こちらは、6月23日に、東急世田谷線の下高井戸駅で撮影した、黄色い(ステーション♪カラーの)306Fによる上町行きの入庫便で、目黒から三軒茶屋まで東急バスで移動した後、下高井戸までそれに乗り、折り返しの上町行きで撮影しました。
東急世田谷線の300系は、1999(平成11)年7月11日に301Fがデビューした当時、旧型車両と同じ緑色一色で、サザエさんのラッピングが施されていました。
2000(平成12)年には量産化され、2001(平成13)年2月の旧型電車の置き換え完了及び増発用として、編成毎に塗装の異なる10編成が導入されていたので、カラフルな世田谷線として話題になっています。
黄色い306Fは、2000(平成12)年12月9日に導入された車両であり、その2ヶ月後の2001(平成13)年2月11日にホームが嵩上げされていたので、ステップ及び車椅子用リフト付きの時代は短かったです。
世田谷線に行き、黄色い306Fを追っ掛けるようになったきっかけは、2011(平成23)年11月に、東京都交通局(都電荒川線)との幸せの黄色い電車キャンペーンであり、都電荒川線で一番好きな8810号車と同じコラボヘッドマークが付いていました。
都電荒川線と世田谷線は、東京都内に残る路面電車であり、どちらも専用軌道で、利用客が多いことなどの理由で廃止されずに残されたのであります。
世田谷線の場合は、都電荒川線とは違って全区間専用軌道であり、若林駅前の環七横断部にある若林踏切だけが、かつての玉電の面影が残る状態となっているし。
若林踏切は、その名の通り、昔遮断機のある普通の踏切だった場所であり、交通量の多い環七通りを横断するということで、交通信号に従う方式となっています。
都電荒川線でも、交通信号に従って道路を横断する場所が何ヵ所もあるので、若林踏切が、都電荒川線の新庚申塚電停に似ていると思っていました。
車を運転する時には、普通の踏切で一時停止する必要があるけど、この若林踏切などの交通信号に従う踏切は例外であり、一時停止しなくても通過してもよいことになります。
三軒茶屋と下高井戸は、周辺に西友があることだけでなく、首都高が通っているという共通点があります。
前者は3号渋谷線で、東名高速に接続、後者は4号新宿線で、中央道に接続しているし。
1969(昭和44)年5月10日に東急玉川線(渋谷~二子玉川園(現、二子玉川)間、玉電)が廃止された理由は、国道246号線の渋滞問題や、東急新玉川線に転換させることだけでなく、首都高渋谷線の建設工事(1971(昭和46)年12月21日に全線開通)との絡みもあります。
東急新玉川線は、銀座線との相互乗り入れにより、1435mmの第三軌条方式で建設されることが計画されていたこともあったけど、この方式だと、大井町への直通が出来なくなること、二子玉川園→二子玉川駅での乗換が必要になってくること、1067mmの架線区間である他の東急線と異なることにより運用上のネックとなること、第三軌条方式で、3ドア16mの6両が限界であり、輸送力増強に適していないことなどにより、4ドア20m車の10両運転が可能な1067mmの架線方式の半蔵門線直通運転にシフトされたのであります。
もしも東急新玉川線→田園都市線の渋谷~二子玉川間が銀座線と同じ第三軌条方式の3ドア16mの6両で開業していたら、高速運転及び大量輸送が不可能なことで混雑がより激しくなり、乗換駅である二子玉川駅がパンクしていたところでした。
それだけでなく、東急田園都市線、地下鉄半蔵門線、東武スカイツリーラインとの直通運転が出来なくなっていたところだったし。
田園都市線の二子玉川園~中央林間間も、第三軌条方式、3ドア16mの6両で建設される計画もあったので、大井町への直通を優先させた為に真っ先に1067mmに変更されていたし。
このような銀座線と新玉川線の直通運転計画があったということも本当であります。
銀座線と半蔵門線の表参道駅で、同じホームでの乗換が可能となっているのは、東急新玉川線→田園都市線の直通運転先が銀座線から半蔵門線に変更されていたことにより不便にさせない為でもあるし。
