
6月27日は、京成八幡から京成船橋まで、京成電鉄新3000形50番台(新3050形)の3051Fによる、快速特急芝山千代田行きに乗りました。
新3000形50番台(新3050形)は、2010(平成22)年7月17日の成田スカイアクセス線(京成成田空港線)🚃✈️の開業の時に営業運転入りした7次車であり、水色のラッピングにより専らアクセス特急の京成車の運用に使われていました。
昨年10月26日のダイヤ改正では、新3100形(2代目のアクセス特急用車両)が2編成導入されたことにより、引き続きアクセス特急用として使われる3052~3056Fが新3100形と同じオレンジ色のラッピングに変更され、3051Fが従来の京成カラーの帯となったことにより、動きが見られていました。
最近になってからは、今年度の新3100形の増備によって、3052Fも京成カラーの帯となっているので、残りのオレンジ色の新3000形50番台(3053~3056F)も撮影しておかなければならない状態となってきています。
総合車両製作所横浜事業所(旧、東急車輛製造)製の3154Fは、7月2日に出場し、自力により京急線、都営浅草線経由で送り込まれていたけど、昨日(7月7日)は、日本車輌製造豊川製作所製の3153Fが豊川駅(愛知県豊川市)から逗子駅(神奈川県逗子市)まで甲種輸送されていました。
昨年導入された3151Fと3152Fは、営業運転開始前ということで、京成3600形の3668Fによる牽引が行われていたのであります。
新AE形スカイライナーを除いた日本車輌製の京成の電車🚃は、豊川から逗子まで甲種輸送され、総合車両製作所横浜事業所で整備された後、京成線まで回送されることになっているので、川崎重工業(Kawasaki)製(こちらは兵庫駅からの輸送)の京浜急行電鉄(京急)の電車と同じような輸送方式となっています。
今月に入ってから、3600形の8連だった3658Fと3688Fが続けて運用離脱されていたのは、このことでありました。
京成カラーとなった3051Fは、従来の新3000形と同じ外観となったけど、飛行機柄✈️の座席にその名残があります。
この日の3051Fは、土休日A05運用で、今回乗った列車は、京成上野18時34分発の快速特急芝山千代田行きで、途中、日暮里、青砥、京成高砂、京成八幡、京成船橋、京成津田沼、八千代台、勝田台、京成佐倉、京成成田、東成田の各駅に停車してから芝山鉄道線の芝山千代田駅(千葉県山武郡芝山町)へと向かうことになっています。
東成田駅は、1978(昭和53)年5月21日に成田国際空港✈️が新東京国際空港として開港した時に成田空港駅(初代)として開業した、成田空港の敷地内にある2面4線の地下駅であり、当時はスカイライナー専用ホームと一般列車のホームに分かれていました。
当時は、成田空港のターミナルビル(現在の第一旅客ターミナルビル)の地下に成田新幹線の乗り入れが計画されていたことにより、ターミナルビルの地下に乗り入れることが出来なかった為に離れた位置に建設せざるを得なかったので、ターミナルビルとは有料のシャトルバスによるアクセスとなっていたので、不便な状態でありました。
成田新幹線は1974(昭和49)年に着工され、開港までに開業予定となっていたけど、着工されたのは、東京駅の連絡通路部分と土屋地区~成田空港間くらいしか無かったです。
成田新幹線の計画が中止されたことを受けて、成田空港高速鉄道によってJR成田駅または京成成田駅から成田空港ターミナルビルの直下までの新線が建設され、1991(平成3)年3月19日に成田空港のターミナルビルの直下への乗り入れが実現し、JR東日本が成田エクスプレス等で成田空港アクセス列車に参入していたのであります。
京成では、成田空港駅が空港ターミナルビルの直下にシフトされ、スカイライナーが直接空港ターミナルビルと結ばれるようになっていました。
これまでの京成成田~成田空港駅間が東成田線という支線(一般列車のみ走る路線)に格下げされ、初代成田空港駅が東成田駅に変更され、スカイライナー専用ホームが閉鎖されていました。
1992(平成4)年12月6日に成田空港の第2旅客ターミナルビルが新設されたことによって空港第2ビル駅も開業し、東成田駅との地下連絡通路も新設されたことによって、裏ルートも確保されるようになったのであります。
