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台湾鉄路のラッピングの京急2100形2 京急久里浜駅

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続いては、3月3日に、京急久里浜駅で撮影した、京浜急行電鉄(京急)の2100形2133F(ブルースカイトレイン)の台湾鉄路のラッピング車両で、回送となっていました。


平日の夕方以降の京急ウィング号の運転時間帯の快特は、3ドアロングシート車(品川~金沢文庫間で12両運転もあり)で代走となる為に京急久里浜で車両交換が行われています。


土休日の場合は終日に渡って運転されるし。


京急久里浜駅は、大東急の時代の1942(昭和17)年12月1日に、東急久里浜線(当時)の横須賀堀内(現、堀ノ内)~久里浜間の開業と共に出来た駅であり、当時は久里浜駅と呼ばれていました。


1948(昭和23)年6月1日に分離されるまでの間に東急と合併されて大東急連合となっていた路線は、京王、小田急、京急、相鉄であり、当時は現在の東急線と同様に、東急○○線と呼ばれていました。


京急本線は、品川~横浜間が東急品川線、横浜~浦賀間が湘南電気鉄道から継承されたことにより東急湘南線と呼ばれていたし。


1944(昭和19)年4月1日に、鉄道省(当時)の横須賀線の横須賀~久里浜間の開業により、湘南久里浜駅となり、1963(昭和38)年11月1日に、野比(現、YRP野比)への延長により、京浜久里浜駅となっていました。


1966(昭和41)年3月27日には、野比(現、YRP野比)~津久井浜間、同年7月7日に7月7日の津久井浜~三浦海岸間が開業し、1975(昭和50)年4月26日には、三崎口まで延長されていました。


現在の京急久里浜駅になったのは、1987(昭和62)年6月1日のことで、同じ京急久里浜線にある京浜長沢→京急長沢駅などの京浜○○の付く駅名が京急○○に変更されていたし。


京急久里浜行きの表示は、以前省略型の久里浜の表示となっていたけど、幕の交換により京急久里浜の表示に変更されていました。


同様に、金沢文庫行きが文庫、金沢八景行きが八景と表示されていたこともあったし。


京急大師線の表示で、京急川崎⇔小島新田となっているけど、以前は川崎⇔小島新田となっていました。


都営5300形の場合は、未だ久里浜の表示となっているし。


京成の場合は、京成上野、京成高砂、京成成田などの京成の付く駅に向かう列車で、京成の表示が入っていない上野、高砂、成田などの表示となっているので、京急車でも高砂、佐倉の表示となっているのはその為であります。


同様に、京成上野行きの場合、京成上野ではなく、上野とアナウンスされているし。


1998(平成10)年3月28日に2100形がデビューした当時に、久里浜行きと表示されていたことを覚えています。


2100形は、先月28日に全廃となった京成のAE100形(2代目スカイライナー→シティライナー)と同様に、都営浅草線に乗り入れ、羽田空港と成田空港を結ぶ連絡特急に使われる計画があったことから、貫通ドア付きの地下鉄乗り入れ規格で製造されていたのであります。


どちらもその計画が中止となり、羽田空港と成田空港を結ぶ連絡特急の役割が3ドア車の600形や新1000形などに移行されていたし。


2100形による快特を品川発着から泉岳寺発着とし、西馬込発着の押上、京成線方面の列車と接続させることによって、地下鉄規格で造られた泉岳寺駅への乗り入れが実現していたのであります。


2000形が使われていた頃は、地下鉄乗り入れ規格ではない為に代走であっても泉岳寺への乗り入れが不可能であるし。


現在京急の列車で、泉岳寺への乗り入れが不可能な列車は、800形と2000形であり、どちらも廃車が進められています。


京急久里浜線では、日中は三崎口発着快特が、泉岳寺発着のA快特(2100形メイン)と、都営線、京成線直通のSH快特(600形、新1000形、1500形の8連)が交互に運転されており、品川~横浜間で120Km/h運転が行われています。


