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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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坂東遥氏の誕生日

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今日(11月3日)は、カバガ(CoverGirls)のぱること坂東遥氏の22回目の誕生日です。おめでとうございます。

この日は元パワフル娘の白石あゆか氏の19回目の、友人のひっぐ~氏の34回目の誕生日でもあるので、こちらもおめでとうございます。

豊田車両センターまつり2017での189系N102編成(あさま色)

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続いては、10月28日に豊田車両センターで行われた豊田車両センターまつり2017で展示されていた、あさま色の189系ナノN102編成(長野総合車両センター(長ナノ)所属、生え抜きの編成)で、はまかいじ号の表示となっていました。

こちらは、甲府発新宿行きの臨時特急であるかいじ186号に使われていた絡みにより、途中からの展示となっていたし。

かいじ186号(甲府 8時43分発→新宿 10時20分着、途中、石和温泉、山梨市、塩山、大月、八王子、立川、三鷹に停車)は、E257系のほか、189系で運転されることもあるけど、189系の場合は、かいじの表示となります。

はまかいじ号は、横浜駅から横浜線、中央本線経由で松本を結ぶ臨時特急列車(秋は11月19日までの土休日に運転)であり、大宮総合車両センター所属の185系のうち、ATC付きのオオB3,B4,B5編成(モノクラスの6両)に限定されています。

189系によるはまかいじ号は、ナノN101編成(先頭車はATC付きの183系で、あさま色だった)によって実際に見られていたことがあり、当時は189系による朝の松本発、夕方の横浜発を含めた2往復で運転されていました。 

N102編成には、ATCが取り付けられていないので、実際にはまかいじ号に使うことが不可能だけど、マークで再現されたことは嬉しいことだと思っています。

このことで、一昨年の豊田車両センターまつり2015で、N102編成があさま表示で展示され、初代グレードアップ塗装(イタリアンカラー)のM52編成によるあずさ号と並べられたことを思い出しました。

長野総合車両センターの189系は、1997(平成9)年9月30日に特急あさま号が廃止された後、4編成が、6両化された上で、快速妙高号(長野~直江津間)に転用されていたけど、乗り得列車として話題になっていました。

一昨年3月14日の北陸新幹線の開業により、妙高号が廃止され、このN102編成だけが団臨用として残されています。

特急あさま号が廃止された後、11両固定のグレードアップ車が、あずさ号やかいじ号に転用されたけど、松本区で有効長が短い為に、長野区所属のままとなっていました。

松本車両センターで、E257系やE351系の基本編成と付属編成がバラバラで留置されているのはその為であるし。

1997(平成9)年10月12日に、E351系のS3+S23編成が、スーパーあずさ13号(当時)で運用されていた時に、大月駅を通過中に、201系(クハ200-116号車が先頭に立っていた)による回送列車と衝突した事故(大月駅列車衝突事故)の被害に遭っていた時に、1編成が修理の為にあさま号から転用されたばかりの189系の11両編成があさま色のままE351系の代走で活躍していたこともありました。

こちらは当然のことながら臨時ダイヤで運転されていたし。

183系や189系の最高速度は、120Km/hであり、120Km/hを出せる区間が塩嶺トンネル内(岡谷~みどり湖間)、篠ノ井線の塩尻~松本間、総武本線の錦糸町~千葉間に限られています。

JR東海の383系によるワイドビューしなの号(名古屋~長野)間は、中央西線の名古屋~中津川間のみ130Km/hが可能であり、塩尻~松本間は120Km/h運転となっているし。

E351系のS3+S23編成のうち、脱線転覆の被害が大きかった5号車から9号車までの間の5両が廃車となり、車体が製造元である日立製作所笠戸事業所で作り直されていたし。

大月事故が発生した当時は、ATS-P化される前だったけど、現在は東京、新宿~松本間全てでATS-P化されています。

中央本線の支線のうち岡谷~辰野間は、ATS-SN、辰野~塩尻間はATS-Psとなっているし。

あさま色のあずさ号は、N102編成が臨時あずさ号に入った時に実際に見ることが出来ます。

長野の189系のうち、N102編成だけが残されたのは、ATS-Psが取り付けられているからであるし。

年末年始も189系による臨時のあずさ号やかいじ号の運転が予定されているので、E353系と共に注目されています。

このように、豊田車両センターまつり2017で、189系のあさま色であるナノN102編成も良い感じで撮影することが出来て良かった。

並びのE233系は、豊田車両センターまつり2017のヘッドマーク付きのE233系トタH50編成(分割・併合対応編成)です。

木村友香氏の誕生日

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今日(11月4日)は、カバガ(CoverGirls)のゆーちんこと木村友香氏の25回目の誕生日です。おめでとうございます。

E351系によるスーパーあずさ19号

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昨日(11月4日)は、新宿駅の10番線で、E351系の量産先行車であるS2+S22号による中央本線の特急スーパーあずさ19号を撮影しました。

こちらは、松本11時08分発新宿行きのスーパーあずさ14号と同様の最速達タイプのスーパーあずさ号の1往復のうちの1本であり、新宿駅の10番線を14時ちょうどに発車した後、八王子、甲府、茅野、上諏訪に停車してから松本へと向かうことになる列車であります。

