こちらは、今月23日に、新所沢駅で撮影した、3000系3007Fによる国分寺線からの直通本川越行き、2000系2011Fによる国分寺発新所沢経由南入曽車両基地行きの直通臨時電車で、新所沢から南入曽まで、後者の2011Fに乗って行きました。
この日は、国分寺からの直通列車(東村山駅まで定期列車)が2本運転され、国分寺10時32分発→新所沢11時発が2011F、国分寺11時12分発→新所沢11時41分発が2047Fで、折り返しの南入曽11時35分発と12時10分発新所沢行きの帰りの臨時列車(洗車体験付き)にも使われていました。
帰りは2047Fに乗ったので、共に国分寺線からの直通列車の充当編成に乗ったことになったし。
西武国分寺線は、国分寺と東村山を結ぶ路線で、6両編成分までしか入れない為に2000系または3000系の6両編成に限定されています。
西武国分寺線が前身の川越鉄道の路線(川越鉄道川越線)として開業したのは、1894(M27)年12月21日の国分寺~久米川(仮、現在の東村山駅)間(当時は非電化路線で、途中駅が小川駅しかなかった)のことで、今年12月に開業120周年を迎えます。
翌年の1895(M28)年3月21日には、川越(現、本川越)まで延長されたことにより、現在の西武新宿線部分が先行開業していました。
1927(S2)年4月16日には、村山線(高田馬場(仮)~東村山間)が電化路線として開業し、電化された東村山~川越間との直通運転が行われ、現在の国分寺線に当たる国分寺~東村山間が支線に格下げされていました。
国分寺~東村山間は、1948(S23)年11月5日に電化されていたし。
1952(S27)年3月25日に西武新宿まで延長されたことにより、西武新宿~本川越間が新宿線、国分寺~東村山間が国分寺線となっていました。
西武国分寺線の国分寺駅は、JR中央線の北側にある1面1線の駅(5番線)で、1988(S63)年に改良されるまでの間は、国鉄→JR中央線に改札を出ずに乗り換えることが可能となっていたことを覚えています。
改良されるまで4両編成だったので、1988(S63)年にN2000系の4両編成が使われていたことも覚えているし。
多摩湖線のホーム(7番線が北側にあるのに対し、国分寺線ホームがJR線と並行しているのは、以前甲武鉄道→国鉄線と線路が繋がっていたことの名残であります。
小川駅は、西武拝島線と国分寺線の乗換駅で、国分寺線が中間部分に入っているので、交換シーンを見ることが出来るので、今月16日に乗りに行った時に2000系同士の並びを撮影することが出来ました。
この時に撮影した2000系は、2025Fと2027Fの連番の並びで、前者は本川越行き(方向幕車)、後者は国分寺行き(LED車)であります。
西武国分寺線の3000系は、3005Fが南入曽電車夏まつりでのお子さま制服撮影会用として使われていたので、実際に国分寺線運用に入っていた3007Fを撮影することが出来て良かったです。