Quantcast
Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
Viewing all 5472 articles
Browse latest View live

E657系のK8編成によるときわ89号

$
0
0




こちらは、昨日(9月18日)、品川駅の9番線(常磐線特急専用ホーム)で撮影した、E657系のK8編成(気になるイバラキのラッピング編成)による特急ときわ89号(勝田行き)です。

ときわ89号は、品川駅を21時45分、東京駅を21時53分、上野駅を22時ちょうどに発車し、途中、土浦、石岡、友部、水戸に停車してから勝田へと向かう列車であり、10月14日の改正では、2代目ときわ87号として、高萩まで延長されることになります。

 これにより、上野から東海、大甕、常陸多賀、日立、高萩へと向かう下りの特急の最終が30分繰り下げとなるし。
 
その前の運用は、いわき 18時16分発のひたち26号であり、途中、湯本、泉、勿来(なこそ)、高萩、日立、常陸多賀、大甕(おおみか)、東海、勝田、水戸、上野、東京に停車してから品川へと向かう列車であります。

新生ときわ87号は、水戸駅で、新設される水郡線の下り最終列車(常陸大宮行き、水戸 23時17分発→常陸大宮 23時48分着)に接続することになります。

これまでは、水戸 22時30分発の常陸大子行き(常陸大宮 23時01分着、常陸大子 23時42分着)が最終(水戸駅で、品川 20時45分、東京 20時53分、上野 21時ちょうど発のひたち29号(いわき行きの最終特急でもある)から接続)となっているので、常陸大宮までの最終が47分繰り下げとなるし。

常陸大子行きの最終列車(水戸 22時30分発)は、上菅谷駅で常陸太田行き(常陸太田支線)の最終列車(上菅谷 22時47分発)に接続しているし。

水郡線にキハE130系が導入され、キハ110系が全面的に置き換えられたのは、2007(平成19)年のことであり、同年1月19日にデビューしてから、9月12日に置き換えが完了するまでの過度期には、キハE130系とキハ110系による併結運転が行われていました。

水郡線沿線の常陸太田市、常陸大宮市、久慈郡大子町も、高萩市と同様に9月30日まで放送される予定のNHKの朝の連続テレビ小説「ひよっこ」のロケ地として有名であります。

ひよっこに出てくる奥茨城村は、架空の村であるし。

自分(しゃもじ)が水郡線の本線(水戸~安積永盛、郡山間)に初めて乗ったのは、キハ110系の時代の1995(平成7)年8月27日のことであり、水戸から郡山まで乗り通した後に、郡山からいわきまで磐越東線にも初めて乗っていました。

常陸太田支線の終点である常陸太田駅は、2005(平成17)年3月31日まで、日立電鉄線(常北太田~大甕~鮎川間)の常北太田駅への乗換駅となっていたので、常陸太田支線とセットで乗りに行ったことを覚えています。

日立電鉄線は、昨年2月までの銚子電鉄線と同様に、元営団地下鉄(現、東京メトロ)銀座線の2000形から改造された車両が活躍していたことで有名でありました。

銚子電鉄線に譲渡された営団2000形改め1000形は、日立電鉄に譲渡されるはずがキャンセルされて銚子電鉄入りしていたので、日立電鉄線の廃止と共にお役御免となっていた車両よりも長生きしていたことが分かります。

日立電鉄線の廃止から2年後の2007年3月31日に廃止された鹿島鉄道線(石岡~鉾田間)のほうも、廃止直前に乗りに行っていたけど、こちらは廃止から10年経ったことで早いもんだと思いました。

鹿島鉄道線は、1987(昭和62)年3月31日に日本国有鉄道(国鉄、JNR)と共に廃止された筑波鉄道筑波線(土浦~筑波~岩瀬間)と共に、1979(昭和54)年3月31日まで関東鉄道の路線(鹿島鉄道線は鉾田線と呼ばれていた)でありました。

鹿島鉄道線は、末期に親会社である関東鉄道による支援が行われていたけど、2005(平成17)年8月24日につくばエクスプレスが開業したことにより、関東鉄道の業績が悪化したことで、支援が打ち切られて廃止されていたのであります。

鹿島鉄道の廃止当時は、415系及びE501系の上野乗り入れ撤退と重なっていたし。

石岡駅は、昨年3月に橋上駅舎に改築され、鹿島鉄道線の駅や車両基地が撤去され、更地と化したことにより、鹿島鉄道線の面影が無くなっています。

石岡駅の発車メロディーは、昨年9月1日に一新されたものであり、1番線は、「バラが咲いた」、2番線は、「ここで君を待っているよ」、3番線は、「石岡のおまつり」であり、バラが咲いたに関しては、茨城県の県花に因んで使われています。

バラが咲いたの原曲は、1966(昭和41)年にリリースされた、マイク眞木氏のフォークソングであり、50周年の節目の年に石岡駅の発車メロディーに採用されていたし。

関東鉄道竜ヶ崎線の乗換駅である佐貫駅(茨城県龍ヶ崎市)は、今年6月3日に発車メロディーが一新されており、1番線は、「RYUとぴあ音頭」、2番線は、「かえるの合唱」、3番線は、「白鳥の湖」となっています。

白鳥の湖(チャイコフスキー作曲のバレエ音楽)は、周辺にある牛久沼の白鳥に因んで採用されているし。

マザー牧場の最寄駅である内房線の佐貫町駅(千葉県富津市)と紛らわしい状態であり、マザー牧場のHPには、茨城県に類似駅名「佐貫駅」がありますので、検索時にはご注意ください。の表示があるのもそのはずであります。

マザー牧場へは、君津駅または佐貫町駅からバスに乗って行くことになるし。

ときわ89号は、品川発が30分繰り下げされると共に、柏、佐貫、牛久、ひたち野うしく、荒川沖、赤塚駅にも停車するようになるけど、現在のときわ93号と同様に勝田行きのままとなるので、行先部分とラッピングの撮影としました。

新生ときわ89号のときわ93号からの変更点は、品川発となることに加え、ときわ91号との統合により、ひたち野うしくと荒川沖にも停車することであります。

高萩駅の発車メロディーは、2013(平成25)年11月1日から高萩市の縁の曲である「あしたの風とひとつになって」となっており、1番線と2番線でバージョンが異なっています。

このように、品川駅で気になるイバラキのラッピング編成であるE657系のK8編成による特急ときわ89号を撮影することが出来て良かったです。


E657系のK2編成によるひたち28号 茨城のスポーツ

$
0
0





続いては、9月18日に品川駅の9番線で撮影した、E657系のカツK2編成によるひたち28号→ときわ95号で、気になるイバラキキャンペーンの茨城のスポーツのラッピングが施されていました。

茨城のスポーツのラッピングは、1号車(品川、上野寄りの先頭車)がつくば霞ヶ浦りんりんロード(180Kmのサイクリングロード)、5号車(グリーン車)が常陸太田市の竜神大吊橋のバンジージャンプ(高さ100m)、10号車(勝田、いわき寄りの先頭車)が茨城の海水浴がテーマとなっていました。

このブログでは、海水浴のシーズンが終了していたことや、バンジージャンプ(高い場所)が苦手な人に考慮して、つくば霞ヶ浦りんりんロードの画像を挙げました。

つくば霞ヶ浦りんりんロードは、その名の通り、霞ヶ浦沿いを通るサイクリングロードであり、筑波山を眺めることも出来ます。

霞ヶ浦は、日本で2番目の大きさを誇る湖であり、常磐線の土浦駅や高浜駅から歩いて行くことも出来ます。

因みに、日本一の面積を誇る湖は、滋賀県にある琵琶湖であり、3番目は、北海道のサロマ湖(オホーツク海沿いで、北海道一の湖でもある)となっています。

1987(昭和62)年3月までは、湧網線(中湧別と網走を結んでいたローカル線)が出ていて、サロマ湖沿いを通っていました。

こちらはJR北海道に継承されずに分割民営化直前で廃止されていたし。

中湧別駅で接続していた名寄本線(名寄~遠軽間と中湧別~湧別間)のほうも1989(平成元)年4月30日に廃止されていました。

現在オホーツク海沿いを走る鉄道は、釧網本線(東釧路(釧路)~網走間のうちの知床斜里~網走間)だけとなっています。

2007(平成19)年3月31日に廃止された鹿島鉄道線は、霞ヶ浦を眺めることの出来る区間もあったので、廃止されたことで残念に思いました。

土浦市などの霞ヶ浦沿岸地域は、日本一のレンコンの産地として有名であり、土浦駅の東口には、それをアピールする看板があります。

土浦市の隣のかすみがうら市は、2005(平成17)年3月28日に、霞ヶ浦町と千代田町の合併によって出来た市であり、その名の通り、霞ヶ浦に面しています。

神立駅は、土浦市とかすみがうら市に跨がっている駅であり、駅舎は土浦市側にあります。

現在は駅舎の改築工事中であり、仮駅舎に移設されているし。

神立駅は、一昨年3月13日まで、特急停車駅であり、上野 22時15分発のフレッシュひたち73号(現、ときわ91号)と、勝田 5時39分発のフレッシュひたち4号(現、ときわ54号で、末期は651系が使われていた)が停車していました。

そのうちの初代ときわ91号は、2代目ときわ89号に統合されて廃止されることになるし。

一昨年3月14日の改正で、特急停車駅から除外された駅は、神立駅のほか、松戸、取手、藤代、十王、大津港、植田の各駅も挙げられており、大津港駅と植田駅から上野に直通する列車が全滅していました。

