今月22日は、新線新宿から桜上水まで、京王9000系の9730Fによる臨時列車である高尾山冬そば号に乗りました。
こちらは、毎年この時期に行われている高尾山の冬そばキャンペーン(今年は12回目)に合わせて、大島から高尾山口まで臨時運転されており、京王電鉄と東京都交通局のクレジット入りの特製ヘッドマークが付いていました。
高尾山の冬そばキャンペーンは、高尾山の名物であるとろろそばの店が紹介されています。
高尾山冬そば号の停車駅は、都営新宿線の各駅、新線新宿、初台、幡ヶ谷、笹塚、明大前、桜上水、千歳烏山、つつじヶ丘、調布、東府中、府中、分倍河原、聖蹟桜ヶ丘、高幡不動、北野、めじろ台、高尾、高尾山口と、京王線では急行運転となっていました。
この日は、お台場のZepp Tokyoで行われたモーニング娘。'14のFCイベントに行っていた絡みで桜上水で降りていたけど、本当は高尾山口まで乗って行きたかったです。
高尾山口では、乗車記念のオリジナル箸入れが貰えていたところだったし。
この日の高尾山は、巻き上げ機更新工事によりケーブルカーが運休となっていたけど、4月上旬まで運休予定となっています。
高尾山冬そば号は、今年で9回目の運転で、京王9000系の30番台(都営線直通仕様)が使われているけど、過去には6000系も使われていたこともありました。
この日は、京王れーるランドにある6438号車に高尾山冬そば号のヘッドマークが取り付けられていたし。
京王9000系の30番台は、6000系の置き換え用として、2006(H18)年から2009(H21)年までの間に20編成200両が日本車輌で製造された10両固定、都営新宿線直通バージョンで、前面の貫通ドアの部分が平らとなっています。
京王9000系がデビューしたのは、2001(H13)年1月24日のことで、当初導入された編成は8両2編成で、2004(H16)年までに9008Fまで導入されていました。8両編成は、日本車輌のほか、東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)でも製造されていたし。
10両固定編成は、2006(H18)年3月15日にデビューしていたけど、当時は都営新宿線の10両編成の運転が平日の朝ラッシュ時に限られていたので、都営新宿線の直通に使われる以外は、京王線内での運用がメインでした。
同年9月1日の都営新宿線直通列車の10両運転の拡大により、本格的に使われるようになり、6000系が2+8の10両固定編成扱いとされていました。
今回の高尾山冬そば号に使われていた9730Fは、2009(H21)年に導入されていた最終増備車で、番号がパンクした為に9730番台を名乗っています。
この編成の特徴は、前面のKEIOのロゴマークが、ヘッドライトの上の赤帯部分ではなく、ヘッドライトの下にあることで、ネタとなった編成が今年の高尾山冬そば号に使われていたことは嬉しいことだと思っています。
都営新宿線から高尾山口への直通は、1997(H9)年12月24日から行われ、現在は、朝の高尾山口行きだけでなく、平日の夕方以降の上下にも拡大されています。
京王高尾線が開業したのは、1967(S42)年10月1日の山田~高尾山口間のことで、そのうちの北野~山田間は、1931(S6)年3月20日に開業、1945(S20)年1月に休止となった御陵線(北野~山田~御陵前(後の多摩御陵前)間の線路が転用されたもので、御陵線の片倉駅が京王片倉駅に変更されていました。
高尾山口駅の開業により、新宿と高尾山麓が乗り換えなしで結ばれ、高尾山へのハイキングのアクセス路線にも使われるようになっていました。
画像を撮影した桜上水駅は、1983(S58)年まで、車両基地や車両工場もありました。現在の若葉台に検車区と工場が移転されてからは、工場跡地が住宅展示場となり、車両基地が電留線(若葉台検車区桜上水派出所)と化しています。
1926(T15)年4月28日に開業した当時は、北沢車庫前(後の京王車庫前)と呼ばれていたので、昔路面電車だったことを物語っています。
桜上水の地名や駅名は、駅の北側を流れていた玉川上水沿い(現在は暗渠化されている)の桜並木に由来しています。
今回は高尾山冬そば号を初めて撮影出来て良かったと思っています。