続いては、2月4日に、京王線の笹塚駅で撮影した、都営新宿線の10-300R形10-330F(笹塚止まりの列車)で、今回編成全体を撮影することや、笹塚から新線新宿まで、それに乗ることが出来ました。
京王線の笹塚駅は、1978(昭和53)年7月21日に高架化された2面4線の駅であり、外側が京王線(京王線新宿発着)、内側が京王新線(都営新宿線直通)が入っているので、1社乗り入れ駅でありながら、東急東横線・地下鉄日比谷線の中目黒駅、小田急線・地下鉄千代田線の代々木上原駅、東武東上線・地下鉄有楽町線・副都心線の和光市駅と同じような雰囲気があります。
代々木上原駅は、同じ渋谷区に位置しているし。
笹塚駅の代田橋寄りには、折り返し線が2本あり、そのうちの1本が8両編成までしか入れなかったけど、改良によりどちらも10両編成が入れるようになった為に、京王車に限られていた都営新宿線の10両運転が都営車にも拡大されていたのであります。
都営車の10両運転が開始されたのは、2010(平成22)年6月1日のことであり、10-300形の一部が10両化されていたし。
京王新線は、1978年10月31日に、輸送力増強及び、1980(昭和55)年3月16日の都営新宿線との直通運転に備えて開業した、新宿~笹塚間の複々線部分であり、本線(京王線)側にあった初台駅と幡ヶ谷駅が新線にシフトされていました。
地下に眠るホームとして有名な初台駅の旧ホーム跡は、18m6両分までしか止まることが出来なかった島式ホームで、現在のような20m車の10両編成への改良が困難であったので、初台駅の新線へのシフトが妥当であったし。
新線にシフトされる前の初台駅と幡ヶ谷駅は、各停しか止まらなかった駅であり、新線にシフトされてからは、全ての列車が止まるようになっています。
京王新線と都営新宿線の新宿駅が、地下5階部分と深い場所にあるのは、上越新幹線の新宿乗り入れ計画の名残であり、地下鉄丸ノ内線と都営新宿線の間の地下に出来るはずでした。
都営大江戸線の新宿駅がそれよりも深い場所となってしまったのはその為であるし。
当初は、東北新幹線は東京、上越新幹線は新宿発着と分けられ、大宮駅で相互に接続するという計画があったけど、反対があったことに加え、東京発着に統一させる必要があったことにより幻となっていました。
現在は東京~大宮間が飽和状態となっているけど、いざという時に大宮または上野発着の臨時列車を運転されることによって補うことも出来るし。
これにより、上野駅の新幹線ホームが、日本の新幹線で唯一の地下駅となっています。
北海道新幹線の通る青函トンネルにも、新幹線の開業により正式に廃止された2つの海底駅(竜飛海底、吉岡海底両駅)の跡(現在は竜飛定点、吉岡定点と呼ばれている)があり、新幹線の車窓から眺めることも出来ます。
こちらは、京王線の旧初台駅跡や京成線の博物館動物園駅跡などとは違い、高速で通過していくことになるし。
竜飛海底駅と吉岡海底駅は、実際に見学することが可能だったけど、新幹線車両では支障を来すようになった為に廃止されたのであります。
吉岡海底駅は、海面下149.5mと、日本並びに世界の鉄道駅で最も深い場所にあったし。
これらの海底駅跡も、京王線の旧初台駅と共に非常用の通路の役割を果たしています。
京王新線の初台駅は、地下2階が上り線(新宿、本八幡方面)、地下3階が下り線(笹塚、京王八王子、高尾山口、橋本方面)という上下式となっており、中央口が新国立劇場、東口が東京オペラシティに直結しています。
新国立劇場は渋谷区本町、東京オペラシティは、横にあるロッテ(菓子メーカー)やその系列のハンバーガーショップであるロッテリアの本社と同様に新宿区西新宿に位置しているし。
東京オペラシティには、マニュライフ生命保険の本社も入っているので、初台駅にマニュライフ生命本社最寄駅の表示があります。
初台駅の接近メロディーは、新国立劇場があることに因み、一昨年12月28日から1番線(下り線)が、バレエ「眠れぬ森の美女」から「ガーランドワルツ」、2番線(上り線)が、オペラ「アイーダ」から「凱旋行進曲」が使われています。
その前の12月15日から27日のクリスマスシーズンには、バレエ「くるみ割り人形」から「行進曲」の接近メロディーが期間限定で使われていたけど、昨年のクリスマスシーズンにも使われていたし。
初台駅がこのような上下式となったのは、本線(京王線)の地下区間との干渉を防ぐためであります。
初台駅が開業したのは、1914(大正3)年6月11日のことで、当初は改正橋駅と呼ばれていました。
初台駅となったのは1919(大正8)年9月のことであり、1964(昭和39)年6月7日に地下化される前は、幡ヶ谷駅と同様に2面2線の地上駅となっていました。
初台駅は、1964年の地下化、1978年の新線へのシフトにより2回移転された駅となっているし。
初台駅の地下化は山手通りとの交差の絡みにより、1964年10月に開催された東京オリンピック1964に間に合うように行われていたことが分かります。
その前年の1963(昭和38)年4月1日に新宿駅付近から地下化されたのは、残されていた併用軌道を解消させる為であり、東京オリンピック対策もありました。
1978年の開業当時の京王新線は、6000系が当たり前であり、京王線との直通列車のほか、新線新宿~笹塚間の折り返し列車も運転されていました。
1996(平成8)年12月まで活躍していた5000系は、車両限界の絡みにより京王新線に入ることが出来なかったし。
幡ヶ谷駅は、地上時代と同じ2面2線の地下駅だけど、新線へのシフトと共に地下駅に移転されていたので、事実上の地下化となっていました。
旧幡ヶ谷駅跡は、1983(昭和58)年の地下区間の再延長により、完全に失われていたし。
笹塚駅の京王線の地下トンネルの入口は、京王線の下り線(京王線新宿からの路線)が、踏切の解消により京王新線に揃えられているけど、京王線の上り線は、京王新線との交差の絡みによりトンネルの入口が幡ヶ谷駅寄りにずれています。
これにより、京王線新宿~笹塚間に上り線(京王線新宿方向)だけ踏切が残る結果となっているし。
京王新線の新宿駅は、都営大江戸線への乗り換えのほか、南口方面や昨年4月4日に開設された総合高速バスターミナルであるバスタ新宿に行く時にも便利であります。
バスタ新宿では、中央高速バスなどの京王グループによる高速バスも出ているので、このこともアピールされているし。
10-300R形の編成全体を撮影した時には、10-300Rらしさを感じたけど、それが見納めとなってしまうことで寂しさを感じました。
この時は夜だったけど、10-300R形の編成全体を良い感じで撮影することが出来て良かったです。