松戸駅に停車していた常磐特急は、上野 8時ちょうど発のスーパーひたち7号(現、ひたち3号)であり、2011(平成23)年3月11日に東日本大震災が発生する前は、仙台まで直通運転が行われていたし。

ひたち3号は、松戸駅の代わりに、ひたち号で唯一柏駅に止まるようになっています。

品川発着のひたち号は全て柏駅通過(大部分が上野~水戸間ノンストップ)なので、品川または東京から柏まで行ける特急及び柏から乗れる上り特急(上野または品川行き)が全てときわ号となるし。

ひたち28号は、いわき駅を19時18分に発車した後、湯本、泉、磯原、日立、常陸多賀、大甕(おおみか)、東海、勝田、水戸、上野、東京に停車してから品川へと向かう列車であり、いわき駅で、竜田からの普通列車から接続しています。

折り返しは、品川 22時45分、東京 22時53分、上野 23時ちょうど発のときわ95号(勝田行きの下り最終特急)であり、途中、柏、佐貫、牛久、ひたち野うしく、荒川沖、土浦、石岡、友部、水戸に停車し、勝田駅には、日付が変わった後の0時29分に到着することになります。

こちらは、定刻通りの場合、土浦→石岡間で日付が変わることになるし。

ときわ95号は、10月14日の改正で、2代目ときわ91号に変更されるけど、車内点検、清掃の終了→乗車扱い開始まで表示が変わらなかったので、側面表示を撮影出来なかったのか残念でした。

変わるまで待っていると帰りがより遅くなるのでそのはずであるし。

E657系のカツK2編成は、2011年10月に近畿車輛(1~5号車)と日立製作所(6~10号車)が製造され、同年11月19日に尾久車両センターで行われていたイベントで初お披露目されていました。

当時は土休日に多発している終日雨の状態であったし。

このように土休日(特に仕事休みの日)に終日雨になった時は自分(しゃもじ)にとって鬼門であります。

9月17日に秋葉原のAKIBAカルチャーズ劇場で行われた黄金時代の定期公演(ぴよこと花望ひより氏の生誕祭)には、徹底的に日本列島に上陸していた台風18号が接近していた影響により行かれなかったけど、この日もやはり終日雨の休日でありました。

花望ひより氏は、今日(9月20日)で17回目の誕生日を迎えていたのでおめでとうございます。

本当は台風が接近していなければ行けていたところだったのに残念で仕方がないです。

最近は、自分(しゃもじ)の仕事休みの時(特に土曜休みの日)を狙って雨になることが非常に多い状態であり、逆に自分(しゃもじ)が土曜出勤の時に晴れてばかりいることが続いています。

前回常磐線特急(ひたち・ときわ号)に大きな動きがあった一昨年3月14日は、自分(しゃもじ)の携帯をガラケーからガラホに変えていたけど、今回の10月14日の改正(特急を含めた常磐線の品川発着列車の増発)の前には、ガラホからスマホに変更したのであります。

従来のガラホのほうは、WIFIを繋げば引き続き使えるし。

気になるイバラキのラッピング編成は、K8編成ばかり撮影していたけど、今回はK2編成を撮影することが出来て良かったです。

花望ひより氏の誕生日

$
0
0



今日(9月20日)は、黄金時代のぴよこと花望ひより氏の17回目の誕生日です。おめでとうございます。

9月17日には、秋葉原のAKIBAカルチャーズ劇場で、黄金時代の花望ひより氏の生誕祭が行われたけど、台風接近により行かれなかったのが残念でありました。

チェキは、5月5日に撮影したものです。

【数量限定】ドメイン新規登録が 1円!: PR

9月18日の都電 8807号車によるラッピング電車

$
0
0





こちらは、9月18日に、東京さくらトラム(都電荒川線)の荒川車庫前電停で撮影した、バイオレットカラー(紫色)の8800形8807号車で、8810号車(元祖幸せの黄色い都電)から受け継がれた大起エンゼルヘルプ(荒川区町屋に本社のある介護関連の会社)のラッピング(水色系)が施されていました。

都電8800形は、2009(平成21)年から翌年の2010(平成22)年の間に、7500形の置き換え用として10両導入された車両であり、8801~8805号車がローズピンク色、8806,8807号車がバイオレットカラー(紫色)、8808,8809号車がオレンジ色、8810号車が黄色と、都電沿線に咲き誇るバラに因んだ塗装となっています。

8800形がデビューしたのは、2009年4月26日のことであり、当時は8801号車と8802号車の2両となっていました。

翌年の2010年3月には、同じローズピンクの8803,8804,8805号車の3両が追加され、同年10月には、8806号車と8807号車が、12月には、8808,8809,8810号車が導入されたことで10両出揃っていたし。

8800形のお気に入りの点は、丸みを帯びた前面スタイルであり、それぞれの塗装とマッチしています。

こちらは3つのデザイン案の投票により選ばれたものであり、一位となった丸みを帯びたデザインが採用されていたし。

4色の塗装は、一昨年から昨年に掛けて7000形の一部の置き換え用として導入されていた8900形にも受け継がれているけど、8903号車と8904号車が青色、8905号車と8906号車がローズレッドと8800形と異なる色となっています。

一昨年9月18日にデビューした8901号車と8902号車は、オレンジ、8907号車と8908号車は黄色と8800形と同じ色となっているし。

8900形は、8800形とは異なり、角張ったデザインであります。

8800形がデビューした時は嬉しくてたまらない状態だったけど、あれから8年経ったことで早いもんだなと思いました。

都電で一番のお気に入りの車両である8810号車(元祖幸せの黄色い都電)は、今年の暮れで7年経つし。

現在は、8800形の後期形の再塗装や全般検査入場が進められており、8808号車が全般検査から出場していました。

現在は8809号車が全般検査入場中であり、8810号車に関しては、ラッピングが8807号車に移し替えられたということで再塗装されることが予想されています。

8807号車は、2010年10月のデビューの時からラッピングが施されていなかったけど、今回ラッピングが施されたことにより10両全てにがラッピングが施されたことになったし。

8800形のうち、ラッピングが施されていないのは、8803号車と8808号車の2両であります。

8800形がデビューした頃は、iPhoneの発売効果により、スマホことスマートフォンが急速に普及し、若者を中心にガラケー(フィーチャーフォン、従来型の携帯電話)からの乗換えが急速に進められていました。

現在は、スマホが当たり前の世の中であるけど、中高年を中心にガラケー人気が衰えていなかった為に、ガラケータイプのスマートフォンであるガラホ(ガラケーにAndroidを組み合わせたもの)も出回っていることが分かります。

自分(しゃもじ)のスマホは、iPhoneではなく、Android(AQUOS R)であるし。

ガラホの時代には、Twitterをやる時に画像が1枚しか見れない、動画を見ることが不可能である、画像付きのツイートが出来ない、投票に対応出来ないなどの制限があったけど、スマホにしてからは制限なく使えるようになっています。

ガラホはカメラが故障していたので、この機会にスマホに替えたことになったし。

今年の荒川線の日イベント(荒川車庫での秋のイベント)は、10月15日に行われる予定であるけど、撮影会がないのが残念であります。

昨年の荒川線の日イベント(10月16日に行われていた)と同様に、お子様連れがターゲットとなっているし。

こちらは、東京さくらトラムとなってけら2回目の荒川車庫でのイベントとなります。

都電のイベントの時には、都電が混雑するので、上野東京ラインの尾久駅から徒歩で行くことも推薦されているし。

荒川車庫前電停は、デルタ線での一方通行での出入庫となっているので、町屋駅前、三ノ輪橋行きの場合、営業所棟前の降車専用ホームで降車扱い及び乗務員(運転士さん)の交代が行われた後、乗車専用ホーム(王子駅前、大塚駅前、早稲田方面乗り場側)まで移動し、乗車扱いが行われることになります。

乗務員交代に関しては、早稲田方面乗り場でも行われているし。

今回は、乗車専用ホーム側て撮影したのであります。

このように、荒川車庫前で、8807号車によるラッピング電車を撮影することが出来て良かったです。

国際興業バスの赤23系統で赤羽から西新井へ

$
0
0





9月12日は、赤羽駅東口から、西新井駅まで、国際興業バスのいすゞ(ISUZU)新型エルガの3120(練馬200か33-37)号車(赤羽営業所所属)による赤23系統に乗りました。

赤羽駅東口と西新井駅を結ぶ国際興業バスの路線は、赤23系統(新荒川大橋経由、一部埼玉県川口市を走行)と、赤27系統(環七経由)の 2路線(どちらも赤羽営業所所属)があるけど、赤23系統のほうが、埼玉県川口市領家(りょうけ)や足立区鹿浜エリアの裏道を迂回することで面白みがあるので、赤23系統を選んだのであります。

赤27系統は、東十条四丁目まで南下し、環七通りを通って西新井駅へと向かう路線なので、渋滞していなければ赤27系統のほうが早いということになるので、赤羽から西新井まで通しで乗る場合によく使われています。

赤羽から西新井まで国際興業バスで往復する場合は、行きは赤23系統、帰りは赤27系統、またはその逆で行くことも出来るし。

国際興業バスの営業所は、都内が、池袋、練馬(練馬北町)、志村、赤羽の4ヶ所、埼玉県が、戸田、川口、鳩ヶ谷、さいたま東、西浦和、飯能の6ヶ所の計10ヶ所であり、都内の4営業所が練馬ナンバー、戸田、さいたま東、西浦和の各営業所が大宮ナンバー、川口市にある川口、鳩ヶ谷の両営業所が大宮ナンバーまたは川口ナンバー、飯能営業所が所沢ナンバーとなっています。

