続いては、6月7日に、都電荒川線の荒川電車営業所(荒川車庫)で行われた、2015路面電車の日イベントで、検査場で展示されていた、7000形7018号車です。
こちらのスペースでは、月検査などの小規模な検査が行われる場所であり、至るところに工具があります。
下の部分にピットがあるのはもちろんのこと、屋根上の検査も出来るように、上の作業スペースもあるし。
7018号車は、1956(昭和31)年1月に、7072号車として新製され、青山電車営業所に配置されていました。
1968(昭和43)年9月に青山電車営業所が廃止された後、大塚電車営業所を経て、1971(昭和46)年3月に荒川電車営業所入りしていたことは、7056→7002号車、7076→7022号車、7077→7023号車と共通しています。
大塚電車営業所は、大塚駅南口付近にあった営業所であり、16系統(大塚駅前~錦糸堀間)と17系統(池袋駅前~文京区役所~数寄屋橋間)の2系統を受け持っていたけど、後者のほうは1969(昭和44)年10月に一足先に廃止された、都電で唯一の池袋乗り入れの路線でした。
7057→7003号車が1969(昭和44)年に荒川電車営業所入りしていたのは、17系統の廃止により余ったからであります。
大塚駅前電停の16系統の乗り場は、南口の大通りの路上にあったけど、32系統(現在の荒川線)とは線路が繋がっていなかったです。
1978(昭和53)年1月に車体が載せ替えられて7018号車となり、あれから10年後の1988(昭和63)年3月には、7016号車と共に冷房化されていました。
7000形のうち、初期に冷房改造された7007,7008,7015,7016,7018,7019,7021,7023,7030号車は、白幕のまま冷房化されていたけど、1988(昭和63)年10月に7010号車が冷房改造された時から、方向幕が終電や終電前を除いて、7500形更新車と同じ青幕に交換され、ワンマンの表示が青色となっていました。
これらの車両は、方向幕だけが交換されていたので、白地のワンマン表示に青地の方向幕というバランスの悪い組み合わせとなっていたし。
これらの9両のうち、7021号車だけが豊橋鉄道市内線に譲渡され、7007,7019,7023号車が初期LED更新車(2012(平成24)年末に廃車となった7008号車もこうなっていた)、7015,7016,7018,7030号車が後期LED更新車となっています。
ワンマン表示が青色だった後期冷房改造車(上記の9両以外の冷房改造車)のうち、7017号車は、豊橋鉄道市内線にモ3503号車として譲渡されたけど、ワンマン表示がそのままとなっていることが都電時代の名残であります。
7005,7013,7022,7025,7026号車が初期LED更新車、7001,7002,7003,7010,7024,7029,7031号車が後期LED更新車だけど、廃車となった7020号車と7027号車が初期LED更新車、7004号車が後期LED更新車となっていました。
ステーション♪の本拠地である秋葉原は、2006(平成18)年5月14日まで、交通博物館(さいたま市にある鉄道博物館の前身)があったことで有名だけど、1972(昭和47)年11月11日まで都電も走っていたということは、かつて京王線が路面電車だったことと同様に、歴史に詳しい人でないと分からない状態となっています。
秋葉原にあった交通博物館が閉館された当時は、AKB48がCDデビューしていた時代だったけど、当時AKB48劇場に通っていた友人のF都市氏が、交通博物館の末期に特別公開されていた万世橋駅跡の遺構とAKB48劇場との掛け持ちを行っていたこともありました。
現在万世橋駅跡の遺構は常時公開されているし。
あの時は、自分(しゃもじ)も、F都市氏と同様にAKB48の現場に参戦し、劇場にも顔を出していたこともあったけど、自分(しゃもじ)は、AKB48のメンバーと握手出来ないなど上手く行かずに現場から撤退し、昨年5月までハロプロメインとなったのであります。
現在は、ご存じの通り、秋葉原が本拠地である鉄道アイドルステーション♪での活動がメインとなり、ハロプロ関連の参戦が大幅に減っているし。
AKB48に関しては、今回の都電のイベントで出会った京都府出身、東京都北区在住の友人のY氏が、熱心に応援し、ライブや握手会等の現場にも顔を出しています。
Y氏は、昨年6月8日に、都電のイベントと、味の素スタジアムで行われていたAKB48のライブ(その先日にAKB総選挙が行われていた)との掛け持ちをしていたし。
昨年のAKB総選挙は、Y氏のほか、大阪府枚方市から上京してきたNMB48のファンであるひっぐ~氏と共に参戦していたけど、帰りの京王線がパニック状態となっていました。
京王線と言えば、1980(昭和55)年3月16日に、都営新宿線の新宿~岩本町間が開業した時に、当時の直通列車だった京王6000系が岩本町駅で折り返していたことを思い出します。
岩本町も都電が走っていた場所であり、現在は秋葉原駅との乗り換え駅扱いとなっています。
都営新宿線の岩本町駅と日比谷線の秋葉原駅との連絡は、一旦地上に出て、神田川を渡ることになるし。
都電おもいで広場にある5501号車(PCCカー)は、専ら品川駅前と上野駅前を結んでいた都電1系統(三田電車営業所所属、1967(昭和42)年12月に廃止された路線)で活躍していたけど、この路線は、上野や秋葉原、日本橋、銀座界隈を走る路線として有名でした。
日本橋のほうも、1972(昭和47)年11月11日まで都電が走っていたし。
話は元に戻すけど、7018号車をこのような形で撮影することが出来て良かったです。
これをもって、今年の都電イベントの展示車両の紹介は以上となります。