5月5日は、蒲田から五反田まで、東急池上線の1000系のT.K.K.スタイル塗装の1017Fに乗りました。
この塗装は、1989(平成元)年3月にデハ3450形(旧3000系列)のさよなら運転の時に纏っていた紺色と黄色のツートンカラー(復刻旧塗装)であり、東急池上線の戸越銀座駅のレトロ調ステーションへのリニューアル(木になるリニューアル、現在工事中で今年の夏頃に完成予定)に備えて1017Fに施されていたけど、似合っていると思います。
東急1000系は、1988(昭和63)年から1993(平成5)年に掛けて、旧7000系や7200系の置き換え用として、東横線(地下鉄日比谷線直通用)及び目蒲線→東急多摩川線・池上線用として導入された9000系ベースの3ドア18m車であり、1017Fは、1991(平成3)年、目蒲線(当時、目黒と蒲田の間が直通運転されていた)に、7700系化の対象から外された旧7000系の置き換え用として、1014,1015,1016,1018Fと共に暫定的な4両編成で導入されていました。
当時の目蒲線は、目黒と蒲田の間を3ドア18m車の4両編成が活躍しており、1989(平成元)年3月から2000(平成12)年8月4日までの間、3両分しかない鵜の木駅で目黒寄りの先頭車1両のドアカットが行われていました。
これらの車両が目蒲線で活躍していた頃は、目黒、武蔵小山、西小山、大岡山、田園調布、多摩川園(現、多摩川、東横線と目黒線部分は高架となっている)の各駅が地上となっていたし。
1997(平成9)年7月に地下鉄に接続する地下駅に移転される前の目黒駅は、目黒通りに面した場所にあり、山手線からも眺めることが出来ていました。
2013(平成25)年3月16日の地下鉄副都心線との直通運転化に伴う渋谷~代官山間の地下化により、渋谷駅が高架部分から地下深い部分に移転された為に、山手線から見ることが出来なくなっています。
これにより、山手線から見ることが出来る東急線の駅は、池上線の五反田駅だけとなってしまったし。
1992(平成4)年から1993(平成5)年に掛けて、1019~1023Fの先頭車及び1024F(池上線の1000系で唯一の完全新造車)が導入されたことにより、1014~1018Fが3両化の上で車両限界拡幅工事が完了した池上線に移り、玉突きで7200系の一部が目蒲線に転用されたほか、系列である上田交通(現、上田電鉄)別所線(長野県)に譲渡されていました。
池上線に1000系が入った当時は、他の路線からのお下がりばかり使われていた池上線にとって63年ぶりの新車として話題になっていたし。
2000(平成12)年8月6日には、目蒲線の分離により、目黒~田園調布~武蔵小杉間が、地下鉄直通規格に改造された目黒線、多摩川(旧、多摩川園)~蒲田間が、これまでの目蒲線と同じ規格の東急多摩川線となり、後者の車両が池上線と共通の3両編成に置き換えられていました。目蒲線で活躍していた7700系は一部が3両化の上で池上線に回されていたし。
多摩川駅の地下ホームは、東急多摩川線専用となっているけど、1994(平成6)年11月に田園調布駅と多摩川園駅の目蒲線部分の地下化の時から使われています。当時暫定的に使われていた田園調布~多摩川園間の地下線路は、現在東急多摩川線と池上線の車両の長津田車両工場への出入りの為に使われています。
目蒲線の車両基地は、奥沢駅構内の奥沢検車区→雪が谷検車区奥沢班が使われていたけど、目黒線となってからは、元住吉検車区管理による電留線と化しているし。
目蒲線と言えば、今から30年前の1986(昭和61)年6月に全廃となった旧5000系青ガエルが最後まで活躍していたことでも有名でありました。
目蒲線で活躍した経歴のある1014~1018Fは、2007(平成19)年から2008(平成20)年に掛けて、新7000系(平成版青ガエル)の7101~7104Fの導入により、1017Fを残して2両化の上で上田電鉄別所線に譲渡され、1017Fが唯一目蒲線で活躍していた頃の面影の残る編成となっています。
