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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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E233系の青463編成(東京アドベンチャーラインのラッピング電車)による通勤快速河口湖行き

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一昨日(10月21日)は、東京から新宿まで、東日本旅客鉄道10月3日は、新宿から中野まで、東日本旅客鉄道(JR東日本)のE233系の青463編成(東京アドベンチャーラインのラッピング電車)+青661編成(豊田車両センター(八トタ)所属)による、通勤快速河口湖行き(富士急行線🚃🗻直通列車)🚃⛰️に乗りました。

この日の青463編成(クハE233-521F)+青661編成(クハE233-61F)は、東京 19時05分発の中央特快河口湖行きを含む運用である平日23H運用に入っていたので、昨日(10月22日)は、河口湖 6時19分発の直通の快速東京行き(平日25H運用の前半)で、東京に戻り、9時25分発の快速武蔵小金井行きで、豊田車両センター武蔵小金井派出所に一旦入庫していました。

今回乗った列車は、東京 19時05分発の通勤快速河口湖行きであり、途中、神田、御茶ノ水、四ツ谷、新宿、中野、荻窪、吉祥寺、三鷹、国分寺、立川、日野、豊田、八王子、西八王子、高尾、相模湖、藤野、上野原、四方津、梁川、鳥沢、猿橋の各駅に停車してから大月駅(山梨県大月市)へと向かい、後ろの6両(1~6号車、青661編成)が切り離された後、前の4両(7~10号車、青463編成)が、富士急行線🚃🗻の河口湖行き(途中、上大月、田野倉、禾生、赤坂、都留市、谷村町、都留文科大学前、十日市場、東桂、三つ峠、寿、葭池温泉前、下吉田、月江寺、富士山、富士急ハイランドの各駅に停車)で河口湖駅(山梨県南都留郡富士河口湖町)へと向かうことになっており、土休日の場合は、東京 19時12分発の中央特快河口湖行き(立川までの途中停車駅は、神田、御茶ノ水、四ツ谷、新宿、中野、三鷹、国分寺の各駅)となります。

青463編成が河口湖まで入ったことで、10月1日の中央線巡業の初日を思い出しました。

切り離された後ろの6両は、大月 21時13分(土休日は21時12分)発の高尾行きで高尾駅まで戻り、21時55分発の大月行きで折り返してから大月駅で停泊し、翌朝には、河口湖から来た後ろの4両と連結されてから、大月 7時23分発の快速(土休日は中央特快)東京行きで、東京駅へと向かうことになります。

東京~河口湖間の直通列車は、2往復であり、下り(河口湖行き)は、東京 18時08分発の通勤快速(土休日は、18時09分発の中央特快)と、東京 19時05分発の通勤快速(土休日は、19時12分発の中央特快)、上り(東京行き)は、河口湖 5時49分発の快速(土休日は中央特快)と、河口湖 6時19分発の快速(土休日は中央特快)であり、今回撮影、乗車したのは、後発でありました。

中央快速線の通勤快速は、平日の夕夜間の下りのみ運転であり、中央特快、青梅特快の停車駅に荻窪、吉祥寺の両駅を追加したものである為に東京→三鷹間で、土休日の快速と同じ停車駅となっています。

中央快速線の河口湖直通列車が登場したのは、201系の時代の1990(平成2)年3月10日のことであり、京葉線の全線開業と共に30周年を迎えていました。

当時は前の6両が大月止まりで、後ろの4両が河口湖行きとなっていたので、大月駅で切り離された6両を引き込み線に回送させた後に河口湖行きが発車していました。

1997(平成9)年10月12日に大月駅構内で発生した、201系とE351系の衝突事故で被害に遭った201系は、河口湖まで行かなかった前の6両であら、切り離し作業が行われた後の入れ替え作業の最中で衝突していたのであります。

2007(平成19)年3月18日のE233系H編成の分割・併合運用進出により、6両編成と4両編成の入れ替えが行われ、河口湖行きの直通列車が前に変更されていました。

当時は201系H編成の6編成(そのうちのH7編成は2010(平成22)年10月のラストランまで活躍していた)の編成組み換えが行われ、E233系のH編成との共通運用が行われていたけど、編成組み換えが行われなかった他の201系H編成は、そのままT編成に編入され、10両固定編成扱いで使われていました。

京葉線で活躍していた201系(6+4編成)のうち、分割・併合対応編成だったのは、4編成であり、こちらも他の編成が10両固定編成扱いで使われていたけど、分割・併合非対応編成には、201系試作車が中間に押し込められていた編成もありました。

中央快速線のH編成で、6両と4両の位置が入れ替わった理由は、大月、拝島、青梅の各駅での分割・併合作業を容易にすることや、青梅・五日市線用の青編成と揃える為であり、中央快速線のグリーン車導入を見据えたこともあります。

