
こちらは、銚子電気鉄道(銚子電鉄)の外川駅(千葉県銚子市、ありがとう外川駅)で撮影した、2000形の2002Fによる、ピンクニュージンジャー号🚃💖です。
ピンクニュージンジャー号は、栃木県栃木市(蔵の街栃木)に本社、工場のある岩下の新生姜でお馴染みの岩下食品(イワシタ)と銚子電気鉄道(銚子電鉄)のコラボによる列車であり、3月27日のお披露目記念の臨時列車で営業運転入りしていました。
その前には、資金難という大きなハードルを乗り越えた上で全般検査を通っていたけど、この時に再塗装も行われて綺麗な姿となっていました。
銚子電鉄の外川駅の木造駅舎は、1923(大正12)年7月5日の開業の時から使われているものであり、修復が繰り返されています。
この駅舎を見た時に外川駅と言えばやはりこれだなと思いました。
駅舎の中は、昔懐かしの雰囲気であり、記念入場券、記念乗車券、グッズなどが売られています。
駅前にある昔懐かしの丸型郵便ポストは、2011(平成23)年12月に設置されたものであり、これまでの間は、同じ千葉県にある佐原郵便局🏣(佐原市→香取市)で保管されていました。
ありがとうポストと名付けられたのは、2016(平成28)年3月9日のありがとうの日のことであり、ここから出した手紙には、犬吠埼灯台前にある白い丸型郵便ポストから出した時と同様に、年賀状取扱期間である12月15日から翌年の1月7日までの間を除いて銚子郵便局による銚子の風景印が押されることになります。
以前ありがとうポストから自分(しゃもじ)宛に手紙を出したところ、銚子の風景印が押されていたのであります。
丸型の郵便ポストの裏には、郵便塗装のラビットスクーターが置かれているので、昭和レトロな雰囲気が漂っています。
ラビットスクーター🛵🐰は、1946(昭和21)年から1968(昭和43)年までの間に、富士産業→富士重工業(現、SUBARU(スバル))によって製造されていたスクータータイプの自動二輪車🛵であり、外川駅にあるのはそのうちの1台であります。
SUBARU(スバル)と言えば、レヴォーグ(LEVORG)やインプレッサ(IMPREZA)などのスバルブランドの四輪自動車🚗のイメージが強いけど、かつて自動二輪車が製造されていたということは、知らない人が多い状態であります。
こちらはかつて中日本重工業→新三菱重工業→三菱重工業でシルバーピジョンというスクータータイプの自動二輪車も製造されていたことと同様であり、ライバル車種となっていました。
三菱にシルバーピジョンがあったことも、三菱重工業などの三菱グループの歴史に詳しい人でないと分からない状態であります。
現在日本の自動二輪車メーカーは、ヤマハ発動機(YAMAHA)、本田技研工業(ホンダ、HONDA)、スズキ(SUZUKI)、川崎重工業(カワサキ(Kawasaki)、モーターサイクル&エンジンカンパニー)の4社であり、そのうちの、本田技研工業(ホンダ、HONDA)とスズキ(SUZUKI)の2社は、四輪車と二輪車の両方を扱う自動車メーカーとなっています。
現在の郵便配達で盛んに使われているHONDAのスーパーカブは、1958(昭和33)年の発売以来改良を重ねながら製造が続けられています。
外川駅は、1面2線の終着駅であり、澪つくし号というトロッコ客車が運転されていた時に付け替え作業が行われていた機回し線もあります。
澪つくし号は、1985(昭和60)年から2006(平成18)年までの間に、ユ101号車(国鉄ワム80000形貨車から改造されたトロッコ客車、801,1001,1002号車による牽引)によって運転されていたもので、現在は笠上黒生駅で静態保存されています。
澪つくしは、1985年4月から10月まで放送されていたNHK朝の連続テレビ小説であり、銚子市が舞台となっていました。
1955(昭和30)年4月から1960(昭和35)年10月までの間、国鉄のキハ17形気動車(車体幅の狭い準急型車両)による房総の休日号が新宿~外川間で運転されていたこともあったけど、1960年に車体幅の広いキハ20形の導入によって乗り入れが中止となっていました。
銚子電鉄への譲渡の条件は、幅が狭い車体であることであり、2016年3月26日に営業運転入りしていた銚子電鉄の3000形(澪つくし塗装)は、車体幅の狭い京王旧5000系の初期型車→伊予鉄道700系であるから条件を満たしていたのであります。