これらの1往復は、12月23日以降も引き続きE351系で運転されることになるし。

新宿10時ちょうど発のスーパーあずさ11号(12月23日からE353系で運転)も、上諏訪~松本間ノンストップのスーパーあずさ号となっているけど、こちらは立川駅にも停車しています。

スーパーあずさ号の常識であった新宿~八王子間のノンストップ列車である為に、立川駅には停車致しませんというアナウンスが行われているのはその為であるし。

E351系のS2+S22編成は、1993(平成5)年に日本車輌製造で製造された編成であり、翌年の1994(平成6)年2月19日に八王子から甲府まであずさ号として初めて乗った時に当たっていました。

1996(平成8)年に量産車が登場した時には、S1+S21編成と共に量産化改造が行われ、1000番台化されていたし。

前面やクーラーの形状が異なる点や、GTO方式となっているのは、量産先行車の証であります。

振り子装置が使われる区間は、八王子~松本間であり、東京、新宿~八王子間では、中央ライナー7号に使われる時を含めて振り子装置が固定されています。

大糸線に乗り入れていた頃は、松本~信濃大町間でも振り子装置が使われていたし。

1966(昭和41)年12月12日(笹子~初鹿野(現、甲斐大和)間が複線化された時)に特急あずさ号が181系(こだま型のボンネット車両、上野~新潟間の特急とき号と共通運用だった)で営業運転が開始された当時は、2往復で、途中、甲府と上諏訪駅にしか停車していなかったです。

こちらは、大八廻り(辰野経由)のルートで、新宿~松本間3時間57分掛かっていたし。

スーパーあずさ19号と14号の停車駅は、181系時代の初期の停車駅に八王子駅と茅野駅が加わったものとなっています。

中央東線では、普門寺信号場(茅野~上諏訪間)~岡谷間が単線となっているので、下諏訪駅通過の特急でも、行き違いの為に運転停車することもあります。

1993年4月1日には、山梨エリアの4駅の駅名が変更され、初鹿野駅は甲斐大和駅、勝沼駅が勝沼ぶどう郷駅、別田駅が春日居町駅、石和(いさわ)駅が石和温泉駅にそれぞれ変わっていました。

1999(平成11)年5月8日に、友人と立山黒部アルペンルートに行った時に、新宿から信濃大町まで、E351系のS1+S21編成による南小谷行きのスーパーあずさ号に乗ったことがあったけど、当時はJR東日本でアルペンルートへの周遊きっぷが発売されていた時代だったので、あの頃が懐かしいです。

南小谷行きのスーパーあずさ号は、2004(平成16)年3月13日に白馬発着に変更され、のちに臨時列車に格下げされて廃止となっていたし。

松本~南小谷間は、後ろの4両が切り離されて8両編成となっていました。

現在大糸線の南小谷への乗り入れは、E257系によるあずさ号だけとなっているし。

スーパーあずさ号の東京行きは、2004年3月12日に一旦廃止されていたけど、2015(平成25)年3月16日に復活していました。

東京行きのスーパーあずさ号も、12月23日以降も引き続きE351系で運転されることになるし。

E351系がスーパーあずさ号となってから初めて乗った時は、1997(平成9)年11月8日の上諏訪→松本間のことであり、当時はS1+S21編成が使われていました。

このように、新宿駅でE351系の量産先行車を撮影することが出来て良かったです。

7両化された東急大井町線の急行 6103F

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一昨日(11月4日)は、溝の口から大井町まで、この日から7両化された、東急電鉄大井町線の新6000系6103Fによる急行列車に乗りました。

初日であるこの日は、土休日の125運用改め135運用に使われ、田園都市線の長津田駅を10時43分に発車した後、長津田 16時43分着までの間、長津田~大井町間(田園都市線、大井町線直通急行)を4往復していました。

こちらは1966(昭和41)年4月1日の田園都市線の溝の口~長津田間の開業から、1979(昭和54)年8月11日までの間(現在の大井町線が田園都市線の一部だった頃)を彷彿とさせる列車であります。

土休日の日中の急行は、溝の口発着と長津田発着が交互に運転されているので、長津田まで行かずに溝の口駅で待機していたのであります。

東急の新6000系は、2008(平成20)年3月28日の大井町~二子玉川間での急行運転開始に合わせて導入された急行専用車であり、当時は6両編成6本36両が導入されていました。

2009(平成21)年7月11日の二子玉川~溝の口間の複々線化に伴う大井町線の溝の口延長の時点では、新6000系の増備がなかったので、急行運転開始時に溝の口延長を見据えた本数で導入されていたことが分かります。

新6000系は、東急多摩川線と池上線の新7000系と同様に、新5000系列の車両(元をただせばJR東日本のE231系)がベースとなっているけど、新7000系の可愛い系に対して、ロボットみたいでカッコいい系の前面スタイルが特徴であります。

今年になってからは、増結用中間車(デハ6300番台(2代目)、総合車両製作所横浜事業所製)が6両新製され、8月29日から30日に掛けて、逗子から長津田まで甲種輸送されていました。

これらの中間車は、3号車(大井町寄りから3両目)に組み込まれることになっており、組み込みが完了した6103Fが、11月4日に営業運転入りしていたのであります。

9年ぶりに製造された車両である為に、廃車となった田園都市線の新5000系6ドア車のドア等の廃車発生品が流用されています。

田園都市線の新5000系の6ドア車から新4ドア車への差し替えによって余剰廃車となった6ドア車が、製造元である総合車両製作所横浜事業所に送り込まれていたのはその為であるし。