1017Fは、外装がレトロ調となっているけど、内装のほうも木目調が濃くなっていることに加え、木目調の吊革もあることでレトロ感が増しています。
このことで、阪急電車や都電9000形の内装のことを思い出しました。
1000系1500番台(元日比谷線直通の8連からリニューアル改造された編成)とは異なり、従来のインバータ装置のままであり、車内案内表示やドアチャイムが使用停止となっています。
後は、フリースペースが全車に拡大され、東急初の防犯カメラも設置されているし。
前面スタイルは、1500番台と同様に、フルカラーLED表示で、種別表示の後に車番の入ったタイプであり、ヘッドライトがLED化されています。
この編成が営業運転入りしたのは、3月28日の朝のことであり、前日の27日には、試運転が行われていました。
東急線の蒲田駅は、降車ホーム付きの5面4線の駅であり、東側の1,2番線が池上線乗り場、西側の3,4番線が東急多摩川線乗り場となっているけど、朝夕の一部の東急多摩川線の列車は、雪が谷検車区からの出庫の絡みにより2番線から発車することになります。
その逆は、2番線に到着し、折り返しは雪が谷大塚行きとなるので、事実上の直通列車として扱われているし。
こちらは、阪急電車の梅田駅(西側が神戸線、中央が宝塚線、東側が京都線が入っている)と雰囲気が似ているので、1017Fの木目調の内装が阪急電車に似ている点との縁もあります。
蒲田駅の上にある東急プラザ蒲田は、屋上に1968(昭和43)年11月1日に蒲田東急ビルとして開設された時からのシンボルである幸せの観覧車があることで有名であり、一昨年3月に一旦閉鎖された後、同年10月9日にかまたえんとしてリニューアルされていました。
やはりリニューアルを期に、屋上観覧車を残して欲しいという要望があったことから、幸せの観覧車として残されたのであります。
東急の蒲田駅は、1968(昭和43)年10月に蒲田東急ビル→東急プラザ蒲田の開設に合わせて高架化された駅となっているし。
東急プラザは、蒲田のほか、赤坂(赤坂見附駅前)、戸塚、表参道原宿、銀座、新長田(神戸)にもあり、銀座の東急プラザは、今年3月31日に開店されたばかりであります。
表参道原宿の東急プラザは、2012(平成24)年4月18日の開店の時からおもはらの森と呼ばれている屋上庭園が名物であり、その横にスタバ(スターバックスコーヒー)があるし。
蒲田駅付近にある蒲田黒湯温泉のうち、ホテル末広(温泉浴場付きビジネスホテルの老舗)は、東急の駅からも最も近く、日帰り入浴も出来ます。
蒲田駅で京浜東北線から東急線に乗り換える場合は川崎寄りにある南口改札が便利であります。
蒲田駅の駅ビルであるGRANDUO(グランデュオ)蒲田は、JR東日本グループと、阪急阪神ホールディングス傘下のエイチ・ツー・オー(H2O)リテイリング(阪急百貨店と阪神百貨店の系列)による共同事業の駅ビルであり、以前西館がサンカマタ、東館がパリオと呼ばれていました。
阪急百貨店のうち、関東にあるのは、都筑阪急(横浜市都筑区、センター北駅前)と阪急大井食品館(東京都品川区、大井町駅前の阪急大井町ガーデン内)であり、以前は有楽町・銀座の数寄屋橋にもありました。
こちらは現在有楽町西武の跡地と共にLUMINE(ルミネ)有楽町となっているし。
GRANDUO(グランデュオ)は立川駅南口にもあるけど、こちらは1999(平成11)年4月18日に南口に新設された駅ビルであります。
T.K.K.のロゴマークは、世田谷線の301F(復刻玉電塗装)や電車とバスの博物館にあるデハ204号車でお馴染みであり、Tokyo Kyukodentetsu Kabushikigaishaの略称であり、昔3文字のローマ字の略称が盛んに使われていたことを感じさせます。
大東急だった鉄道会社のうち、京王帝都電鉄(現、京王電鉄)はK.T.R.、小田急電鉄はOER、京浜急行電鉄(京急)はKHKの略称が使われていたし。