
昨日(6月16日)は、渋谷から吉祥寺まで、京王電鉄井の頭線の1000系20番台(新1000系)1724F(サーモンピンク色の編成)による、各停吉祥寺行きに乗りました。
この時には、東松原駅で、あじさいライトアップが行われていた絡みにより、この1724Fにヘッドマークが取り付けられていました。
井の頭線の1000系では、ヘッドマーク受けが前面の車番のところにあるので、ヘッドマークが取り付けられている時に車番が隠れてしまいます。
井の頭線の1000系は、1996(平成8)年1月9日にデビューした、京王線系統と同等の4ドア20m車であり、3000系(2011(平成23)年11月まで活躍していた3ドア18m車だった車両)の置き換え用として、2010(平成22)年までの間に5連29編成が導入されていました。
こちらは、1995(平成7)年から2004(平成16)年までに15編成導入された初期型と中期型(0番台)と、2008(平成20)年から2010年までに14編成導入された後期型(20番台)に分かれており、後期型は、前面の行先表示がビルトインされ、顔付きも3000系のリニューアル車に近い感じとなっています。
これらの編成により、4ドア20m車の5両編成に統一されたけど、同じ5両編成だった3000系以前の3ドア18m車と比べて定員が増加しています。
このことで、1989(平成元)年までの東急大井町線で、3ドア18mの6両編成(初代7000系)と、4ドア20m車が混在していたことを思い出しました。
1000系の車両メーカーは、初期型の1705,1706,1708Fが日本車輌製造で、他は全て3000系と同じ東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)であります。
井の頭線名物の7色のレインボーカラーは、3000系から受け継がれているもので、ブルーグリーン(水色)、アイボリー、サーモンピンク、ライトグリーン(抹茶色)、バイオレット(紫色)、オレンジベージュ、ライトブルーから成っています。
これらの色は、順番に施されているけど、2004年の1715Fがブルーグリーン、1721Fがライトブルーと、例外的に飛ばされています。
1706Fと1713Fは、以前3000系と同様のベージュ色となっていたけど、明度不足により、1727Fからオレンジベージュ色となり、1706Fと1713Fも、ベージュ色からオレンジベージュ色に変更されていまし。
1729Fは、2012(平成24)年10月3日から、レインボーカラーのラッピングが施されており、1年間の運転予定が好評により延長され、現在でもこうなっています。
1995年から1998年に掛けて製造された初期型の1000系は、一昨年3月29日の1701Fを皮切りに行われ、現在までに1701,1702,1703,1704,1706,1707Fの6編成に施されているけど、1705,1708,1709,1710Fが未施工(うち3編成は今年度中にリニューアル化予定)となっています。
初期型は、中間の3号車がT車という2M3T(奇数番はGTO、偶数番はIGBT)で、雨天時での空転や滑走が問題となっていたので、2003(平成15)年に導入された1711FからはIGBTに統一されたと共に、3000系と同じ3M2Tに戻されています。
リニューアル車では、VVVFインバータ装置の更新と共に3M2T化され、サハ1500形からデハ1050形への変更(例、1501号車→1051号車)も行われています。
内装は、初期型が同時期に製造されていた京王線系統の8000系、中期型が9000系0番台、後記型が9000系30番台に準じており、初期型1000系のリニューアル車では、ドアが交換され、JR東日本のE233系(吉祥寺駅で接続する中央快速線、渋谷駅で接続する埼京線や湘南新宿ラインの車両)に準じた形状となっています。
京王井の頭線の路線
渋谷~神泉~駒場東大前~池ノ上~下北沢~新代田~東松原~明大前~永福町~西永福~浜田山~高井戸~富士見ヶ丘~久我山~三鷹台~井の頭公園~吉祥寺
急行の停車駅
渋谷~下北沢~明大前~永福町~久我山~吉祥寺
永福町駅では、各停と急行の待ち合わせが行われています。