大井町線の7両化によって、3号車から6号車までの車両の番号が変更され、先頭車が初代6603号車から6703号車に変わっています。

前面には、7両編成を表す7CARSのステッカーが貼られており、番号表示の6の跡があるし。

東急大井町線の路線

大井町~下神明~戸越公園~中延~荏原町~旗の台~北千束~大岡山~緑が丘~自由が丘~九品仏(くほんぶつ)~尾山台~等々力(とどろき)~上野毛~二子玉川~(二子新地)~(高津)~溝の口→(一部の列車のみ田園都市線の鷺沼駅または長津田駅まで直通運転)

二子新地駅と高津駅は、一部の各停(青各停)のみ停車で、緑各停は通過となります。

急行の停車駅 大井町~旗の台~大岡山~自由が丘~二子玉川~溝の口~鷺沼~たまプラーザ~あざみ野~青葉台~長津田~(南町田)~(中央林間)

中央林間発は、土休日の上り(大井町方面)の2本(9時27分発と9時57分のみ)であり、それ以外は溝の口または長津田発着となります。

中央林間発の急行は、2006(平成18)年3月18日から2008年3月23日までの土休日に8500系や8590系によって運転されていた大井町線直通急行の名残であるし。

二子玉川~溝の口間では、二子新地、高津駅通過の緑各停と、溝の口発着の急行が内側の通過線を通るけど、田園都市線直通急行の場合は、二子新地、高津駅停車の青各停と同様に外側の田園都市線部分を通ることになります。

大井町線の車両基地は、田園都市線と共用の長津田検車区であるので、鷺沼駅または長津田駅までの出入庫列車が設定されているのもそのはずであるし。

乗換駅

大井町 JR京浜東北線

中延 都営浅草線

旗の台 池上線

大岡山 目黒線(目黒から東京メトロ南北線経由埼玉高速鉄道線または都営三田線へ直通運転)

自由が丘 東横線(横浜からみなとみらい線元町・中華街駅まで、渋谷から東京メトロ副都心線経由東武東上線または西武池袋線へ直通運転)

二子玉川 田園都市線(三軒茶屋、渋谷方面、渋谷から東京メトロ半蔵門線経由東武スカイツリーラインの久喜駅または南栗橋駅まで直通運転)

溝の口 田園都市線(長津田、中央林間方面、一部、鷺沼または長津田まで直通運転)、JR南武線(武蔵溝ノ口駅)

あざみ野 横浜市営地下鉄ブルーライン

長津田 田園都市線(中央林間方面)、横浜高速鉄道こどもの国線、JR横浜線

各停は、9000系または8500系(8638,8639,8640,8641F)による5両編成が使われており、九品仏駅で溝の口寄りの1両のドアが開かないドアカットが行われています。

急行で6000系が使えない時には、上記の各停用の5両編成が使われることもあるし。

2013(平成25)年2月23日までの間は、戸越公園駅でもドアカットが行われていたことがあり、大井町寄りの2両のドアが開かなかったです。

大井町線での急行の待避駅は、旗の台駅であり、上野毛駅では、平日の朝夕のラッシュ時の上り列車(大井町方面)に限り、急行の通過待ちが行われています。

東急大井町線が開業したのは、1927(昭和2)年7月6日(目黒蒲田電鉄の時代)の大井町~大岡山間のことであり、今年で開業90周年を迎えていました。

開業当時は、下神明駅が戸越駅(都営浅草線の駅とは別)、戸越公園駅が蛇窪駅、旗の台駅が東洗足駅と呼ばれていたし。

北千束駅は、翌年の1928(昭和3)年10月10日に池月駅として開業した駅であり、洗足公園駅を経て北千束駅となっています。

1929(昭和4)年11月1日には、自由ケ丘(現、自由が丘)~二子玉川(初代)間が二子玉川線として開業し、同年12月25日に大岡山~自由ケ丘間の開業により全通し、二子玉川線が大井町線に編入され、大井町~二子玉川間の直通運転が行われるようになっていました。

尾山台駅は、1930(昭和5)年4月1日に開業していたし。

1943(昭和18)年7月1日には、玉川線(溝ノ口線、玉電)の二子読売園(現、二子玉川)~溝ノ口間が1372mmから1067mmに改軌されたと共に大井町線に編入され、大井町~溝ノ口間の直通運転(現在の大井町線と同じ)が行われるようになったけど、当時は二子橋(多摩川橋梁)が併用軌道と、2000(平成12)年3月27日まで存在していた名古屋鉄道(名鉄)犬山線の犬山橋区間(犬山遊園~新鵜沼間)の鉄道道路併用橋時代と同様でありました。

現在は、道路橋がツインブリッジとして独立し、鉄道橋に併用橋時代の名残があるし。

田園都市線の路線名は、長津田延長前の1963(昭和38)年10月11日から使われており、1979年8月12日に田園都市線と新玉川線(地下鉄半蔵門線)との直通運転が本格的に開始され、大井町~二子玉川園(当時)間が大井町線として分離されるまでの間、田園都市線の一部であったことから、大井町線の路線名が途絶えていました。

