6月15日は、新御茶ノ水から代々木上原まで、東京メトロ千代田線の6000系6129Fによる代々木上原行きに乗りました。
今年5月14日には、小田急線の無線装置がデジタル式へと更新されたことにより、全廃間近の東京メトロ6000系への取り付けが見送られた為に小田急線への乗り入れが5月12日をもって終了していました。
5月14日からは、昨年5月まで活躍していた6101Fの時と同様に、小田急線への乗り入れが不可能となり、平日朝と夕方以降の小田急線に乗り入れない運用に限定運用されるようになっています。
平日の31S運用もその一つであり、朝の運用を終えた後に昼寝してから霞ケ関始発の夜の運行に入ることになるけど、6000系が使われるとは限らない状態であります。
これまでは、16000系の5編成(16119,16120,16121,16125,16126F)が小田急線に乗り入れることの出来ないサークルE編成となっていたけど、これらの編成に小田急線のデジタル式無線装置が搭載されてサークルEが解除され、小田急線乗り入れ運用に進出し、入れ替わりに6000系の5編成が小田急線乗り入れから撤退し、サークルKステッカーのない小田急線乗り入れ非対応車となってしまったのであります。
対象となった6000系のうち、6120Fがすぐに運用離脱され、残りの6102,6122,6129,6130Fの4編成が最後の活躍をしています。
そのうちの6102Fは、営団地下鉄の時代の1970(昭和45)年に製造され、翌年の1971(昭和46)年3月20日の大手町~霞ケ関間の開業の時に営業運転入りしていた6000系の量産車第一号であり、車内に1972(昭和47)年度のローレル賞のプレートが付いています。
最後まで残された初期型の6000系でもあり、客用扉が小窓であること、扇風機が付いていることなどが特徴であるし。
初期型6000系では、かつて山手線や京浜東北線などで活躍していた103系のATC仕様車と同様に、運転台後部の窓が右側の乗務員室扉にしかない為に、前面展望が地上線であっても細長い窓の分しかないです。
これは、貫通扉部分に窓がない為であり、似たようなスタイルである京都市営地下鉄(京都市交通局)烏丸(からすま)線の10系初期型車(1101~1109F)もこうなっているし。
1988(昭和63)年の竹田までの延長及び近鉄線との直通運転開始の時に導入された1110F以降の編成は貫通扉に窓が取り付けられています。
当時はATC装置が運転台後部に取り付けられていた為に前面展望の妨げとなっていたけど、床下に取り付けられるようになってからは前面展望出来るようになったし。
1974(昭和49)年10月30日の有楽町線(池袋~銀座一丁目間)の開業の時に導入された7000系からは、運転台の真後ろにも小さい窓が取り付けられ、6000系の後期型(6122F以降)や半蔵門線の8000系にも受け継がれていました。
千代田線と小田急線の直通運転は、1978(昭和53)年3月31日の代々木公園~代々木上原間の開業と共に開始され、営団は6000系、小田急は9000形が使われていたけど、当時は月曜日から土曜日までの間で本厚木発着の準急列車(当時は全列車経堂駅を通過していた)が当たり前となっていました。
小田急9000形は、1990(平成2)年に1000形に置き換えられる形で乗り入れ運用から撤退し、2006(平成18)年3月17日まで小田急線内の列車に使われていたけど、特殊な部品が使われていたことが仇となり、部品確保が困難となってきたことにより、5000形よりも先に全廃されていました。
2006年5月13日に唐木田の車両基地(唐木田車庫)で行われた9000系のさよなら展示会で6000系と並べられていたことがあったけど、6000系が小田急線乗り入れから撤退してからはどちらも過去のものとなっています。
昨年3月26日には、メトロの車両の本厚木への乗り入れが2003(平成15)年3月29日の改正で一旦廃止されて以来13年ぶりに復活していたけど、6000系の本厚木乗り入れも復活していました。
たった1編成しかなかった06系は、一昨年廃車となった為に、06系の本厚木乗り入れが2003年3月に終了していたし。
千代田線の6000系は、1968(昭和43)年に6000ハイフンと呼ばれる第一次試作車、1969(昭和44)年に量産先行車でもある第二次試作車の6101Fがそれぞれ導入され、1970年から1990(平成2)年に掛けて量産車が34編成340両導入されていました。
1981(昭和56)年に6122~6128Fが導入されたことにより、1969年12月20日の北千住~大手町間の開業の時から使われていた5000系が置き換えられ、北綾瀬支線残留の2編成を除いて東西線に転用されていました。
