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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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桜羽るか氏の誕生日

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今日(8月31日)は、平成琴姫のリーダーである桜羽るか氏の25回目の誕生日です。おめでとうございます。

26日は、渋谷のDESEOで行われた平成琴姫のワンマンライブに行けて良かったです。

いわき駅での651系の普通列車

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続いては、JR常磐線のいわき駅で撮影した、651系のカツK201編成による普通列車で、2番線に到着していました。

この時には、E501系のカツK701編成(10両編成)による水戸行きが入線していたので、並びを撮影することも出来ました。

このことで、2013(平成25)年3月15日までの間にスーパーひたち号で活躍していた頃を思い出します。

いわき駅では、勝田駅と同様に分割・併合が行われていたし。

いわき駅は、橋上駅舎の3面6線の駅であり、1,2,3番線が常磐線上り(水戸、土浦、上野、品川方面)、3,4,5番線が常磐線下り(広野,竜田方面)、6番線が磐越東線(ゆうゆうあぶくまライン、小野新町、郡山方面)から成っています。

いわき発の特急(ひたち号またはときわ号、E657系による運転)は、全て1番線からの発車であり、4番線に到着してから引込線に入った後に1番線に入ることになるし。

この時には、1番線からの特急ひたち22号に接続していました。

ひたち22号は、途中、湯本、泉、勿来(なこそ)、高萩、日立、常陸多賀、大甕(おおみか)、勝田、水戸、上野、東京に停車してから品川へと向かう列車で、この日はカツK3編成が使われていたし。

その後E501系のカツK701編成で湯本まで行き、いわき湯本温泉に立ち寄りました。

いわきの湯本温泉は、箱根湯本駅や箱根湯本温泉と区別する為にいわき湯本温泉と呼んでいます。

1994(平成6)年12月3日に現在のいわき駅に変更される前は、平駅と呼ばれていたので、漢字一文字の駅から平仮名(ひらがな)の駅に化けたことになったし。

いわき市のうち、いわき駅のある場所は平市だった場所であり、1966(昭和41)年10月1日にいわき市となった後も平駅のままとなっていました。

いわき駅周辺にあるイトーヨーカドーは、いわき店ではなく、平店であるので、平だった頃の名残があります。

周辺にあるイオン(旧、サティ)は、いわき店と呼ばれているし。

いわき駅の5番線から発車する常磐線の列車は、上り、下り各2本と少ないけど、いわき14時42分発の竜田行きもその一つでした。

昨日埼玉スタジアム2002で行われた日本対オーストラリアの試合では、我が国日本代表が2対0で強豪オーストラリアに勝利し、来年のロシアでのFIFAワールドカップ(W杯)の出場権を獲得したという情報が入ってきました。

これにより、日本代表が6大会連続W杯への出場となったということでおめでとうございます。

楢葉町にあるJ-VILLAGE(Jヴィレッジ)繋がりでこのことを話題にしました。
このように、いわき駅でも651系を良い感じで撮影することが出来て良かったです。

E657系K8編成によるひたち20号

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こちらは、8月29日にJR常磐線のいわき駅で撮影した、E657系のK8編成による特急ひたち20号(品川行き)で、気になるイバラキのキャンペーン(9月30日まで行われる予定)のラッピングが施されていました。

ひたち20号(いわき 15時18分発)は、10月13日までの間、651系による竜田行きに接続するひたち11号の折り返しであり、4番線に到着した後に引込線に入り、1番線から発車することになります。

途中停車駅は、湯本、泉、磯原、日立、勝田、水戸、上野、東京で、ひたち11号も同じ停車駅であります。

ラッピングは、17編成のうちの6編成(K1,2,8,12,16,17編成)の1,5,10号車に施されており、このK8編成は、茨城の懐かしさがテーマとなっています。

K1編成は、歴史と文化 K2編成は、スポーツ K12編成は、自然・絶景 K16編成は、食・酒 K17編成は体験がテーマとなっているし。

カツK8編成は、昨年9月6日にもいわき駅で撮影していたので、偶然の出来事でありました。当時はひたち24号に使われていたし。

8月26日にラッピング付きのK8編成を品川駅(ひたち23号)でも撮影したので、今回改めて撮影したのであります。

10月14日には、品川発着の常磐線特急が朝と夕方以降に増発されるので、上野発着の常磐線特急が下り7本(土休日は6本)、上り3本と激減されます。

ときわ号で唯一のいわき発着であるときわ83,64号も品川発着となるので、上野始発のいわき行きの特急が、ひたち3号と、平日のひたち5号だけとなるし。

ひたち23,25,27号の土浦駅通過化(上野→水戸間ノンストップ)により、土浦駅に停車するひたち号が朝2往復と夜1往復の計3往復となってしまいます。

ときわ号なのに上野→土浦間ノンストップとなっているときわ89号(品川 21時45分、上野 22時ちょうど発、勝田行き)は、ときわ87号として高萩まで延長されることになるし。

上野 21時15分発土浦行きのときわ85号と、22時15分発勝田行きのときわ91号が廃止されるけど、その穴埋めとして、新ときわ85号と89号がひたち野うしくと荒川沖にも停車するようになります。

今回の改正では、E531系による品川発着(上野東京ライン)の土浦、水戸方面の列車も増発されるし。

このように、いわき駅でE657系のK8編成による気になるイバラキのラッピング電車を撮影することが出来て良かったです。










E657系K8編成によるひたち23号 品川駅

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続いては、8月26日にJR上野東京ラインの品川駅(9番線)で撮影した、E657系のK8編成による特急ひたち23号(いわき行き)です。

ひたち23号は、品川駅を17時45分に発車し、途中、東京、上野、土浦、水戸、勝田、大甕(おおみか)、常陸多賀、日立、磯原、泉、湯本駅に停車してからいわきへと向かう列車であり、いわき発品川行きのひたち18号の折り返しでもあります。

ひたち23号は、ひたち25,27号と同様に、10月14日の改正で土浦駅に止まらなくなり、上野→水戸間ノンストップとなってしまいます。

その分は、品川発となるときわ号による穴埋めとなるし。

こちらはいわき駅で、竜田行きの最終列車に接続しています。

広野町にある広野駅の発車メロディーは、童謡のふるさとであることに因んで、下りは「汽車」、上りは「とんぼのめがね」となっています。

どちらも駅前に歌碑があるし。

「汽車」の発車メロディーは、羽越線(新潟県)の村上駅でも使われています。

E657系のカツK8編成は、2012(平成14)年2月に日立製作所で製造された日立製のひたち号であり、同年3月17日にスーパーひたち号(当時)でデビューした時からある編成であります。

ひたち号の由来は、常陸(ひたち)の国であり、日立と読み方が同じであるし。

かつて485系によるひたち号が運転された時に、絵入りになる前に、ひたち HITACHIの表示となっていたので、日立の家電製品を思い出しました。

こちらは1998(平成10)年に485系のボンネット車で塗装と共に復刻されていたし。

E653系が常磐線のフレッシュひたち号(現、ときわ号)に使われていた頃は、5色の編成があって撮影する楽しみがありました。

E657系になってからは赤帯に統一されたことでつまらなくなっています。

651系やE653系が使われていた頃は、勝田駅で分割・併合作業が行われていたけど、E657系化により見納めとなってしまったし。

このように、品川駅でも気になるイバラキのラッピング付きのK8編成を撮影することが出来て良かったです。











1番線から発車することになります。
途中停車駅は、湯本、泉、磯原、日立、勝田、水戸、上野、東京で、ひたち11号も同じ停車駅であります。

ラッピングは、17編成のうちの6編成(K1,2,8,12,16,17編成)の1,5,10号車に施されており、このK8編成は、茨城の懐かしさがテーマとなっています。

K1編成は、歴史と文化 K2編成は、スポーツ K12編成は、自然・絶景 K16編成は、食・酒 K17編成は体験がテーマとなっているし。

カツK8編成は、昨年9月6日にもいわき駅で撮影していたので、偶然の出来事でありました。当時はひたち24号に使われていたし。

8月26日にラッピング付きのK8編成を品川駅(ひたち23号)でも撮影したので、今回改めて撮影したのであります。

10月14日には、品川発着の常磐線特急が朝と夕方以降に増発されるので、上野発着の常磐線特急が下り7本(土休日は6本)、上り3本と激減されます。

ときわ号で唯一のいわき発着であるときわ83,64号も品川発着となるので、上野始発のいわき行きの特急が、ひたち3号と、平日のひたち5号だけとなるし。

ひたち23,25,27号の土浦駅通過化(上野→水戸間ノンストップ)により、土浦駅に停車するひたち号が朝2往復と夜1往復の計3往復となってしまいます。

ときわ号なのに上野→土浦間ノンストップとなっているときわ89号(品川 21時45分、上野 22時ちょうど発、勝田行き)は、ときわ87号として高萩まで延長されることになるし。

上野 21時15分発土浦行きのときわ85号と、22時15分発勝田行きのときわ91号が廃止されるけど、その穴埋めとして、新ときわ85号と89号がひたち野うしくと荒川沖にも停車するようになります。

今回の改正では、E531系による品川発着(上野東京ライン)の土浦、水戸方面の列車も増発されるし。

このように、いわき駅でE657系のK8編成による気になるイバラキのラッピング電車を撮影することが出来て良かったです。



カウントダウンを迎えた両毛線の107系

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昨日(9月3日)は、高崎から桐生まで、JR両毛線のサンドイッチ列車こと107系100番台のR7+R8編成による桐生行きに乗りました。

