一昨日(今月1日)は、小川町から和光市まで、東武50000系並びに東武鉄道の通勤型車両で唯一の非貫通タイプである51001Fによる快速池袋行きに乗りました。
こちらは、2004(H16)年11月に落成し、同年12月25日の東上線クリスマスイベント(東上線ファミリーイベントの原点)の一環で運転されていた事前応募制の団臨(池袋→森林公園間)でプレデビューしていました。
自分はあの時に当選した為にいち早く乗り心地を体験していました。
50000系は、東武鉄道の通勤型車両としては初めてのアルミ製(日立製作所のA-train規格)で導入されたことで話題になっているけど、オレンジの塗装は、8000系旧塗装を彷彿とさせます。
実際に営業運転に入ったのは、翌年の2005(H17)年3月16日(ダイヤ改正前日)のことで、前日に竹ノ塚駅の踏切で発生した事故により、出発セレモニーが中止となっていました。
その代わりに、50000系にとって最初で最後となった武蔵嵐山行きに充当されていたし。
埼玉県比企郡小川町にある小川町駅は、東武鉄道管理でJR八高北線(高麗川~倉賀野間)との共同使用駅で、1,3番線が、東上線下り(寄居方面)、2,4番線が、東上線上り(川越、池袋方面)、7番線が八高線下り(寄居、高崎方面)、8番線が八高線上り(越生、高麗川方面(八王子方面へは全て高麗川で乗り換え))から成る駅で、池袋からの10両編成の末端ともなっています。
森林公園~小川町間は、日中1時間に3本(うち快速2本)となっているけど、2本が小川町で寄居方面に接続しています。
かつて森林公園~小川町間が全て単線で、途中武蔵嵐山駅しかなく、のどかな雰囲気となっていたけど、2002(H14)年3月26日のつきのわ駅(森林公園~武蔵嵐山間)の開業、2005(H17)年3月17日の森林公園~嵐山信号場間の複線化によって変化していました。
嵐山信号場~小川町間が単線区間のまま残された理由は、JR八高線との交差部分の絡みもあります。
武蔵嵐山駅は、1923(T12)年11月5日に武州松山(現、東松山)~小川町間と共に開業した当時は、菅谷村の中心にあったことから菅谷駅と呼ばれていたけど、周辺にある渓谷が京都の嵐山(あらしやま)に似ていることから武蔵嵐山(らんざん、嵐山渓谷)とも呼ばれるようになり、1935(S10)年10月1日に武蔵嵐山駅となったのであります。
51001Fは、貫通ドアが無いことだけでなく、ヘッドライトが下にあるのが特徴であります。
この時に9101Fと同様にたった1編成しかないレアな51001Fを撮影出来て良かったなと思っています。