2002(平成14)年10月27日に芝山鉄道線(東成田~芝山千代田間)が開業したことにより、東成田駅が途中駅となったことで寂しさを増してしまいました。
芝山千代田行きの表示は、芝山千代田ではなく、(東成田)芝山 Higashi-Narita Shibayamaと表示されているのが特徴であります。
2010年7月17日に成田スカイアクセス線(京成成田空港線)が開業したことにより、新AE形によるスカイライナーで、日暮里~空港第2ビル間最速36分で結ばれるようになったので、遠かった成田空港が近くなったという出来事がありました。
成田新幹線の建設工事が中止され、幻の新幹線となった理由は、工事が進まなかったことに加え、東京~成田空港間で新幹線を通すよりも、成田~成田空港間だけ新線を建設し、東京~成田間で既存の在来線を活用させたほうが効率が良いと判断された為でもあります。
もしも、成田新幹線が予定通り開業していたら、京葉線の東京駅乗り入れや、京成線の成田空港ターミナルビル直下への乗り入れが実現しなかったことに加え、大幅な赤字に苦しめられていたところでした。
自分(しゃもじ)も、東京~成田空港間は、在来線で充分だと思っています。
芝山千代田駅付近には、成田空港温泉 空の湯という日帰り温泉施設♨️があり、飛行機✈️が見える屋上露天風呂♨️が売りと言われています。
空の湯へは、芝山千代田駅から徒歩3分で行けるのが嬉しいと思います。
温泉♨️に入れば免疫力が上がると言われているけど、緊急事態宣言の時には日帰り温泉施設が軒並み休業に追い込まれてしまったので、困ったもんだと思っていました。
新3000形50番台は、2009(平成21)年から2010年に掛けて6編成が製造されたけど、東急車輛製造(当時)との分担製造ではなく、6編成全てが日本車輌製造豊川製作所製となっています。
このことは、昨日の記事で紹介した京王電鉄9000系の30番台(都営新宿線直通対応の10両固定編成)が全て日本車輌製造豊川製作所で製造されたことに似たような現象であります。
京成線は、開業当時に1372mmの馬車軌道となっていたけど、都営地下鉄への乗り入れに備えて、開業の前年の1959(昭和34)年10月から11月に1435mmに改軌されていたけど、その工事は11区間に分けられた大掛かりなものとなっていました。
都営新宿線のほうも、浅草線との共通化の為に1435mmでの建設が検討されていたけど、京王側で、京成線のような大掛かりな改軌工事を避ける方針が打ち出されていたことにより1372mmに固執していたことで、1372mmで建設せざるを得なくなったのであります。
京王側で改軌されたのは、1067mmだった玉南電気鉄道によって開拓されていた京王線の府中~東八王子(現、京王八王子間)だけでありました。
1978(昭和53)年12月21日に都営新宿線の岩本町~東大島間の開業から、1991(平成3)年12月10日の都営12号線(現、大江戸線)の光が丘~練馬間の開業までの間、3つの路線で異なる軌間(都営三田線は1067mm)となっていました。
都営6号線→都営三田線は、東武東上線及び東急線との直通運転に備えて1067mmで建設されていたけど、2000(平成12)年9月26日には、東急目黒線との直通運転開始により、本領を発揮していたのであります。
昨日と一昨日は、れんてつかふぇの浴衣ウィークで、森あんぱん氏の浴衣姿👘が披露されていたのに、自分(しゃもじ)🐰が仕事で行かれなかったので、森あんぱん氏からは、残念です。浴衣👘にしゃもじヘアは思いつきませんでした。と言われてしまいました。
森あんぱん氏は、自分(しゃもじ)🐰に会いたがっているメンバーなので、再会出来ることを願っています。
あーにゃこと水湊あおひ氏😸からも、しゃもじさんに会いたいと言われています。
このことで、往復東海道新幹線のN700Sに当たらずにN700AのスモールA編成に当たったことに例えたくなります。
京成船橋駅は、お気に入りのドーム状の駅となっているので、そこで撮影することが出来て良かったと思っています。
このように、京成八幡から京成船橋まで、京成3051Fに乗り、話題にすることが出来て良かったです。
おまけの画像は、3005Fによる京成上野行き、昨年11月3日に撮影した、旧ラッピング時代の3051F、昨年11月13日と今年1月19日に撮影した、3056Fのビフォーアフターです。