
こちらは、6月23日に小田急線の新宿駅で撮影した、30000形ロマンスカーEXEα(EXEのリニューアル車)の30252Fによるえのしま7号(片瀬江ノ島行き)です。
えのしま7号は、土休日のみ運転で、新宿駅の2番線を13時40分に発車した後、途中、新百合ヶ丘、相模大野、大和、藤沢に停車してから片瀬江ノ島へと向かう列車であり、30000形EXEまたはEXEαの6両編成(EXE6)が使われています。
土休日のえのしま号およびホームウェイ号の片瀬江ノ島発着の列車は、下り8本、上り5本であり、江ノ島または鎌倉への観光客がターゲットとなっています。
こちらとは別に、60000形MSEの4両編成による地下鉄千代田線直通のメトロえのしま号(下り2本、上り1本、北千住~相模大野間はメトロはこね号と併結)が運転されているけど、大和駅通過なので、昔のえのしま号を思い出してしまいます。
えのしま号が大和駅に停車するようになったのは、30000形EXEがデビューした1996(平成8)年3月23日のことであり、当時は30000形EXEのほか、3100形NSE車や、今日定期運用最終日を迎える7000形LSE車も盛んに使われていました。
大和駅は、1929(昭和4)年4月1日の開業当時は、神中鉄道(現、相模鉄道)の大和駅(当時は瀬谷(横浜)寄りにあった)と離れていた為に、小田急の駅が西大和駅と呼ばれていました。
1944(昭和19)年6月1日には、相鉄の駅が小田急線側に移設されて大和総合駅となり、1993(平成5)年8月1日に相鉄の駅が地下化、翌年の1994(平成6)年11月1日に小田急の駅が高架化されて現在の形となっています。
高架化される前の小田急線の大和駅は、2面2線の盛土式の高架駅で、改良前の豪徳寺駅や小田急登戸駅みたいな感じとなっていました。
小田急大和駅が高架化され、2面4線化されたことにより、優等列車の待避が可能となり、ロマンスカーが止まるようになったのであります。
大和駅の出入口及び改札は、北側の相鉄口(相模鉄道による管理)と、南側の小田急口(小田急電鉄による管理)に分かれているけど、今年3月16日までの間は、中間改札を通らずに小田急線⇔相鉄線間の乗り換えが可能となっていました。
今年3月17日には、中間改札が設けられるようになり、小田急線から北口(相鉄口)に、相鉄線から南口(小田急口)に出る時も中間改札を通らなければならなくなっています。
小田急線と相鉄線の中間改札が設けられた理由は、キセル乗車防止だけでなく、2019年度下期に相鉄JR連絡線が、2022年度下期に相鉄東急連絡線がそれぞれ開業する絡みもあります。
小田急江ノ島線の駅で後から新設された駅は、通信学校前→相模大野駅 1938(昭和13)年4月1日(大野信号所からの格上げ)、桜ヶ丘駅 1952(昭和27)年11月25日、善行駅 1960(昭和35)年10月1日、湘南台駅 1966(昭和41)年11月7日であり、小田原線では、狛江駅 1927(昭和2)年5月27日(小田原線より少し遅れて開業)、新座間→座間駅 同年7月28日、玉川学園前駅 1929年4月1日(江ノ島線と同時開業)、 梅ヶ丘駅 1934(昭和9)年4月1日、相模原→小田急相模原駅 1938(昭和13)年3月1日、 海老名駅 1943(昭和18)年4月1日、螢田駅 1952年4月1日、百合ヶ丘駅 1960年3月25日、新百合ヶ丘駅 1974(昭和49)年6月1日(多摩線の新百合ヶ丘~小田急永山間と同時開業)、開成駅 1985(昭和60)年3月14日であり、多摩線では、2004(平成16)年12月11日に開業した、はるひ野駅が唯一後から出来た駅であります。
小田急江ノ島線の六会日大前駅は、1929年4月1日に開業した当時、六会村にあったことから六会駅と呼ばれていました。
六会の由来は、1889(明治22)年の町村制施行により、高座郡円行村、亀井野村、下土棚村、西俣野村、今田村、石川村の6つの村の合併によって出来た六会村であり、6つの村が結び会ったことから名付けられていました。
六会村は、1942(昭和17)年3月10日に藤沢市に編入されて、藤沢市の一部となっているけど、六会の駅名にその名残がありました。
1998(平成10)年8月22日により、周辺に湘南校舎のある日本大学(日大)からの要請により、六会日大前駅となったけど、六会の名を残して欲しいという声が高まっていた為に、六会日大前駅となったのであります。
藤沢市は、1940(昭和15)年10月1日に高座郡藤沢町の市政施行によって出来た市であり、1941(昭和16)年6月1日に村岡村、1942年3月10日に六会村、1947(昭和22)年4月1日に片瀬村、1955(昭和30)年4月5日に小出村と渋谷町の一部がそれぞれ編入されて現在に至っています。