赤羽営業所は、東京都北区西が丘(国立西が丘サッカー場付近)にある営業所で、赤羽駅と西新井、高円寺、王子、池袋、ときわ台の各駅などを結ぶ路線担当であり、赤羽駅では、西新井、ハートアイランド、高円寺方面が東口、他は西口発着となります。

国立西が丘サッカー場へは、JR埼京線の十条駅または都営三田線の本蓮沼駅から歩いて行くことも出来るけど、国際興業赤羽営業所の路線バスもアクセスに使われているし。

国際興業バスの赤羽営業所が、赤羽出張所からの格上げ、移転により開設されたのは、1959(昭和34)年のことであり、現在のような白地に緑帯塗装が導入されていました。

1998(平成10)年には、ノンステップバスの導入に合わせて、濃い緑色が黄緑色に変更されていたので、同じ緑系塗装の都営バスと同様の動きとなっています。

1978(昭和53)年10月31日までの間は都営バスと国際興業バスの共同運行便として東京駅に乗り入れるていたこともあったし。

赤羽駅に乗り入れる一般路線バスは、王57系統(赤羽駅東口~王子駅前~豊島五丁目団地間、都営バス北自動車営業所所属)と、赤31系統(赤羽駅東口~高円寺駅北口間の関東バス便(阿佐谷営業所所属))を除いて国際興業バス(赤羽営業所所属路線中心)で占められています。

東口からは、川口、鳩ヶ谷の両営業所、西口からは、池袋、練馬、志村の各営業所の路線も出ているし。

国際興業のバス路線で、中央線の駅に乗り入れる路線は、池11系統(池袋駅西口~中野駅北口間、池袋営業所所属)と、赤31系統(赤羽駅東口~環七経由~高円寺駅北口間、赤羽営業所所属)であり、どちらも関東バスとの共同運行路線で、前者は丸山営業所、後者は前述の阿佐谷営業所所属となっています。

国際興業バスの車両は、系列の北海道いすゞ自動車(本社は札幌市中央区にある)との絡みにより、一部を除いていすゞ車で占められており、系列のバス会社を含めて北海道いすゞ自動車から導入されています。

同じ札幌市中央区に本社のある国際興業グループの運送会社である札樽(さっそん)自動車運輸も、いすゞ自動車のトラック(北海道いすゞ自動車)が使われているし。

国際興業は、1950(昭和25)年に、東急系だった東都乗合自動車との合併により出来たバス会社であり、当初は、ライトパープルとマルーン塗装が使われていました。

飯能営業所には、その塗装に復刻された9501(所沢200か17-45)号車があるけど、こちらは2000(平成12)年式で、江ノ電バスから中古で導入された最後のいすゞキュービック(エルガの前身)であります。

国際興業が故・小佐野賢治氏によって設立されたのは、1940(昭和15)年5月15日のことであり、当初は自動車部品販売の第一商会となっていました。

東洋自動車工業、国際商事を経て、国際興業となったのは、1947(昭和22)年のことで、その前年の1946(昭和21)年に東京急行電鉄(東急電鉄)の傘下だった東京観光自動車と東都乗合自動車の買収により、乗合バス事業に進出していたのであります。

東急は五島家、西武は堤家、東武は根津家によって設立されたように、国際興業は小佐野家によって設立されていたことが分かります。

国際興業バスの前身は、東都乗合自動車、鳩ヶ谷自動車、中仙道乗合自動車、川口乗合自動車、池袋乗合自動車、飯能交通であるし。

国際興業の本社は、東京都中央区八重洲(かつて国際興業バスが乗り入れていた東京駅付近)にあり、周辺には、2014(平成26)年3月まで系列の八重洲富士屋ホテルもありました。

今回乗った国際興業バスの3120(練馬200か33-37)号車は、今年導入された新型エルガ(QDG-LV290N1、AT仕様)であり、昨年度の下期に導入された都営バスの新型エルガと同様に、フルカラーLED表示となっています。

国際興業バスに新型エルガが導入されたのは、一昨年10月のことであり、さいたま東営業所所属の3001(大宮200か25-01)号車がその第一号として話題になっていました。

現在は飯能以外の各営業所に導入されています。

飯能営業所のほうは、1997(平成9)年以来新車とは無縁であり、他の営業所からのお下がりで賄われているし。

さいたま東営業所(さいたま市緑区)は、2000年10月に、浦和営業所と大宮営業所の統合によって出来た営業所であり、国際興業の営業所で最大の敷地となっています。

こちらは、2004(平成16)年から国際興業バスまつりの会場としても使われているけど、それ以前は、戸田営業所で行われていました。

1999(平成11)年までは、江東区越中島に東京営業所(観光東京営業所)があり、足立ナンバーの観光バスや高速バス車両も配置されていたこともありました。

現在は観光バスタイプの車両が子会社の国際興業観光バス(現、国際興業グループ)の、板橋、さいたま(西浦和)、川崎の各営業所)に移管され、高速バス車両は、池袋、志村営業所に分散配置されています。

国際興業観光バスは、2007(平成19)年12月の国際観光バス(日野自動車(東京日野自動車)の系列だった観光バス会社、本社、板橋区東新町)の買収により、日野車の割合が高くなっているし。

こちらは同じ国際繋がりでの買収となったことが分かります。

乗車レポートは後程お伝えいたします。

このように、赤羽駅東口から西新井駅まで、国際興業バスの新型エルガに乗ることが出来て良かったです。

画像は、赤羽駅と車内後部から撮影したものです。





デビュー2周年を迎えた都電8900形

$
0
0





東京さくらトラム(都電荒川線)の8900形の8901号車と8902号車(オレンジ色)がデビューしてから、9月18日で2周年を迎えていました。

都電の8900形は、一昨年9月から昨年8月に掛けて、8901号車から8908号車までの8両が、7000形の一部の置き換え用として導入された車両であり、前面スタイルが8800形と比較して角張っています。

ヘッドライトは、8500形以来の角形となっているけど、前照灯と尾灯の位置が逆に配置されているし。

このデザインは、8800形のデザイン案3点の中から投票2位となった直線デザインとなっているので、新たにデザインし直す必要が無くなっていました。

一昨年9月18日にはオレンジ色の8901号車と8902号車から導入され、同年10月18日の荒川線の日イベントで展示されていました。

9月18日の初日には、出発式等が行われていなかったけど、その代わりに大塚駅前から早稲田まで、8902号車に初めて乗ったのであります。

これらの2両の導入により、7013号車と7025号車が置き換えられていました。

同年12月には、青色の8903号車と8904号車が、翌年の3月に、赤色の8905号車と8906号車がそれぞれ営業運転入りし、同年8月1日(都営交通の創業記念日)に、黄色の8907号車と8908号車が営業運転入りしたことにより、8両全て出揃っていたのであります。

8900形も8800形と同様にラッピング対応であり、8902号車と8906号車に城北信用金庫(城北信金)、8904号車に帝京平成大学、8908号車に都電落語会のラッピングが施されているし。

8902号車と8906号車は、城北信金のラッピングが施されていることに加え、今年4月28日から東京さくらトラムの愛称決定記念のヘッドマークが取り付けられています。

このヘッドマークは、7705,8502,8902,8904,8906,9002号車に取り付けられているけど、7月までは、8907号車にも取り付けられていました。

8502号車がさよなら7000形のラッピングから東京さくらトラムのラッピングに衣替えしていた時に8907号車に取り付けられていたヘッドマークが移されていたし。

8900形の特徴は、屋根上の補助電源装置が床下に移されてすっきりした印象となっていることであります。

座席は、8800形や9000形と同様に優先席以外全てロングシートであり、8806号で試行されたとあらん(都電のマスコットキャラクター)の柄となっています。

このように、デビュー2周年を迎えた都電8900形を話題にすることが出来て良かったです。

画像は、9月18日(デビュー記念日)に荒川車庫前、9月19日に鬼子母神前で撮影したものです。

西武30000系38111Fによる臨時の高麗行き

$
0
0





昨日(9月23日)は、飯能から高麗まで、西武鉄道30000系(スマイルトレイン)の38111Fによる、高麗行きの臨時列車に乗りました。

こちらは、高麗駅付近にある巾着田(埼玉県日高市)で、曼珠沙華(彼岸花)の見頃を迎える時期に合わせて、30000系などの4ドア車の8連により、飯能~高麗間で運転される臨時列車であり、普段見られない高麗行きの表示も見られています。

この時には、特急レッドアローの増発、石神井公園及び高麗駅の臨時停車も行われているので、曼珠沙華輸送にも力が入っていることが分かります。

飯能~高麗間の臨時列車は、6月3日に武蔵丘車両検修場で行われていた「西武・電車フェスタ」の時にも運転されていたし。

30000系は、2008(平成20)年から昨年に掛けて、8連18本、2連6本、10連6本の216両が、日立製作所の笠戸製作所(山口県下松市)で製造されていました。

今回乗った38111Fは、2011(平成23)年11月に営業運転入りした当時は、新宿線系統所属だったけど、現在は池袋線系統所属であり、臨時列車等で西武秩父へも乗り入れることもあります。