107系は、115系と共に、211系への置き換えが進められており、最後まで残されたR7+R8編成が9月末に定期運用から撤退し、10月1日と7日の団臨をもって最後の時を迎えることになります。

8月2日から、両先頭車にありがとうヘッドマーク(ステッカー)が貼り付けられているので、2013(平成25)年3月15日までJR日光線で活躍していた107系0番台の最後の時を思い出しました。

この日は、両毛線の422,431,442,457,460,467,476Mに使われていたけど、そのうちの457M(高崎発桐生行き)で乗ることが出来たのであります。

107系の運用は、211系の4連と共通であり、日によって運用が異なるので事前に調べておく必要があるし。

本当は、桐生から107系で高崎まで戻りたかったけど、後続の211系で小山まで行ったのであります。

今回は高崎から伊勢崎までR7編成、伊勢崎から桐生までR8編成に乗りました。

両毛線の路線(高崎~新前橋間は上越線)

高崎~高崎問屋町~井野~新前橋~前橋~前橋大島~駒形~伊勢崎~国定~岩宿~桐生~小俣~山前~足利~富田~佐野~岩舟~大平下~栃木~思川~小山

乗換駅

高崎 高崎線(一部上野東京ラインまたは湘南新宿ラインとして東海道線へ直通運転)、八高線(八王子方面へは全て高麗川駅で乗換)、信越線(高崎~横川間)、上越・北陸新幹線、上信電鉄線

新前橋 上越線、吾妻線

伊勢崎 東武伊勢崎線

桐生 わたらせ渓谷鐵道線

佐野 東武佐野線

栃木 東武(日光線、宇都宮線)

小山 JR宇都宮線(一部上野東京ラインとして東海道線、湘南新宿ラインとして横須賀線へ直通運転)、水戸線、東北新幹線

前橋駅から上毛電鉄線の中央前橋駅まで徒歩またはバス、桐生駅から上毛電鉄線の西桐生駅まで徒歩で行くことも出来ます。

107系は、1988(昭和63)年から1991(平成3年)に掛けて、JR日光線用の0番台が8編成、上州、両毛エリア(上越線、吾妻線、信越線、両毛線)用の100番台が19編成製造されていました。

製造された場所は、大船工場(のちの鎌倉総合車両センター深沢地区で現在は廃止されている)、大宮工場(現、大宮総合車両センター)、大井工場(現、東京総合車両センター)、新津車両所(新津車両製作所→総合車両製作所新津事業所の前身)、長野工場(現、長野総合車両センター)、郡山工場(現、郡山総合車両センター)であったし。

車体は105系に準じたトイレ付きの3ドアロングシートで、かつての直流急行型車両だった165系の足回り品が再利用されています。

かつてJR東海の飯田線で活躍していた119系も似たような車両でありました。

R7編成(クモハ107-107F)は、1989(平成元)年9月に大井工場(現、東京総合車両センター)で、R8編成(クモハ107-108F)は、1989年10月に新津車両所(現、総合車両製作所新津事業所)で製造されていた編成であり、高崎寄りにR7編成、小山寄りにR8編成が連結されています。

側面のステッカーは、左側がサンドイッチ塗装、右側が107系がイメージされたデザインとなっているし。
107系100番台の廃車は、昨年7月のR2,12,18,19編成から行われ、これまで運用離脱された編成のうち、R13編成とR14編成が同じ群馬県を走る上信電鉄に譲渡されています。

塗装は変わることになるけど、トイレのほうは撤去または閉鎖されると思われるし。

上信電鉄では、2両6編成12両の107系がJR東日本から譲り受けされる予定であり、R7編成とR8編成も上信電鉄入りすることが予想されています。

最初は0番台と同様に全て長野総合車両センターで解体されることが懸念されていたけど、上信電鉄で活躍してくれることは嬉しい出来事であるし。

2両編成を組めることが上信電鉄への譲渡の決め手となったのであります。

クモハ107-107号車は、ゾロ目の編成であり、既に廃車となったR6編成のクハ106-106号車もこうなっていました。

2014(平成26)年4月8日に川原湯温泉駅付近の線路切り替え前の吾妻線で、107系のR9+R11編成に乗ったけど、どちらも廃車解体されていたので、川原湯温泉駅付近の旧線と共に過去のものとなっています。

107系100番台の特徴であったサンドイッチ塗装が見納めとなってしまうことで寂しさを感じてしまったし。

今年になってからは上越線(新前橋~水上間)、吾妻線、信越線(高崎~横川間)から撤退し、専ら両毛線(高崎~小山間)で最後の花道を飾る状態となっています。

10月1日は、吾妻線(高崎~大前間)と上越線(高崎~水上間)で、10月7日は、信越線(高崎~横川間)と両毛線(高崎~小山間)で団臨が運転される予定なので、107系が活躍していた路線を再び走ることになるし。

車内には、107系に対するお別れメッセージがありました。

107系の乗車・撮影はお早めにということになるけど、マナーを守ってもらいたいと思っています。

このように、カウントダウンを迎えた107系に乗ることや、それを撮影することが出来て良かったです。

画像は、高崎駅で撮影したものです。

カウントダウンを迎えた両毛線の107系2 桐生駅

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続いては、一昨日(9月3日)に、JR両毛線の桐生駅の4番線で撮影した、107系100番台のR7+R8編成による折り返しの高崎行きです。

桐生駅は、JR両毛線とわたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線(旧国鉄→JR足尾線)が乗り入れている2面4線の高架駅であり、1番線がわたらせ渓谷線(大間々、足尾、間藤方面)、2番線が両毛線下り(足利、栃木、小山方面)、3,4番線が両毛線上り(伊勢崎、前橋、高崎方面)から成っています。

両毛線の場合は列車によって発着番線が変わることもあるし。

両毛線の駅のうち、高架駅なのは、前橋、伊勢崎、桐生、栃木の各駅であり、この桐生駅に関しては、1983(昭和58)年10月に3,4番線が、1985(昭和60)年10月に1,2番線がそれぞれ高架化されていました。

発車メロディは、2011(平成23)年6月15日から両毛地域(群馬県と栃木県)のご当地民謡である「八木節」が使われているので、桐生らしさを感じています。

8月には、桐生市で桐生八木節まつりが行われているし。

今年になってからは、東京の浅草(台東区の浅草六区ブロードウェイ商店街)でも、桐生八木節まつりin浅草が行われるようになり、これまで1月,4月,7月に行われていました。

こちらは、浅草から東武鉄道の特急りょうもう号で桐生市まで乗り換えなしで行けるという縁もあるし。

東武桐生線の新桐生駅(特急りょうもう号も停車)から桐生駅までは、離れているので、おりひめバス(桐生市のコミュニティバスで、運行が桐生朝日自動車(東武、朝日自動車グループ)に委託されている)を使うことになります。

桐生駅と上毛電気鉄道上毛線の西桐生駅の間なら徒歩で行けるし。

西桐生駅の駅舎は、1928(昭和3)年11月10日に上毛線の中央前橋~西桐生間の全線が開業した時から使われている洋風建築の駅舎であり、関東の駅百選や、国の登録有形文化財に認定されており、織物の町桐生にぴったりだと思っています。

上毛電気鉄道では、1928年の開業当時の車両であるデハ100型のうち、ぶどう色のデハ101号車がイベント用として動態保存され、黄色のデハ104号車が大胡車両区で静態保存されているし。

1928年は、11月18日にディズニーのメインキャラクターであるミッキーマウスとミニーマウスが、蒸気船ウィリーでデビューしたので、上毛線は、ミッキーマウスやミニーマウスと同い年であることが分かります。

107系は、足回り品だけでなく、冷房装置も165系からの流用品となっているので、冷房装置を見れば一目瞭然であります。

165系はJR東日本、JR東海、JR西日本に継承されたけど、JR東海からは1999(平成11年)に、JR西日本からは2002(平成14)年に運用離脱され、翌年の2003(平成15)年9月28日をもってJR東日本所属編成も上沼垂運転区(現、新潟車両センター)所属編成を最後に全廃されていました。

当時は、新潟県の山古志村(現、長岡市)が舞台となっていたNHKの朝の連続テレビ小説の「こころ」が放送されていた時であり、それに因んで、越後湯沢~長岡間で臨時快速こころ号が運転されていたけど、その最終回が放送されていた9月28日には、越後湯沢→新潟間でさよならこころ号が運転されていたので、こころの終了と共に最後を迎えていたし。

同年6月には、新前橋電車区(現、高崎車両センター)から165系が引退していたけど、晩年はリバイバルされた湘南色となっていました。

臨時列車に転用されていた時はモントレー塗装となっていたし。

JR東海で活躍していた165系のうち、クモハ165-108号車とサロ165-106号車(グリーン車)は、名古屋市港区にあるリニア・鉄道館(あおなみ線の金城ふ頭駅前)で静態保存されています。

165系のグリーン車は、1996(平成8)年3月15日まで東京~静岡間で運転されていた急行東海号や、大垣夜行(ムーンライトながら号の前身)、その前後の東京~静岡間の普通列車に使われていたし。

急行東海号は、373系化により特急東海号となっていたけど、利用客の減少により2007(平成19)年3月18日に廃止されていました。

新前橋電車区が高崎車両センターとなったのは、2005(平成17)年12月10日のことであり、前橋市にあるのに高崎車両センターということでややこしい状態であります。