2009年7月11日に大井町線が溝の口まで延長されたことにより、長津田延長前の田園都市線と同じような路線となっています。

大井町線の田園都市線直通列車は、各停は5両、急行は6両または7両と、田園都市線の列車の10両編成よりも短くなるので、短い○両編成でまいります。というアナウンスがあるのはそのはずであるし。

大井町線の急行が7両編成化される理由は、大井町線の急行の利用客が増えていることだけでなく、田園都市線直通での混雑緩和もあります。

現在大井町線の急行で7両編成なのは、6103Fだけであるけど、来年春の改正までには全て7両編成化される予定となっています。

これにより、前面の6600番台(初代)の表示が見納めとなってしまうし。

大井町、旗の台、自由が丘の各駅で、ホームが7両分まで延長されていたけど、大岡山駅に関しては、ホームが8両分あるので問題は無かったです。

東急大井町線の大井町駅は、東口側にある1面2線の駅であり、ここからりんかい線に乗り換えてお台場方面に行くことが出来ます。

東急線の駅からお台場への近道でもあり、東急お台場パス(大井町駅、こどもの国線、世田谷線の各駅を除いた東急線の駅から大井町駅までの往復割引乗車券と、りんかい線の大井町~新木場間乗り放題の乗車券がセットになったフリーパス)が発売されているのもそのはずであるし。

この後に大井町駅からりんかい線で国際展示場駅まで行き、東京ビッグサイトで行われた東京モーターショー2017(2年に一度のクルマの祭典)に行ったので、モーターショーに行く前に大井町線に行ったのであります。

東京モーターショーは、2009年までは、幕張メッセ(海浜幕張駅付近)で行われていたけど、2011(平成23)年からは東京ビッグサイトで行われるようになったし。

昨日(11月5日)で今年の東京モーターショーが閉幕していたので、次回は再来年の2019年ということになります。

改良前の大井町駅は、2番線の反対側に降車専用ホームがあり、改札口や駅舎が現在の位置と異なっていました。

当時はJR線との連絡改札口もあったし。

大井町線は、かつての東急田園都市線の一部だったけど、田園都市線の混雑緩和によるバイパス路線としても活用されています。

来年3月の改正では、朝の急行が増発される予定であり、同時期に田園都市線に導入される新型の2020系の大井町線バージョンである6020系が7連2本の14両が導入される予定であり、日中の各停も増発されます。

7両編成は、土休日の場合、ランダムとなるけど、平日の場合は、当分の間122運用改め132運用で限定運用されているし。

このように、東急大井町線で、7両化初日を迎えた6103Fに乗ることが出来て良かったです。
















水湊あおひ氏の誕生日

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今日(11月6日)は、昨日加入したばかりのステーション♪の新メンバー(新見習い乗務員)のあーにゃんこと、水湊(みなと)あおひ氏の16回目の誕生日です。おめでとうございます。


因みに、ステーション♪の新メンバーは、水湊あおひ氏と、かのちゃんこと松島佳乃氏であります。

昨日は

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昨日(11月5日)は、つばきファクトリーの小片リサ氏の19回目、マホカレ(幻可憐GeNE)の早乙女ゆみの氏の23回目の誕生日でした。どちらもおめでとうございます。

東急大井町線の6104Fによる急行溝の口行き

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続いては、11月4日に、東急電鉄大井町線の大井町駅で撮影した、新6000系の6104Fによる急行溝の口行きです。

6103F以外の5編成は現在6両編成となっているけど、来年3月までの間には、7両化されるので、前面の6604号車の表示が6704号車に変わることにより、見納めとなってしまうので、撮影しておきました。

旗の台駅は、待避可能な2面4線の高架駅となっているけど、改良前は、2面2線の相対式ホームの駅で、池上線から大井町線の下りホーム(自由が丘、二子玉川園→二子玉川方面、3番線)に行く場合に4番線(大井町線の上り、大井町方面のホーム)を経由し、再び階段を昇り下りする必要がありました。

現在は池上線から大井町線の下りホームまで迂回せずに行けるようになっています。

大井町線⇔池上線の乗換えの案内サインは、上り(五反田方面)が赤色、下り(蒲田方面)が青色となっているし。

1927(昭和2)年7月6日に、大井町線が開業した当時は、東洗足駅で、現在の旗の台駅よりも170m大岡山(二子玉川)寄りにありました。

同年8月28日に、池上線の雪が谷(現、雪が谷大塚)~桐ヶ谷(戸越銀座~大崎広小路間にあった駅)間が、前身の池上電気鉄道によって開業した時に、旗の台駅の前身である旗ヶ岡駅も開業していたけど、現在よりも210m五反田寄りにあった為に乗換駅として認められていなかったです。

1951(昭和26)年3月1日に、大井町線の東洗足駅が現在の位置に移転されて現在の旗の台駅となり、同年5月1日には、池上線の旗ヶ岡駅との合併・統合により、旗の台総合駅となったことで現在に至っています。