高麗行きの臨時列車では、ワンマン化改造前の4000系が使われていた頃には、高麗の幕が入っていなかったので、高麗の表示で運転されていました。

4000系がワンマン改造された時に高麗と横瀬の幕が追加されていたけど、2008年6月14日の改正に伴う方向幕の一新により正式に追加されていたし。

普通から東急電鉄(東横線)と同じ各停の表示に変更されたのは2008年6月のことであり、30000系は同年4月26日のデビュー当初から各停の表示となっています。

東武東上線(東武鉄道全般)では、普通の表示のままなのでややこしい点があるし。

飯能駅に到着した時には、高麗行きの表示を見つけたので、4000系による西武秩父行きを見送り、後続の高麗行きに乗ったのであります。

高麗駅に到着した時には、折返しの各停飯能の表示となっていたので、飯能駅で高麗行きの表示を撮影したのであります。

自分(しゃもじ)が前回巾着田での曼珠沙華の見物をしたのは、一昨年の9月23日のことであり、丸2年ぶりに行ったのであります。

前回行った時には、高麗行きの臨時列車を撮影することが出来なかったので、今回撮影することが出来て良かったです。


高麗巾着田での曼珠沙華(彼岸花)2017

$
0
0





9月23日は、高麗駅付近にある巾着田に行き、曼珠沙華(彼岸花)を見てきました。

巾着田の由来は、高麗川が蛇行した形が巾着(きんちゃく)の形に似ていることであり、そこには曼珠沙華などの花が咲き誇るという魅力があります。

この時には、入場料(環境保全協力金)として300円掛かりました。

入場料が掛かるのは、曼珠沙華の見頃を迎える午前7時から午後5時(17時)までの間であり、中学生以下や障害者手帳や療育手帳の所持者は常時無料となるし。

自分(しゃもじ)が巾着田での曼珠沙華を見に行ったのは、一昨年(2015(平成27)年)9月23日以来丸2年ぶりでありました。

見頃を迎えていたことにより、赤く色づいていて綺麗だったし。

巾着田の曼珠沙華見物に初めて行ったのは今から10年前の2007(平成19)年9月のことであり、今回は、2010(平成22)年、2012(平成24)年、2015年に続いて5回目となったのであります。

巾着田には、ドレミファ橋があり、2010年に掛け替えられていました。

9月下旬には、コスモスも見頃を迎えることになるので、時期によって両方楽しめることもあります、

巾着田へは、西武池袋線(西武秩父線)の高麗駅から徒歩15分程度で行けるので、
西武鉄道で行く花さんぽとして宣伝されています。

JR八高線と川越線の高麗川駅からは、国際興業バスで10分で行けるけど、徒歩の場合は約45分掛かります。

巾着田のある埼玉県日高市は、1991(平成3)年10月1日に市政施行されるまでの間は日高町(元をただせば高麗村)でありました。

武蔵野鉄道の時代の1929(昭和4)年9月10日に高麗駅と武蔵横手駅が開業した当時は、高麗村の時代であったし。

周辺には、高麗神社や高麗家住宅があるけど、かなり歩くことになります。

巾着田が昭和40年代に当時の日高町によって整備された当時は、草薮などに囲まれた場所となっていたけど、草薮が刈り取られて公園として整備され、曼珠沙華が咲き誇る名所として注目されるようになっています。

巾着田を含めた高麗郷は、学校の遠足の行き先として選ばれることが多いので、今年4月8日には、遠足の聖地に認定されていました。

自分(しゃもじ)は、小学生だった頃に全校遠足で日和田山や巾着田に行ったことを覚えています。

今回巾着田での曼珠沙華を2年ぶりに見に行った理由は、スマホや更新したデジカメで撮影してみたかったからです。

巾着田は、春には桜や菜の花が咲き誇るので、楽しみが秋だけではないことが分かります。

日高市には、東洋水産(マルちゃんブランドの即席麺中心の食品メーカー)や、丸美屋食品工業(杉並区松庵に本社のあるのりたまなどのふりかけや麻婆豆腐の素などの丸美屋ブランドの食品メーカー)の埼玉工場があります。

太平洋セメントの埼玉工場も日高市にあるし。

このように、2年ぶりに日高市にある巾着田で、曼珠沙華(彼岸花)を見ることが出来て良かったです。

9月24日の都電 8807号車と交通安全運動の旗

$
0
0




こちらは、9月24日に、東京さくらトラム(都電荒川線)の高戸橋(面影橋~学習院下間)の撮影ポイントで撮影した、8800形の8807号車(大起エンゼルヘルプのラッピング電車)で、9月21日から9月30日までの 秋の全国交通安全運動により、旗が取り付けられています。

都電で旗が付くのは、祝日の日旗、全国交通安全運動と火災予防運動の時であり、交通安全運動と火災予防運動は、春と秋の年2回行われることになります。

秋の火災予防運動は、11月に行われることになるし。

このように、全国交通安全運動の旗付きの8807号車を撮影することが出来て良かったです。

E657系によるときわ92号で柏から上野へ

$
0
0





9月24日は、柏から上野まで、E657系のカツK2編成による常磐線特急ときわ92号に乗りました。

ときわ92号は、勝田駅を20時47分に発車し、途中、水戸、友部、石岡、土浦、柏に停車してから上野へと向かう列車であり、10月14日の改正からは、ときわ90号として、品川まで延長されることになります。

これにより、ときわ92号がときわ94号に代わって勝田発品川行きの上り最終特急となるので、ときわ94号と共に、ときわ92号の上野行きの表示が見納めとなるし。

折り返しは、上野 22時30分発のときわ93号の勝田行き(途中、柏、佐貫、牛久、土浦、友部、赤塚、水戸に停車)となっていたけど、品川発のときわ89号(ひたち野うしく、荒川沖にも停車化)に変更されるので、見納めとなるときわ93号の表示も撮影しておきました。

先発の上野 22時15分発勝田行きのときわ91号も廃止されることになるので、こちらも撮影も行ったし。

柏から上野まで乗ったときわ号の指定席特急料金(普通車)は、750円であり、同区間の平日の普通列車のグリーン料金(770円、自由席)より安いです。

土休日の場合は、普通列車のグリーン料金が570円(ホリデー料金)と安くなるけど、自由席なので始発でなければ座れる確率が低くなるし。

一昨年3月13日までの間は、自由席で500円掛かっていたので、全席指定化による値上げとなっていました。

座席未指定券(ひたち号、ときわ号共通、普通車専用)は、料金が普通車の指定席特急券と同じなので、乗る列車が決まっている場合は、確実に座れる保証のある指定席特急券がお薦めであります。

座席上のランプが赤色の場合は空席で着席可能、黄色の場合は間もなく指定席発売済の区間となりますので、未指定券の場合は、ご移動願います。緑色の場合は、指定席発売済み区間なので、座席指定券をお持ちの方は、ご自分の座席にご着席願います。ということになるし。

赤色は塞がっているイメージが非常に強いので、紛らわしい点があります。

E657系によるひたち号やときわ号に初めて乗る場合には、注意が必要であるので、車内の座席背面のテーブルにも注意書があるし。

希望の列車が満席の場合、座席未指定を買うことになるけど、途中駅で座席が開くまでの間は、デッキ等に立っていくことになります。

座席未指定券から指定席特急券への変更は、手数料なしで行うことも出来るし。

駅で配布されている常磐線特急ひたち、ときわかんたんご利用ガイドのパンフレットにも詳しく書いてあります。

座席は1号車(上野、品川寄りの先頭車)の8Dに当たっていたので、エンド側の撮影が容易であったほか、帰りの山手線で自宅の最寄り駅の出入口に近い後ろ側の車両にも近いということで便利でありました。

座席未指定券の場合は、普通車に限り好きな号車に乗ることが出来るし。

5号車のグリーン車の場合、従来通りのグリーン車特急券が必要となります。

常磐線の上野~柏間は、特急で約20分程度であり、中央線特急(スーパーあずさ、あずさ、かいじ号)の新宿~立川間に匹敵しています。

スーパーあずさ号と言えば、今年12月に新型のE353系が導入される予定であり、E351系が順次置き換えられていくことになるし。

E353系のほうも是非乗ってみたいと思っています。

常磐線で130Km/h運転が行われている区間は、上野~日立間であり、上野~柏間でも130Km/hで快走していました。

この日は、友人のT氏と越谷レイクタウン(JR武蔵野線沿線、埼玉県越谷市)で行われたカバガことCoverGirlsというアイドルグループの新曲である「アナタシカ」の発売記念イベントに参戦した後だったので、自分(しゃもじ)は、柏から上野まで最近よく話題にしているE657系による特急ときわ号に乗ったのであります。

友人のT氏とは、ハロプロ(ハロー!プロジェクト)の現場で知り合ったけど、2013(平成25)年11月にパシフィコ横浜国立大ホールで行われていたモーニング娘。(現、モーニング娘。'17)の公演に参戦した時に会場前でカバガのメンバーがフライヤーを配っていた時に、それを受け取っていたT氏が、後日カバガのライブに行ったところで填まっていたので、自分(しゃもじ)もいつかはカバガのライブに行ってみたいと思っていました。

その後、カバガのメンバーのTwitterをフォローし、翌年の2014(平成26)年5月18日には、渋谷での定期公演(T氏も参戦していた)で自分(しゃもじ)にとってのカバガ初参戦が実現していました。

友人のT氏は、ロマンスカータイプの有料特急が好きなので、ハロプロを含めた好きなアイドルの現場に参戦した後(その前の場合あり)に有料特急に乗って高まることは最高だと言っていました。