これまでの高崎車両センター(2004(平成16)年6月1日に高崎運転所から改称)は、高崎車両センターの高崎支所となっているし。

リゾートやまどりの485系改も高崎車両センター所属であり、一昨年3月14日には、同じ485系改であるお座敷電車の宴と華が小山車両センターから転入してきています。

1997(平成9)年9月30日に、信越線の横川~軽井沢間(碓氷峠越えの横軽区間)が廃止されるまでの間は、EF63型電気機関車との協調運転により、軽井沢まで乗り入れていたこともありました。

当時新前橋電車区に在籍していた185系も、軽井沢まで乗り入れていたこともあったし。

横軽区間の廃止から早いもんで20年経つのであります。

信越線は、軽井沢~篠ノ井、長野~妙高高原間がしなの鉄道、妙高高原~直江津間がえちごトキめき鉄道として第三セクター化されているので、高崎~横川、篠ノ井~長野、直江津~新潟間と3つの区間となっています。

群馬県の横川駅では、横軽区間があった時に峠の釜めしの立ち売りが盛んに行われ、長い停車時間に買い求める人たちで賑わっていました。

横川駅には、碓氷峠鉄道文化むらがあるので、ここでも峠の釜めしが売られています。

峠の釜めしは、北陸新幹線のうち、高崎駅と軽井沢駅の両方に停車するはくたか号の車内販売でも買えるけど、以前 はあさま号でも売られていました。

あさま号の車内販売は、昨年3月26日をもって廃止されていたし。

北陸新幹線と言えば、昨日(9月4日に)仙台→金沢間での直通の団臨(東北から北陸へのツアー列車)が運転され、明日(9月6日は)、金沢→仙台間の復路が運転される予定であり、10月23日と25日には、金沢発仙台行きの北陸から東北に行く人向けの逆ルートも運転される予定となっています。

18きっぷで107系に乗るなら、9月10日までの間がラストチャンスであります。115系のほうもついでに乗車・撮影を行う必要もあるし。

このように、桐生駅でも107系を良い感じで撮影することが出来て良かったです。

復刻青ガエルラッピングの東急5122F in和光市

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一昨日(9月4日)は、雑司が谷から和光市まで、東急電鉄新5000系の5122Fによる復刻青ガエルラッピング電車に乗りました。

このラッピングは、1927(昭和2)年8月28日に、渋谷~丸子多摩川(現、多摩川)間が前身の東京横浜電鉄によって開業し、東横線になってから今年で90周年を迎えたことにより施されたものであり、1954(昭和29)年にデビューし、1980(昭和55)年まで東横線で活躍していた青ガエルこと初代5000系がイメージされています。

初代5000系自体は、1986(昭和61)年6月に目蒲線(現在の目黒線の一部と東急多摩川線)を最後に全廃されていたけど、地方私鉄に譲渡された初代5000系は、昨年2月14日の熊本電気鉄道上熊本線(熊本県)でのさよなら運転を最後に完全に全廃されていました。

現在は渋谷駅のハチ公口に初代5001号車が展示されているので、5122Fと照らし合わせることが出来ます。

5122Fは、2009(平成21)年に7両が東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)で製造され、5117Fに連結されていた5417→5522号車が組み込まれて8両化されていました。

東横線の新5000系は、5118,5119,5121,5122Fの4編成あり、そのうちの5121Fは田園都市線(10両編成)での運用実績があるけど、5118,5119,5122Fは田園都市線用となるはずだった車両となっています。

5122Fの元町・中華街寄りの先頭車であり5822号車は、新製当初5022号車を名乗っていたのはその為であったし。

当時は、6ドア車の組み込みが進められていた為に4ドア車が余っていた時代でありました。

田園都市線の 6ドア車から新4ドア車への差し替えは、山手線のE231系と同じような手順で行われていたけど、6ドア車の廃車発生品の一部が、大井町線の急行専用車である6000系の7両化用の中間車に転用されています。

新5000系の実際に東横線用となってからは、帯が貼り替えられただけで、青系の内装はそのままであるし。

これらの編成は、副都心線、西武池袋線、東武東上線直通対応に改造されているので、そのまま東横線に残されることになります。

このような5000系リバイバルのラッピングは、5050系に施されることが予想されていたけど、新5000系に施されたことで5000系への拘りがあることが分かります。

この日(9月4日)は、青ガエル風ラッピング電車の初日であり、平日16K運用に使われていました。

朝には、石神井公園まで乗り入れていたので、初日から西武池袋線に入っていたし。

この時に乗った列車は、元町・中華街発和光市行きで、元町・中華街から渋谷まで急行となっていました。

副都心線の各停は、大部分が8両編成であるけど、東横線、みなとみらい線で急行となる列車に関しては、8両編成と10両編成が混在しています。

東横線、みなとみらい線の各停は、8両編成に限定されているので、副都心線直通列車も必然的に8両編成となるし。

各停の場合は、優等列車の待避が行われるので、その合間に撮影することも可能であります。

和光市駅が東上線の駅として開業したのは、1934(昭和9)年2月1日のことであり、当初新座郡新倉村にあったことから、ひらがなの「にいくら」駅と呼ばれていました。

同年7月12日には、にいくら駅から新倉駅となり、1951(昭和26)年10月1日には、大和町(やまとまち)駅に変わっていました。

北足立郡大和町は、1943(昭和18)年4月1日に、白子村との合併により出来た和光市の前身であり、1970(昭和45)年10月31日には、市制施行により、現在の和光市となっています。
大和町駅から和光市駅となったのは、1970年12月20日のことであるし。

和光市の由来は、大和の和に栄光の光が組み合わされたものであり、大和町からの門出に相応しいと思っています。

1987(昭和62)年8月25日の営団地下鉄(現、東京メトロ)有楽町線の和光市~営団成増(現、地下鉄成増)間の開業により、東武東上線との直通運転が行われるようになり、和光市~志木間も複々線化されていました。

今年8月25日には、東武東上線と地下鉄有楽町線の直通運転や和光市~志木間の複々線化30周年を迎えていたので、和光市駅にこれらの記念表示がありました。

この日は奇しくも自分(しゃもじ)がAQUOSRことSHV39でスマホデビューした日でもあるし。

30年の間に、有楽町線直通列車のみならず、副都心線や東急東横線直通列車も加わったことにより時代は変わったなと思いました。

和光市駅には、西武6000系が乗り入れることもあるし。

東急電鉄の車両の営業運転としての埼玉県への乗り入れは、2003(平成15)年3月19日の地下鉄半蔵門線の水天宮前~押上間の開業に伴う東武伊勢崎線(現在の東武スカイツリーライン)との直通運転開始の時からであり、2013(平成25)年3月16日の東急東横線の渋谷~代官山間の地下新線への移設に伴う副都心線との直通運転開始により、西武池袋線や東武東上線へも拡大されています。

東横線の5050系の8連、新5000系や横浜高速鉄道所有のY500系は、副都心線の和光市~渋谷間のほか、東武東上線の和光市~志木間、西武池袋線、有楽町線の小竹向原~飯能間への乗り入れも行われているし。

5050系4000番台のうち、一部の編成が8両編成に短縮されており、和光市では、そのうちの4105Fとの並びが見られていました。

改良される前の大和町→和光市駅は、1面2線の島式ホームの地平駅であり、現在の下りホームのある場所に駅舎(当時は南口の1ヶ所だった)がありました。

有楽町線乗り入れにより、急行が停車するようになり、北口も新設されていたし。

東急東横線の中目黒駅も似たような構造であり、日比谷線乗り入れと共に改良されていました。

中目黒駅も、代官山、祐天寺、学芸大学(旧、碑文谷→青山師範→第一師範)、都立大学(旧、柿の木坂→府立高校前→府立高等→都立高校)、自由が丘(旧、九品仏前→自由ヶ丘)の各駅と共に開業90周年を迎えていたし。

今から10年前の2007(平成19)年には、5050系の5159Fによる東横線開業80周年記念ラッピング電車が運転されていたけど、当時は渋谷駅が地上駅であり、元住吉駅が高架化される前でありました。

元住吉駅は、2006(平成18)年9月24日に高架化された通過線のある2面6線の駅(東横線と目黒線)であり、2階がプラットホーム、3階が改札、コンコースから成っています。

プラットホームが東横線と目黒線の車両基地である元住吉検車区の真上にある為に元住吉駅での出入庫が不可能であるので、武蔵小杉または日吉駅での出入庫となるし。

土休日に西武40000系によって運転されるS-TRAINの2号と3号(飯能発着)では、元住吉検車区に間合いで入庫することになるので、営業運転開始前の試運転を思い出します。

緑色の青ガエル風のラッピングは、新5000系にも似合っていると思います。

こちらは、9月4日から約1年間運転される予定であり、日によって運用が異なります。

このように、東急5122Fによる青ガエル風のラッピング電車に乗ることや、和光市駅でそれを撮影することが出来て良かったです。

復刻青ガエルラッピングの東急5122F 2 小竹向原駅

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続いては、9月4日に小竹向原駅で撮影した、東急電鉄新5000系の5122Fによるラッピング電車です。