二子玉川駅は、現在の銀座線と半蔵門線の表参道駅みたいになるはずであったことが分かります。
東急世田谷線に、銀座線のラインカラーと同じオレンジ色の309F、半蔵門線のラインカラーと同じ紫色の307Fが走っていることで、新玉川線→田園都市線直通計画のビフォーアフターであることを感じました。
銀座線の新車である1000系は、初代の1000形がイメージされた黄色のラッピング車両でもあるので、東急世田谷線の306Fを見た時にそれを思い出したし。
下高井戸駅は、京王線に接続する駅であり、同じ1372mmであることから、戦時中に京王線の桜上水工場(現在は若葉台工場に移設されたことにより廃止されている)と、玉電の大橋工場を結ぶ部品配給列車が運転されていたことがありました。
京王線も、小田急線、京急線、相鉄線と同様に戦時中に大東急連合により、東急の路線となっていたこともあったし。
上町車庫である雪が谷検車区上町班は、1969(昭和44)年5月11日の世田谷線としての独立と共に新設された車両基地であり、変電所などの用地があるということにより移転先に選ばれていたのであります。
300系の導入や、世田谷線の増発により改良され、留置線も増設されていたし。
東急電鉄の車両の全般検査等の大掛かりな検査は、長津田車両工場で行われるけど、世田谷線の場合は、上町で車体のみが整備され、台車や電装品等が長津田車両工場までトラックで輸送された上で行われています。
下高井戸の北口にある下高井戸駅前市場は、1956(昭和31)年に建てられたもので、今年で60年と還暦を迎えています。
このような昔懐かしい風景は、和みの風景でもあるし。
3月26日に世田谷線のダイヤ改正が行われ、平日の朝と夜、土休日の朝と夜に列車が増発されています。
土休日の07運用は、改正前に下高井戸 20時53分発→上町 21時02分着の列車で入庫していたけど、3月26日からは、土休日の夜の列車の増発により、下高井戸 0時32分発→上町 0時40分着に繰り下げとなっています。
昨年7月20日に、黄色い306Fによる07上町の表示を撮影しておいて正解だったということを感じました。
平日の07運用は、下高井戸 22時43分発→上町 22時52分着での入庫であることは変わりはないし。
世田谷線の終日運用の7本のうち、上町車庫に一番早く入庫する運用は、平日の02運用 下高井戸 19時25分発→上町 19時34分着、土休日の04運用 下高井戸 19時03分発→上町 19時12分着であり、平日は02→04→05→07→03→06→01運用、土休日は04→02→01→05→07→03→06運用の順に下高井戸発上町行きで入庫していくし。
平日夜の08運用は、三軒茶屋 0時52分発→上町 1時ちょうど着の上町行き最終で入庫されるし。
20時台の入庫運用は、平日の04運用と土休日の02運用 どちらも下高井戸 20時21分発→上町 20時30分着であり、02運用は比較的早く入庫する運用であることが分かります。
今回撮影した05運用の上町行きは、平日に限り 下高井戸 21時48分発→上町 21時56分着で入庫する運用となっています。土休日の05運用の場合は 下高井戸 0時07分発→上町 0時15分着で入庫することになるし。
世田谷線の三軒茶屋発下高井戸行きの終電は、三軒茶屋 0時36分発(平日は01運用、土休日は06運用)で、土休日の場合は全区間での最終となります。
下高井戸発三軒茶屋行きの終電は、平日(08運用)は、下高井戸 0時31分発→三軒茶屋 0時48分着、土休日(06運用)は、下高井戸 0時16分発→三軒茶屋 0時33分着と土休日のほうが平日よりも早くなるし。
世田谷線の場合は、カラーリングのほか、運用毎に変わる列車番号、行先の組み合わせで撮影出来るのが面白いです。
目黒から三軒茶屋まで東急バスで移動した時に、下高井戸から折り返しの上町行きとなる黄色い306F(05運用)に乗り継ぐことが出来ることが判明していたのでちょうど良かったです。
バスの場合は、道路渋滞によって遅れることもあるのでそのはずであるし。