自分(しゃもじ)は行かなかったけど、T氏がその前日の9月23日にカバガが出てきた対バンライブに参戦して高まった後、京成上野から成田空港まで京成スカイライナー(新AE形、最高160Km/h運転)に乗っていたし。

自分(しゃもじ)は、ステーション♪という鉄道アイドルで地下アイドル(ハロプロ以外のアイドル)にも進出し、T氏から見たカバガと同じような流れとなっていました。

逆にT氏がステーション♪や黄金時代を見たことがあるので相互乗り入れに似ている状態であるし。

越谷レイクタウンでのカバガのイベントに参戦した後、T氏が隣の吉川駅前(埼玉県吉川市)にある日帰り温泉施設である「よしかわ天然温泉 ゆあみ」に寄り道していたので、一緒に行きました。

T氏は、日帰り温泉施設に行くことも好きなので、自分(しゃもじ)と同様であります。

よしかわ天然温泉ゆあみには、天然の生薬が使われた智光薬湯もあるし。

自分(しゃもじ)は、越谷レイクタウンから新松戸乗換で柏へと向かう途中だったのでちょうど良かったし、T氏と初めて温泉浴場に行くことが実現していました。

自分(しゃもじ)がE657系によるときわ号に乗ったのは、今年2月18日のドラゴンボールスタンプラリーの後以来であり、改正前の記憶残しの目的で乗ったのであります。

今回乗ったK2編成では、気になるイバラキのラッピングが解除されていました。

このように、柏から上野まで特急ときわ92号に乗ることや、上野駅でそれを撮影することが出来て良かったです。

国際興業バスの赤23系統で赤羽から西新井へ2 乗車レポート

$
0
0




こちらは、9月12日に西新井駅で撮影した、国際興業バスのいすゞ(ISUZU)新型エルガの3120(練馬200か33-37)号車(QDG-LV290N1)で、折り返しは、赤23系統の赤羽駅東口行きとなりました。

2002(平成14)年1月15日までの間は、西新井駅前のロータリーの整備が不十分だった為に、手前の西新井警察署(現、西新井陸橋)で折り返す赤24系統が大半を占めていました。

赤23系統は、埼玉県川口市の領家エリアや足立区の鹿浜エリアと赤羽、西新井の両駅を結ぶことがターゲットであり、全区間通しで乗るなら環七経由の赤27系統が早いということになります。

ここで乗車レポート。

赤羽駅では、東口の1番乗り場から発車していたので撮影しやすかったです。

こちらは赤23系統、赤23-3系統(深夜バス、西新井大師西駅行き、平日の23時30分発のみ)、赤21系統の深夜バス(鳩ヶ谷公団住宅行き、鳩ヶ谷営業所所属)が発着しているし。

赤羽駅を出た後、東京メトロ南北線と埼玉高速鉄道線の赤羽岩淵駅へ。

こちらは、1972(昭和47)年11月11日まで、都電27系統の赤羽電停があったことで有名であり、三ノ輪橋~王子駅前~赤羽間で直通運転が行われていました。

その代替で開設された都営バスの王57系統(北自動車営業所所属)は、1991(平成3)年11月29日に営団地下鉄(当時)の南北線の赤羽岩淵~駒込間が開業し、赤羽岩淵~王子駅前間で重複するようになったけど、赤羽駅東口や豊島五丁目団地にも乗り入れているので廃止されずに残されています。

2001(平成13)年3月28日に、埼玉高速鉄道線(赤羽岩淵~浦和美園間)が開業した当時は、赤羽~鳩ヶ谷エリア間のバス路線(鳩ヶ谷営業所所属)が再編されたけど、一部のみ廃止されたものの、赤20系統(赤羽駅東口~川口市立医療センター間)、赤21系統(赤羽駅東口~鳩ヶ谷公団住宅間)が再び増便された上で残されています。

こうなった理由は、赤羽駅と赤羽岩淵駅が離れていることや、埼玉高速鉄道の運賃が高いことにより、継続してバスを使う人が多いからであります。

赤羽駅と鳩ヶ谷を結ぶ路線が現在でも鳩ヶ谷営業所のドル箱路線となっているのはその為であるし。

鳩ヶ谷市は、2011(平成23)年10月11日に川口市に編入合併されたので、川口市の一部となっています。

埼玉高速鉄道の南鳩ヶ谷、鳩ヶ谷の両駅は、旧鳩ヶ谷市に位置しているけど、川口市となったことにより、赤羽岩淵、浦和美園の両駅以外(中間駅)は全て川口市に位置しています。

埼玉高速鉄道のSR一日乗車券は、東京メトロによる管理駅である赤羽岩淵駅で買うことが出来ないので、赤羽駅東口から国際興業バスで川口元郷駅まで行くか、JR武蔵野線で東川口駅まで行って買うことになります。

赤羽岩淵駅を出た後、鳩ヶ谷方面行きのバスと同様に荒川大橋(新荒川大橋)を渡り、埼玉県へ。

赤羽営業所の路線は、赤23系統(赤羽駅東口~荒川大橋、鹿浜経由~西新井駅間)のほか、赤25系統(赤羽駅東口~ハートアイランド間の循環)、赤27系統(赤羽駅東口~環七(江北大橋)経由~西新井駅間)、赤31系統(赤羽駅東口~環七(大和町、野方駅)経由~高円寺駅北口間、関東バス阿佐谷営業所との共同運行)、赤50系統(赤羽駅西口~西が丘経由~王子駅間)、赤51系統(赤羽駅西口~豊島病院経由~池袋駅東口間)、赤53系統(赤羽駅西口~ときわ台駅間)、赤54系統(赤羽駅西口~桐ヶ丘高校循環)、赤80系統(赤羽駅西口~赤羽車庫間)、赤58系統(赤羽駅西口~東京北医療センター間)などであり、そのうち埼玉県に入るのは、赤23系統と、赤72系統(赤羽駅西口→戸田公園駅、深夜バスで平日の2本のみ)となっています。

赤23系統は、荒川大橋~鹿浜五丁目間で埼玉県川口市(埼玉県運賃区間)を通るので、都内区間のみ及び埼玉県区間に跨がる場合には、都内運賃(大人220円)となるけど、埼玉県にある荒川大橋、門樋下(もんびした)、仙元橋、領家、梛木の橋(なぎのはし)、領家工場街、榎木橋、山王橋際(赤羽行きの場合は、元郷二丁目、エルザタワーも通る)の間だけ使う場合は埼玉県運賃となるので、これらのバス停から乗る場合には、乗務員(運転士)さんに行先を訪ねられることになります。

埼玉県区間は、東京都シルバーパス、都内定期券、都内一日乗車券での適用外となるので、埼玉県区間での乗り降りが不可能となっているし。

荒川大橋バス停は、埼玉県側にあるけど、赤羽駅東口~荒川大橋間は、都内扱いとなります。

新荒川大橋を渡った後は、すぐに芝川沿いの狭い道に入っていました。

荒川大橋~仙元橋間は、西新井行きと赤羽行きが別ルートであり、赤羽行きの場合は、元郷二丁目、エルザタワーも通ることになるし。

この時に車内から眺めた夕日は綺麗でした。

このルートは、川21系統(川口駅東口~鹿浜、領家循環線、川口営業所所属)も通るけど、14時を境に運用が変わることになります。

榎木橋で左折してから、山王橋際へと向かい、右折してから新芝川を渡ってすぐに東京都に戻り、鹿浜五丁目へ。

ここで首都高速川口線(江北ジャンクション~川口ジャンクション間、川口ジャンクションで東北自動車道(東北道)と東京外環自動車道(外環道)に接続)と交差しました。

こちらは、1987(昭和62)年9月9日に、首都高速中央環状線の葛西ジャンクション~四つ木出入口間、千住新橋~江北ジャンクション間、東北道の川口ジャンクション~浦和インター間と同時に開通したものであり、首都高と東北道が結ばれてから今年で30周年を迎えていました。

首都高速の中央環状線のほうは、一昨年3月7日に、大橋ジャンクション~大井ジャンクションの間をもって、全線開通していたし。

その後に、左折し、鹿浜十字路へ。

以前は、ここから左折していたけど、2008(平成20)年3月30日の日暮里・舎人ライナー(日暮里~見沼代親水公園間)の開業により、西新井大師西駅を通るルートに変更されたので、そのまま直進していました。

日暮里・舎人ライナーの西新井大師西駅は、その名の通り、西新井大師の西側にある駅であり、西から始まり、西で終わるというユニークな駅名となっています。

その手前には、東京北部病院バス停があるので、東京北部病院へのアクセスにも使われていることが分かります。

東京北部病院は、けいせい会(景星会)による病院であり、赤羽駅東口付近にある赤羽東口病院も同じ系列であります。

西新井大師西で左折し、尾久橋通りを通ってからすぐに右折していました。

赤羽行きの場合は、谷在家二丁目バス停にも停車することになるし。

その後、西新井三丁目まで行き、その後右折してから第一団地方面へ。

大師前交差点北で、東武大師線と交差し、大師前駅の東側を通ったけど、1991(平成3)年7月に高架化されるまでの間は踏切がありました。

環七通りを通り、赤27系統や都営バスの王40系統などと同じルート(栗原町、西新井陸橋経由)で西新井駅へ。

東武バスセントラルの西07系統(西新井駅~谷在家公園、鹿浜経由~鹿浜都市農業公園間、足立営業事務所所属)は、西新井駅~鹿浜間で赤23系統と競合する路線となっているけど、こちらは赤23系統の旧ルートだった谷在家公園経由が守られています。