旗の台は、源氏の白旗が揚げられたことが由来となっているし。

大岡山駅(駅の真上に東急病院のある駅)は、外側に目黒線、内側に大井町線が入っている地下駅であり、大井町線で唯一の地下駅でもあります。

改良前は、目蒲線(現、目黒線)と大井町線が別々の地上駅であり、目蒲線が島式、大井町線が変則相対式となっていました。

1997(平成9)年6月27日の地下化完了により、大井町線⇔目黒線間で同じホームでの乗換えが可能となっています。

東急病院が、大岡山駅の真上に移転されたのは、2007(平成19)年11月3日のことであり、あれから10年経っていたし。

自由が丘駅は、東横線が上、大井町線が下であり、大井町線部分は、2回ホームが延長されています。

二子玉川寄りには、自由が丘車庫として、5両編成対応の留置線が3本あったけど、6両での急行運転に支障する為に2005(平成17)年10月に1本を残して廃止されていました。

留置線が3本あった頃は、三枝分岐器となっていたのが特徴であったし。

跡地にTrainchi(トレインチ)自由が丘という商業施設が建設された後も、1本の留置線が残されているけど、2007年11月に一旦廃止され、2009(平成21)年に復活していました。

田園都市線の梶が谷駅に、梶が谷車庫として留置線が4線設けられたのは、自由が丘車庫の代わりでもあり、自由が丘とは違って新6000系も留置することも出来ます。

等々力(とどろき)駅は、将来的に地下化され、外側に急行の通過線が設けられる予定となっているけど、周辺にある等々力渓谷(東京23区で唯一の渓谷で、東京都指定名勝でもある)の湧水が妨げられることが懸念される問題がある為に反対運動が高まっているので、未だ地下化工事が着工されていない状態であります。

上野毛駅で改良を期に上りの通過線が設けられたのはその為であるし。 

溝の口駅は、二子玉川駅と同様に、外側が田園都市線、内側が大井町線が入っている2面4線の駅であり、改良前は、2面2線の相対式ホームで、現在の大井町線の部分に田園都市線が入っていました。

二子玉川園→二子玉川駅のほうは、1979(昭和54)年8月12日から1999(平成11)年9月4日に大井町線と田園都市線の入れ替えが行われるまでの間、大井町線の列車が外側の1番線または4番線での折返しが行われていました。

1990(平成2)年から1999年までの間、1番線(田園都市線(下り、中央林間方面)と同じホーム)到着の二子玉川園行き(当時)で緑色の幕、4番線(新玉川線(現在の田園都市線上り、渋谷方面)到着の二子玉川園行きで従来の黒色の幕が使われていたこともあったけど、こちらは現在の青各停(二子新地、高津停車)と、緑各停(二子新地、高津通過)に分けられていることに似ていました。

2008(平成20)年2月まで大井町線で活躍していた8000系で、東横線用のようなLED化が行われていなかったのはその為であるし。

溝の口駅の改良工事は、同じJR南武線への乗換駅である小田急線の登戸駅に似ています。

登戸駅の改良は、同じ盛り土式の簡易高架駅だった江ノ島線の大和駅と同様の方式で行われているし。

小田急の快速急行は、来年3月中旬の改正で、登戸駅にも停車するようになり、下北沢~新百合ヶ丘間の究極のノンストップ区間が解消されます。

平日の朝に唐木田、小田急多摩センター→新宿間に新設される通勤急行は、向ヶ丘遊園停車、登戸通過となるし。

大井町線が東急ATSからATC-Pに切り替えられたのは、2008年2月23日のことであり、東急電鉄の4ドア20m線区が全て新CS-ATCまたはATC-P化されていました。

ATC-Pは、JR東日本などのATS-Pと紛らわしい状態だけど、Pということで、ATS-Pと同様にパターン制御が行われています。

現在は東急多摩川線、池上線、世田谷線が東急ATSのままとなっているし。

大井町線の中延駅は、開業当時地平駅となっていたけど、国道1号線(第二京浜)との立体交差の絡みにより、1957(昭和32)年7月に高架化されていました。

中延駅から池上線の荏原中延駅へは、中延スキップロードという商店街を通って行くことが出来ます。

荏原中延駅が地下化されたのは、1989(平成元)年3月19日のことであり、その前に緑色の初代3000系列が全廃されていました。

荏原中延駅が地下化されたことにより、池上線の地下駅が長原駅と荏原中延駅の2駅となっているし。

長原駅は、目蒲線→目黒線の洗足駅と同様に、環七通りとの立体交差化により、洗足駅と共に昭和40年代に地下化されています。

下神明駅付近には、横須賀線(品鶴(ひんかく)線、西大井駅)と大崎駅を結ぶ大崎支線(蛇窪線、湘南新宿ライン等が走る線路)の分岐点である旧蛇窪信号場があるけど、下神明駅の前身が蛇窪駅だった頃の名残があります。

6000系の型式は、1960(昭和35)年から1989年まで活躍していた初代6000系(ブタ鼻ヘッドライトのスキンステンレス車)から受け継がれています。

初代6000系は、東横線でデビューし、晩年は大井町線で活躍していたし。

その一部が日立製作所の水戸工場(茨城県勝田市→ひたちなか市、JR常磐線の勝田駅付近)と、弘南鉄道大鰐線(青森県)に譲渡されたけど、現在は全て廃車となっています。

日立製作所水戸工場では、勝田駅への引込み線が出ていて、元東急初代6000系による通勤輸送が行われていたし。

日立製作所水戸工場では、かつて電気機関車の製造が行われていたことで有名でありました。

現在日立製作所の鉄道車両の製造は、全て山口県下松市にある笠戸事業所で行われているし。

大井町線急行の7両化は、来年3月までに行われる予定だけど、早まる可能性があるので、この機会に6両編成の6104Fを撮影することが出来て良かったです。


飯窪春菜氏の誕生日

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今日(11月7日)は、モーニング娘。'17のはるなんこと飯窪春菜氏の23回目の誕生日です。おめでとうございます。