小竹向原駅では、メトロ有楽町線(新木場)から来た西武線直通の清瀬行きとの待ち合わせにより停車していたので、ここでも撮影することが出来ました。

この5122Fは、8両編成なので、撮影しやすい面もあります。

青ガエル風のラッピングは、初代5000系に近づけるように施されているので、運用番号表示も90となっています。

千川~小竹向原間では、携帯の電波が圏外となっていたけど、現在は使えるようになっています。

このように、小竹向原駅でも青ガエル風ラッピング電車である5122Fを撮影することが出来て良かったです。

東武東上線の51094FによるKEYTOBUトレイン

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9月4日は、東武東上線の池袋駅で、51094FによるKEYTOBUトレイン(KEYTALKとのコラボヘッドマーク付き)を撮影しました。

この日は、池袋 19時30分発のTJライナー7号に使われていたけど、上りの快速急行ではなく、回送での送り込みとなっていたので、和光市から池袋まで9101Fによる快速で移動した時に下板橋の留置線で確認したのであります。
 
平日のTJライナー7号は、池袋駅の5番線を19時30分に発車し、途中、ふじみ野、川越、川越市、坂戸、東松山、森林公園、つきのわ、武蔵嵐山に停車してから小川町(埼玉県)へと向かう列車であり、他の下りTJライナーと同様に、池袋からふじみ野までの間に限り、着席整理券(310円)が必要となります。
 
KEYTALKは、小野武正、八木優樹、首藤義勝、寺中友将各氏による4人組の男性ロックバンドグループであり、2013(平成25)年にメジャーデビューしていました。
 
7月20日から9月10日までの間に、東武鉄道(東上線)とKEYTALKのコラボイベントである「夏フェスティバル♪KEYTOBU」が行われているのは、川越市などの東武東上線沿線がKEYTALKの活動の原点(ゆかりの地)であることの縁もあり、期間中には、柳瀬川、上福岡、川越、鶴ヶ島、森林公園の各駅の発車メロディーがKEYTALKの楽曲となっています。
 
KEYTALKが結成されたのは、2007(平成19)年9月のことであり、当時はrealというグループ名でありました。
 
現在のKEYTALKとなったのは、2009(平成21)年10月4日のことであったし。
 
8月26日には、51094Fによる団臨であるKEYTOBUトレインが池袋から川越まで運転されていたけど、池袋駅の1日駅長として活躍していたKEYTALKのメンバーたちによる同乗が行われていたので、人気グループということもあって、池袋駅ではパニック状態でありました。
 
自分(しゃもじ)は東京総合車両センターでのイベントに行っていた為に行かなかったけど、もしもそこに行っていたら混乱していたところでした。
 
51094Fは、その後にTJライナーで一般の営業運転に入っていたし。
 
このKEYTOBUトレインは、9月10日まで運転される予定であり、その最終日である9月10日には、横浜アリーナ(新横浜)で、KEYTALKの結成10周年記念ワンマンライブが盛大に行われることになります。

そのチケットは完売御礼(SOLDOUT)となっているし。
 
KEYTALKの新曲は、8月30日にリリースされた「セツナユメミシ」であり、4曲収録されています。
 
51094Fは、2008(平成20)年6月14日にTJライナーがデビューした時からある4本のうちの1本であります。
 
この日は、和光市まで東急電鉄の5122F(復刻青ガエルラッピング)を撮影した後だったので、東上線繋がりにより双方の話題となっていたし。
 
50090系は、TJライナー及び送り込みの快速急行のほか、ロングシートモードによる池袋~小川町間の一般列車(普通、準急、急行、快速、快速急行)にも使われることもあります。
 
こちらは西武40000系で、S-TRAINのほか、ロングシートモードでの一般運用にも使われていることと同様であるし。
 
このように、東武東上線の池袋駅で、51094FによるKEYTOBUトレインを撮影することが出来て良かったです。

八高線の209系3000番台 八王子駅

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9月3日は、八王子から高麗川まで、八高線(八高南線)の209系3000番台のハエ61編成(クハ209-3001F)による川越行きに乗りました。

こちらは、八王子駅を13時48分に発車する川越西線(川越~高麗川間) 直通列車であり、高麗川で、14時33分発の八高北線高崎行きに接続していたので、高麗川までそれに乗って行ったのであります。

この日は高崎から桐生まで107系の名残乗車をしていたけど、高崎線経由ではなく、八王子から八高線の高麗川乗継ぎの旅を楽しんだのであります。

1996(平成8)年3月16日に八高南線の八王子~高麗川間が電化される前は、キハ30系列やキハ38形による八王子~高崎間の直通運転が行われていました。

現在は高麗川駅での乗換が必要となっているので、高麗川で高崎行きに(から)接続する列車は、八王子~高崎間の直通列車の名残があるし。

ハエ61編成は、1996年3月16日の電化の時に4編成導入された209系3000番台のうちの1編成であり、3000番台で唯一の川崎重工業製でもあります。

こちらは、一昨年8月22日の東京総合車両センターのイベント(夏休みフェア2015、山手線のE235系が初お披露目された時)での試乗列車に使われていたので、それに乗った時のことを思い出しました。

今年の試乗会には、横須賀・総武快速線のE217系のクラY106編成(4両編成)が使われていたし。

八王子駅では、タンク車のタキ1000形の15両編成が止まっていて、ハイブリッドDLのHD300-7号機と連結されていました。

この時に見たタキ1000形は、タキ1000-258,817,867,586,874,580,259,152,754,253,145,160,295,17,83号車であり、そのうちのタキ1000-580号車との並びを撮影することが出来たのであります。

八高線の209系3000番台は、前面も方向幕となっているので、こちらもお気に入りのポイントとなっているし。

このように、八王子から高麗川まで、209系3000番台に乗ることが出来て良かったです。

E657系によるときわ85号 土浦行き

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9月7日は、JR常磐線の上野駅の16番線で、E657系のカツK4編成による特急ときわ85号の土浦行きを撮影しました。

こちらは、上野駅の16番線を21時15分に発車し、途中、柏、佐貫、牛久、ひたち野うしく、荒川沖の各駅に停車してから土浦へと向かう列車であり、10月14日の改正で、上野 22時15分発のときわ91号(勝田行き)と共に廃止されることになります。

その代わりに、後続の上野 21時30分発のときわ87号(上野発高萩行き)が、品川発勝田行きのときわ85号(2代目)に変更され、ひたち野うしく駅と荒川沖駅にも止まるようになるし。

品川発高萩行きの最終特急は、品川 21時45分、東京 21時53分、上野 22時ちょうど発のときわ87号(ときわ89号から変更されると共に、高萩まで延長される)となります。

上野 22時30発のときわ93号(勝田行き)も、品川発のときわ89号に変更されると共にひたち野うしく駅と荒川沖駅にも停車するようになるし。

上りのときわ号では、勝田 5時56分発上野行きのときわ56号(平日のみ運転)が、後続のときわ58号(高萩発上野行き)との統合により廃止され、ときわ58号から変更される新ときわ56号が平日のみ運転の勝田発上野行きとなります。

その代わりに、勝田始発上野行きのときわ60号が高萩始発品川行きの新ときわ55号に変更されるし。

ときわ号は、下り2本、上り1本が削減されるので、ときわ93,95,94号がなくなることになります。

ときわ号の上野行きは、朝の4本(土休日は3本)だけとなるし。

土浦行きの特急は、下り2本、上り1本が残ることになるので、完全に見納めとなる訳ではないです。

このように、上野駅で廃止される予定のときわ85号の土浦行きを撮影することが出来て良かったです。




E657系のK11編成によるときわ87号 高萩行き

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続いては、9月7日に上野駅の17番線で撮影した)、常陸多賀、日立に停車してから高萩へと向かう高萩行きの下り最終特急であり、勝田 19時47分発上野行きのときわ90号(途中、水戸、友部、石岡、土浦、柏に停車)の折返しでもあります。

10月14日の改正で、品川発勝田行きのときわ85号(2代目)となり、ひたち野うしく、荒川沖停車化と共に勝田行きとして短縮されるけど、その代わりに品川 21時45分、
東京 21時53分、上野 22時ちょうど発のときわ89号(勝田行き)が、2代目ときわ87号として高萩まで延長されることになります。

これにより、高萩行きの下り特急の最終特急が30分繰り下げとなり、品川駅や東京駅からも乗れるようになるし。

こちらは下りときわ号で唯一上野→土浦間ノンストップ(柏駅通過)なので、遠近分離が行われるのもそのはずであります。

いわき発着のときわ号は、83号と66号の1往復のみであるけど、10月14日の改正で、下りの83号(いわき行き)が品川発、上りのいわき発のときわ号が66号から64号に変更されるし。

10月14日からは下りの常磐線特急の品川発の増発により、上野発の定期特急が朝の4本(土休日は3本)、夜の3本の計7本(土休日は6本)に激減してしまうことで寂しさを感じるようになります。

これにより、16,17番線の「あゝ上野駅」の発車メロディーを聞ける回数も減ってしまうことになるし。

あゝ上野駅は、1964(昭和39)年に発売された故・井沢八郎氏の代表曲であり、かつて上野駅が北の玄関口として賑わっていた時のことが歌われていました。

この発車メロディーは、2013(平成25)年7月28日に上野駅開業130周年記念として、夜行列車も発着していた13番線で使われていました。

昨年11月1日からは、「Cielo Estrellado」と入れ替わる形で、16,17番線の発車メロディーとして使われるようになっています。

「Cielo Estrellado」の発車メロディーは、山手線の五反田駅で初めて聴いたものであり、現在は2番線(外回り)で使われているし。

それに対して、「Water Crown」の発車メロディーは、隣の目黒駅のイメージが強い状態であります。

どちらも、りんかい線の駅の標準発車メロディーとなっているので、1996(平成8)年3月30日に臨海副都心線として新木場~東京テレポート間が開業した時に初めて乗りに行った時にJRみたいだな!と思っていました。

