続いては、5月24日に、鬼子母神前電停で撮影した、都電7007号車の末期の姿です。
こちらは、女子栄養大学の黄色いラッピングが施されていたことから、準黄色い都電と呼んでいました。
当時は、三ノ輪橋方面の乗り場が、都電雑司ヶ谷寄りに仮移設されていたけど、この7007号車が運用離脱された後の6月27日に再び仮移設されていたので、現在の仮ホームとの組み合わせが幻となっていました。
5月になってからは、稼働率か大幅に減ってしまったので、5月24日に朝から7007号車が動いていることを、都電の運用サイトで知ったので、京急のイベントに行く前に撮影したのであります。
5月16日に、鬼子母神前~都電雑司ヶ谷間の早稲田方面の線路(A線)が切り替えられた時の試運転に、7007号車が使われていたので、最後の花道を飾っていました。
都電の7007号車は、1955(昭和30)年12月に、7061号車として日本車輌東京支店(蕨)で製造され、同期に製造されていた7062号車(後の7008号車)と共に大塚電車営業所に配属されていました。1971(昭和46)年3月に、大塚電車営業所が廃止されたことにより、7062号車と共に荒川入りしていたので、東池袋、大塚エリアとの付き合いの長い車両でもありました。
大塚時代は、大塚駅前と錦糸堀(錦糸町)を結んでいた16系統のほか、池袋駅と数寄屋橋を結んでいた17系統にも使われていたし。
1977(昭和52)年11月には、ワンマン化により、7077→7023号車と共に、アルナ工機で車体が載せ替えられて、7007号車となり、1987(昭和62)年3月には、7019号車と共に冷房改造されていました。当時は、ヒューゲルのまま冷房改造されていたし。
初期に車体再更新されていたので、前面のLEDが、大型の文字となっていました。
都電では、7000形のほとんどを新車に置き換える計画があるけど、その計画が見直されたことにより、状態の良い車両を改修の上で残すことに変更されたので、昨年度の新車導入が見送りとなっていました。
7007号車と7026号車の廃車によって、ドライブレコーダーが付いていない7000形は、7013,7019,7023,7025,7031号車となったけど、これらの車両の動向が気になります。
準黄色い都電のきっかけとなった7007号車の女子栄養大学のラッピングは、2012(平成24)年から3年間、7005号車からのバトンにより施されたもので、8802号車に受け継がれています。
7007号車は、2011(平成23)年7月まで、城北信金のラッピングが施されていたこともあったし。
この時に、乗ることが出来なかったのが残念だったけど、最後に乗ったのは、昨年6月4日のことでした。