E657系のK8編成によるときわ88号で柏から品川へ

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11月5日は、柏から品川まで、JR常磐線のE657系カツK8編成による、ときわ88号に乗りました。

ときわ88号(2代目)は、勝田駅を19時47分に発車した後、途中、水戸、友部、石岡、土浦、柏、上野、東京に停車してから品川へと向かう列車であり、10月14日の改正の前は、ときわ90号(初代)の上野行きとなっていました。

ときわ88号が品川に到着した後の折り返しは、21時45分発のときわ87号(2代目)となるけど、こちらは、高萩行きの最終特急であり、ときわ号で唯一上野→土浦間ノンストップとなっています。

途中停車駅は、東京、上野、土浦、石岡、友部、水戸、勝田、東海、大甕(おおみか)、常陸多賀、日立であるし。

改正前は、初代ときわ89号の勝田行きであったけど、10月14日の改正で、現在のときわ85号と入れ替わる形で高萩まで延長され、日立、高萩方面への特急列車の最終が繰り下げられていたのであります。

ときわ87号が高萩行きであることは、改正前から変わらないけど、ときわ85号(勝田行き)に譲る形で、柏、佐貫、牛久、赤塚駅が通過となっているし。

改正前のときわ85号は、上野駅を21時15分に発車していた土浦行きであり、品川21時30分発の勝田行きにシフトされてからは、勝田まで短縮され、ひたち野うしく、荒川沖駅にも停車するようになっています。

今改正では、上野 22時15分発勝田行きの旧ときわ93号も、ときわ89号に統合される形で廃止されていたし。

ときわ87号は、東京駅で、285系による寝台特急サンライズエクスプレス(東京駅22時ちょうど発のサンライズ瀬戸号(高松行き)と、サンライズ出雲号(出雲市行き)、岡山駅で分割)と顔を合わせることになります。

今回乗ったE657系のK8編成には、K1,K17編成と同様の「福が満開、福のしま。」キャンペーンのラッピングが施されており、国宝白水阿弥陀堂のラッピングが施された3号車の12Dに当たっていました。

柏から上野駅の手前までは、改正前と変わらない風景であったけど、上野駅では、高いホームの9番線に到着し、上野東京ラインに入ったことで、品川行きらしさを感じました。

上野駅に到着する前の自動放送で、起終点チャイムではなく、途中駅チャイムが流れていたことでそう思っていたのであります。

自分(しゃもじ)がE657系に乗ったのは、9月24日のカツK2編成による特急ときわ92号(現、ときわ90号)の柏→上野間以来であり、品川までの上りで初めて乗ったことにより、ビフォーアフターの状態でありました。

品川からの下りだったら過去に2回乗ったことがあるし。

この日は、秋葉原のオオカゼ冩眞館で行われたステーション♪の新メンバー(新見習い乗務員)のお披露目記念イベントに行っていたので、秋葉原を通過した時に、Twitterで、ありがとうステーション♪とつぶやきました。

ステーション♪の新メンバー(新見習い乗務員)は、あーにゃんこと水湊(みなと)あおひ氏(16歳の高1)と、かのちゃんこと松島佳乃氏(15歳の中3)であり、前者の水湊あおひ氏は、お披露目の翌日である一昨日の11月6日に、16回目の誕生日を迎えていたので、2001(平成13)年生まれであることが分かります。

この日はもちろん両者とも初交流したし。

水湊(みなと)ということで、勝田駅で接続するひたちなか海浜鉄道湊線のことを思い出しました。

因みに、松島佳乃氏の誕生日は、9月12日(2002(平成14)年生まれ)であります。

松島と言えば、東北本線の松島駅(宮城県宮城郡松島町)や、その周辺にある日本三景松島を思い出します。

日本三景松島へは、仙石線の松島海岸駅が近いし。

ステーション♪のみはねんこと足立未羽氏は、黄金時代(元ステーション♪のほののんこと安田帆花氏率いる海賊がコンセプトのアイドルグループ)のファンなので、黄金時代が1推しの自分(しゃもじ)と話が合います。

黄金時代は、12月6日に、初のシングルである「青波グランドジャーニー」がリリースされる予定であるけど、今年になってからは今年3月に加入した2期生1人を含めた3人が脱退した為に、4人組に戻っていました。

ジャーニーが入る曲で、昨年1月の第一期ステーション♪のラストシングルとなった「雪のジャーニー」を思い出します。

ほののんこと安田帆花氏は、ステーション♪で培われた鉄子(箱根登山鉄道推し)であるので、10月20日に恵比寿で行われたほのアコ(ほののんのアコースティックライブ)で、電子レンジことE235系(山手線の新型車両)のことを話題にしていたし。

