
このラッピングは、1927(昭和2)年8月28日に、渋谷~丸子多摩川(現、多摩川)間が前身の東京横浜電鉄によって開業し、東横線になってから今年で90周年を迎えたことにより施されたものであり、1954(昭和29)年にデビューし、1980(昭和55)年まで東横線で活躍していた青ガエルこと初代5000系がイメージされています。
初代5000系自体は、1986(昭和61)年6月に目蒲線(現在の目黒線の一部と東急多摩川線)を最後に全廃されていたけど、地方私鉄に譲渡された初代5000系は、昨年2月14日の熊本電気鉄道上熊本線(熊本県)でのさよなら運転を最後に完全に全廃されていました。
現在は渋谷駅のハチ公口に初代5001号車が展示されているので、5122Fと照らし合わせることが出来ます。
5122Fは、2009(平成21)年に7両が東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)で製造され、5117Fに連結されていた5417→5522号車が組み込まれて8両化されていました。
東横線の新5000系は、5118,5119,5121,5122Fの4編成あり、そのうちの5121Fは田園都市線(10両編成)での運用実績があるけど、5118,5119,5122Fは田園都市線用となるはずだった車両となっています。
5122Fの元町・中華街寄りの先頭車であり5822号車は、新製当初5022号車を名乗っていたのはその為であったし。
当時は、6ドア車の組み込みが進められていた為に4ドア車が余っていた時代でありました。
田園都市線の 6ドア車から新4ドア車への差し替えは、山手線のE231系と同じような手順で行われていたけど、6ドア車の廃車発生品の一部が、大井町線の急行専用車である6000系の7両化用の中間車に転用されています。
新5000系の実際に東横線用となってからは、帯が貼り替えられただけで、青系の内装はそのままであるし。
これらの編成は、副都心線、西武池袋線、東武東上線直通対応に改造されているので、そのまま東横線に残されることになります。
このような5000系リバイバルのラッピングは、5050系に施されることが予想されていたけど、新5000系に施されたことで5000系への拘りがあることが分かります。
この日(9月4日)は、青ガエル風ラッピング電車の初日であり、平日16K運用に使われていました。
朝には、石神井公園まで乗り入れていたので、初日から西武池袋線に入っていたし。
この時に乗った列車は、元町・中華街発和光市行きで、元町・中華街から渋谷まで急行となっていました。
副都心線の各停は、大部分が8両編成であるけど、東横線、みなとみらい線で急行となる列車に関しては、8両編成と10両編成が混在しています。
東横線、みなとみらい線の各停は、8両編成に限定されているので、副都心線直通列車も必然的に8両編成となるし。
各停の場合は、優等列車の待避が行われるので、その合間に撮影することも可能であります。
和光市駅が東上線の駅として開業したのは、1934(昭和9)年2月1日のことであり、当初新座郡新倉村にあったことから、ひらがなの「にいくら」駅と呼ばれていました。
同年7月12日には、にいくら駅から新倉駅となり、1951(昭和26)年10月1日には、大和町(やまとまち)駅に変わっていました。
北足立郡大和町は、1943(昭和18)年4月1日に、白子村との合併により出来た和光市の前身であり、1970(昭和45)年10月31日には、市制施行により、現在の和光市となっています。
大和町駅から和光市駅となったのは、1970年12月20日のことであるし。
和光市の由来は、大和の和に栄光の光が組み合わされたものであり、大和町からの門出に相応しいと思っています。
1987(昭和62)年8月25日の営団地下鉄(現、東京メトロ)有楽町線の和光市~営団成増(現、地下鉄成増)間の開業により、東武東上線との直通運転が行われるようになり、和光市~志木間も複々線化されていました。
今年8月25日には、東武東上線と地下鉄有楽町線の直通運転や和光市~志木間の複々線化30周年を迎えていたので、和光市駅にこれらの記念表示がありました。
この日は奇しくも自分(しゃもじ)がAQUOSRことSHV39でスマホデビューした日でもあるし。
30年の間に、有楽町線直通列車のみならず、副都心線や東急東横線直通列車も加わったことにより時代は変わったなと思いました。
和光市駅には、西武6000系が乗り入れることもあるし。
東急電鉄の車両の営業運転としての埼玉県への乗り入れは、2003(平成15)年3月19日の地下鉄半蔵門線の水天宮前~押上間の開業に伴う東武伊勢崎線(現在の東武スカイツリーライン)との直通運転開始の時からであり、2013(平成25)年3月16日の東急東横線の渋谷~代官山間の地下新線への移設に伴う副都心線との直通運転開始により、西武池袋線や東武東上線へも拡大されています。
東横線の5050系の8連、新5000系や横浜高速鉄道所有のY500系は、副都心線の和光市~渋谷間のほか、東武東上線の和光市~志木間、西武池袋線、有楽町線の小竹向原~飯能間への乗り入れも行われているし。
5050系4000番台のうち、一部の編成が8両編成に短縮されており、和光市では、そのうちの4105Fとの並びが見られていました。
改良される前の大和町→和光市駅は、1面2線の島式ホームの地平駅であり、現在の下りホームのある場所に駅舎(当時は南口の1ヶ所だった)がありました。
有楽町線乗り入れにより、急行が停車するようになり、北口も新設されていたし。
東急東横線の中目黒駅も似たような構造であり、日比谷線乗り入れと共に改良されていました。
中目黒駅も、代官山、祐天寺、学芸大学(旧、碑文谷→青山師範→第一師範)、都立大学(旧、柿の木坂→府立高校前→府立高等→都立高校)、自由が丘(旧、九品仏前→自由ヶ丘)の各駅と共に開業90周年を迎えていたし。
今から10年前の2007(平成19)年には、5050系の5159Fによる東横線開業80周年記念ラッピング電車が運転されていたけど、当時は渋谷駅が地上駅であり、元住吉駅が高架化される前でありました。
元住吉駅は、2006(平成18)年9月24日に高架化された通過線のある2面6線の駅(東横線と目黒線)であり、2階がプラットホーム、3階が改札、コンコースから成っています。
プラットホームが東横線と目黒線の車両基地である元住吉検車区の真上にある為に元住吉駅での出入庫が不可能であるので、武蔵小杉または日吉駅での出入庫となるし。
土休日に西武40000系によって運転されるS-TRAINの2号と3号(飯能発着)では、元住吉検車区に間合いで入庫することになるので、営業運転開始前の試運転を思い出します。
緑色の青ガエル風のラッピングは、新5000系にも似合っていると思います。
こちらは、9月4日から約1年間運転される予定であり、日によって運用が異なります。
このように、東急5122Fによる青ガエル風のラッピング電車に乗ることや、和光市駅でそれを撮影することが出来て良かったです。