昨日(12月17日)は、JR新宿駅の16番線で、中央・総武緩行線のE231系500番台のミツA520編成(元山手線のクハE231-520F)を初めて撮影しました。
この編成は、2002(平成14)年から2005(平成17)年に掛けて山手線の205系の置き換え用として52編成導入されていたE231系500番台のうちの1編成で、2003(平成15)年7月に山手電車区(現、東京総合車両センター)所属のヤテ→トウ520編成として、新津車両製作所(現、総合車両製作所新津事業所)で製造されていました。
山手線のE231系は、7号車と10号車に6ドア車があったけど、ホームドアの導入により、2010(平成22)年から2011(平成23)年に掛けて通常の4ドア車に差し替えられて廃車となっていました。
新中間車の7号車は、通常のE231系タイプ(600番台)、10号車は他の形式への編入を見据えた仕様(4600番台)で導入されたもので、10号車のサハが、改修の上で、来年度に山手線に導入される予定の新型のE235系に編入されることになります。
この520編成が、来年3月14日の上野東京ラインの開業に伴うE231系0番台の捻出(常磐快速線への転用で、6ドア車は当然転用されずに廃車となる)や、10号車のサハのE235系への転用準備により、フライングで運用離脱され、E235系に編入されるサハE231-4620号車を除いた10両が、A520編成として中央・総武緩行線に転用されたのであります。
9月2日にサハE231-4620号車の転用改造の為に新津まで配給輸送され、後にA520編成となる10両が送り返された上で東京総合車両センターで転用改造されて、10月28日に出場していました。
A520編成が中央・総武緩行線で営業運転が開始されたのは、12月1日のことで、29B運用(朝と夜の限定運用)に使われていたし。
E235系は、来年3月に量産先行車が落成、同年秋に営業運転が開始される予定であり、それが量産化されれば、E231系500番台の中央・総武緩行線への転用が進められることが予想されます。
新宿駅や代々木駅での500番台同士の乗り継ぎは、E235系への導入まで見られることになるし。
秋葉原駅では、山手線で2階部分を走っていたことに対し、その上の3階(オーバークロス)部分を走ることになります。
中央・総武緩行線では、2003(平成15)年12月15日に習志野電車区(千ラシ)が廃止されるまでの間、三鷹電車区(現、三鷹車両センター、八ミツ)と習志野電車区に分散され、2001(平成13)年まで、三鷹区に201系と205系、習志野区に103系も配置されていたけど、103系は編成バリエーションが豊富でした。
習志野電車区は、廃止後習志野運輸区となり、武蔵小金井電車区と同様に電留線化されています。
国鉄時代末期の1986(昭和61)年8月までは、津田沼電車区(千ツヌ)となっていたし。
京葉線の車両は、1990(平成2)年3月10日に東京まで延長開業されるまでの間(水色の103系が当たり前だった頃)は、習志野電車区所属で、千ラシの表示となっていたので、かつて習志野電車区が103系王国だったことを物語っています。
6ドア車のない209系500番台は、1999(平成11)年から2000(平成12)年に掛けて103系の緊急取り替え用として導入された編成であり、当初はE231系の一部と共に習志野電車区に配置されていました。
今回見た13C運用は、習志野電車区の名残のある運用であり、基本的に209系500番台が使われています。
こちらは、中央快速線の運用が全て豊田車両センターに移管された後も、武蔵小金井電車区時代のH運用が残されていることでも言えるし。
中央・総武緩行線の日中の運用は、三鷹、中野~津田沼、千葉間がメインであり朝の上りと夜の下りには、武蔵小金井、立川方面への直通列車もあります。
早朝・深夜には、中央快速線用のE233系による東京発着の各駅停車が運転されるけど、その間中央・総武緩行線は、御茶ノ水発着となるし。
E231系500番台が中央・総武緩行線に転用されて変化したことは、中央・総武緩行線の車両としては初となるLCD案内表示が付いたこと、山手線時代には無かった長い橋梁を渡ることなどであります。
例えば、浅草橋~両国間の隅田川橋梁、平井~新小岩間の荒川・中川橋梁、小岩~市川間の江戸川橋梁。
江戸川を越えて千葉県にも入るようになったことでも言えます。
前面スタイルの帯は、黄緑色から黄色に変わっているけど、E231系500番台にも合っていると思います。
おまけの画像は、同じ新宿駅で撮影したかつての同僚である山手線のE231系500番台のトウ542編成(クハE231-542F、A520編成から接続していた列車)で、ビフォーアフターとして載せておきました。
A520編成の中野の表示は、黄帯と共に中央・総武緩行線に転用されたことの証でもあります。