
この時に乗った列車は、高麗川駅の2番線を14時33分に発車する高崎行きの241Dであり、ワンマン運転が行われている為にワンマンの表示となっています。
高麗川~高崎間(八高北線)の運転本数は、高麗川~高崎間が16往復、高麗川~小川町間が4往復、小川町~高崎間が1往復、児玉~高崎間が3往復であり、八王子~高麗川間よりも少ないことが分かります。
八王子~高麗川間の区間運転は、非電化時代から行われているし。
1987(昭和62)年頃には、八高線でキハ30系列やキハ38形のほか、キハ45形やキハ40形も使われていたこともありました。
キハ45形は、1987年7月の会津線の第三セクター化(会津鉄道への移管)により転用された車両であったけど、すぐに運用離脱されていたし。
キハ35形では、1963(昭和38)年に非電化だった房総地区(房総西線(現、内房線)と房総東線(現、外房線)中心)向けに東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)で10両製造されたステンレスバージョンの900番台(901~910号車)もありました。
こちらは当初銀色の無塗装で活躍していたけど、1974(昭和49)年10月の北総地区の路線の電化により、高崎地区(八高線)に移り、八高線では、1987年、相模線では1991(平成3)年3月16日の全線電化の時まで活躍していました。
そのうちのキハ35 901号車は、晩年の朱色塗装のまま碓氷峠鉄道文化むらで静態保存されています。
相模線のキハ30系列は、1986(昭和61)年から1991年までの間、ステンレス車を含めて、クリーム色に青帯の相模線塗装となっていました。
群馬藤岡駅は、群馬県藤岡市の中心にある駅であり、先に開業した東武日光線の藤岡駅(栃木県栃木市藤岡町)があることにより、群馬藤岡と呼ばれています。
旧国名である上野(こうずけと読む)だと上野駅と混同する恐れがあるので、群馬の付く駅となっているし。
こちらは、上越線の群馬総社駅、信越線(高崎~横川間)の群馬八幡駅、吾妻線の群馬原町駅と群馬大津駅でも言えることであります。
上信電鉄の場合は、上州新屋、上州福島、上州富岡、上州七日市、上州一ノ宮と、上州の付く駅名となっているし。
北藤岡駅は、1931(昭和6)年7月1日の開業当時は、小野信号所となっていました。
駅に昇格され、北藤岡駅となったのは、1961(昭和36)年2月21日のことであり、八高線側のみにホームが設置されていたし。
北藤岡駅を出た後すぐに高崎線と合流し、倉賀野駅へ。倉賀野駅から高崎線に乗り入れて高崎駅の3番線に到着。
こちらは、かつてキハ110系列が活躍していた水郡線の安積永盛~郡山間に似ているところがあります。
倉賀野駅は、日本オイルターミナル(JR貨物グループ)の高崎営業所(油層所)があるので、郡山駅(福島県郡山市)と同様にタンク車が盛んに乗り入れているし。
根岸駅(横浜市磯子区)と倉賀野駅を結ぶタンク車による高速輸送列車もあるけど、川崎貨物駅での継走も行われることもあります。
八王子にもタンク車があるのは、日本オイルターミナルの八王子営業所との絡みもあるし。
日本オイルターミナルの営業所は、盛岡、郡山、高崎(倉賀野)、宇都宮、八王子、松本(南松本)、高知にあるけど、かつて札幌、旭川、帯広、上田(西上田)らにもありました。
高崎駅の3番線(八高線専用ホーム)は、2,4番線の奥(倉賀野寄り)にあり、気動車しか発着しないのにも関わらず電化されています。
ワンマン列車の場合は、発車ベルが鳴らないので、注意を促す表示もあるし。
この点も、郡山駅の水郡線専用ホームの3番線(2,4番線の奥)に似ている点があります。
2014(平成26)年10月18日には、12系客車+DD51型ディーゼル機関車のプッシュプルによる八高線全線開業80周年記念号が運転され、八王子から高崎までの直通列車が1日限りで復活していました。
10月14日の改正では、黒磯駅構内の完全直流化工事(デッドセクションの黒磯~高久間への移設)の進捗により、黒磯~新白河間がE531系3000番台(5両編成)またはキハ110系に置き換えられる予定であり、郡山、福島方面へは、新白河駅での乗り換えが必要となります。
キハ110系は、Dの付く列車に使われるけど、車両のほうは、郡山総合車両センター所属の車両(磐越東線と共通)が使われることになるし。
このように、高麗川から高崎まで八高線のキハ110系に乗ることや、それを話題にすることが出来て良かったです。