自分(しゃもじ)は、11月4日に、池袋のタワレコで行われた黄金時代のイベントに行きました。

前回E657系に乗った9月24日は、友人のTY氏と一緒に越谷レイクタウンで行われたカバガことCoverGirls(6人組のアイドルグループ)のニューシングルである「アナタシカ」のリリースイベントに参戦し、吉川駅の近くにあるよしかわ天然温泉ゆあみに行った後(吉川からは新松戸乗換で柏まで移動していた)だったのでテンションが高かったです。

カバガのアナタシカは、10月24日に発売されていたけど、イベントに行った時点では、事前予約の段階だったので、この日(11月5日)に秋葉原から越谷レイクタウンまで移動し、越谷レイクタウンで、予約していたカバガのCDを受け取りに行ったのであります。

その後は、前回と同様に1人でよしかわ天然温泉ゆあみに入り、新松戸乗換で柏まで行き、柏から品川までときわ88号に乗ったことで、常磐線特急のビフォーアフターを体験することが出来ました。

品川駅ではもちろん記念撮影を行ったし。

12月23日にデビューする予定のE353系(新型スーパーあずさ)のS103+203編成は、昨日(11月7日)、逗子から松本まで、公式試運転を兼ねた自力による出場回送が新宿経由で行われ、営業運転開始後に見ることの出来ない逗子→新宿間での走行シーンも見られていました。

昨日は、電子レンジこと山手線のE235系のトウ11編成の総合車両製作所新津事業所から大崎(東京総合車両センター)までの配給輸送と重なっていたし。

今回乗ったE657系のK8編成は、2012(平成24)年2月に日立製作所笠戸事業所で製造された車両であります。

E657系のうち、総合車両製作所横浜事業所製は、K9,10,11,17編成であるし。

K8と言えば、京王電鉄京王線の京王八王子駅や、その駅ビルであるK8を思い出します。

京王の新5000系も、総合車両製作所横浜事業所製の話題の車両となっているけど、一昨日の11月6日に調布から若葉台まで改めて乗った時に乗り心地や座り心地の良さに感動していました。

E657系も乗り心地が良かったけど、E353系も乗り心地が良いだろうと思い出しましたいます。

このように、柏から品川まで、E657系によるときわ88号に乗ることが出来て良かったです。



京王新5000系の5733Fによる若葉台行き

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11月6日は、調布から若葉台まで、京王電鉄新5000系の5733Fによる、若葉台行きに乗りました。

この日は、5733Fが朝の運用に入っていたので、新5000系がよく使われている平日の夕方の高幡不動 18時46分→新宿 19時59分着、20時03分発→若葉台 20時55分着の列車に使われることを予想して調布駅で待っていたら、見事に当たりました。

新5000系のLEDヘッドライトを見て間違いないなと思っていたし。

前回の10月4日に、新宿から若葉台まで5731Fに乗った時にはたった1編成しかなかったけど、11月2日にはこの5733Fも営業運転入りしたことにより、乗れる確率が上がっています。

この日は、5734Fも総合車両製作所横浜事業所から若葉台検車区までトレーラーで陸送された上で搬入されていたし。

京王新5000系は、9000系以来16年ぶりにモデルチェンジされた新型車であり、旅客用としては、9000系の最終増備車である9730F以来8年ぶりの新造車でもあります。

京王初の車上蓄電池が搭載されていることでも話題になっており、さらなる省エネ化はもちろんのこと、停電した時に蓄えられた電気によって自力で走行することが可能となっています。

今回は、調布から若葉台までだったけど、改めて京王新5000系に乗った時には、乗り心地や座席の座り心地を実感したのであります。

前回のように新宿からではなく、調布から乗った理由は、府中フォーリスまで予約していたハイスピことHIGHSPIRITS(9人組のアイドルグループ)のアルバムである「ボクラの時代」のCDを受け取りに行っていたからであります。

この日は、周辺の大國魂神社で酉の市が行われていたし、その後に府中競馬正門前駅まで移動し、競馬場線のヘッドマーク付きの7421Fを撮影や乗車することが出来たし、その後に5733Fに乗れたという喜びもありました。

このことで、10月1日に府中フォーリスでハイスピのイベントに行った後に高尾線開業20周年記念ヘッドマーク付きの8713F(高尾山トレイン)に乗ったことを思い出しました。

ハイスピの「ボクラの時代」のCDは、10月31日に発売されていたので、10月1日は事前予約の段階となっていたし。

現在のステーション♪のメンバー(見習い乗務員)は、9人(ステーション♪用語で9両編成)であるので、ハイスピと同じ人数であることが分かります。

ハイスピの1推しであるさやぽんこと葉月沙耶氏は、昨年5月21日から同年10月18日まで、セカンドステージとして再結成されていたステーション♪に在籍していたけど、当時の事務所であったジョリー・ロジャーが倒産したことにより、10月18日に折角再始動されたのに再び全員卒業(解散)という憂き目に遭っていました。