昭和30年代前半に新宿から外川までの直通列車があったのは、本当のお話であります。
銚子電鉄の2002Fは、1962(昭和37)年に、京王帝都電鉄(現、京王電鉄)2010系のデハ2069号車とサハ2576号車として製造されていたものであり、2001Fの前身であるデハ2070+サハ2575号車と同様に、1963(昭和38)年4月1日に地下化される前の新宿駅に乗り入れていた頃の面影があります。
地下化される前の新宿駅は、現在の京王百貨店新宿本店の1階部分にあり、小田急線の新宿駅と隣り合っていました。
当時は新宿駅を出た後甲州街道の路面を走っていたので、最後まで残された京王電気軌道(路面電車)の面影の残る併用区間でもありました。
小田急線の地下緩行線のホームが地下1階にあるのに対し、京王線の新宿駅のホームは、京王百貨店の真下にある地下2階部分にあります。
銚子電鉄の2000形は、地上時代の新宿駅や幡ヶ谷駅だけでなく、1964(昭和39)年6月に地下線の延長により地下化され、1978(昭和53)年10月31日に京王新線にシフトされるまで使われていた初台駅の地下旧ホームの面影が残る車両でもあります。
旧初台駅や地上時代の幡ヶ谷駅の面影の残る車両は、銚子電鉄の3000形(元京王初代5000系狭幅車→伊予鉄道700系、1963年製)にも言えることであり、京王時代はデハ5103+クハ5854号車、伊予鉄道時代はモハ713+クハ763号車となっていました。
2000形では、銚子寄りの先頭車がオリジナルの2枚窓(非貫通の湘南形)、外川寄りの先頭車が伊予鉄道時代に先頭車改造された京王初代5000系→伊予鉄道700系もどきの顔つき(貫通型)となっているのに対し、3000形は前後共に京王初代5000系時代から変わっていない先頭車(貫通型)なので、3000形の場合は銚子寄りでも貫通型となっています。
犬吠駅付近にある犬吠埼付近は、日本一早い初日の出の名所として有名であり、JRと共に臨時列車が運転されています。
京王線では、高尾山での初日の出輸送である迎光号で1年が始まる状態であるけど、銚子電鉄でも初日の出輸送が行われているので、迎光号に乗ったような気分を味わうことが出来ます。
銚子電鉄の時刻(2021(令和3)年4月1日現在)
下り 銚子発外川行き
6時26分(S)、※6時51分(N)、7時16分(S)、※7時42分、8時10分(S,N)、※8時39分(S)、9時16分(S,N)、※9時47分(L)、10時20分(S,N)、11時15分(S,N)、12時20分(L,S,N)、13時12分(S,N)、14時05分(S)、15時10分(S,N)、16時03分(L,S,N)、16時56分(S)、17時45分(L,S,N)、18時35分(S,N)、19時33分(S,N)、20時45分(外川行き最終、L,S,N)
仲ノ町駅発は銚子発の2分後であり、仲ノ町始発外川行きの列車(5時37分、6時02分発)もあります。
上り 外川発銚子行き
6時ちょうど(S,N)、※6時26分(S,N)、6時51分(S,N)、※7時16分(L)、7時42分(S,N)、※8時10分、8時39分(S,N)、※9時16分(S)、9時47分(N)、※10時20分(S)、10時48分(L,S,N)、11時44分(S,N)、12時46分(L,S,N)、13時41分(N)、14時34分(S,N)、15
時39分(L,S,N)、16時30分(S,N)、17時21分(S)、18時10分(L,N)、19時07分(S,N)、20時10分(S,N)、21時15分(銚子行き最終、S)
犬吠駅発は銚子発の3分後であります。
銚子 17時21分発と、18時10分発の外川行き、外川 17時45分発と、18時35分発の銚子行きの2往復は、現在運休中となっています。
※印は朝のみのもう1本目の運用であります。
L印はJR総武本線(八日市場、佐倉、千葉、東京方面)の特急しおさい号、S印はJR総武本線の普通列車、N印はJR成田線(佐原、成田方面)の普通列車から(へ)接続する列車であり、銚子電鉄でSuicaやPASMOなどのICカードが使えない為に、ICカードでの乗り継ぎの場合は、出場・入場共に銚子電鉄の乗り換え口にある簡易ICカード改札機にタッチする必要があります。
正月三が日の増発は、普段朝と夕方17時以降のみの運用を繋げたものであります。