赤羽駅東口と足立区を結ぶ国際興業のバス路線は、赤23系統と赤27系統のほか、赤26系統(赤羽駅東口~鹿浜橋、加賀団地経由~舎人(とねり)団地間)もあるけど、西11系統(西新井駅~見沼代親水公園駅間、足立区コミュニティバス(はるかぜ3号))と同様に、都内しか走らない川口営業所所属の路線(東京23区で当たり前となっている前乗り後ろ降り)となっています。

赤26系統は、椿二丁目まで環七通りを走ることになるし。

西11系統に使われる車両は、いすゞジャーニーJ(小型車、日野リエッセのOEM車)であります。

西新井駅でも記念撮影を行いました。

このように赤羽駅東口から西新井まで乗った車両が新型エルガで良かったと思っています。

おまけの画像は、西新井駅で撮影した赤27系統の先代のいすゞエルガの5440(練馬200か27-92)号車(QPG-LV234L3)であり、先代エルガにもHIDヘッドライトが使われていることが分かります。


E657系K6編成によるときわ83号in柏駅

$
0
0





こちらは、9月24日に、JR常磐線の柏駅で撮影した、E657系のK6編成による特急ときわ83号(上野発いわき行き)です。

ときわ83号は、ときわ66号と共に1往復しかないいわき発着のときわ号であり、いわき行きのときわ号は、このときわ83号だけであります。

こちらは、E653系によるフレッシュひたち号がいわきに乗り入れていた時の名残のある列車であるし。

上野駅を20時30分に発車し、途中、柏、佐貫、牛久、土浦、石岡、友部、赤塚、水戸、勝田、大甕(おおみか)、常陸多賀、日立、高萩、泉、湯本に停車してからいわきへと向かうことになるけど、10月14日からは品川発着に変更されます。

いわき行きの最終特急は、品川 20時45分、東京 20時53分、上野 21時ちょうど発のひたち29号(ときわ83号の30分後に上野駅を発車)であり、途中、土浦、水戸、勝田、大甕、常陸多賀、日立、磯原、勿来(なこそ)、泉、湯本に停車してからいわきへと向かうことになります。

柏からいわきまで乗換なしで行ける列車は、ひたち3号とときわ83号の2本であるけど、前者は、10月14日以降も上野始発のままとなるし。

柏駅は、JR線、東武アーバンパークライン(野田線)共に、2面4線であり、東側が常磐緩行線(東京メトロ千代田線、小田急線に直通運転)、中央部分が常磐快速線、西側が東武アーバンパークライン(野田線)から成っています。

柏駅は、1896(明治29)年12月25日の田端~土浦間と共に開業した駅であり、日本鉄道によって開拓されていました。

東武アーバンパークライン(野田線)が柏に乗り入れるようになったのは、1911(明治44)年5月9日の千葉県営軽便鉄道の柏~野田町(現、野田市)間の開業のことであったし。

1971(昭和46)年4月20日に、常磐線の綾瀬~我孫子間が複々線化された時には、柏駅が快速の通過駅となっていたけど、迷惑乗り入れ問題が発生したことや、柏駅の利用客が予想以上に多いことから、翌年の1972(昭和47)年10月2日に、快速線部分にホームが増設されて快速停車駅となっていました。

1980(昭和55)年10月1日には、当時存在していた客車列車を除いた全ての普通列車が柏駅にも停車するようになり、1986(昭和61)年11月1日には、特急ひたち号(初代)の停車駅に格上げされていたし。

柏駅の快速線ホームは、1998(平成10)年7月12日に拡幅され、翌年の1999(平成11)年には、常磐線側にも南口が新設されていました。

2005(平成17)年7月9日の特別快速(常磐特快)の新設と共に、特急フレッシュひたち号の千葉県での停車駅が柏駅に統一(松戸、我孫子駅通過化)されていたし。

柏駅の東口には、そごう柏店があったけど、ちょうど1年前の昨年9月30日に惜しまれて閉店していました。

14階には、開店展望レストランがあったし。

その跡地はそのままとなっているけど、11階にあるよみうりカルチャー柏も周辺に移転されることになります。

隣接するスカイプラザには、ビックカメラが入っているし。

ときわ83号は、品川発となるだけで変化はないけど、東武アーバンパークライン(野田線)の8000系をバックに撮影することが出来て良かったです。

東急世田谷線の招き猫ラッピング電車

$
0
0





9月26日は、三軒茶屋から下高井戸まで、東急電鉄世田谷線の308Fによる、招き猫ラッピング電車に乗りました。

こちらは、今年3月6日に、東急世田谷線の前身である玉電の道玄坂上~三軒茶屋間が、玉川電気鉄道によって開業してから110周年を迎えたことにより施されているラッピング電車であり、9月25日から営業運転入りしていました。

玉電110周年のラッピング電車は、開業当時の木造電車がイメージされた305Fも挙げられているけど、こちらは、宮の坂駅付近にある豪徳寺(招き猫発祥の地)の招き猫(商売繁盛の縁起物)がイメージされたラッピングとなっています。

小田急線の豪徳寺駅は、その名の通り豪徳寺の最寄駅だけど、徒歩10分程度掛かります。

このことは、かつての玉電(東急玉川線)の支線(現在の世田谷線)が豪徳寺の近くを走るという縁もあるし。

308Fは、赤色塗装であるので、このラッピングが施されている間(来年3月31日までの予定)は、赤色の電車が見られなくなっています。

305Fのピンク色塗装も、玉電100周年ラッピングが施されている間(こちらも来年3月31日までの予定)、見られなくなっているし。

一昨年2月27日から5月30日までの間には、308Fに当時のNHK大河ドラマであった「花燃ゆ」のラッピングが施されていたこともありました。

一昨年の2015(平成27)年は、現在の世田谷線部分が開業してから90周年を迎えた年であり、10編成異なる塗装に魅了された為に都電荒川線(現在は東京さくらトラムと呼ばれている)よりも東急世田谷線の追っ掛けによく行っていました。

同年7月に下高井戸駅のポイントが交換される前は、到着した時に撒水が行われるポイントとなっていたことも世田谷線に魅了されたきっかけとなっていたし。

花燃ゆは、井上真央氏が主演で、一昨年1月4日から同年12月13日に放送されていたけど、一時期は視聴率低迷で問題となっていました。

松陰神社前駅付近にある松陰神社は、花燃ゆの縁の地であります。

花燃ゆのラッピング電車は、JR西日本の山口県エリアでも運転され、山陽本線の115系や美祢線のキハ120系に施されていました、

因みに、今年のNHK大河ドラマは、「おんな城主 直虎」で、今年12月まで放送予定だけど、柴咲コウ氏(井伊直虎役)が主演となっています。

現在自分(しゃもじ)が使っているスマホ(スマートフォン)であるシャープ(SHARP)のAQUOS Rは、柴咲コウ氏によって宣伝されているし。

縁の地は、静岡県浜松市北区(井伊谷)であり、来年1月14日までの間、浜松市北区にある「浜松市みをつくし文化センター」に大河ドラマ館が設けられています。

来年のNHK大河ドラマ(1月7日放送開始予定)は、「西郷(せご)どん」であり、鈴木亮平氏(ホリプロ所属の俳優、西郷吉之助/隆盛役)が主演となります。

西郷どんは、鹿児島県が縁の地であり、上野の西郷隆盛像にも関連してくるし。

上野と言えば、今年6月に生まれた上野動物園のジャイアントパンダの赤ちゃんの名前が、シャンシャン(香香)に決まったことで話題になっています。

豪徳寺の招き猫は、右手を挙げている姿が特徴であり、豪徳寺に行けば沢山飾られていることが分かります。

小田急線の豪徳寺駅(世田谷線の山下駅と隣接)から豪徳寺までは離れているけど、駅前に招き猫が飾られているので、ムード満点であります。

日本一の招き猫の生産地は、愛知県常滑市(常滑焼(窯業)で有名な場所)であり、イオンモール常滑(名鉄空港線のりんくう常滑駅前、セントレアこと中部国際空港の手前)には、高さ7mの巨大な招き猫である「お多福」があることで有名であります。

同じ愛知県の瀬戸市も有名な招き猫の産地であるし。

瀬戸市は、瀬戸内海をイメージしてしまう人も多いので、区別する為に尾張瀬戸(名鉄瀬戸線の終点でもある)と呼んでいます。

今日(9月29日)は、招き猫の日であるのでこのことを話題にしました。

車内には、招き猫の吊革や猫の足跡のステッカーがあります。

このように、東急世田谷線の招き猫ラッピング電車に乗ることや、撮影することが出来て良かったです。

画像は、東急世田谷線の三軒茶屋駅で撮影したものであり、ドーム状の駅に似合っています。

横軽区間の廃止から20年 碓氷峠鉄道文化むらのこと

$
0
0





信越本線の横川~軽井沢間(碓氷峠越えの横軽区間)が、長野新幹線(現、北陸新幹線)の長野までの開業により、廃止されてから今日(9月30日)で20年経ちました。

この区間は、当初アプト式であったけど、1963(昭和38)年からEF63型電気機関車との協調運転(粘着式)に切り替えられ、1997年9月30日の廃止まで、この方式での運転が切り替えられていました。

