8月1日は、飛騨高山への家族旅行により、大宮から富山まで、北陸新幹線のW7系W2編成によるかがやき505号に乗りました。
かがやき号は、全席指定で、この時には両親と一緒だったので、8号車7A(3人掛けのトリプルシート)に当たりました。
山形・秋田のミニ新幹線を除いた新幹線の普通車の座席は、一部を除いて2+3の座席配列(2人掛けのロマンスシートと3人掛けのトリプルシート)となっているので、0系新幹線の時から守られています。
本当は東京や上野から乗って行きたかったけど、目白から池袋まで山手線、池袋から大宮まで埼京線または湘南新宿ラインに乗って行ったほうが安いということもあったから大宮からとなっていたのであります。
大宮駅では、土曜日の午前中ということで待合室が家族連れ等で賑わっていました。
GW、お盆、年末年始を中心に、子供を連れて実家に帰るという風景をよく見るけど、子供の頃に、母親の実家である鎌倉に行っていたことを思い出しました。あの時には小田急ロマンスカーのえのしま号や江ノ電によく乗っていたし。
大宮駅では、上越・北陸新幹線が専ら18番線から発車しているので、分かりやすかったです。
この時にE2系による臨時のはやて355号の新青森行きを見ることが出来ました。現在新青森に乗り入れる定期列車は全てE5系となっているので、非常に珍しかったです。
この日のかがやき505号は、後続の臨時のかがやき521号と同様に満席となっていました。
18席しかないプラチナチケットであるグランクラスのほうはすぐに埋まってしまう状態であるし。
大宮を出ると長野までのノンストップ区間に入りました。
その後、E2系による臨時のあさま632号とすれ違ったけど、E2系は北陸新幹線よりも未だ長野新幹線のイメージが強いと思いました。
1997(平成9)年10月1日に長野新幹線の東京(高崎)~長野間が開業した時から、今年3月14日に長野~金沢間が開業し、北陸新幹線となるまで、長野新幹線と呼ばれていたのでそのはずであります。
北陸新幹線と言えばやはりE7系またはW7系というイメージが強いです。
現在は、E2系によるあさま号が大幅に減少し、今年秋にはE7系のF18編成と、W7系のW11編成の導入により、定期運用から離脱される予定となっているし。
W7系なので、いい日旅立ち・西へのチャイム曲も聴くことも出来ました。
W7系に乗ったのは、5月30日の大宮→東京間以来であり、E7系やW7系による高速走行を体験したのは初めてでした。
高崎までは上越新幹線との共用区間を通り、その先で分岐していました。
その後トンネルを通り、開業当時に秘境駅と呼ばれていた安中榛名駅を通過。
北陸新幹線のトンネル区間では、未だ携帯電話の電波が通じないので、改良されることを願っています。
軽井沢の手前の碓氷峠越え区間では、高速でトンネルを駆け抜けていたので、長野新幹線開業前にEF63型電気機関車との協調運転が行われていた信越本線の横軽区間の時代と比べて速くなったなと思いました。
こちらは時代の流れであったし。
それでも、急勾配の区間であることには変わりはなく、E7系やW7系では更に急勾配に強くなっています。
軽井沢駅付近では、横軽区間跡の朽ち果てていた架線柱が目立っていました。
軽井沢駅では、徐行で通過。こちらはあさま号の全てとはくたか号の一部が止まる駅で、高原リゾート軽井沢の玄関口であります。
軽井沢でかがやき号の通過待ちが行われることもあるので、その間に記念撮影する人も多いです。
軽井沢を出た後、トンネルを越えてから佐久平駅を通過。こちらは小海線への乗換駅であり、小諸へは、小海線に乗り換えて行くことになります。
その次に上田駅を通過。上田駅は、上田電鉄別所線への乗換駅で、別所温泉へは、元東急の電車に揺られて行くことになるけど、2008(平成20)年10月26日に実際に行ったことがあります。
上田~長野間にある五里ヶ峯トンネル(全長15175m)は、北陸新幹線で2番目に長いトンネルであり、長野新幹線時代は1番長いトンネルでした。
上信越道にも五里ヶ峯トンネルがあるけど、こちらは上信越道で一番長いトンネルとなっています。
長野駅では、E7系F6編成による金沢行きのはくたか555号に接続していました。こちらは、東京を出た後、途中、上野、大宮、高崎、軽井沢、佐久平、上田、長野、上越妙高、糸魚川、黒部宇奈月温泉、富山、新高岡に停車し、金沢へと向かう列車だけど、飯山駅には止まらないので注意が必要となります。
長野新幹線の長野駅の発車メロディーは、1月31日から信濃の国となっているので長野らしさを感じました。
長野駅では、上越妙高駅には止まらないかがやき号を含めて、全列車で乗務員交代が行われているので、長野~上越妙高間でJR東日本管轄区間であるにも関わらず、JR西日本の乗務員による運用となっています。
長野駅を出た後に右側から長野総合車両センターを眺めることが出来たけど、この時には新潟で活躍していた115系や踊り子色の185系が解体待ちで置かれていました。
置かれていた185系は、踊り子号中心で活躍していた10両のA編成で最初に廃車となったA2編成のことであります。
高崎~長野間に乗ったのは、2008(平成20)年以来だったけど、それより先の新線区間に乗ったのは当然のことながら初めてでした。
通過していた飯山駅は、童謡ふるさとでお馴染みの駅で、発車メロディーにこの曲(上下線でバージョンが異なる)が使われています。
飯山駅を通過した後、北陸新幹線で一番長いトンネルである飯山トンネル(全長22251m)に入りました。こちらは長野、新潟県境のトンネルでもあり、地盤が弱かった為に建設工事には苦労したということも聞いています。
新潟県に入って最初に通過した駅は上越妙高駅(旧、脇野田駅)で、2面4線の待避可能駅となっています。
発車メロディーは、夏は来ぬ(こちらも上下線でバージョンが異なる)が使われているし。
この駅を通過した後、JR西日本管轄区間に入りました。
糸魚川付近では、日本海を眺めることが出来ると車掌さんからのアナウンスがあったけど、トンネルが多いので見られる区間が限られていました。
糸魚川駅は、レンガ車庫跡のモニュメントやキハ52でお馴染みの駅であり、50Hz区間となっています。
発車メロディーは、糸魚川に縁のある春よ来いが使われているし。
富山県に入ってから最初に通過した駅は、黒部宇奈月温泉駅で、富山地方鉄道の新黒部駅への乗換駅となっています。
黒部峡谷鉄道のトロッコ列車が出ている宇奈月温泉へは、富山地方鉄道線に乗り換えて行くことになるし。
黒部宇奈月温泉駅の発車メロディーは、北日本放送(KNB)のテレビ番組である黒部~水と暮らす未来~のテーマ曲である煌~水の都から~という曲(富山県出身の高原兄氏によって作られた曲)が使われており、お気に入りの曲でもあります。
10時50分頃に富山駅に到着。ここで一旦下車し、両親と一旦別れた後に一人で後続の臨時のかがやき521号に乗って金沢へと向かいました。
北陸新幹線の富山駅は、南側にあり、高山本線とあいの里とやま鉄道線の高岡、金沢方面乗り場が先行的に高架化されていました。
東京から富山まで、北陸新幹線で最短2時間8分で行けるようになったことで速くなったなと思いました。
このように、飛騨高山への家族旅行に行く時に、北陸新幹線に初めて乗ることが出来て良かったです。