続いては、一昨日(2月23日)に八王子駅で撮影した、横浜線のE233系H016編成(クハ233-6016F)の反対側(東神奈川寄り)です。
この編成の東神奈川寄りのヘッドマークは、蒸気機関車、73形旧型国電(茶色の電車)、103系、205系、E233系と言った歴代車両が描かれています。
8番線では、背後に見えるサザンスカイタワーをバックに撮影することが出来て良かったです。
八王子駅南口では、再開発が行われており、ビックカメラやセレオ八王子南館、オリンパスホール八王子(サザンスカイタワーの中にあるホール)もあります。
オリンパスホール八王子(新八王子市民会館)は、2011(H23)年4月3日に、八王子市上野町にあった旧八王子市民会館を移転させたもので、移転、南口に直結されたことにより駅から近くなっています。
一昨年1月末まで北口にあったそごう八王子店は、改装されてセレオ八王子北館となっています。
横浜線は、1908(M41)年9月23日に、八王子や信州で生産された生糸を横浜に運ぶ為に横浜鉄道によって東神奈川~八王子間が開業したのが始まりであり、開業当初は単線の非電化路線でありました。
当初の路線と駅、東神奈川~小机~中山~長津田~原町田(現、町田)~淵野辺~橋本~相原~八王子
全線電化されたのは、1941(S16)年4月5日のことで、当初は蒸気機関車牽引による貨物列車も混在していました。
蒸気機関車牽引による貨物列車は、1969(S44)年10月13日に廃止されたけど、晩年はC58型蒸気機関車が使われていたし。
横浜線に103系が導入されたのは、1972(S47)年10月のことで、当時は低運転台の初期型が使われ、前面に横浜線の表示がありました。当時は、ウグイス色と水色との混結編成も混在していたし。
横浜線に高運転台の103系が入ったのは、1977(S52)年で、この編成の導入により、73形(旧型国電)が置き換えられて、1979(S54)年9月30日にさよなら運転を迎えていました。
その翌年の1980(S55)年4月1日に原町田駅が小田急線の駅に移転されて町田総合駅となっていたけど、73形が町田駅に発着することはなかったということになりました。
1984(S59)年1月29日の京浜東北線・根岸線(蒲田~大船間)のATC化により、ATC付きの高運転台車(ウグイス色、前面の横浜線の表示付き)に統一され、1989(H元)年2月26日まで活躍していました。
横浜線に205系に導入されたのは、1988(S63)年9月22日のことで、山手線に続く導入として話題になっていたけど、当初は103系と同様の7両編成と中途半端な編成でした。
横浜線に205系が導入された時に、捻出された103系が、新木場、蘇我延長に伴う増備車として京葉線に転用されていたし。
そのうちのクハ103-713号車は、京葉線で活躍していた姿のまま、カットボディとしてさいたま市にある鉄道博物館で展示されているけど、かつて横浜線で活躍していたことを物語っています。
当時7両編成だった横浜線が、8両編成化されたのは、1994(H6)年12月3日のことで、205系でありながら209系の台車が採用された6ドア車のサハ204-100番台が連結されるようになっています。
28編成分のスタンプは、横浜線の20駅に加え、根岸線の横浜~磯子間の各駅と大船駅の8駅を含めたもので、H016編成には相模原駅のスタンプのステッカーが付いています。
これによりどのスタンプの編成に当たるのか楽しみにすることが出来ます。
昨日(2月24日)には、新津車両製作所製のH004編成(クハE233-6004F)が新津から大船まで配給輸送されていました。
大宮~鶴見間は、武蔵野線経由で、全区間EF64-1031号機による牽引だったし。
H001編成の初日である2月16日には、横浜線沿線に雪が残っていたので、1月22日の新津からの配給輸送(豪雪地帯を通っていた)に続いて雪の中を走行していたことになります。
このH016編成を含めた総合車両製作所横浜事業所製のE233系は、逗子から大船まで、公式試運転を兼ねた自力回送が行われているので、定期運転では実現しなかった古都鎌倉を走るシーンも見られています。
横浜事業所から逗子までは、京急逗子線との共用区間を除いて非電化区間であるので、当然ディーゼル機関車による牽引が行われているし。
現在は、ヘッドマーク付きのH001編成とH016編成のほか、ヘッドマークなしのH017編成とH019編成も営業運転入りしていたことを確認しています。