11月13日は、品川から京急川崎まで、京浜急行電鉄(京急)800形のリバイバル塗装車である823Fによる普通浦賀行きに乗りました。
こちらは、1978(昭和53)年12月27日にデビューした時から、1984(昭和59)年まで使われていた京急伝統の赤色に白い窓枠の組み合わせの塗装であり、32年ぶりに復活したことになりました。
自分(しゃもじ)が初めて京急線に乗ったのは、1988(昭和63)年7月19日の泉岳寺~品川~京急川崎間のことであったので、800形の旧塗装を今回初めて見たことになったのであります。
初めて京急に乗った時には、京急2000形によるギャラリー電車が走っていたし、青物横丁、鮫洲、立会川の各駅付近が高架化工事中となっていました。
このような白い窓枠塗装を、1982(昭和57)年12月27日にデビューした2000形(当時は2ドアクロスシート車だった)に譲られていた為に、1982年から1984年に掛けて、赤色に白帯のロングシート塗装に変更されていました。
2000形のほうも、2100形の導入に伴う3ドアロングシート化された時に白い帯塗装に変更されていたけど、2013(平成25)年1月には、2000形デビュー30周年記念として白い窓枠塗装がリバイバルされていました。
800形の823Fのリバイバルカラーは、それに続くものとなっているので、リバイバルされたらいいなと思っていたし。
この時に付いていたヘッドマークは、1979(昭和54)年のローレル賞受賞記念のヘッドマークがイメージされたもので、リバイバル塗装記念と表示されています。
京急800形は、1978年から1986(昭和61)年に掛けて132両製造された車両であり、1986年に6両固定編成として完全新造された826Fと827Fに関しては、白い窓枠塗装を纏ったことのない編成となっています。
823Fは、1981(昭和56)年に、川崎重工業で製造された編成で、当時は白い窓枠塗装の3両編成でした。
翌年の1982年には、中間車が3両増結されて6両固定編成化されていたけど、当時は814,815,816,817,818,819Fにも、中間車が増結されたことにより、現在の823Fと同じ白い窓枠塗装の6両固定編成となっていました。
811,812,820,821,822,824,825Fは、現在の塗装となった後に6両編成化されていたし。
初期型の801~810Fは、最後まで3両編成のまま残されていた編成であり、1993(平成5)年3月31日まで、京急空港線(京急蒲田~旧、羽田空港→穴守稲荷間)での3両編成の列車で使われていました。
当時の京急空港線が、3両分までしか入ることが出来なかったことによる措置であったし。
1991(平成3)年1月まで存在していた旧、羽田空港駅は、海老取川の手前にあった駅であり、羽田空港のターミナルビルから離れていました。
1993年4月1日に、羽田(現、天空橋)まで延長された時には、空港島の地下に乗り入れるようになり、京急空港線が6両編成化されていたし。
3両編成のまま残されていたこれらの編成は、車体更新と共に801+802,803+804,805+806,807+808,809+810Fの組み合わせで6両固定編成化され、中間の運転台が撤去された上で中間車化されていました。
車体更新は、1994(平成6)年から2001(平成13)年に掛けて行われ、側面のKHKの表示がKEIKYUの表示に変更されていたけど、車内の扇風機の部分に、KHKの表示が残されています。
側面のKHKの表示は、2010(平成22)年6月に全廃となった旧1000形を最後に見納めとなったし。
2001年に車体更新された823,826,827Fの車内の銘板表示は、現在の京急の車両の標準となっているステッカー式(ピクトグラムによる禁煙マーク入り)となっています。
800形の廃車は、2011(平成23)年の801+802Fを皮切りに行われ、現在までに、801+802,803+804,805+806,807+808,809+810,811,812,813,814,815Fと若い番号の編成から廃車となっていることが分かります。
中間車改造された編成は、一昨年3月の807+808Fの廃車をもって全廃となっていました。
今月中には、新1000形の6連新バージョンの1601Fと1607F(どちらも2代目で川崎重工業製)が導入されることにより、昨年12月の812F以来となる800形の廃車が発生することになります。
そのうちの1601Fが今日(11月16日)デビューしていたし。
800形は、2005(平成17)年まで京急大師線を中心に活躍していた700形と同様の片開きの4ドア車であるので、2010年10月21日に京急空港線の羽田空港国際線ターミナル駅が開業してからは、そのホームドアに対応しない為に京急空港線から撤退していました。
羽田空港と新逗子を結ぶエアポート急行には、6両と8両が混在しているけど、現在800形が入ることが出来ないのはその為であるし。
京急大師線は、4両編成までしか入れないので、当然のことながら800形が入線不可能となっています。
品川~神奈川新町間の普通列車が6両編成化されたのは、1982年4月1日のことで、800形の6両化はそれに合わせて行われていました。
高架化される前の梅屋敷駅は、4両編成分しかなく、浦賀寄りの2両が止まれない状態で、2両分のドア非扱いのADL(ドアカット)装置が取り付けられていたし。
2010年5月16日には上り線部分の高架化により、下りのみドア非扱いとなり、2012(平成24)年10月21日の下り線の高架化をもってドア非扱いが完全に解消されていました。
かつて京急川崎、神奈川新町~新逗子間の急行列車にも盛んに使われていたことで有名であり、ポスターには、旧塗装の800形による急行逗子行きの写真があります。
逗子の表示は、1985(昭和60)年3月2日に、京浜逗子駅と逗子海岸駅が統合される前の逗子海岸行きのことであり、現在羽田空港国内線ターミナル行きの列車が羽田空港行きと表示されていることと同様でありました。
2002(平成14)年に800形の羽田空港乗り入れが復活していた時に特急や快特にも使われていたけど、最高速度は100Km/hと従来車よりも遅いので、特別ダイヤとなっていたし。
現在は普通列車専用となり、品川~浦賀間の普通列車中心で使われているけど、かつて三崎口まで乗り入れていたことがありました。
京急本線の堀ノ内~浦賀間は、平日の朝ラッシュ時を除いて普通列車しか入らないので、京急本線よりも浦賀支線のイメージが強いです。
800形の新逗子への乗り入れは、大部分が羽田空港直通のエアポート急行となった為に平日の朝夕と土休日の深夜だけとなっているし。
823Fは、検査出場したと共に復刻旧塗装に戻され、11月12日に久里浜工場(京急ファインテック久里浜事業所)→品川間の事前申込制の貸切電車に使われた後、11月13日に一般の営業運転に入っていました。
この貸切電車は、品川駅に13時34分に到着していたけど、尾久車両センターでのイベントに専念していた為に撮影出来なかったのが残念でありました。
一般の営業運転の初日には、後半から29運用に入っていたので、時刻を調べた上で品川から京急川崎まで乗ることが出来たのは良いけど、夜だったので行先表示が上手く撮影出来なかったです。
普通列車は、鮫洲駅や南太田駅などでの通過待ちや京急川崎駅や上大岡駅などでの接続待ちで長時間停車することが多いので、その間に撮影することも出来ます。
823は、パワフル娘のなっちゃんこと星なつみ氏の誕生日の番号なので注目しています。
800形には、白い窓枠の旧塗装が似合っていると思います。
京急2000形の2011Fの時もそうだったけど、リバイバルされてからそう思ったことが多いです。
京急800形は、2000形と同様に泉岳寺まで乗り入れることが出来ず、普通列車は全て品川発着となるので、3番線到着時を除き、泉岳寺寄りにある引き込み線での折り返しとなります。
この時には、品川駅で2番線に到着するシーンも1番線側から撮影することも出来ました。
このように、京急800形の旧塗装を撮影することや、それに乗ることが出来て良かったです。