銚子市は、1933(昭和8)年2月11日に、海上郡銚子町、本銚子町、西銚子町、豊浦村の合併により出来た市(千葉県で千葉市に次いで2番目に市制施行されていた)であり、1937(昭和12)年2月11日に海上郡高神村、海上村が、1954(昭和29)年4月1日に海上郡船木村、椎柴村が、1955年2月11日に香取郡豊里村が、1956(昭和31)年4月10日に海上郡豊岡村がそれぞれ銚子市に編入されて現在の形となっています。
銚子の由来は、利根川の河口部分を中心とした地形が銚の口に似ていることであり、銚子口が銚子となっていました。
利根川は、群馬県の山奥(奥利根地域)から銚子まで流れている322Kmの川であり、行きに成田から銚子まで乗った成田線からも見えました。
銚子駅が出来たのは、総武鉄道の時代の1897(明治30)年6月1日のことであり、成東~銚子間と共に開業していました。
銚子市誕生の1ヶ月後の1933年3月11日には、成田線の笹川~松岸間が開業し、成田線の本線部分が全通していたので、千葉~銚子間で、総武本線経由と成田線経由を選べるようになっています。
銚子電気鉄道線が開業したのは、1923(大正12)年7月5日のことであり、当時は非電化路線の銚子鉄道となっていました。
1913(大正2)年12月28日に銚子~犬吠間で開業した銚子遊覧鉄道は、その前身であり、1917(大正6)年11月21日には、経営難により一旦廃止されていました。
銚子電気鉄道線は、銚子遊覧鉄道の廃線跡が再利用された路線であり、電化されたのは、1925(大正14)年7月1日のことであります。
銚子駅に乗り入れる路線で一番最初に電化されたのは、銚子電気鉄道線であり、1974(昭和49)年10月26日に総武本線の佐倉~銚子間と成田線の成田~佐原~松岸間が電化されてからは全て電化区間となっています。
銚子市は、温暖な気候であることからキャベツの産地として有名であり、犬吠埼灯台に因んだ灯台キャベツ(ブランド)として全国に出荷されています。
隣の千葉県旭市は、1954(昭和29)年7月1日に旭町の市制施行により出来た市であり、2005(平成17)年7月1日には、海上郡飯岡町、海上町、香取郡干潟町の合併(平成の大合併の一環)により、現在の旭市となっています。
犬吠埼温泉の日帰り温泉浴場♨️は、絶景の宿犬吠埼ホテル、犬吠埼観光ホテル、太陽の里に行ったことがあるけど、最初に立ち寄ったのは、犬吠埼京成ホテルだった頃の絶景の宿犬吠埼ホテルであり、京成ブランドに惹かれて入ったのであります。
犬吠埼京成ホテルから絶景の宿犬吠埼ホテルとなったのは、2012(平成24)年4月1日のことで、千葉県レクリエーション都市開発に譲渡されていました。
千葉県レクリエーション都市開発は、千葉こどもの国KidsDom(市原市)や蓮沼ウォーターガーデン(山武市、夏期限定のウォーターパーク(千葉県最大級のプール))、蓮沼ガーデンハウスマリーノなどの蓮沼海浜公園内の施設、千葉市中央区の千葉みなと駅(JR京葉線、千葉都市モノレール1号線)付近にあるイタリアンレストランオリゾンテなどの運営も行われています。
現在京成ホテルは、水戸京成ホテル(水戸駅付近)と京成ホテルミラマーレ(京成線の千葉中央駅前)の2件となっています。
犬吠駅は、関東一日の出が早い駅、外川駅は、関東最東端終点・始発駅であり、関東最東端の駅は、海鹿島駅であります。
外川駅は、外川漁港のアクセスの為に出来た駅であり、駅から漁港へは坂道を下って行くことになります。
外川駅のネーミングライツとなっている「ありがとう」を漢字で現せば、有り難うとなるけど、その語源は、有り難し、有り難くとなっています。
有り難しとは、有る(ある)ことが難い(かたい)という意味で、滅多にない、珍しく貴重だという意味も込められています。
高知県南国市にある土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の後免町駅も、ありがとう駅と呼ばれているけど、アンパンマンでお馴染みであり、高知県出身の漫画家であった故・やなせたかし氏の発案により名付けられていました。
こちらは皆が素直に、「ごめんなさい」、「ありがとう」と言えるようにという願いで命名されていたのであります。
毎週金曜日に日テレ系で放送されているテレビアニメである「それいけ!アンパンマン」もこのようなことが生かされているので、子供たちの教育にも良いと思います。
終点外川駅まで乗って、ありがとう!これは良いことであります。
