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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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箱根登山鉄道3000形 アレグラ号2 乗車レポート

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こちらは、12月12日に、箱根登山鉄道の強羅駅と周辺の踏切で撮影した、3000形アレグラ号です。


箱根登山鉄道の登山区間である箱根湯本~強羅間が開業したのは、1919(大正8)年6月1日のことで、当初は、チキ1形という木造車両(現在のモハ1形のルーツ)が使われていました。


この区間には、80パーミルの急勾配があり、半径30mの急カーブもあるので、小型の専用車両が使われています。


1935(昭和10)年10月1日には小田原まで延長され、箱根板橋~箱根湯本間が軌道線から転換されていました。


小田原~箱根板橋間の軌道線は、1956(昭和31)年5月31日に廃止されていたし。


1950(昭和25)年8月1日には、新宿~箱根湯本間での小田急線との直通運転が行われるようになり、小田原~箱根湯本間が三線軌条(3本レール)化されていました。


小田急線では、1067mmから1435mmへの改軌、箱根登山鉄道ではその逆が困難であった為に、苦肉の策として三線軌条となったけど、2006(平成18)年3月18日に登山電車の車両の小田原乗り入れが廃止、箱根湯本で系統分割され、小田原~入生田間が1067mmの線路だけが残されるようになったのであります。


入生田~箱根湯本間は、入生田駅構内に登山電車の車庫がある関係で三線軌条のままとなっているし。


アレグラ号の3000形も、750V/1500Vの複電圧対応であるけど、当然入生田への入線が入生田車庫への出入庫に限られています。

来年3月26日に開業予定の北海道新幹線の新青森~新函館北斗間では、青函トンネルを含む在来線との共用区間でEH800形(複電圧対応の電気機関車)牽引による貨物列車が通る関係により三線軌条となるので、それが生かされていることが分かります。


箱根湯本駅は、1番線から4番線まであり、1番線は小田急の特急ロマンスカー、2番線は、小田原~箱根湯本間の電車、3番線は、登山電車(箱根湯本~強羅間)、4番線は、登山電車の臨時ホーム(以前は強羅からの小田原行き電車に使われていた)となっており、3番線と4番線の間は、構内踏切で結ばれています。


これより乗車レポート。


箱根湯本では、2001Fを撮影し、見送った後の次にアレグラ号が到着していたので、それに乗って行きました。


箱根湯本を出ると、一気に80パーミルの急勾配に差し掛かるので、周辺にあるガードでは、高低差が分かります。


こちらは、1997(平成9)年9月30日に廃止されたJR信越本線の横川~軽井沢間(横軽区間、66.7パーミルだった区間)や都電荒川線の飛鳥山~王子駅前間の併用区間の66パーミルを凌ぐ急勾配であり、粘着運転としては日本一であります。


箱根登山鉄道は、スイスの登山鉄道を参考に作られていたので、1979(昭和54)年のスイスのレーティッシュ鉄道との姉妹鉄道提携は、このことの見返りだと思います。


箱根登山鉄道で、ベルニナ号、サンモリッツ号、アレグラ号の愛称が生まれたのもこのことのお陰でもあるし。


湯本、地蔵山、塔ノ峰の各トンネルを抜けた後、トンネルとトンネルの間に挟まれた塔ノ沢駅へ。


箱根湯本、小田原寄りのトンネル部分(塔ノ峰トンネル)の上には、連絡通路があるので、改良される前の京王井の頭線の神泉駅を思い出しました。


塔ノ沢駅は無人駅であり、1番線(強羅方面乗り場)側に駅舎、2番線(箱根湯本、小田原方面乗り場)側に深澤銭洗弁天や火伏観音があります。


かつて箱根湯本、小田原寄りに構内踏切があったけど、1993(平成5)年7月の3両編成の運転開始に伴うホーム延長により、現在の形となっているので、改良前の京王井の頭線の神泉駅にそっくりな状態でした。


箱根湯本駅は標高96m、塔ノ沢駅は標高153mなので、たった1Kmの間でも坂を登ってきたことになります。


箱根ベゴニア園やひめしゃらの湯の跡地に出来た日帰り温泉施設である箱根湯寮へは、箱根湯本駅前から無料送迎のマイクロバスで行くことになるけど、塔ノ沢駅からも徒歩5分程度で行くことが出来ます。