70-000形のほうもJRの209系がベースとなっているし。

上野駅が開業したのは、1883(明治16)年7月28日のことであり、日本鉄道の上野~熊谷間(現在の高崎線)と共に始まっていました。

路線が延長されるにつれて、北の玄関口の役割を果たすようになったけど、1991(平成3)年6月20日の東北・上越新幹線の東京駅までの延長により、北の玄関口の役割が徐々に薄れてきています。

常磐線も、日本鉄道によって開拓された路線であるけど、そのうちの友部~水戸間は、現在の水戸線と共に水戸鉄道(のちに日本鉄道に吸収合併されていた)によって開拓されていたし。

高萩駅は、1897(明治30)年2月25日に水戸~平(現、いわき)間で開業した時からある駅であり、今年で開業120周年を迎えていました。

今年は、NHKの朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の舞台として話題になっていたし。

10月2日から来年の3月31日まで放送される予定の次期の朝の連続テレビ小説は、「わろてんか」であり、京都や大阪が舞台となります。

こちらは、葵わかな氏(スターダストプロモーション所属で、元乙女新党のメンバーの女優)がヒロイン役(藤岡てん役)として活躍することになるし。

乙女新党は、昨年7月3日に惜しまれて解散してしまったアイドルグループだったけど、葵わかな氏に関しては、2014(平成26)年7月5日に荒川ちか氏と共に卒業していました。

わろてんかの主題歌は、松たか子氏の「明日はどこから」となるし。

今年4月1日まで放送されていた朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」の主題歌には、Mr.Children(ミスチル)の「ヒカリノアトリエ」が使われていたので、ミスチルのファンであるステーション♪のうぶちゃんこと桜田初姫氏を思い出しました。

上野駅は、浅草と共に日本で初めて地下鉄が乗り入れた駅であり、東京メトロ銀座線の一部である浅草~上野間が開業してから今年末の12月30日に90周年を迎えることになります。

上野駅では、ちょうど18年前の1999(平成11)年9月に常磐線特急専用ホームだった18番線が廃止されていたけど、16,17番線とは異なり、発車ベルのままとなっていました。

東北・上越新幹線の上野乗り入れ工事により、1980(昭和55)年5月に旧20番線が、1983(昭和58)年7月に旧21番線がそれぞれ廃止されていたので、東京駅と同様に新幹線の乗り入れにより廃止された在来線ホームがあったことが分かります。

東北・上越新幹線の上野駅は、1985(昭和60)年3月14日に開業した日本の新幹線で唯一の地下駅であります。

当時の常磐線では、急行ときわ号の廃止、特急ひたち号の増発、つくばの科学万博輸送、白に青帯塗装の登場などで話題になっていました。

ひたち野うしく駅は、1998(平成10)年3月14日に開業した2面4線の駅であり、つくば万博で使われていた万博中央臨時駅の跡に建設されています。

万博中央臨時駅は、2面2線の相対式ホームだった駅であり、ここで使われていた跨線橋が残されていたことでその名残がありました。

ひたち野うしく駅には、西口に万博中央駅の記念碑(飛翔)があるけど、万博中央臨時駅跡であることを知らない人が多い状態であります。

こちらは牛久市と住宅・都市整備公団(現、都市再生機構)による負担で建設された請願駅であり、そのお陰で万博中央駅がひたち野うしく駅として開業していたし。

同時に開業したJR武蔵野線の東松戸駅も、松戸市からの要請によって開業した請願駅であります。

そのお陰で、先に開業していた北総線への乗り換えが可能となり、現在は東松戸駅にも停車する京成のアクセス特急に乗り換えることで成田空港や羽田空港へもすぐに行けるようになっているし。

上野駅の17番線からは、E657系を良い感じで撮影出来るけど、その回数がへってしまうのが残念であります。

このように、上野駅の17番線でE657系によるときわ87号の高萩行きを撮影することが出来て良かったです。

おまけの画像は、ときわ90号上野行きの表示で、10月14日以降はときわ88号の品川行きとなります。ときわ90号のほうは1時間繰り下げとなるし。

211系のC4編成による横川行き

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9月7日は、高崎から横川まで、信越線(高崎~横川間)の211系タカC4編成による横川行きに乗りました。

このタカC4編成は、6両固定編成扱いの3+3編成のC編成のうちの1本であり、以前高崎線または宇都宮線でグリーン車付きの10両基本編成(元をただせばA4編成とA5編成)として活躍していました。

211系で、グリーン車付きの旧C編成は、C1~C17編成があったけど、C9,10,11,12編成は、長野総合車両センター(山梨、長野ローカル用)に転用され、C2,4,6,8,13,15,17編成は、C編成のまま、3+3の6両編成として使われるようになっています。

以下の旧C編成は、分割の上で4両化され、C1編成はA2,A3編成、C3編成はA58,59編成、C5編成はA56,57編成、C7編成はA51,52編成、C14編成はA60,61編成、C16編成はA9,10編成となっているし。

5両付属編成だったA編成のうち、A25,26,27,28,30,31,32,33,34,36,37編成は、4両化されています。

211系のA編成は、両毛線から小山駅を経由して宇都宮まで乗り入れる運用が1往復あるけど、今年3月3日までは、黒磯へも乗り入れていました。

今回乗ったC4編成は、旧A5編成側のクモハ211-3005号車で、6号車の号車札があることから、6両固定編成扱いであることが分かります。

115系は、昨年4両固定編成が全廃され、3両編成が残されているけど、

信越線(高崎~横川間)の路線

高崎~北高崎~群馬八幡~安中~磯部~松井田~西松井田~横川

高崎駅は、高崎線(一部、上野東京ラインまたは湘南新宿ラインとして東海道線に直通運転)、上越線、両毛線、吾妻線、八高線(八王子方面へは全て高麗川駅で乗換)、上越・北陸新幹線、上信電鉄線への乗換駅であります。

横川~軽井沢間のバス(JRバス関東による運行)が7往復あり、高崎 7時30分、9時24分、11時22分、13時22分、14時22分、16時43分、18時12分発の横川行きから接続しています。

こちらは、1997(平成9)年9月30日まで運転されていた横川~軽井沢間の普通列車の代わりとなっているし。

信越線の高崎~横川間が開業したのは、1885(明治18)年10月15日のことで、当時は、北高崎駅が飯塚駅(福岡県飯塚市にある筑豊本線(福北ゆたか線)の駅とは別)と呼ばれていました。

横川~軽井沢間は、1893(明治26)年4月1日に開業した当時は、アプト式で有名であり、1912(明治45)年5月11日に第三軌条方式により電化されていました。

それ以前の1888(明治21)年9月から1893年3月までの間は、碓氷馬車鉄道によって、横川と軽井沢の間が結ばれていたし。

1963(昭和38)年7月15日には、新線でのEF63型電気機関車による粘着運転に切り替えられ、アプト式の旧線が同年9月30日に廃止されていました。

アプト式の廃止から34年経った1997(平成9)年9月30日に信越線の横川~軽井沢間が廃止されたことにより、高崎~横川間の開業当時に戻ったことになったのであります。

横川駅は、1番線と3番線があり、現在は1番線発着がメインと使われ、3番線が一番列車とSL碓氷号などの臨時列車用となっています。

EF63型電気機関車の基地であった横川運転区の跡地は、1999(平成11)年4月18日に開園した碓氷峠鉄道文化むらであり、その建物が鉄道資料館に転用されています。

この時には、2012(平成24)年12月26日以来久しぶりに碓氷峠鉄道文化むらに行くことが出来ました。

横軽区間の全盛期に使われていた4番線は、横軽区間の廃線後にあさま色の189系とEF63型が疎開留置されていたこともありました。

現在は、どちらも碓氷峠鉄道文化むらに移されたけど、解体されなかった189系のクハ189-5号車とモハ189-5号車は、EF63型と共に片隅に置かれています。

あさま色の189系は、国鉄特急色となったクハ189-506号車とは異なり、残念なことなやボロボロに色褪せているし。

碓氷峠鉄道文化むらは、碓氷峠の鉄道の歴史を後生に残す為に造られた鉄道テーマパークで、1999年の開園当初は賑わっていたけど、現在は入園者が減ってきています。

現在サポーターズ制度が導入されているのはその為であるし。

自分(しゃもじ)も、碓氷峠鉄道文化むらを守る為に入園したのであります。

帰りは横川から高崎まで115系に乗ったけど、横川まで行った目的は碓氷峠鉄道文化むらや峠の湯に立ち寄ることもあったし。

信越線で現在の残されている区間は、高崎~横川間、篠ノ井~長野間、直江津~新潟間であり、群馬県、長野県、新潟県のエリアに分かれていることが分かります。

今回碓氷峠鉄道文化むらに行ったもう一つの理由は、9月30日に横川~軽井沢間が廃止されてから20年という節目の時を迎えるからでもありました。

自分(しゃもじ)のスマホデビューも、前身のPHSでのモバイルデビューから20周年という節目の時でもあるし。

このように、211系で横川まで行くことや、碓氷峠鉄道文化むらに行くことが出来て良かったです。

八高線のキハ110系 リバイバルカラー

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9月3日は、八高線の高麗川駅で、留置線で休んでいたキハ110系(八高北線、高麗川~高崎間専用)のキハ111-204F(キハ38形風のリバイバルカラー)を撮影することが出来ました。