あーにゃこと水湊あおひ氏😸が出てくる舞台は、5月1日から9日まで築地本願寺ブディストホール(昨年と同じ会場)で行われる「QUEEN DOM 文化女子の戦におけるかくも腹黒き百花繚乱戦国絵巻」であり、あーにゃ😸はBチームとなります。
あーにゃ😸は、昨日から稽古入りしていました。
あーにゃ😸の予約枠がピンチであると言われているので、自分(しゃもじ)🐰が行ってピンチをチャンスに変えてやりたいです。
自分(しゃもじ)🐰があーにゃ😸を救うということになりますように。
このことは、銚子電鉄を救え❗ということと同様であります。
あーにゃこと水湊あおひ氏😸は、自分(しゃもじ)🐰のTwitterのアカウントに、あーにゃ😸のアイコンを使っていたことで、とても嬉しいと言われました。
銚子電気鉄道線は、姉妹鉄道であるひたちなか海浜鉄道湊線(茨城県)🚃🌊と同様に廃線の危機に立たされ、銚子遊覧鉄道の二の舞になることが懸念されているけど、ぬれ煎餅の大ヒット等によって救われていました。
やはり銚子電鉄がないと不便である声が高まっているので、残すべきだと思っています。
銚子電鉄では、2018(平成30)年8月3日から、ぬれ煎餅🍘に続くオリジナル商品である「まずい棒」というスナック菓子が発売されているけど、こちらは、経営状況がまずいということから名付けられたものであり、8月3日の18時18分(破産は嫌々の語呂合わせ)に犬吠駅で売り出されていました。
まずい棒は、不味いというイメージが強いと言われているけど、うまい棒のパロディのように、正直おいしいと言われています。
この時に200万本売れたことを聞いたので、ぬれ煎餅と同様に大ヒットしていたことで何よりだと思っています。
4月17日には、岩下食品とのコラボによる、まずい棒 岩下の新生姜味(激しく辛(つら)いまずい棒)が発売される予定であります。
2006(平成18)年11月には、「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです」と言われていたけど、ぬれ煎餅の大ヒットによって救われていました。
銚子電鉄銚子駅の「絶対にあきらめない」は、困難にも負けずに絶対にあきらめないという精神が生かされているものであり、銚子電鉄でも言えることであります。
外川駅は、その見返りとして、ありがとう駅と呼ばれています。
お目当てである2002Fピンクニュージンジャー号の追っ掛けに成功したのも、絶対にあきらめない精神があったからであります。
絶対にあきらめないは、銚子以外でも使えるので、その精神を大切にしてもらいたいなと思っています。
銚子電気鉄道線を守るには、乗りに行くことはもちろんのこと、グッズを買うことでもあります。
観音駅は、銚子市立病院🏥への最寄り駅でもあるので、銚子電鉄が病院への足としても活用されています。
なので、病院への足を守ろうと言いたくなります。
岩下食品の看板商品である、岩下の新生姜とのコラボ列車である、ピンクニュージンジャー号は、大好評であり、自分(しゃもじ)も乗車・撮影することが出来て良かったと思っています。
ピンクニュージンジャー号の次回の運転予定は、4月10,11日であり、10日の土曜日は、今季の18きっぷの最終日でもあります。
銚子市は、れんてつの高架線姉妹(高架線はやぶさ💜、高架線こまち💖両氏)の出身地でもあるので、注目しています。
当初は、E131系で房総半島を1周する予定だったけど、銚子電鉄に変更しておいて良かったと思っています。
緊急事態宣言が解除されたからと言って油断は禁物であり、コロナ感染対策に取り組まなければならない状態となっています。
このことを肝に命じてもらいたいです。
このようなことを、東京ステーション♪の小麦ぱんこ氏🐼に話したところ、誉められました。
銚子電鉄は、乗るだけで元気が出てくると思います。
岩下食品の社長さん並びに岩下の新生姜ミュージアムの館長さんである、岩下和了氏は、とても良心的だと思っています。
もちろん岩下食品さんにもありがとうの気持ちを込めています。
銚子電気鉄道の社長さんである竹本勝紀氏も、良心的であり、絶対に諦めないという精神により銚子電鉄を支えるリーダーでもあります。
なので、竹本社長さんにもありがとうの気持ちを伝えたいと思っています。
このように、銚子電鉄のピンクニュージンジャートレインを撮影することや、それに乗ることが出来て良かったです。