十日市場駅は、JR横浜線(神奈川県横浜市緑区)と、富士急行線(山梨県都留市)の両方にあるけど、どちらも十日に市が開かれていたことが由来となっています。

横浜線の十日市場駅が開業したのは、1979(昭和54)年4月1日のことであり、成瀬駅も同時に開業していました。

成瀬駅を通った時にで、Dan te Lion(ダンテライオン)🦁の成瀬ゆりあ氏(友人のつか氏のダンテライオンでの1推しメンバー)を思い出しました。

千葉県匝瑳(そうさ)市(旧、八日市場市)にあるJR総武本線の八日市場駅は、8日に市が開かれていたことが由来であります。

八日市場駅と飯倉駅のある千葉県の匝瑳市は、2006(平成18)年1月23日に、八日市場市と匝瑳郡野栄町の合併によって出来た市であり、植木(苗木)の産地としても有名であります。

山梨県の都留市は、1954(昭和29)年4月29日に、南都留郡谷村町、宝村、禾生村、盛里村、東桂町の合併によって出来た市であり、富士山🗻の裾野に蔓(つる)が繁茂していたことが由来であると言われています。

相模川は、山中湖が水源地で、神奈川県の茅ヶ崎市と平塚市の間で相模湾に注ぐ全長109Kmの川であり、山梨県側で桂川と呼ばれているので、信濃川(全長367Kmの日本一長い川)の長野県部分が千曲川と呼ばれていることに似ています。

信濃川(千曲川)は、利根川(群馬県、栃木県、埼玉県、茨城県、千葉県)、石狩川(北海道)と共に日本三大河川であり、利根川(322Km)は2番目、石狩川(268Km)は3番目に長い川であります。

中央本線(中央東線)の鳥沢~猿橋間の新桂川橋梁は、桂川(山梨県)に架かる中央本線最長の橋梁(全長513m)であり、有名な撮影ポイントでもあります。

猿橋駅は、木曽の棧橋(かけはし、長野線木曽郡上松町)、錦帯橋(山口県岩国市)と並ぶ日本三奇橋の一つである猿橋の最寄り駅であり、こちらも桂川に架かっています。

大月市は、1954年8月8日に、北都留郡大月町、猿橋町、七保町、笹子村、賑岡村、初狩村、梁川村の合併によって出来た市場であり、同年9月8日には、富浜村が大月市に編入されていました。

青梅線(東京アドベンチャーライン)の二俣尾~軍畑(いくさばた)間(軍畑駅付近)にある奥沢橋梁(軍畑鉄橋)は、東京アドベンチャーラインと呼ばれる青梅~奥多摩間の有名撮影ポイントであり、臨時列車運転時に賑わうことになります。

東京アドベンチャーラインのラッピング電車は、青463編成の1本しかないので、11月30日までの間の中央快速線巡業の時に青梅~奥多摩間を走る姿が基本的に見られなくなっています。

奥多摩駅のある東京都西多摩郡奥多摩町は、1955(昭和30)年4月1日に氷川町、古里村、小河内村の合併によって出来た町であり、奥多摩渓谷がその由来となっています。

1957(昭和32)年5月に小河内ダムが出来た時には、旧、小河内村域が奥多摩湖(小河内貯水地)の湖底に沈んでいました。

奥多摩湖へは、奥多摩駅から西東京バス🚌に乗っていくことになるけど、平常時に約15分掛かります。

鳩ノ巣駅は、鳩ノ巣渓谷の最寄り駅であり、紅葉🍁の名所でもあります。

自分(しゃもじ)が、青梅線の青梅~奥多摩間(現在の東京アドベンチャーラインの区間)に初めて乗ったのは、1998(平成10)年11月27日の多摩モノレール線の初乗車後だったけど、日没後だったので何も見えなかったので、翌年の1999(平成11)年4月24日に初めて明るいうちに乗ることが出来ました。

青梅線の立川~青梅間は、夜🌃でもいいけど、東京アドベンチャーラインと呼ばれる青梅~奥多摩間は、明るいうち🌄に乗りたい区間であります。

このことは、西武鉄道の池袋線系統の池袋~飯能間と、飯能~西武秩父間でも言えることであり、飯能~西武秩父間も、明るいうち🌄に乗って楽しい区間であり、11月8日に乗れることを楽しみにしています。