塔ノ沢駅を出た後、大ヶ嶽トンネル(箱根登山鉄道で一番長いトンネル)と、杉山トンネルを抜けた後に、早川に掛かる出山の鉄橋へ。


出山の鉄橋は、1917(大正6)年に完成した、日本の鉄道で一番古い鉄道用の橋梁であり、東海道本線の天竜川橋梁に掛けられていた一部が鉄道院からの払い下げにより転用されています。


こちらは現在でも掛け替えられることもなく使われており、歴史的価値が認められ、1991(平成3)年には、かながわの橋100選に、1999(平成11)年2月には、有形登録文化財に登録されているし。


ここを渡る登山電車は、絵になる風景であり、秋の紅葉の時期には数秒間の停車が行われています。


その後、国道1号線と交差し、出山、松山の両トンネルを抜けた後、出山信号場(スイッチバック)へ。


ここでは、列車の進行方向が替わり、運転士さんと車掌さんが入れ替わるシーンを見ることが出来ます。


出山の鉄橋を眺めることが出来るので、急勾配を登ってきたことを実感したし。


反対側の線路も勾配になっていることは登山電車の特徴であり、トンネル区間も勾配になっています。


その後、嵐山、鐘山、常磐山、畑山の各トンネルを通り、唯一のスイッチバック駅である大平台駅へ。


こちらでは、進行方向が逆になるだけではなく、列車の行き違いが行われるので、並びを撮影することも出来ます。


大平台駅を出た後、すぐに上大平台信号場(スイッチバック)に到着し、最後の方向転換が行われた後、大平台トンネルを通ってから唯一スイッチバックでない信号場である仙人台信号場に停車し、宮ノ下駅へ。


宮ノ下駅構内を中心とした登山電車沿線には、あじさいが植えられており、6月から7月に掛けてのシーズンには、沿線であじさいライトアップが行われ、座席指定制の夜のあじさい電車も運転されています。


6月20日から25日までの間にアレグラ号がアレグラあじさい号として運転された時には、あじさい号の表示となっていたけど、6月末に箱根山の噴火警戒レベルが3となっていた為にあじさい号の運転が中止となっていました。


現在はレベル1に引き下げられています。


宮ノ下駅を出た後、半径30mの急カーブが連続する区間に差し掛かり、小涌谷駅へ。


小涌谷駅の手前にある小涌谷踏切(国道1号線)では、毎年1月2日と3日に行われている箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競争)のルートとなっており、ランナーが通過する時に踏切で足止めさせないように、踏切の手前で電車を止める措置が取られています。


このことで、2012(平成24)年の88回までの間に、完全高架化される前の京急空港線の京急蒲田駅前の踏切(京急蒲田第一踏切)を通過していたことや、ランナー通過時における遮断防止による臨時ダイヤが組まれていたことを思い出しました。


因みに、今年の箱根駅伝では、青山学院大学が総合優勝し、記念すべき初優勝となっていました。


小涌谷からは、元箱根、箱根町方面へのバスへの乗換駅であり、箱根フリーパスを使って登山電車と箱根登山バスを乗り継ぐことが可能となっています。


当初の計画では、宮ノ下から二ノ平(現、彫刻の森)までの間で、2つのトンネルを通り抜けていくはずだったけど、蛇骨川の温泉に悪影響を及ぼすことになったので、現在のような小涌谷を通る急カーブ連続のルートとなったのであります。


線路に油を塗ったら危険である為に、カーブ通過の時に撒水が行われているので、車両の床下に水タンクがあります。箱根湯本駅と強羅駅で給水作業が行われているのはその為であるし。


80パーミルの急勾配は、小涌谷までで、ここから先は勾配が緩くなります。


小涌谷駅を出た後、急カーブを曲がり、彫刻の森駅へ。


彫刻の森は、フジテレビやニッポン放送などでお馴染みのフジサンケイグループの野外形式の美術館である、彫刻の森美術館の最寄り駅であり、登山電車はその横を通って行くことになります。


ここには、温泉地らしく、足湯があります。


彫刻の森駅は1番線側だけ使われているので注意が必要であります。


その後、終点の強羅駅(標高541m)へ。強羅駅は、山小屋風の駅舎が特徴の登山ケーブルカーの乗換駅で、手前に1番線、奥に2番線があり、ケーブルカーの運転時間帯には、2番線が使われています。


長くなりましたけど、これをもちまして、箱根登山電車の乗車レポートは以上となります。ご覧いただき、誠にありがとうございました。








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