9月19日の箱根旅行の初日は、箱根湯本から強羅まで、箱根登山鉄道の吊り掛けモーター車である103号車(103+107号車によるサンナナ編成)に乗りました。
小田原から赤いラッピングの小田急1000形(1061F)で箱根湯本まで移動し、箱根湯本から強羅行きの列車に乗り継いだところ、103+107+108号車による吊り掛けモーター入りの旧型車両に当たったので、迷わずに吊り掛けモーターの103号車に乗ったのであります。
本当は110号車を期待していたけど、翌日の9月20日に乗れたからよしとします。
110号車の復刻旧塗装は、長崎電気軌道(長崎県、長崎の路面電車)にある150形の151号車を思い出します。
こちらは、1925(大正14)年に王子電気軌道(現在の都電荒川線の前身)の400形409号車として製造され、1952(昭和27)年に箱根登山鉄道小田原市内線に譲渡されてモハ20形の202号車となり、今から60年前の1956(昭和31)年に小田原市内線(小田原と箱根板橋の間を結んでいた路面電車)が廃止されてから、大改造された上で152号車として長崎入りしていました。
現在は箱根登山鉄道市内線で活躍していた頃の塗装となり、イベント用として動態保存されています。
1919(大正8)年6月1日に日本一の登山鉄道区間である箱根湯本~強羅間が開業した当時は、小田原電気鉄道の時代でありました。
小田原電気鉄道は、1928(昭和3)年1月に日本電力と合併され、同年8月に日本電力から分離された上で現在の箱根登山鉄道となり、箱根の登山電車であることがアピールされるようになったのであります。
日本電力とは、1947(昭和22)年に解散された電力会社のことであり、2005(平成17)年に設立された現在の日本電力とは無関係であるし。
前回103+107号車に乗ったのは、昨年12月12日の強羅→箱根湯本間の下り勾配区間(登山電車ならぬ下山電車))だったので、今回は登山電車区間で乗ることが出来ました。
吊り掛けモーターを唸らせながら勾配を登るシーンは、現在大幅に減っている都電荒川線の7000形が勾配を上がるシーンに似ています。
箱根湯本~強羅間は、1919(大正8)年6月1日の開業以来、速度や駅の数、急カーブ等が変わっておらず、変わったのは二ノ平駅が彫刻の森駅に変わった程度であります。
箱根湯本駅の2番線と3番線の間の車止め部分には、ようこそ箱根への表示があり、芦ノ湖と富士山の写真が描かれています。
この日は悪天候だったので当然富士山は見えませんでした。
箱根湯本行きの表示は、毎年11月3日に箱根湯本周辺で行われる箱根大名行列がイメージされています。
強羅行きの表示は、8月16日に強羅駅周辺で行われる明星ヶ岳の箱根大文字焼きがイメージされているし。
このように、箱根登山鉄道の旅の最初に、箱根湯本から強羅まで、吊り掛けモーター車の103号車に乗ることが出来て良かったです。