奥多摩駅が氷川駅と呼ばれていたのは、1944(昭和19)年7月1日に御嶽駅からの延長により開業した当時に氷川町だったからであります。

青梅線が青梅電気鉄道の国有化によって日本国有鉄道(国鉄、JNR)の路線となったのは、1944年4月1日のことであり、3ヶ月後に氷川まで延長されていました。

氷川ということで、有名な演歌歌手である、氷川きよし氏を思い出すけど、氷川の芸名の由来は、東京都港区赤坂にある氷川神社(赤坂氷川神社)⛩️から来ていると言われています。

横浜の山下公園にある日本郵船氷川丸⛴️は、大宮氷川神社(全国にある氷川神社の総本社)⛩️が由来となっている豪華客船であり、1930(昭和5)年5月に就航し、1960(昭和35)年10月に引退するまでの30年間、日本とアメリカ🇺🇸のシアトルを結ぶ航路で活躍していました。

こちらは国の重要文化財に認定され、博物館船として中に入ることも出来ます。

1971(昭和46)年2月1日に氷川駅が奥多摩駅に変更された時は、青梅線の全線に列車集中制御装置(CTC)が導入されていました。

奥多摩駅の駅舎は、開業当時から親しまれている山小屋風の駅舎であり、昨年4月にリニューアルされています。

奥多摩駅前の観光トイレ(奥多摩町による管理)🚻は、日本一観光トイレがきれいなまちらしく、リニューアルされていて、トイレ前に足洗い場があります。

車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽が2ヶ所あり、個室が全て洋式🚽となっています。

日原(にっぱら)鍾乳洞は、奥多摩町日原地区にある鍾乳洞であり、奥多摩駅から西東京バス🚌に乗っていくことになります。

青梅~奥多摩間の日中の列車は、平日は45分間隔、土休日は30分間隔であり、青梅駅で、東京または立川~青梅間の一部の列車から(に)接続しています。

奥多摩駅付近にある、もえぎの湯という日帰り温泉施設♨️は、奥多摩の山と木々や、多摩川の清流を眺めることの出来る浴場となっているのが特徴であり、友人のつか氏も言っていたように、駅に近くてとても便利であります。

そこは、紅葉シーズン🍁を中心に、入場制限が掛かることもあるので、その場合には、替わりに同じ青梅線沿線の河辺駅の北口にある、河辺温泉梅の湯に行くことをおすすめします。

河辺温泉梅の湯♨️は、青梅に行った後にも便利な日帰り温泉♨️であり、自分(しゃもじ)も行ったことがあります。

あーにゃこと水湊あおひ氏😸が出てくる舞台であるPeace of Clan~七星のシンフォニア~が開幕してから今日(10月23日)で1週間(1瞬間)経ったけど、今日は、Aチーム公演がない為にあーにゃ😸が出てこないです。

一昨日は、自分(しゃもじ)🐰があーにゃ😸と再会することが出来て良かったと思っています。

次回の東京ステーション♪の現場は、25日の予定であり、高橋みう、永綱紗良両氏が出てくる予定だけど、1推しの小麦ぱんこ氏🍞が運休(欠席)となるので、小麦ぱんこ氏🍞との再会がお預けとなってしまいます。

東京駅で、青463編成による通勤快速河口湖行きを撮影したのは、あーにゃ😸の舞台を見た後だったのでテンションが上がっていました。

四ツ谷駅で、安全点検があった絡みにより、新宿駅に遅れて到着していたので、臨時に11番線に入っていたけど、この時に南小谷(みなみおたり)駅から来たE353系のS104+S202編成による、特急あずさ46号との並びを撮影することが出来ました。

あずさ46号は、大糸線の南小谷駅(長野線北安曇郡小谷村)を、15時01分に発車し、途中、白馬、信濃大町、穂高、豊科の各駅に停車してから松本駅(長野県松本市)へと向かい、松本駅で前の空の3両(この日はS202編成が使われていた)が増結された12両編成となり、途中、塩尻、岡谷、上諏訪、茅野、小淵沢、甲府、八王子、立川の各駅に停車してから新宿駅へと向かい、折り返しは、20時ちょうど発のあずさ53号の松本行き(途中、立川、八王子、甲府、小淵沢、茅野、上諏訪、岡谷、塩尻の各駅に停車)となります。

この日のS104編成は、新宿 8時ちょうど発のあずさ5号(狩人の名曲である、あずさ2号を彷彿とさせる列車)で南小谷駅へと向かっていたので、12時間後に再び新宿駅を発車したことになりました。

自分(しゃもじ)は、東京アドベンチャーラインのラッピング電車🚃⛰️を東京駅で撮影してみたいと思っていたけど、通勤快速河口湖行きで撮影することが出来て良かったと思っています。

青463編成+661編成の中央快速線巡業は、11月30日までの予定となっています。

このように、東京アドベンチャーラインのラッピング電車の青463編成による通勤快速河口湖行きに乗り、それを話題にすることが出来て良かったです。











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