当時は、上野~長野、妙高高原、直江津間の特急あさま号(189系または489系)や上野~長野、直江津経由~金沢間の特急白山号(489系)が行き来し、横川駅と軽井沢駅で、EF63型電気機関車の連結、切り離し作業が行われていたし。

横川駅では、長い停車時間を利用して、峠の釜めしを買い求める人たちで賑わっていたけど、現在は静まり返っています。

9月7日は、廃線から20年を迎える前の碓氷峠鉄道文化むらに行き、EF63型電気機関車や189系を撮影してきました。

ちょうど自分(しゃもじ)のモバイルデビュー20周年記念によりスマホを導入したことで撮影する為に碓氷峠鉄道文化むらに行って、画像投稿用の画像を撮影したのであります。

横軽区間が廃止された1997年9月30日は、火曜日の平日で、営団地下鉄(現、東京メトロ)の銀座線と南北線の溜池山王駅の開業と重なっていました。

横軽区間や特急あさま号の最終列車は、上野発長野行きのあさま37号で、当然のことながら賑わっていたけど、当時使われていた編成は、クハ189-506号車を含めたN105編成となっていました。

こちらは、中央線特急あずさ・かいじ号に転用された後、1999(平成11)年2月に廃車となり、同年4月18日に開園していた碓氷峠鉄道文化むらで静態保存されるようになっています。

碓氷峠鉄道文化むらは、開園当時よりも大幅に来園客が減っているという残念な出来事があります。

碓氷峠の鉄道を後世に残すために作られたものなので、是非行ってもらいたいと思っています。

自分(しゃもじ)が久しぶりに碓氷峠鉄道文化むらに行ったのはその為であるし。

このように、横軽区間廃止20周年を迎える前に碓氷峠鉄道文化むらに行くことが出来て良かったです。

画像は、晩年茶色塗装に復元されたEF63 1号機、運転体験用として動態保存されているEF63 12号機、189系のクハ189-506号車です。 

9月28日の都電 8808号車 荒川線の日

$
0
0




こちらは、9月28日に東京さくらトラム(都電荒川線)の鬼子母神前電停で撮影したオレンジ色の8800形の8808号車で、最近になってからは、前面と側面(非ラッピング電車のみ)のArakawa Lineの表示が、東京さくらトラムを表すTokyo Sakura Tramの表示に変わっていました。

他の8800形、7700形、8900形も順次変更されることになるけど、ラッピングが解除されたばかりの8806号車は、昨日(9月30日)の時点でArakawa Lineのままでありました。

東京さくらトラムの愛称名は、今年4月28日から使われているけど、荒川線が正式な路線名として残されています。

こちらは東武伊勢崎線の浅草、押上~東武動物公園間が、東武スカイツリーライン、東武野田線が東武アーバンパークラインと呼ばれていることと同様であるし。

都電荒川線は、今から43年前の1974(昭和49)年10月1日に、27系統(三ノ輪橋~王子駅前間)と、32系統(荒川車庫前~早稲田間)の統合によって出来た路線名であり、このことに因んで、毎年10月1日が荒川線の日となっています。

1974年当時の都電荒川線は、ワンマン運転化される前で車掌さんが乗務していた時代であり、6000形、7000形、7500形が使われていました。

7000形や7500形に関しては、車体が載せ替えられる前の旧車体であり、塗装は、6000形と同様の黄色に赤帯(晩年7001号車が纏っていた塗装)でありました。

今年6月まで活躍していた7000形のうち、8両は、7700形に更新されていたけど、足回り品が交換されて新車同様となっているので、全盛期の面影が無くなっています。

7700形と言えば、青色の7704号車(旧、7015号車)に、初のラッピングであるウルトラ育毛剤(ウルトラマン)のラッピングが施されていることで話題になっているし。

8808号車に関しては、再塗装され、8月に全般検査から出場していたので、こちらも新車同様の輝きとなっています。 

8809号車(同じオレンジ色)や8810号車(元祖幸せの黄色い都電)も再塗装されて出場することになるし。

8800形の非ラッピング電車である8803号車(ローズピンク)も、Tokyo Sakura Tramの表示に変わっていることも確認しました。

8900形に関しては、Arakawa Lineの表示からTokyo Sakura Tramの表示に変わったと共に、非ラッピング電車の&TOKYOのロゴマークが廃止されていました。

8900形に取り付けられていた&TOKYOヘッドマークも、今年になってから突然外されていたし。

このように、鬼子母神前電停で、綺麗な姿の都電8808号車を撮影するがことが出来て良かったです。

おまけの画像は、9月18日に荒川車庫前電停で撮影した、Arakawa Lineの表示時代の8808号車で、ビフォーアフターであります。 

京王8000系の8713Fによる高尾線開業50周年記念列車

$
0
0





昨日(10月1日)は、高幡不動から高尾山口まで、京王電鉄の8000系の8713F(緑色の高尾山トレイン)による準特急高尾山口行きに乗りました。

この日は、京王高尾線(北野~高尾山口間)が開業してから50周年を迎えていたので、この8713Fに往年の高尾号がイメージされたヘッドマークが取り付けられていました。

京王高尾線は、今から50年前の1967(昭和42)年10月1日に、高尾山へのアクセスの為に開業した路線であり、登山口付近に高尾山口駅が出来たことにより、新宿から高尾山の麓まで乗換なしで行けるようになったという喜びがありました。

北野~高尾山口間のうち、北野~山田間は、1931(昭和6)年3月20日に京王御陵線(北野~山田~多摩御陵前間)として開業した区間であり、1945(昭和20)年1月21日に休止、1964(昭和39)年11月26日に正式に廃止され、1967年10月1日に高尾線の一部として復活していたのであります。

復活と共に片倉駅(国鉄→JR横浜線の駅とは別)から京王片倉駅に変更されていたし。

山田~高尾山口間は、高尾線として新規開業した区間であります。

このように、廃止された区間の一部が復活した例は、今年3月4日に、JR可部線の可部~あき亀山(旧、安芸亀山)間も挙げられています。

こちらは、2003(平成15)年11月末に廃線となった可部線の非電化区間(可部~三段峡間)の一部であり、復活と共に電化されていたし。

京王高尾線の開業日が10月1日となったのは、秋の紅葉シーズンに間に合わせる為であったことが分かります。

高尾線が開業した当時は、当時のフラッグシップ車両だった初代5000系による祝賀列車が運転されていたけど、8713Fと同じ緑色の2000系列も活躍していました。

2000系列は、1984(昭和59)年まで活躍していた車両であり、グリーン車(JR等の特別車両とは無関係)として親しまれていたし。

下高井戸駅では、1984年までの間、京王2000系列と、東急世田谷線(旧、玉川線)の緑色の電車との組み合わせも見られていました。

東急からは、2001(平成13)年2月10日の150形をもって緑色の電車が全廃されていたし。

東急でも、9月4日から新5000系の5122F(8両編成)に、1986(昭和61)年6月まで活躍していた青ガエルこと初代5000系がイメージされた緑色のラッピングが施されているので、京王と東急で緑のラッピング電車が走っていることが分かります。

京王の高尾山トレインは、一昨年の9月30日に登場し、同年10月27日に高尾山口駅前に開設された京王高尾山温泉極楽湯のPRも行われていました。

自分(しゃもじ)は、今回も京王高尾山温泉極楽湯に入ったけど、これが出来てから2年経つことで早いもんだなと思いました。

高尾山温泉が出来たことにより、登山を楽しんだ後に温泉で登山の疲れを癒すことも出来るようになったので、高尾山に行く楽しみが増えたのであります。

高尾山口駅で、夜の帳が降りた後も賑わっていたのはその為であったし。

高尾山温泉は、紅葉シーズンの書き入れ時に間に合わせる為に出来たことが分かります。

リニューアルされた高尾山口駅も、夜でも明るい雰囲気があるし。

この日は、府中フォーリスで行われたハイスピことHIGHSPIRITS(元ステーション♪のさやぽんこと葉月沙耶氏も所属している9人組アイドルグループ)のリリースイベントに行っていたけど、新宿から府中まで、7000系による特急で移動した時に高尾のヘッドマーク付きの8713Fとすれ違ったので目を付けていました。

日帰り温泉施設が好きな友人であるT氏も以前高尾山温泉に行ったことがあり、最高だったと語っていたことがありました。

この日は、T氏と別行動であり、T氏は、カレッタ汐留でのカバガ(CoverGirls)のイベントに行き、その後に西新井駅前にある日帰り温泉施設であるTHE SPA西新井(大師の湯)に立ち寄っていたので、9月24日の越谷レイクタウンでのカバガのイベントの後にT氏と一緒に隣の吉川駅前にあるよしかわ天然温泉ゆあみに立ち寄っていた時のことを思い出しました。

この時もやはり、お気にいりのアイドルのライブやイベントに行った後に入る温泉は最高であることを語っていたし。

自分(しゃもじ)もやはり、府中でのハイスピのイベントに行った後に立ち寄った高尾山温泉が最高だったと思っています。

自分(しゃもじ)は、赤羽から西新井まで国際興業バスで移動した後に、THE SPA西新井に立ち寄ったのであります。

こちらは、無料でスマホの充電が出来ることで重宝しているし。

高尾線開業50周年を迎えた昨日は、新宿~高尾山口間中心の運用に入っていたので、ムード満点でありました。

緑色の塗装は、2000系列だけでなく、高尾山の緑もイメージされていることが分かります。

高尾山では、今後紅葉シーズンを迎え、賑やかになるし。

この日は、9月29日に、営業運転が開始された京王新5000系が運転されていなかったけど、5731Fが高幡不動の車庫で寝ていたことを確認したので、車窓からでありながら、初めて生で見たことになりました。