千代田線の開業当時は6101Fが試運転の段階であったので、専ら5000系が使われていたけど、5000系は1978年3月31日以降に小田急線に乗り入れることが出来なかったし。
今回乗った6129Fは、1984(昭和59)年に輸送力増強用として日本車輌で製造された編成であり、車体更新と共に、日立製の2レベル方式のVVVFインバータ装置(5M5T)に交換されています。
新御茶ノ水駅は、JR御茶ノ水駅と都営新宿線の小川町駅の中間にあるシールド駅であり、JR線の御茶ノ水駅聖橋口に近づける為に長いエスカレーターがあるのが特徴であります。
壁は明るい色であり、月の和名と二十四節気のモザイク壁画があるのが特徴であるし。
新御茶ノ水駅付近はかつて日立製作所の本社があったことで有名であり、2006年に日本生命丸の内ビル(丸の内オアゾ)に移転されていました。
その跡地は御茶ノ水ソラシティ(新御茶ノ水駅と直結)となっているし。
千代田線の路線
(JR常磐緩行線、取手まで直通運転)←綾瀬~北千住(R)~町屋~西日暮里~千駄木~根津~湯島~新御茶ノ水~大手町(R)~二重橋前~日比谷~霞ケ関(R)~国会議事堂前~赤坂~乃木坂~表参道(R)~明治神宮前(原宿)~代々木公園~代々木上原→(小田急線へ直通運転)
北綾瀬支線 北綾瀬~綾瀬
R印は小田急ロマンスカー(60000形MSEによる運転)の停車駅で、メトロ線のみの利用が不可能となっています。
乗換駅
綾瀬 千代田線⇔北綾瀬支線、JR常磐緩行線(我孫子(朝夕は取手)まで直通運転)
北千住 日比谷線、JR常磐快速線(一部は上野東京ラインとして品川まで直通運転)、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)、つくばエクスプレス線
町屋 京成本線、都電荒川線(東京さくらトラム、町屋駅前電停)
西日暮里 JR(山手線、京浜東北線(日中は快速運転の為に通過))、日暮里・舎人ライナー
新御茶ノ水 JR(中央快速線、中央・総武緩行線(御茶ノ水駅))、都営新宿線(小川町駅)、丸ノ内線(淡路町駅)
大手町 丸ノ内線、東西線、半蔵門線、都営三田線
日比谷 日比谷線、都営三田線、有楽町線(有楽町駅)
霞ケ関 丸ノ内線、日比谷線
国会議事堂前 丸ノ内線、南北線・銀座線(溜池山王駅)
表参道 銀座線、半蔵門線
明治神宮前 副都心線、JR山手線(原宿駅)
代々木上原 小田急線(唐木田または本厚木まで直通運転)
町屋、西日暮里、千駄木、根津の各駅は、上下二層式となっており、A線(代々木上原、小田急線方面)が上のホーム、B線(綾瀬、JR常磐緩行線方面)が下のホームからの発着となっています。
6000系のうち、VVVF化された編成は、6101,6102,6104,6108,6109,6114,6116,6117,6118,6119,6120,6121,6122,6124,6128,6129,6130,6131,6132Fであり、VVVF化されなかった他の編成は、2012(平成24)年9月までに16000系の初期型に置き換えられていました。
後期型のうち、車体更新されなかった6123,6125,6126,6127,6133,6134,6135Fは幕式のまま最後を迎えていたし。
一昨年9月からは、16000系の導入が再開され、06系の廃車に続いてVVVF化された6000系も順次置き換えられています。
昨年6月20日には、6000系で最後の原型窓(田の字状の2枚窓車)が全廃されていたし。
以前当たり前のように見られていた6000系は、今年度中に16000系に全て置き換えられる予定となっており、全廃までのカウントダウンに入っています。
5月12日まで小田急線へも乗り入れ、毎日運転されていたけど、5月15日からは平日のラッシュ時しか運転されなくなってしまったことで寂しさを感じました。
この日は、秋葉原のAKIBAカルチャーズ劇場で行われたFullfull☆Pocket(フルフルポケット)の平日定期公演に参戦した後、新御茶ノ水駅まで歩いて行き、ここから6000系に乗ることが出来たのであります。
このように、新御茶ノ水から代々木上原まで千代田線の6000系に乗ることが出来て良かったです。
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カウントダウンを迎えた千代田線の6000系 6129F
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