こちらは、一昨日(2月23日)に八王子駅で撮影した、横浜線のE233系H016編成(クハ233-6016F)で、E233系が描かれた別バージョンのヘッドマークが付いています。
このH016編成は、今年1月7日に、総合車両製作所(J-TREC)横浜事業所で落成し、鎌倉総合車両センターまで回送された落成第一号の編成でもあります。
この日のH016編成は、39K運用に入っていたので、八王子に到着した後にタンク車や205系を撮影しながら待ち、このH016編成による各駅停車の東神奈川行きで東神奈川へと移動しました。
東神奈川到着後には、折り返し橋本行きとなり、橋本駅の相模原駅寄りにある電留線(鎌倉車両センター橋本派出所)に入庫されてその日の運用が終了していました。
この電留線は、1974(S49)年12月に橋本電留線として開設されていたけど、1996(H8)年10月1日に横浜支社(大船電車区)に移管されるまでは、豊田電車区(現、八王子支社豊田車両センター)による管理となっていました。
鎌倉車両センター管理の電留線は、橋本、東神奈川、磯子にあり、東神奈川派出所では、京浜東北線と横浜線の車両の夜間留置も行われています。この日のH001編成は、東神奈川入庫により運用を終えていたし。
東神奈川派出所は、かつての東神奈川電車区で、車両が配置されていた頃は、南ヒナと表記されていました。
横浜線の運用は、鎌倉車両センター本区(旧、大船電車区)に帰る運用が少なく、ほとんどが東神奈川または橋本停泊となります。
鎌倉車両センターは、1960(S35)年に、横須賀線の車両の田町電車区(現在は廃止)からの移管により、大船電車区として開設されたのが始まりであります。
2000(H12)年7月1日に大船電車区と大船工場(深沢地区)が統合されて鎌倉総合車両所となり、横フナから現在の横クラに変更されていました。
2004(H16)年6月1日に鎌倉総合車両センターに変更され、2006(H18)年4月1日には、工場部分(深沢地区)の廃止により、現在の鎌倉車両センターとなったのであります。
1996(H8)年10月1日に横浜線が横浜支社に移管されるまでの間は、蒲田電車区所属で、東カマと表記されていました。
現在蒲田電車区は、京浜東北線専用の電留線と化しています。
この日の京浜東北線では、川崎駅で作業用車とE233系のウラ177編成(クハE233-1077F)による回送列車との衝突により、大宮寄りの2両が脱線、横転していた為に、蒲田~鶴見間で運休となっていたけど、回送列車であった為に被害が小さかったことが不幸中の幸いでした。
大雪に見舞われていた2月15日の深夜に東急東横線の元住吉駅構内で、Y500系の516Fと5050系5155Fとの衝突事故が発生したばかりだったのに残念で仕方がないです。
東横線のほうも怪我人はいたものの、犠牲者がなくて何よりだったけど、お見舞い申し上げます。
この影響によりヘッドマークの取り付けが中止になるかと思っていたけど、取り付けられて良かったです。
E233系の運転台は、通勤型でも近郊型並に広いのは、踏切事故対策もあり、踏切の多い横浜線にも対応しています。今後E233系が導入される予定の南武線も踏切が多い路線だし。
横浜線で活躍していた205系のH26編成は(クハ205-136F)は、6両化の上で南武線に回されるけど、ダイヤ改正での増発用だと思われます。
今回廃車となり、長野総合車両センターに回送されていたサハは、サハ204-126号車(6ドア車)と、サハ05-232号車で、後者は、1993(H5)年の横浜線増発により京浜東北線から転用された時に不足する中間車を補う為に製造されていた205系0番台の最終増備車でありました。
やはり南武線で活躍していたクハ205-103Fを10両化の上で中央・総武緩行線に転属させていたことでこのような措置が取られていたし。
現在クハ205-103Fは、8両化の上で武蔵野線のM36編成として活躍しています。これから捻出された2両のMユニットは、2007(H19)年に川越線で発生した踏切事故により被災したハエ24編成の2両の中間車に替わって転用されていたけど、現在は運用離脱されてインドネシアに輸出されています。
この時に6番線に到着していたので、撮影することが出来て良かったです。