春の花見シーズンの土休日には、井の頭公園駅に、東京大学(東大)駒場キャンパスでの入試やイベントが行われる時には駒場東大前駅に急行が臨時停車する場合があります。
乗換駅
渋谷 JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン(東海道線⇔高崎線、横須賀線⇔宇都宮線))、東急(東横線、田園都市線)、東京メトロ(銀座線、半蔵門線、副都心線)
下北沢 小田急線
明大前 京王線(新宿、京王八王子、高尾山口、橋本方面)
吉祥寺 JR(中央快速線、中央・総武緩行線)
駒場東大前駅は、1965(昭和40)年7月11日に駒場駅と東大前駅(文京区にある東京メトロ南北線の駅とは別)の統合により出来た駅(京王電鉄で唯一目黒区にある駅)であり、西側に駒場駅、東側に東大前駅がありました。
この駅名は、駒場駅と東大前駅があった頃の名残だけでなく、駒場の東大前(東大駒場キャンパス前)という意味も込められています。
駒場東大前駅は、京王電鉄管理の駅で唯一、京王管理の駅トイレが改札内外を問わずにない駅となっており、その代わりに西口側にある目黒区管理の公衆トイレを使うことになります。
東大の駒場キャンパス(教養学部)は、渋谷寄り(旧、東大前駅側)にある東口(橋上駅舎)側にあり、東大駒場キャンパスの正門がすぐそこであります。
井の頭線が開業したのは、前身の帝都電鉄(小田急系)の時代の1933(昭和8)年8月1日の渋谷~井の頭公園間のことであり、当時は、駒場東大前駅が東駒場(のちの一高前→東大前)駅と西駒場(のちの駒場)駅、明大前駅が西松原駅となっていました。
翌年の1934(昭和9)年4月1日に吉祥寺まで延長されて現在の路線となっています。
明大前駅となったのは、1935(昭和10)年2月8日のことであり、これまで京王線の駅は、火薬庫前→松原駅(東急世田谷線とは別)と呼ばれていました。
帝都電鉄は、1940(昭和15)年5月1日に小田急電鉄の前身である小田原急行鉄道と合併されて小田急井の頭線ならぬ小田急帝都線となり、その丸2年後の1942(昭和17)年5月1日に大東急として東京急行電鉄(東急)と合併されて東急井ノ頭線となり、1948(昭和23)年6月1日の大東急の崩壊により、京王電気軌道だった路線と合わせて京王帝都電鉄として独立され、井の頭線が京王のものとなっていました。
1998年7月1日に、京王(KEIO)ブランドの定着により、現在の京王電鉄となり、長年親しまれていた帝都の名が消えたのであります。
京王線の路線のうち、井の頭線だけが1067mmの狭軌となっているのは、小田急系だった帝都電鉄によって開拓されていたことの名残であります。
井の頭線の車両基地、工場は、富士見ヶ丘にあるけど、以前は永福町にありました。
永福町車両基地の跡地は、京王バスの永福町営業所の拡大用地に転用され、高速バス車両が停泊車を含めて並ぶようになっているので、賑やかとなっています。
井の頭線のナンバリングは、INであるので、永福町車庫に停泊することもある伊那バス(伊那・駒ヶ根エリアのバス会社)の高速バスでの2レターコードを思い出します。
井の頭線で急行運転が開始されたのは、1971(昭和46)年12月15日のことであり、それに合わせて永福町駅が2面4線化されていました。
井の頭線の急行は、渋谷~吉祥寺間最速16分と速いので、渋谷と吉祥寺の間の近道(ショートカット)として重宝されています。
東松原駅あじさいライトアップのヘッドマークは、今シーズンの最終日である今日(6月17日)まで取り付けられているけど、前後でデザインが異なっています。
相対式の2面2線である井の頭線の吉祥寺駅は、改札口(エンド)側で並びを撮影することが出来るのは良いけど、ホームドアの設置により反対側の先頭車を撮影することが不可能となっているので、渋谷寄りのヘッドマークは、吉祥寺以外の駅での撮影ということになります。
この日は、自分(しゃもじ)は行かなかったけど、東武宇都宮線で、無料乗車デーとして話題になっていました。
このように、京王井の頭線で、あじさいライトアップヘッドマーク付きの1724Fを撮影することが出来て良かったです。
画像は、永福町駅と渋谷駅で撮影したものであり、永福町駅では急行の待ち合わせの合間でありました。