この8713Fを撮影したことに成功したことにより、今後新5000系の追っ掛けに専念出来るようになったし。

新5000系は、9月29日の初日は午前中のみの運用だったのが残念でありました。

高尾山温泉の後、新宿から折り返してきた8713Fに乗って帰ることも出来たので、新宿駅でも記念撮影したのであります。

高尾線開業50周年記念ヘッドマーク付きは、期間中に京王八王子や橋本へも乗り入れることもあります。

このように、京王高尾線の50周年記念の開業記念日(誕生日)である10月1日に、8713Fによる高尾山トレインに乗ることや、その記念ヘッドマーク付き電車を撮影することが出来て良かったです。

画像は、高幡不動駅と高尾山口駅で撮影したものです。



吉村めぐみ氏の誕生日

$
0
0


今日(10月2日)は、ステーション♪見習い乗務員(元パワフル娘)の吉村めぐみ氏の17回目の誕生日です。おめでとうございます。

これからも頑張ってもらいたいですね。

7日には吉村めぐみ氏の生誕祭が行われます。

チェキは、3月5日のものです。 

京王8000系の8713Fによる高尾線開業50周年記念列車2 新宿駅

$
0
0




続いては、京王線の新宿駅の3番線で撮影した、京王電鉄8000系の8713F(高尾山トレイン)による折返しの準特急高尾山口行きです。

この日は、高尾山温泉でゆっくりしていた時に高尾山トレインが新宿からの折返しで高尾山口駅に戻ってきていたので、高尾山口から新宿まで乗ることも出来たのであります。

これにより、京王高尾線の記念すべき開業50周年の記念日(50回目の誕生日)に、高尾山トレインで往復することに大成功しました。

京王線の新宿駅が現在の地下駅に移転された1963(昭和38)年4月1日時点や、それ以前の地上駅の時代は、2000系列などの緑色の電車が当たり前となっていたけど、この高尾山トレインの緑色塗装は、新宿駅が地下化されたばかりの頃を彷彿とさせます。

地下化当時の京王線新宿駅は、5面4線(18m車6両分)となっていたけど、1975(昭和50)年の20m車8両対応の4面3線への改良を経て、1982(昭和57)年には、20m車10両編成の乗り入れ対応に改良されたことにより、現在の3面3線となっています。

地上駅時代の京王線新宿駅は、4面5線で、1945(昭和20)年7月24日の移設から1963年3月31日までの18年間使われていました。

当時は、新宿駅を出た後に甲州街道の併用区間(最後まで路面電車の面影があった区間)を通っていたことで有名であったし。

このように、京王線が昔路面電車であったことは、歴史に詳しい人でないと分からない状態であります。

京王線が1372mmの馬車軌道のままとなっているのは、当時の名残であるし。

このことは、1997(平成9)年10月11日に、急勾配を通る併用区間として有名だった京阪京津(けいしん)線の京津三条~御陵間が、京都市営地下鉄東西線の三条京阪~御陵間にシフトされて廃止されたことに似ている状態でありました。

京阪京津線が現在の路線となってから10月12日に20周年を迎えるのであります。

京王線の新宿駅が地下化された直後の1963年4月16日には、京阪本線の天満橋駅が地下化され、淀屋橋まで延長されたことで話題になっていました。

その後の1963年6月17日には、阪急京都本線の大宮(阪急大宮)~河原町間が開業していたし。

新宿駅は、日本一利用客の多い駅として有名であり、京王線の新宿駅も利用客が一番多い状態であります。

京王線の準特急は、2001(平成13)年3月27日に新宿~高尾山口間の急行からの格上げにより登場した当時は、特急の停車駅に分倍河原駅と北野駅を加えたものとなっていました。

2012(平成24)年8月19日の調布駅付近の地下化による改定で、準特急への統一により、特急が一旦廃止されていたけど、翌年の2013(平成25)年2月22日の改定では、特急が分倍河原、北野駅停車化により復活し、土休日に北野~高尾山口間が各駅停車となる列車が準特急となり、京王八王子発着の準特急が一旦廃止されていました。

一昨年9月25日のダイヤ改正では、準特急が笹塚駅と千歳烏山駅にも停車するようになり、京王八王子発着の準特急が復活し、橋本発着の準特急も新設されています。

現在の準特急は、平日が京王八王子発着、土休日が高尾山口発着がメインであり、平日の日中と土休日には、橋本発着の準特急も運転されています。

高尾山口発新宿行きの準特急は、途中、北野までの各駅と、高幡不動、聖蹟桜ヶ丘、分倍河原、府中、調布、千歳烏山、明大前、笹塚に停車しているし。

このように、高尾山口から新宿まで再び高尾山トレインに乗り、新宿駅で記念撮影することが出来て良かったです。

E657系のK15編成によるときわ85号in柏駅

$
0
0





こちらは、9月24日に、常磐線の柏駅で撮影した、E657系のカツK15編成による特急ときわ85号の土浦行きです。

ときわ85号は、上野駅の16番線を21時15分に発車し、途中、柏、佐貫、牛久、ひたち野うしく、荒川沖に停車してから土浦へと向かう列車であり、10月14日からは、これまでのときわ87号と統合されて品川 21時15分、東京 21時23分、上野 21時30分発の勝田行き(品川まで逆延長されると共に、ひたち野うしく、荒川沖駅にも停車化される)となるので、ときわ85号の土浦行きが見納めとなってしまいます。

土浦発着の特急ときわ号は、かつて485系(旧ひたち号に使われていた車両)によって運転されていたホームライナー(おはようライナー)土浦号の名残のある列車であり、改正後は、ときわ73号(上野 18時15分発)、ときわ77号(上野 19時15分発)、ときわ52号(土浦 6時06分発)の下り2本、上り1本の3本となります。

夕方以降の上野始発のときわ号は、上野 20時15分発のときわ81号(勝田行き)を含めた3本まで減らされてしまうし。

柏駅では、東武アーバンパークライン(野田線)の60000系との並びで撮影することも出来ました。

複々線化される前の常磐線の柏駅は、相対式ホームの2面3線で、貨物列車用の中線がありました。

上野 23時12分発→勝田 1時15分着の下りの勝田行き普通列車(E531系で、全区間10両編成)は、10月14日の改正から、品川発(新橋、東京駅にも停車)となり、編成のほうも土浦まで15両編成(土浦駅で前の5両切り離し)となることで混雑が緩和されます。

このこととは限らず、E531系による品川発着の中距離電車(土浦、水戸方面)が増えることになるし。

10月14日の改正からは、高萩 5時31分→上野 7時46分着のときわ58号が、時刻の繰り下げの上で品川まで延長され、朝の通勤時間帯にも品川発着の特急が運転されるようになります。

時刻は、高萩 5時45分発、勝田 6時16分発→上野 7時57分(土休日は7時58分)、品川 8時13分(土休日は8時15分)着となり、高萩、日立エリアから東京エリアへのお出掛けにも便利になるし。

平日の朝には、勝田 6時01分発→上野 7時42分着のときわ56号が、これまでのときわ58号の勝田→上野間に近い時間に運転されるようになるけど、これまでのときわ56号(勝田 5時53分発→上野 7時34分着)が廃止されるので、下り2本、上り1本のときわ号が削減されることになります。

土休日に運転されているときわ68号(勝田 9時04分発→上野 10時23分着)は、ときわ66号として品川(10時45分着)まで延長されることにより、東京方面へのお出掛けに適した列車となるし。

上野 9時ちょうど発のひたち5号(いわき行き、途中、水戸、勝田、大甕(おおみか)、常陸多賀、日立、高萩、勿来(なこそ)、泉、湯本に停車)は、土休日のみ品川始発(品川 8時45分、東京 8時53分発)となるけど、平日は上野始発のままとなるので、上野駅では、平日は低いホーム、土休日は高いホームからの発車となるので注意が必要となります。

柏駅の西口(東武アーバンパークライン側)には、柏高島屋ステーションモールが、あり、バスターミナルも併設されています。

柏高島屋ステーションモールは、1992(平成4)年4月23日に、これまでの柏高島屋(高島屋柏店)と、柏ローズタウン(現在のS館)の統合により出来た駅ビルであり、S館、本館、新館から成っています。

新館は、これまでのりそな銀行柏支店のあった場所に建設されており、その1階には、りそな銀行の柏支店があるし。

柏駅のある柏市は、1954(昭和29)年9月1日に、柏町、土村、田中村、小金村との合併によって出来た東葛市が前身であり、その直後の同年11月15日に柏市に改称されていました。

2005(平成17)年3月28日には、東葛飾郡沼南町との編入合併により、旧、沼南町域が柏市の一部となっています。

昨年4月25日に開設されたセブンパークアリオ柏(イトーヨーカドーなどが入っているショッピングセンター)は、旧、沼南町域にあり、柏、新鎌ヶ谷、我孫子の各駅からバスに乗って行くことになります。
常磐線革命のダイヤ改正と言える10月14日の改正まであと10日となりました。

この改正では、黒磯~新白河間のE531系やキハ110系の進出も見逃せないし。

このように、柏駅でも、もうすぐなくなるときわ85号の土浦行きを撮影することが出来て良かったです。
Viewing all 5472 articles
Browse latest View live