こちらは、2014(平成26)年10月の八高線全線開通80周年記念により施されたリバイバルカラーであり、1996(平成8)年3月16日の八王子~高麗川間(八高南線)の電化まで活躍していたキハ38形がイメージされています。

八高線のキハ110系(高崎車両センター高崎支所所属)は、1993(平成5)年3月18日に寄居~高崎間で先行導入されていたけど、当時導入された車両は、両運転台(トイレ付き)のキハ110-207,208,209,210,218,219,220号車の7両でありました。

1996年3月には、キハ110-221,222号車と、2両固定編成のキハ111-204,205,206,207,208,209Fも追加導入され、高麗川~高崎間がキハ110系列に統一されていたし。

これらの車両は、関東で唯一のキハ110系列であり、側面表示がLED化されています。

八高線が全線開通したのは、1934(昭和9)年10月6日の小川町~寄居間のことであり、東武東上線の小川町~寄居間(1925(大正14)年7月10日)よりも後に開業していました。

八高線の竹沢駅と、東武東上線の東武竹沢駅は、至近距離にあるけど、八高線の場合は竹沢駅を出た後に西側を通ることになります。

東武竹沢駅は、1932(昭和7)年7月23日の開業当時は竹沢駅となっていたけど、八高線の駅が出来てからは東武竹沢駅に改称されていたし。

寄居町(竹沢駅の北側)には、本田技研工業(HONDA)の寄居完成車工場(埼玉製作所寄居工場、2013(平成25)年7月に出来た比較的新しい四輪車工場)があり、シビックセダン、フィット(ハッチバックタイプのコンパクトカー)、ヴェゼル(クロスカントリーSUV車)、グレイス(4ドアのコンパクトセダン)、シャトル(5ドアのステーションワゴン)と言った小型乗用車が製造されています。

小川町には、本田技研工業の小川エンジン工場があり、そこで製造されたエンジンが供給されているし。

HONDAのシビック(CIVIC)は、1972(昭和47)年に発売が開始された市民という名の車であり、2010(平成22)年9月をもって国内販売が打ち切られていたけど、今年になってから日本国内での販売が7年ぶりに再開されることで話題になっています。

トヨタ自動車(TOYOTA)では、ハイラックスというピックアップトラックタイプの車の国内販売が2004(平成16)年以来13年ぶりに再開されていたので、名車の復活の流れが組まれています。

キハ38形は、国鉄時代の1986(昭和61)年から1987(昭和62)年に掛けて7両(トイレ付きの0番台4両、トイレなしの1000番台3両)が製造された3ドアロングシートの車両(キハ35形の廃車発生品も流用されていた)で、八高線初の冷房車(サブエンジン方式)として話題になっていました。

1996年の八高線の電化後は、久留里線に移され、2013年12月1日にキハE130系に全面的に置き換えられるまで活躍していました。

久留里線を追われた後は、キハ38-2,3,4,1001,1002号車がミャンマー国鉄に輸出、キハ38-1003号車がキハ30形やキハ37形と共に水島臨海鉄道(岡山県)に譲渡され、キハ38-1号車は、千葉県いすみ市にあるポッポの丘で静態保存されています。

八高線のキハ110系のキハ38形風リバイバル塗装は、撮影出来ない状態が続いていたけど、今回、このような形で初めて撮影することが出来て良かったです。

八高線のキハ110系 ノーマルカラーの206F

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9月3日は、高麗川から高崎まで、八高線(八高北線、高麗川~高崎間)のキハ110系のキハ111-206Fに乗りました。

この時に乗った列車は、高麗川駅の2番線を14時33分に発車する高崎行きの241Dであり、ワンマン運転が行われている為にワンマンの表示となっています。

高麗川~高崎間(八高北線)の運転本数は、高麗川~高崎間が16往復、高麗川~小川町間が4往復、小川町~高崎間が1往復、児玉~高崎間が3往復であり、八王子~高麗川間よりも少ないことが分かります。

八王子~高麗川間の区間運転は、非電化時代から行われているし。

1987(昭和62)年頃には、八高線でキハ30系列やキハ38形のほか、キハ45形やキハ40形も使われていたこともありました。

キハ45形は、1987年7月の会津線の第三セクター化(会津鉄道への移管)により転用された車両であったけど、すぐに運用離脱されていたし。

キハ35形では、1963(昭和38)年に非電化だった房総地区(房総西線(現、内房線)と房総東線(現、外房線)中心)向けに東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)で10両製造されたステンレスバージョンの900番台(901~910号車)もありました。

こちらは当初銀色の無塗装で活躍していたけど、1974(昭和49)年10月の北総地区の路線の電化により、高崎地区(八高線)に移り、八高線では、1987年、相模線では1991(平成3)年3月16日の全線電化の時まで活躍していました。

そのうちのキハ35 901号車は、晩年の朱色塗装のまま碓氷峠鉄道文化むらで静態保存されています。

相模線のキハ30系列は、1986(昭和61)年から1991年までの間、ステンレス車を含めて、クリーム色に青帯の相模線塗装となっていました。

群馬藤岡駅は、群馬県藤岡市の中心にある駅であり、先に開業した東武日光線の藤岡駅(栃木県栃木市藤岡町)があることにより、群馬藤岡と呼ばれています。

旧国名である上野(こうずけと読む)だと上野駅と混同する恐れがあるので、群馬の付く駅となっているし。

こちらは、上越線の群馬総社駅、信越線(高崎~横川間)の群馬八幡駅、吾妻線の群馬原町駅と群馬大津駅でも言えることであります。

上信電鉄の場合は、上州新屋、上州福島、上州富岡、上州七日市、上州一ノ宮と、上州の付く駅名となっているし。

北藤岡駅は、1931(昭和6)年7月1日の開業当時は、小野信号所となっていました。

駅に昇格され、北藤岡駅となったのは、1961(昭和36)年2月21日のことであり、八高線側のみにホームが設置されていたし。

北藤岡駅を出た後すぐに高崎線と合流し、倉賀野駅へ。倉賀野駅から高崎線に乗り入れて高崎駅の3番線に到着。

こちらは、かつてキハ110系列が活躍していた水郡線の安積永盛~郡山間に似ているところがあります。

倉賀野駅は、日本オイルターミナル(JR貨物グループ)の高崎営業所(油層所)があるので、郡山駅(福島県郡山市)と同様にタンク車が盛んに乗り入れているし。

根岸駅(横浜市磯子区)と倉賀野駅を結ぶタンク車による高速輸送列車もあるけど、川崎貨物駅での継走も行われることもあります。

八王子にもタンク車があるのは、日本オイルターミナルの八王子営業所との絡みもあるし。

日本オイルターミナルの営業所は、盛岡、郡山、高崎(倉賀野)、宇都宮、八王子、松本(南松本)、高知にあるけど、かつて札幌、旭川、帯広、上田(西上田)らにもありました。

高崎駅の3番線(八高線専用ホーム)は、2,4番線の奥(倉賀野寄り)にあり、気動車しか発着しないのにも関わらず電化されています。

ワンマン列車の場合は、発車ベルが鳴らないので、注意を促す表示もあるし。

この点も、郡山駅の水郡線専用ホームの3番線(2,4番線の奥)に似ている点があります。

2014(平成26)年10月18日には、12系客車+DD51型ディーゼル機関車のプッシュプルによる八高線全線開業80周年記念号が運転され、八王子から高崎までの直通列車が1日限りで復活していました。

10月14日の改正では、黒磯駅構内の完全直流化工事(デッドセクションの黒磯~高久間への移設)の進捗により、黒磯~新白河間がE531系3000番台(5両編成)またはキハ110系に置き換えられる予定であり、郡山、福島方面へは、新白河駅での乗り換えが必要となります。

キハ110系は、Dの付く列車に使われるけど、車両のほうは、郡山総合車両センター所属の車両(磐越東線と共通)が使われることになるし。

このように、高麗川から高崎まで八高線のキハ110系に乗ることや、それを話題にすることが出来て良かったです。




高橋愛氏の誕生日

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今日(9月14日)は、元モーニング娘。の高橋愛氏の31回目の誕生日です。おめでとうございます。


この日は、モーニング娘。の結成記念日でもあり、あれから20年経ちました。

こちらもおめでとうございます。

信越線(高崎~横川間)の115系 グンマラッピング

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9月7日は、横川から高崎まで、信越線の115系のタカT1041+T1022編成(3+3編成)による高崎行きに乗りました。

今回は、T1041編成(クモハ115-1031F) 側に乗ったけど、こちらには、「お前はまだグンマを知らない」のラッピングが施されています。

そのラッピングが施されているのは、中間車に当たるモハ114-1041号車のみであり、先頭車には、ヘッドマークが取り付けられているし。

高崎車両センター(旧、新前橋電車区)の115系は、JR宇都宮線や高崎線で活躍していた頃と同じ湘南色(パンプキン塗装)の115系であり、現在は3両編成10本30両(T1022,1030,1032,1036,1037,1038,1039,1041,1043,1046編成)が上越線(高崎~前橋間)、信越線(高崎~横川間)、両毛線、吾妻線で最後の活躍をしています。

