
こちらは、2月24日に中央快速線の四ツ谷駅で撮影した、E353系のS113編成によるかいじ121号です。
かいじ121号は、中央線特急で唯一四ツ谷駅に停車(21時53分発)している列車であるけど、明後日(3月16日)の改正で、同じE353系の9両編成によるかいじ21号(スワローサービスによる全席指定)となると共に四ツ谷駅通過となるので、三鷹駅停車と共に明日(3月15日)で見納めとなってしまいます。
中央線特急の四ツ谷駅停車は、国鉄最後のダイヤ改正であった、1986(昭和61)年11月1日の特急あずさ号の増発及び東京駅への乗り入れと共に開始されたけど、当時は下り1本、上り2本が四ツ谷駅に停車していました。
中央線特急の四ツ谷駅の停車は、かいじ121号だけが辛うじて残されていたけど、全席指定化に伴う停車駅整理により、四ツ谷駅が三鷹駅と共に中央線特急の停車駅でなくなってしまいます。
このことで、今から4年前の2015(平成27)年3月13日まで、E657系による常磐線特急上野8時ちょうど発のスーパーひたち7号(現、ひたち3号)だけが松戸駅に停車していたことを思い出しました。
2015年3月14日の常磐線特急のE657系への再統一によるスワローサービス(全席指定制)への移行により、常磐線特急の停車駅から松戸、取手、藤代、神立、十王、大津港、植田の各駅が特急停車駅から除外されたので、明後日のE353系への統一、四ツ谷、三鷹両駅の通過化による中央線特急の一新に似たような現象となっています。
1966(昭和41)年12月12日に特急あずさ号が181系(とき型車両、ボンネットあずさ)による2往復でデビューした時は、新宿~松本間(辰野経由)で、明後日からのあずさ、かいじ号と同じ全席指定、途中停車駅が、甲府駅と上諏訪駅のみとなっていました。
中央線特急が八王子駅にも停車するようになったのは、翌年の1967(昭和42)年10月1日のことであり、奇しくも同じ日に同じ八王子市を走る京王高尾線(北野~高尾山口間)が開業していました。
明後日の改正では、再速達バージョンであるあずさ11,12号(11号が12両編成、12号が9両編成)が上諏訪駅通過となるので、1966年12月12日のあずさ号登場以来初の前代未聞の出来事となってしまいます。
岡谷駅と塩尻駅を通過する列車も増えるので、改悪となるのも言うまでもないです。
デビュー当時のあずさ号は、停車駅が少ないにも関わらず新宿~松本間3時間57分となっていたのは、急勾配や急カーブが多いことや、岡谷~塩尻間で辰野経由の迂回ルートとなっていたからであります。
明後日の改正では、新宿~松本間最速2時間23分となるのは、E353系の車体傾斜装置のお陰であり、かいじ号もスピードアップされます。
四ツ谷駅は、東京メトロ丸ノ内線の駅よりも低い場所にあり、新宿(信濃町)寄りには、中央快速線(東京~高尾間)並びに中央・総武緩行線で唯一のトンネルである御所トンネルと新御所トンネルがあり、中央・総武緩行線の新宿方面の御所トンネルは、丸ノ内線のホームからも眺めることが出来ます。
御所トンネルは、1894(明治27)年10月9日の新宿~牛込(現、飯田橋)間の開業と共に出来たトンネルであり、煉瓦造りとなっています。
飯田橋駅が牛込駅と飯田町駅の統合により出来たのは、1928(昭和3)年11月15日のことであり、現在は、ホームとの隙間解消により、西口駅舎の改築と共に市ヶ谷寄りの留置線のあった場所に移設される工事が行われています。
案内表示は、信濃町駅寄りの赤坂口(丸ノ内線連絡口)側で撮影したものであり、携帯電話の普及により影が薄くなった緑色の公衆電話(カード及びコイン式)も映りました。
こちらは、携帯電話が使えない時にも便利であります。
かいじ号の四ツ谷駅停車は、今日(3月14日)を入れてあと2日なので、撮影することが出来て良かったです。