、小田急、相鉄が分離されて現在の東急線の路線となっていたし。


1953(昭和28)年には鋼体化されてデハ104号車へ。この時点で現在の車体となっていました。


80形は、1950(昭和25)年から1953(昭和28)年までの間に28両製造されていたけど、81号車から86号車までの6両(世田谷線で最後まで活躍していた)は完全新製車、87号車から108号車までの22両は、木造電車の鋼体化改造車となっていました。


1969(昭和44)年5月に、玉川線が廃止されて世田谷線として独立されてからは、デハ87号車(2代目)に改番。


デハ87~90号車の4両は、世田谷線に継承されていたけど、連結2人のり改造が行われていなかった為に、稼働率が少なかったです。


これにより余剰となり、翌年の1970(昭和45)年には、江ノ電こと江ノ島鎌倉観光(現、江ノ島電鉄)に譲渡され、601~604号車へ。


当時は赤とクリーム色の赤電塗装であったけど、後に江ノ電標準塗装に変更されていたし。


1980(昭和55)年には、前照灯が下の部分に移設され、1982(昭和57)年には、前面の車掌側の窓のアルミサッシ化により、現在の顔つきとなっていました。


1983(昭和58)年には、1201Fの導入により、603+604号車が廃車となり、1編成へ。


601+602号車は、1985(昭和60)年に運行終了記念として再び赤電塗装へ。


翌年の1986(昭和61)年に、晩年チョコ電として活躍していた800形(801+802号車、元山梨交通電車線→上田丸子電鉄丸子線)が先に廃車となったので、再び江ノ電標準塗装に戻されていたし。


1988(昭和63)年には、鎌倉寄りの車両を50番台に統一させる為に602号車が651号車に改番されたけど、2両連結車体であり、4両編成の列車に使えなかったということで、車庫で寝ていたことが多かったです。


1990(平成2)年4月には、2000形2001Fの導入及び連接車への統一により廃車となり、この601号車が、宮の坂駅の隣にある宮坂区民センターで、東急時代のライトグリーンに塗り直された上で静態保存されるようになっていました。


651号車(旧88→江ノ電602号車)のほうは、前頭部のみが江ノ島駅付近にある和菓子店である扇屋で保存されています。


扇屋は、江ノ電もなか(都電もなかの江ノ電版)が主力商品となっており、江ノ島~腰越間の併用軌道区間からも見ることが出来ます。その屋根には、パンタグラフも置かれているし。


2001(平成13)年2月まで活躍していた世田谷線の旧型電車(70,80,150形)が全て解体された今、この601号車が唯一の保存車となっていたけど、錆などが目立ってきているので残念に思っています。


この601号車は、江ノ電時代に藤沢寄りに連結されていたので、海が見えていた左側からは、世田谷線の電車を見ることが出来ます。


こちらには中に入ることが出来るけど、大切に扱ってもらいたいと思っています。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 5472

Trending Articles