そのうちのT1040編成(クモハ115-1030F)は、最後まで残された非リニューアル編成となっているし。

昨年12月には、4両編成もあったけど、211系に優先的に置き換えられていました。

最後まで残された4両編成は、両端クハ(Tc車)のT1146編成(クハ115-1137F)、水上・大前・小山・横川寄りがクモハ(Mc車)のT1159編成(クモハ115-1065F)とT1044編成(クモハ115-1033F)であり、そのうちのT1044編成に関しては、今年5月に廃車となるまでの間、サハ115-1007号車が抜かれた3両編成として活躍していました。

今年5月には、T1030編成(クモハ115-1566F)も廃車となっていたし。

115系の4両編成は、以前付属編成として高崎線の上野まで乗り入れていたこともありました。

115系が高崎線(上野~高崎間)から撤退したのは、2001(平成13)年11月30日のことであり、2004(平成16)年10月15日には、JR宇都宮線からも撤退していたし。

T1159編成は、以前初期型のサハ115 
-22号車が連結されていたこともあったけど、トイレが使用停止となっていました。こちらは、本線7連から捻出されたサハ115-1019号車(トイレなし)に差し替えられていたし。

今回乗ったT1041Fは、1978(昭和53)年3月に川崎重工業で製造されてから新前橋電車区→高崎車両センター所属の生え抜きであります。

一方のT1022編成は、1978年2月に日本車輌製造で製造された新前橋電車区→高崎車両センターの生え抜きであるし。

昭和時代の末期の小山電車区(現、小山車両センター)は、115系で埋め尽くされていたことを覚えています。

1990(平成2)年に211系が小山電車区にも進出するまでの間、東北線→宇都宮線は115系、高崎線は211系という時代でありました。

115系は、2001年12月1日から翌年の2002(平成14)年7月までの間、湘南新宿ラインにも使われ、大船駅にも乗り入れていたこともありました。

それだけでなく、小山の115系がホリデー快速鎌倉号として、武蔵野線経由で鎌倉まで乗り入れていたこともあったし。

小山車両センターの115系が完全に引退したのは、2005(平成17)年1月15日の団臨のことであり、115系の日に因んだ企画でありました。

最近になってからは、前面の種別幕が埋められているけど、このT1041編成もこうなっていました。

種別幕が使われていた頃は、白地の普通の表示となっていたし。

今年10月で20周年を迎えるしなの鉄道では、115系の国鉄色リバイバル企画が行われており、その一環として、初代長野色、湘南色(パンプキン塗装)、スカ色(かつての中央東線塗装)がリバイバルされています。

高崎車両センターの115系では、3+3の6両のほか、吾妻線での3両単独での運用もあり、末期を迎えた107系(211系の4連との共通運用)とは異なり、115系の固定運用となっているので狙いやすい状態であります。

今回乗った列車は、横川駅を18時50分に発車する156M運用であり、軽井沢発のJRバスから接続していました。

高崎車両センターの115系は、今年10月初旬から10月下旬までの間に、1編成にハロウィンの装飾が施されることで話題になっています。

3+3の6両の場合は、片方がラッピングなしとなるし。

お前はまだグンマを知らないのラッピング電車は、7月1日から10月まで運転される予定となっています。

107系に続いて、115系も211系に置き換えられる予定となっているので乗車及び撮影はお早めにということになります。

次回の18きっぷの期間(今年12月10日から来年1月10日までの間)には115系がどうなっているのか分からないので、今回の18きっぷの期間に行ったのであるし。

両毛線のうち、足利~小山間は、休日おでかけパスでも乗れる区間であります。

このように、碓氷峠鉄道文化むらや峠の湯に行った帰りに、貴重となった115系に乗ることが出来て良かったです。

画像は、信越線の横川駅で撮影したものです。



信越線(高崎~横川間)の115系2 高崎駅

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続いては、9月7日に、高崎駅て撮影した、115系のT1041+T1022編成による折り返しの横川行きです。

こちらは、156Mの折り返しの153Mであり、高崎駅を19時39分に発車することになります。

115系が使われる列車は以下の通りです。

吾妻線(高崎、新前橋~長野原草津口、万座・鹿沢口、大前間、3両編成)

521,527,537,539,547,520,526,528,536,544M(うち、521,527,526,528,536Mは大前発着)

信越線(高崎~横川間)

145,149,153,163,126,152,156,160M

上越線(高崎~水上間)

731,738M

両毛線(高崎~桐生、小山間)

435,465,481,424,456,474M

うち、465,474Mは、115系で唯一小山に乗り入れる運用となっています。

高崎駅では、ラッピングなしの115系のT1022編成も撮影することも出来ました。

高崎駅が開業したのは、1884(明治17)年5月1日のことであり、当時は、日本鉄道によって、新町~高崎間が開業していました。

高崎駅の1番線は、2004(平成16)年10月16日をもって客扱いが中止されていたけど、1997(平成9)年9月30日までは、特急旧あさま号や白山号の下り列車に使われていました。

現在は、高崎線(上野東京ラインと湘南新宿ラインを含む)が2,4,7,8番線、上越線、吾妻線、両毛線、信越線(高崎~横川間)が2,4,5,6番線、八高線(高麗川~高崎間)が3番線発着となっています。

新幹線ホーム(上越・北陸新幹線)は、東側(ヤマダ電機側)にあり、11,12,13,14番線となっているし。

2005(平成17)年7月3日には、東西に分かれていた改札口が1ヶ所となり、旧1番線の通路の一部が改札外となっていました。

上信電鉄の駅や改札が独立したことにより、9番線から0番線に変更されていたし。

今年10月13日には、高崎駅の西口に高崎オーパ(OPA)が出来る予定となっています。

こちらは同じイオングループだった高崎ビブレ(VIVRE)の跡地であり、隣には高島屋もあるし。

西口には駅ビルのモントレーがあり、スタバ(スターバックス・コーヒー)も入っています。

このように、高崎駅でもパンプキン塗装の115系を良い感じで撮影することが出来て良かったです。



東京総合車両センターのイベント E217系による試乗電車

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8月26日は、東京総合車両センターのイベント(夏休みフェア2017)で、横須賀・総武快速線のE217系のクラY106編成(クハE217-2006F、4両付属編成)による試乗電車に乗りました。

東京総合車両センターのイベントでの試乗電車は、毎年試運転線が使われた上で運転されているものであり、昨年は、E233系の4両編成、今年はE217系の4両編成が使われていたので、比較的短い編成が使われていることが分かります。

E217系の付属編成は、一昨年3月16日から今年3月3日まで、平日の日中に1往復運転されていた内房線の東京~館山間直通の特別快速に使われていたことで有名であり、今回特別快速館山行きの表示も再現されていました。

内房線の君津~館山、安房鴨川間は、普段209系による普通列車しか走らない区間に成り下がっていたので、東京湾アクアラインが出来たことの影響を受けていることが分かります。

東京湾アクアラインが出来てからは、今年12月18日で早20年経つし。

E217系は、当時増備が進められていた209系ベースの4ドアの近郊型電車であり、1994(平成6)年から1999(平成11)年までの間に、スカ色113系の置き換え用として、11両基本51本、4両付属46本の計745両が導入されていました。

1994年12月3日のデビュー当時は、量産先行車の2編成30両が、大船電車区(現、鎌倉車両センター)に導入されていたけど、当時は15両編成で、逗子~東京~成田空港間での限定運用が組まれていました。

翌年の1995(平成7)年には量産化され、1997(平成9)年には、幕張電車区(現、幕張車両センター)にも配置され、1999年12月4日には、E217系への置き換えが完了していました。

横須賀・総武快速線の車両の大船→鎌倉区と幕張区の分散配置は、113系の時代から受け継がれていたけど、2006(平成18)年3月18日には、鎌倉車両センターに集中配置されています。

編成記号は、F編成(幕張車はR編成)からY編成となり、11両基本編成は0番台、4両付属編成は100番台となっているし。

2000(平成12)年にデビューしたE231系から通勤型と近郊型の共通設計となったのは、E217系があるからこそであり、それがE233系にも受け継がれています。

山手線に導入されたE235系のほうは、今のところ通勤型バージョンのみとなっているし。

E217系の量産先行車を含めた3編成(F-01~03,F-51~53編成)は、2006年3月に東海道線(東京~熱海間)で最後まで残されていたパンプキン塗装の113系の置き換え用として国府津車両センターに回されていたけど、当時は、10+5の15両固定編成扱いにより、東京~熱海間で限定運用されていました。

一昨年3月14日の上野東京ラインの開業により、古巣の鎌倉総合車両センターに戻されていたし。

最後まで東海道線で活躍していたのは、F-02+52(現、Y2,102編成)であり、一昨年1月6日に熱海駅でそれを撮影していました。

インバータ装置は全編成で更新済であり、更新と共に前面のE217のロゴマークが、JR東日本のロゴマークに変わっていました。

E217系の運転範囲は、横須賀線の東京~大船、逗子、久里浜間、総武快速線の東京~千葉間、総武本線の千葉~佐倉、成東間、成田線の佐倉~成田、成田空港、佐原、香取間、鹿島線の香取~鹿島神宮間、内房線の千葉~君津間、外房線の千葉~上総一ノ宮間であり、成田~鹿島神宮間は、4両付属編成のみの乗り入れとなります。

