
続いては、5月6日に、京王電鉄京王線の東府中駅で撮影した、京王新5000系(京王ライナーの車両)の5732Fと5735F(多摩動物公園開園60周年記念ヘッドマーク付き)による、臨時の府中競馬正門前発準特急新宿行き(京王ライナーの送り込み運用)です。
この日は、5732Fが、府中競馬正門前16時39分発の準特急新宿行きに使われ、新宿からの折り返しは、17時20分発の京王ライナー3号(橋本行き)となっていました。
改正前(昨年の秋競馬まで)は、府中競馬開催日に、競馬開催日名物だった、府中競馬正門前発、急行飛田給行きという列車もあったけど、今回の改正で廃止されていました。
こちらは、東府中から飛田給までノンストップで運転され、飛田給駅で各停新宿行きに接続していたので、東府中駅での階段等を使ってでの乗換を避ける役割もあったのであります。
飛田給駅は、味の素スタジアム(東京スタジアム)の最寄駅であり、2001(平成13)年3月の東京スタジアムの開設に合わせて上り線(調布、新宿方面)側に待避線のある2面3線の駅に改良されていたけど、来年9月から11月に掛けてラグビーワールドカップ2019が行われることに合わせて、ホームドア設置、エレベーター増設、トイレの改良等によって、リニューアルされることになります。
府中競馬正門前駅の前にある黄金の馬の銅像は、世界一美しい馬と言われているアハルテケ(トルクメニスタン原産の馬の品種)がモデルとなっており、その銅像を触ることによる必勝祈願の役割もあります。
黄金の馬の銅像は、府中競馬正門前駅を出て連絡通路に入る手前の左側にあるけど、広場となっているので、待ち合わせスポットとして使われています。
黄金の馬の銅像をチェックすればきっと勝てるので、ネスレ日本(Nestle)のチョコレート菓子である、キットカット(KitKat)と同様の役割となります。
黄金の馬の銅像を撮影し、スマホやガラケー(ガラホ)の待受画面にすることも出来るので、試してみるのも良いと思います。
幸運をもたらす効果のある待受画面と言えば、明治神宮御苑(明治神宮境内、入場には、御苑維持協力金 500円が必要)にある清正井(清正の井戸)が有名であり、現在は、花菖蒲も楽しむことも出来るので、一石二鳥であります。
清正の井戸は、とても清らかな井戸なので、癒しとなります。
府中競馬正門前からの臨時直通列車の新宿行きは、東府中駅の4番線から発車するので、通常の準特急の東府中駅での臨時停車と同じ状態であります。
競馬開催日には、特急や準特急の東府中駅での臨時停車が行われ、行きは、東府中駅で2番線からの府中競馬正門前行きに乗り換えることが出来ます。
東京競馬場の最寄駅は、府中競馬正門前のほか、京王線の東府中駅と府中駅、JR南武線・武蔵野線の府中本町駅、西武多摩川線の是政駅であり、西門と府中本町駅とは連絡橋で結ばれています。
武蔵野線の船橋法典駅は、同じ日本中央競馬会(JRA)による中山競馬場の最寄駅であるので、武蔵野線沿線に2つの競馬場があることが分かります。
東京競馬場は、1933(昭和8)年11月8日に、東京府目黒村(現、東京都目黒区)にあった目黒競馬場からの移転により開設された競馬場であり、東京都府中市にあることから、府中競馬場とも呼ばれています。
目黒通りにある元競馬場交差点や、東急バスの元競馬場前バス停の名は、目黒競馬場があった頃の名残であり、周辺には、目黒競馬場跡に因んだトウルヌソルという馬の銅像があります。
東京競馬場(府中競馬場)で行われている目黒記念のレースは、府中への移転の前年であった1932(昭和7)年4月に目黒競馬場で行われた第1回東京優駿大競争が行われたことに因んで名付けられたものであり、目黒競馬の名を後世に残す為のレースでもあります。
東京競馬場のある東京都府中市は、1954(昭和29)年4月1日に、北多摩郡の府中町、多磨村、西府村との合併によって出来た市であり、1933年の東京競馬場の開場当時は、府中町となっていました。
2009(平成21)年3月14日に開業した、JR南武線の西府駅は、その名の通り、合併前に西府村だった場所に出来た駅であり、府中の西側にある駅にも由来しています。
京王線の中河原駅は、1925(大正14)年3月24日に玉南電気鉄道の路線として開業した当時、西府村となっていました。
京王線の車返→武蔵野台駅、多磨霊園駅は、多磨村だった場所にあり、西武多摩川線の多磨(旧、多磨墓地前)~是政間も該当しています。
京王競馬場線は、1955(昭和30)年4月29日に開業した当時から東京都府中市全域を走っています。
東京都府中市の府中の由来は、武蔵国の国府か置かれていたことであるけど、広島県の府中市も、備後国の国府が置かれていたことが由来となっており、これらを区別する為に、前者は武蔵府中、後者は備後府中と呼ばれています。
このような同一市名は、北海道と福島県の伊達市も挙げれているけど、2006(平成18)年1月1日に福島県の伊達町、梁川町、保原町、霊山(りょうぜん)町、月舘町の合併により、福島県伊達市となり、府中市に続く2番目の同一市名となったのであります。
福島県の会津若松市は、1889(明治32)年4月1日の若松町の市政施行から、1955年1月1日に、北会津郡の湊村、一箕村、高野村、神指(こうざし)村、門田村、大戸村、東山村の編入により、会津若松市となる前は、若松市と呼ばれていました。
1914(大正3)年4月1日に、福岡県の若松町の市政施行により若松市となり、1955年に福島県の若松市が会津若松市に変更されるまでの間は、若松市が2つありました。
福岡県の若松市は、1963(昭和38)年2月10日に小倉市、八幡市、門司市、戸畑市との合併により、北九州市となり、同年4月1日の政令指定都市への移行により、北九州市若松区となっています。
広島県の府中市の市政施行は、1954年3月31日のことであり、その翌日の4月1日には、東京都にも府中市が出来たのであります。
広島県の府中駅は、JR西日本の福塩線の電化区間と非電化区間の境目にある駅であり、JR四国の徳島線(徳島県徳島市国府町府中)にある、府中(こう)駅と区別する為に、切符に(塩)府中と書かれています。
徳島の府中(こう)駅も、阿波国の国府があったことに由来していることが分かります。
JRの東海道線(上野東京ラインと湘南新宿ライン)と御殿場線(JR東海)が乗り入れている国府津駅(神奈川県小田原市)は、相模国の国府や港があったことが由来であり、1954年12月1日に小田原市に合併されるまで、国府津村と呼ばれていました。
このことも、国府繋がりによって話題にしたのであります。
東府中駅では、停車中の合間に、5735Fの正面を撮影することが出来ました。
5月5日に新宿→多摩動物公園間で運転されていた、多摩動物公園開園60周年記念の京王線スペシャル電車で、5735Fが使われていたのは、5月5日の縁もあります。
このように、東府中駅でも京王新5000系による競馬臨の準特急新宿行きを撮影することが出来て良かったです。