1929年4月1日に片瀬江ノ島駅が開業した当時は、鎌倉郡川口村(旧、片瀬村、江島村)で、1933(昭和8)年4月1日の町制施行により、片瀬町となり、1947年4月1日に藤沢市に編入されていたので、片瀬江ノ島の駅名に片瀬村→片瀬町だった頃の名残があります。
高座渋谷駅は、 開業当時高座郡渋谷町(現在の大和市の一部)だった場所にある駅であり、東京都渋谷区(当時は南豊島郡渋谷町だった)にある渋谷駅(1885(明治18)年3月1日に現在の山手線の駅から開業した駅)と区別する為に高座渋谷駅となったのであります。
周辺は、渋谷氏発祥の地であり、東京にある渋谷は、渋谷氏によって渋谷区渋谷一帯が領有されていたことが由来であります。
渋谷区は、1932(昭和7)年10月1日に、豊多摩郡の東京市(現在の東京都)への編入により、渋谷町(東京府)、千駄ヶ谷町、代々幡町との合併によって出来た区であり、同時に豊多摩郡にあった中野町と野方町が中野区に、杉並町、和田堀町、井荻町、高井戸町が杉並区に、淀橋町、大久保町、戸塚町、落合町が淀橋区(現、新宿区)となっていました。
淀橋区は、1947(昭和22)年3月15日に、四谷区と牛込区との合併により、新宿区の一部となっています。
新宿駅のある場所は、淀橋町→淀橋区だった場所であり、昔は柏木村や角筈村と呼ばれていました。
代々木上原駅は、開業当時に代々幡町にったことから、代々幡上原駅と呼ばれていたけど、代々幡(よよまん)の幡は、幡ヶ谷の幡でありました。
小田急線の東北沢~喜多見間に位置している世田谷区は、1932年10月1日に荏原郡世田ヶ谷村の東京市への編入・区制施行により出来た区であり、1936(昭和11)年10月1日に北多摩郡の砧村と千歳村の編入により、現在の形となっています。
千歳船橋駅は千歳村、祖師ヶ谷大蔵、成城学園前、喜多見の各駅は砧村だった場所にある駅であり、千歳船橋の駅名は、湿地帯であったことにより掛けられた船橋が由来となっています。
千葉県にある船橋市も、舟橋が由来となっているけど、千歳船橋駅も千葉県の船橋駅と紛らわしい状態であるので、区別する為に千歳船橋となったと思われます。
渋谷は、秋葉原と同様に、自分(しゃもじ)が地下アイドルのライブなどでよく行く場所であるけど、渋谷には、このような歴史のある場所であることが分かります。
一昨日(7月8日)は、友人のつか氏と3月18日以来久しぶりに再会し、秋葉原のツインボックスガレージで行われた、Dan te Lion(ダンテライオン)という今年2月18日に初お披露目された6人組のアイドルグループのライブやアイドル横丁関連の祝勝会に行き、初めてダンテライオンの現場に行ったという喜びを感じていました。
つか氏のダンテライオンでの1推しは、成瀬ゆりあ氏だけど、自分(しゃもじ)の場合は、月島じゅり氏が1推しなので、自分(しゃもじ)の推しメンが、ピンク色の可愛いメンバーに集中しています。
6月2日には、友人のつか氏が新宿から町田まで7000形LSEに最初で最後の乗車をし、町田から新宿まで70000形GSEに乗り、その後にダンテライオンの現場に行っていました。
自分(しゃもじ)もダンテライオンが気になるようになり、メンバーとの初対面はもちろんのこと、つか氏と再会してみたいと思っていた時に、ダンテライオンの祝勝会に白羽の矢が立ったのであります。
3月18日につか氏が70000形GSEに乗った後のお見送り以来の再会を果たすことも出来て本当に良かったです。
もちろんダンテライオンにも感謝しています。
つか氏は自分(しゃもじ)より先にダンテライオンの現場に参戦し、一昨日自分(しゃもじ)が参入していたので、JR東日本の中央線特急のE353系で、既存のスーパーあずさ運用(9+3の12両編成)に加えて、あずさ・かいじ号の9両編成も出来たことに例えたくなります。
昨年7月10日に渋谷WWWで、ハイスピことHIGHSPIRITSのワンマンライブに参戦していたけど、あれから今日で1年経ってしまったので、早いもんだなと思いました。
ハイスピでは、新メンバーが3人加わり、7月17日に初お披露目されるけど、仕事で行かれないのが残念です。
30000形EXEαの30252Fまたは30052Fは、今のところEXEαで唯一のコンセント付きとなっているけど、今年度中に改造される編成もコンセント付きとなります。
30251+30051Fにはコンセントが付いていないのでハズレを引いてしまった気分であります。
自分(しゃもじ)は、今年2月12日に、相鉄20000系の初乗車の前に、新宿から町田まで30252F(EXEα)に乗っていたので、あの時のことを思い出しました。
今回はEXEα単独編成を新宿駅で撮影した画像をこのブログで紹介することになりました。
今日は7000形LSEの定期運用最終日なので、トラブルがないことを願っています。
このように、30000形EXEαの6両単独編成によるえのしま7号を撮影することが出来て良かったです。