2001(平成13)年12月1日から2004(平成16)年10月15日までの間は、湘南新宿ラインとして新宿まで乗り入れていたこともありました。

横須賀・総武快速線の路線(久里浜~東京間は横須賀線、東京~千葉間は総武快速線)

久里浜~衣笠~横須賀~田浦~東逗子~逗子~鎌倉~北鎌倉~大船~戸塚~東戸塚~保土ヶ谷~横浜~新川崎~武蔵小杉~西大井~品川~新橋~東京~新日本橋~馬喰町~錦糸町~新小岩~市川~船橋~津田沼~稲毛~千葉→(一部の列車は、総武本線、成田線、鹿島線、内房線、外房線へ直通運転)

総武本線(千葉~佐倉、成東間)では、東千葉駅が、内房線(千葉~君津間)では、巌根駅が快速の通過駅となるけど、外房線直通の快速の場合は、永田、本納、新茂原、八積の各駅が通過となります。

横須賀線の田浦駅は、トンネルとトンネルの間に挟まれた駅であり、ホームが短い為に11両の場合は、先頭車の1両目(下りの横須賀、久里浜行きは1号車、上りの東京、千葉方面は11号車)の全てと、先頭から2両目の前のドアが開かないので注意を促すステッカーがあります。

4両編成(逗子~久里浜間の区間運転)の場合は問題はないし。

このことは、かつての京王井の頭線の神泉駅に似たような状態であり、吉祥寺寄りの2両がトンネル内でドアが開かずに停車していました。

当時の井の頭線は、3000系(3ドア18m車、同じ東急車輛製造製)が当たり前だったし。

乗換駅

久里浜 京急久里浜線(京急久里浜駅)

鎌倉 江ノ島電鉄線(江ノ電)

大船 東海道線(小田原、熱海方面)、根岸線(京浜東北線または横浜線へ直通)、湘南モノレール江の島線

戸塚 東海道線(一部上野東京ラインまたは湘南新宿ラインとして高崎線またはJR宇都宮線へ直通運転)⇔横須賀線、横浜市営地下鉄ブルーライン

横浜 東海道線、京浜東北線(一部は横浜線へ直通)、根岸線、京急本線、東急東横線、みなとみらい線、相鉄本線、横浜市営地下鉄ブルーライン

武蔵小杉 南武線、東急(東横線、目黒線)、湘南新宿ライン(東海道線⇔高崎線直通列車(快速または特別快速))

西大井 横須賀線⇔湘南新宿ライン(横須賀線⇔JR宇都宮線直通列車)

品川 山手線、京浜東北線、上野東京ライン(東海道線⇔高崎線、JR宇都宮線、常磐線直通)、東海道・山陽新幹線、京急本線

新橋 山手線、京浜東北線(日中は快速運転の為通過)、上野東京ライン、東京メトロ銀座線、都営浅草線、新交通ゆりかもめ

東京 山手線、京浜東北線、中央快速線、上野東京ライン、京葉線、東北・北海道・山形・秋田・上越・北陸新幹線、東海道・山陽新幹線、東京メトロ丸ノ内線、東京メトロ東西線(大手町駅)

新日本橋 東京メトロ(銀座線・半蔵門線(三越前駅))

馬喰町 都営新宿線(馬喰横山駅)、都営浅草線(東日本橋駅)

錦糸町 中央・総武緩行線(御茶ノ水、新宿、三鷹方面)、東京メトロ半蔵門線

船橋 東武アーバンパークライン(野田線)、京成本線(京成船橋駅)

津田沼 新京成線(新津田沼駅)

千葉 総武本線(佐倉、成東、銚子方面)、成田線(成田、成田空港、佐原、銚子方面)、内房線(木更津、君津、館山、安房鴨川方面)、外房線(大網、上総一ノ宮、勝浦、安房鴨川方面)、千葉都市モノレール(1号線、2号線)、京成千葉線(京成千葉駅)

逗子駅からは、京急逗子線の新逗子駅まで歩いて行くことも出来ます。

E217系のトイレは、1,11,増1号車と5号車(グリーン車)にあり、11号車と増1号車は和式、1号車と5号車は洋式となっています。

デビュー当時は、1号車のトイレも和式となっていたけど、1997年から車椅子対応の幅広洋式トイレ(誰でもトイレ)となり、それ以前に製造された車両も組み替えが行われています。

E231系の近郊バージョンからは、5両の付属編成のトイレも幅広の洋式トイレに変更されていたので、2000年に施行された交通バリアフリー法の影響であることが分かります。

交通バリアフリー法では、列車内にトイレを設ける場合、1ヶ所は車椅子対応の洋式トイレにしなければならない状態となっているし。

2004年に東海道線(国府津車両センター)に導入されたE231系近郊バージョンの後期型からは和式トイレが廃止されて洋式トイレに統一されているけど、その後に登場したE531系やE233系の近郊バージョンのトイレも全て洋式となっています。

E217系の座席は、4,5号車のグリーン車が回転リクライニングシート、9,10,11号車がセミクロスシート(ボックスシートあり)で、他は4両付属編成を含めて全てロングシートとなっているし。

今回の試乗電車に使われたY106編成は、1996(平成8)年に東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)で製造されたもので、当初はF56編成を名乗っていました。

E217系が製造されたメーカーは、ベースとなった209系と同様に、東急車輛製造、川崎重工業、新津車両製作所(現、総合車両製作所新津事業所)であり、東急車輛製の一部には、大船工場(のちの鎌倉総合車両センターの深沢地区で現在は廃止されている)で分担製造されたものも含まれています。

新津製の基本編成には、東急車輛製のグリーン車が組み込まれているし。

東京総合車両センターのイベント(夏休たみフェア)の試乗電車は、大宮総合車両センターでのイベント(毎年5月下旬に行われている)とは異なり、整理券不要で、時間内に来れば誰でも乗れるのが嬉しいと思います。

大宮の試乗車(今年は253系が使われていた)の場合は、整理券が必要であり、早めに並ばなければ手に入らない状態となっているし。

試乗列車に乗った時には、事故による保留車となっている京浜東北線のE233系のサイ177編成の一部を見ることが出来ました。

自分(しゃもじ)が乗った時にはEH500型牽引の貨物列車が横を通過していたというサプライズがあったし。

このように、東京総合車両センターのイベントで、E217系による試乗電車に乗ることが出来て良かったです。


E657系のK14編成による ひたち24号 湯本駅

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こちらは、8月29日に、JR常磐線の湯本駅(福島県いわき市)で撮影した、E657系のカツK14編成による特急ひたち24号で、編成全体を撮影することが出来ました。

常磐線の湯本駅は、いわき湯本温泉や、スパリゾートハワイアンズの最寄駅である2面3線の駅で、「フラガールと湯けむりに出逢える町 いわき湯本」という副駅名があります。

駅舎は西側(1番線)側にあり、駅構内に足湯があるけど、今回は使われていなかったです。

ひたち24号は、いわき駅を17時21分に発車し、途中、湯本、泉、磯原、日立、勝田、水戸、上野、東京に停車してから品川へと向かう列車であり、折り返しは、品川 20時45分、東京 20時53分、上野 21時ちょうど発のひたち29号(いわき行きの最終の特急)となります。

ひたち29号は、品川駅を発車した後に、東京、上野、土浦、水戸、勝田、大甕(おおみか)、常陸多賀、日立、磯原、勿来(なこそ)、泉、湯本に停車してからいわきへと向かうことになるし。

10月14日の改正以降、ひたち号では、土休日のひたち5号(上野9時ちょうど発)の品川発着化(品川 8時45分、東京 8時53分発)、ひたち23,25,27号の上野→水戸間ノンストップ化(土浦駅通過化)で変化することになるけど、ときわ号とは違って本数には変更がないので、号車名はそのままとなります。

ひたち5号は、平日は上野発、土休日は品川発となり、上野駅での発着ホームが異なることになるので注意が必要となります。

土浦駅に停車するひたち号は、3往復(朝2往復(ひたち1,3,2,4号、3号は上野始発)、夜1往復(最終のひたち29,30号))と減ってしまうけど、ひたち23,25,27号が品川発着化されたときわ号によってカバーされるし。

気になるイバラキのキャンペーン終了後の10月1日~12月31日の間は、福島県の秋のデスティネーションキャンペーンである「福が満開、福のしま。」が開催される予定であり、9月下旬から12月中旬までの間に、ひたち号とときわ号に使われているE657系の3編成に、「福が満開、福のしま。」キャンペーンのラッピングが施される予定となっています。

こちらは、1号車から10号車までの全ての車両のドア横にラッピングされるし。

いわき市にある塩屋埼灯台は、2013(平成25)年3月16日まで運転されていたE653系のフレッシュひたち号(現、ときわ号)の青編成のテーマとなっていました。

こちらは、福島ラッピングで4号車に施されることになるし。

11月19日の大洗あんこう祭の時には、勝田 16時26分発上野行きの臨時特急ときわ98号(途中、水戸、友部、石岡、土浦、柏に停車)が運転される予定となっています。

10月29日に水戸市で行われる第2回水戸黄門漫遊マラソンの時には、上野~勝田間にときわ41,42号が、品川→勝田間にときわ43号が運転されるけど、こちらは柏~水戸間ノンストップとなります。

651系によって上野→勝田間で運転される急行水戸マラソン号(途中、松戸、柏、水戸に停車)も柏→水戸間でノンストップとなるし。

このように、常磐線の湯本駅でも、E657系を良い感じで撮影することが出来て良かったです。

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