品川~横浜間での120Km/h非対応車の最高速度は、横浜以南と同じ110Km/hであるけど、以前は105Km/h運転でありました。


今から30年前の1986(昭和61)年3月まで活躍していた旧600形は、フルノッチにより105Km/hで快走していたと言われています。


京急久里浜駅は、2面3線の高架駅であり、中間の2,3番線を見ていると、毎年5月下旬に行われている京急ファミリー鉄道フェスタでのお帰りの臨時列車を思い出します。


京急久里浜線は、堀ノ内~京急久里浜間と、京急長沢~津久井浜~三浦海岸間が複線で、京急久里浜~YRP野比~京急長沢間と三浦海岸~三崎口間が単線となっています。


野比駅がYRP野比駅に変更されたのは、1998(平成10)年4月1日のことで、その名の通り、横須賀リサーチパーク(Yokosuka Research Park、YRP)が整備されています。


こちらは、NTTの横須賀研究開発センターなどもあり、電波情報通信関連の研究開発の拠点でもあり、NTTドコモ(docomoブランドの携帯電話やスマートフォン(スマホ)等のキャリア)のR&Dセンターもあります。


auブランドの携帯電話やスマートフォン(スマホ)等のキャリアであるKDDIのYRPリサーチセンターもここにあるので、光の丘の地名通りの情報通信開発の拠点となっていることが分かるし。


YRP地区へは、YRP野比駅から離れているので、京浜急行バスに乗っていくことになります。


京浜急行バスも、京急ファミリー鉄道フェスタへのアクセスに使われており、京急久里浜駅前から無料のシャトルバス(往復)が出ているし。


2100形は、2000形の2ドアクロスシート時代とは異なり、車端部を除いて進行方向に向けられたクロスシート(ロマンスシート)となっているので、三崎口駅での折り返しの時に一旦ドアが閉まることになります。


このことは、同じ2ドアクロスシート車である京阪8000系の座席に準じているし。


台湾へは、成田空港のほか、羽田空港からも行けるので、京急による宣伝効果も生かされています。


成田空港から台湾の台北に行く場合は、桃園国際空港発着と、台北市外から離れてしまうので、羽田空港から台北市外に近い台北松山(ソンシャン)空港(台北国際空港)への飛行機が便利であります。


松山ということで、日本国内の松山空港(愛媛県松山市)と紛らわしい点があるので、区別する為に台北松山空港または台北国際空港と呼ばれています。


羽田空港と台湾を結ぶ空路は、1978(昭和53)年5月の成田空港開港後も、2002(平成14)年まで、台湾の中華航空(チャイナエアライン)の乗り入れが継続されていたけど、2002年の成田へのシフトにより、一旦途絶え、2010(平成22)年10月21日の羽田空港発着の国際線定期便の運航再開により復活していました。

羽田空港~台北松山空港間の台北線は、チャイナエアライン(中華航空)、エバー航空(長榮航空、同じ台湾の航空会社)、JAL(日本航空)、ANA(全日本空輸)の日台の4社による運航だけど、成田空港~台北桃園国際空港間の場合は、これらの4社に加え、トランスアジア航空(台湾、復興航空)、タイガーエア台湾(台湾の格安航空会社、臺灣虎航)、バニラエア、ジェットスター・ジャパン、デルタ航空(アメリカ)、キャセイパシフィック航空(香港)、スクート(シンガポールの格安航空会社)も加わっています。


羽田空港と台湾の桃園国際空港を結ぶ空路は、Peach Aviation(ピーチ)とタイガーエア台湾の2社であるけど、明日(3月11日)から、同じ台湾のVエア(格安航空会社) も加わることになるし。


この台湾鉄路のラッピングは、台湾鉄路だけでなく、台湾のPRともなっています。


京急2100形は、泉岳寺~三崎口間の快特や、京急ウィング号・モーニング・ウィング号のほか、朝に羽田空港に乗り入れる運用があるので、羽田空港から台湾へのPRもあるし。


606Fのほうは、ANAとのタイアップにより、昨年12月11日に開設された羽田~シドニー(オーストラリア)線のPRラッピングとなっているので、カンタスに続くものとなっています。


このように、京急久里浜駅でも台湾鉄路のラッピング電車を撮影することが出来て良かったです。








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