こちらは、今月4日にひたちなか海浜鉄道の勝田駅で撮影した、元三木鉄道のミキ300形のミキ300-103号車で、日工前→勝田→那珂湊間のルートで、それに乗りました。
この時には、新春ヘッドマークが取り付けられていました。
この日は、那珂湊 15時50分発→勝田 16時04分着、16時16分発→那珂湊 16時30分着の1往復の区間運用(シャトル列車)に使われていたので、勝田から日工前まで、前の記事で紹介したキハ205号車に乗り、日工前からこのミキ300-103号車に乗ったのであります。
この1往復の区間運用列車は、他の区間運用列車と同様に、土休日運休となっていたけど、昨年3月16日の改正からは、この1往復に限り、土休日にも設定されて毎日運転となっています。週末列車のコーナーで、従来の2運用に加えてもう1運用増えているのはその為だし。
行き違いの交換は、金上駅で行われていました。
日工前駅は、その名の通り、日立工機(日立グループ)の工場の前にある駅で、1962(S37)年4月1日の開業当時は、日立工機の従業員専用の駅となっていました。
日工前駅が一般乗客の利用も可能となったのは、1998(H10)年12月8日のことであります。
ミキ300-103号車は、1998(H10)年12月に、三木鉄道(兵庫県の厄神と三木の間を結んでいた第三セクター鉄道、元国鉄三木線)の予備車確保用として、スバルでおなじみの富士重工業で製造され、1985(S60)年の第三セクター転換当時から使われていた、レールバスタイプのミキ180形(101号車と102号車)の置き換え用として、1999(H11)年にミキ300-104号車が、2002(H14)年にミキ300-105号車がそれぞれ導入されていました。
国鉄三木線が第三セクター化されていたのは、日本電信電話公社(NTTグループの前身)と日本専売公社(日本たばこ産業(JT)の前身)が民営化された時と同じ1985(S60)年4月1日のことで、同じ兵庫県で加古川線に接続している国鉄北条線(粟生~北条町間)も、北条鉄道として第三セクター化されていました。
三木鉄道三木線は、利用客の減少により、2008(H20)年3月31日に廃止され、91年間(三木鉄道としては23年間)の歴史に終止符が打たれていました。
この日は奇しくも茨城交通湊線の最終日(ひたちなか海浜鉄道への移管前日)でもありました。
三木鉄道の三木駅は、車両基地があった終着駅で、神戸電鉄(神鉄)粟生線の三木駅(三木市街)と離れていました。
三木鉄道で活躍していたミキ300形のうち、104号車は、同型のフラワ2000形への編入の上で、フラワ2000-3号車として北条鉄道に、105号車は、ハイモ295-617号車として樽見鉄道(岐阜県、大垣~樽見間)にそれぞれ譲渡されたけど、残りの103号車は保存前提で三木駅跡に置かれていました。
そんな中、翌年の2009(H21)年6月に、キハ223号車の置き換え用及び軽快気動車の増備により、ひたちなか海浜鉄道に買い取られ、同年8月三木鉄道の塗装及び形式のままで営業運転入りしていました。
車内は3710(37100)形のロングシートに対してセミクロスシートで、日産ディーゼル(現、UDトラックス)のエンジン(PF6HT03型、295PS)が搭載されています。
ミキ300の形式名は、295馬力(PS)のエンジンが搭載されていてそれに近い数字に由来しています。三木鉄道の初代レールバス車両だったミキ180形には、180PSのエンジンが搭載されていたし。
樽見鉄道でも、初代のハイモ180形から、エンジン出力に因んだ形式が使われており、元三木鉄道のミキ300-105号車改めハイモ295-617号車も295PSであることが分かります。
保存前提で置かれていても、引き取り手が無ければ解体される運命となっていたので、ひたちなか海浜鉄道に買い取られて良かったと思っています。
ひたちなか海浜鉄道に乗りに行ったのは、一昨年12月16日以来で、あの時はキハ37000-03号車とキハ205号車に乗っていました。
このミキ300-103号車に乗ったのは、2011(H23)年8月21日以来でした。