現在のステーション♪は、今年2月25日にKIE(いたずらマイクなどと同じ事務所)によって再々結成されているし。

黄金時代は、かつてのステーション♪と同様にジョリー・ロジャー所属だったけど、同様の理由により、東洋レコーディング(スカイミュージック)に引き取られていたし。

ジョリー・ロジャー所属だった頃のステーション♪は、秋葉原にある神タワーが本拠地だったので、神タワーによく行っていた頃が懐かしいです。

現在のステーション♪の本拠地は、同じ秋葉原にあるオオカゼ冩眞館(ツインボックスと同じ建物)となっているし。

調布駅は、2012(平成24)年8月19日に、国領、布田の両駅と共に地下化された2層式の駅であり、下りが地下2階、上りが地下3階に位置している為に、東府中から調布まで乗った9743Fによる快速本八幡行き(高尾山口発)からの乗換えは、1段上がるだけとなっていました。

地上駅時代は、2面4線であり、平面交差の関係により、相模原線(京王多摩センター、橋本方面)は1番線、相模原線からの上り列車(新宿、本八幡方面)は3番線に限定されていました。

現在でも相模原線で1番線または3番線(相模原線からの上り列車)がメインで使われているし。

調布駅付近が地下化された理由は、立体交差化による開かずの踏切の解消だけでなく、調布駅での平面交差の解消もあるし。

これにより、2013(平成25)年2月22日に相模原線の特急が復活していたのであります。

京王相模原線と言えば、来年3月17日から加算運賃が引き下げられ、新宿または渋谷から京王稲田堤まで247円から237円、京王多摩センターまで339円から319円、南大沢まで400円から380円、橋本まで440円から420円(いずれもICカードの場合)となるし。

東急東横線と目黒線の田園調布駅は、1923(大正12)年3月11日に東急電鉄の前身である目黒蒲田電鉄の目黒~丸子(現、沼部)間と共に開業した時には調布駅と呼ばれていたので、その10年前の1913(大正2)年4月15日に開業していた京王電気軌道(京王線)の調布駅が存在していたことにより、調布駅が2つあったことになっていました。

こちらは、静岡県の柚木駅(JR身延線と静岡鉄道静岡清水線)、福島県の泉駅(JR常磐線と福島交通飯坂線)と同じような関係であったし。

1926(大正15)年1月1日には、目黒蒲田電鉄の調布駅が現在の田園調布駅となったことで問題が解消されていました。

東急池上線の雪が谷大塚駅(車両基地のある駅)は、雪ヶ谷駅と調布大塚駅の統合により出来た駅であり、車両基地付近にあった調布大塚駅は、もう1つの調布を名乗る駅でありました。

若葉台駅では、都営新宿線の10-300形の10-390Fによる始発の各停橋本行きに接続していました。

こちらは、若葉台車両基地で休んでいた車両であり、車両を返す為に車両交換されたものであるし。

若葉台駅は、川崎市麻生区にある2面4線の駅であり、東京都稲城市からも近いです。

小田急多摩線のはるひ野駅からも近いけど、徒歩10分程度の距離があるし。

来年3月中旬の複々線化完成に伴う小田急線のダイヤ改正で、小田急多摩線と東京メトロ千代田線の直通列車が多摩急行と共に廃止、新宿発着にシフトされることにより、多摩センターまたは永山から地下鉄に直通する列車が京王線→都営新宿線直通だけとなってしまいます。

今後小田急線と千代田線直通列車は、多摩線直通の廃止によって16年ぶりに原点回帰となるし。

これにより、小田急多摩線(新百合ヶ丘~唐木田間)にJR東日本(常磐緩行線)のE233系2000番台が乗り入れる風景が2年で見納めとなってしまいます。

当然のことながら東京メトロ16000系の多摩線乗り入れも見納めとなるし。のことながら東京メトロ16000系の多摩線乗り入れも見納めとなるし。

若葉台駅の1番線に到着した後は、すぐに入庫せず、一旦4番線側(北側)にある引込み線に入ってから入庫作業が行われていたので、良い感じに撮影することが出来ました。

前回の10月4日に行った時には若葉台駅へと向かっていた途中でスマホの電池切れによりスマホで撮影出来なかったから今回リベンジに成功していたし。

新5000系の運転予定は、事前に問い合わせて調べることも出来ます。

このように、調布から若葉台まで、再び京王新5000系に乗ることが出来て良かったです。



西武9000系の9107Fによる急行飯能行き

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11月4日は、池袋から石神井公園まで、西武鉄道池袋線9000系の9107Fによる、急行飯能行きに乗りました。

西武9000系は、1993(平成5)年から1999(平成11)年に掛けて、10連8本80両が3ドア→4ドア化の促進により旧101系の足回り品が流用された上でN2000系に準じた車体に更新された車両であり、更新作業は、西武所沢工場(武蔵丘車両検修場の前身で、所沢駅付近にあった車両工場)で行われていました。

初期の段階では、先行落成していた4連が、狭山線で暫定的に営業運転入りし、1994(平成6)年3月9日には、9101Fが10連の正規編成により西武新宿線系統で営業運転入りしていたし。

1996(平成8)年には、9105Fの導入により池袋線(池袋~飯能間)にも進出し、後に池袋線に集中配置されていました。

2004(平成16)年から2008(平成20)年に掛けてVVVF化されたけど、あれから13年以上経った今年10月30日には、9106F(一番最初にVVVF化された編成)が、40000系(S-TRAIN)の40103Fの導入により、横瀬まで廃車回送されていたので、6000系や新宿線系統の初期型2000系の残りよりも先に廃車となったことになりました。

やはりVVVF化されたとはゆえ、台車や台枠が旧101系からの流用品のままであり、普通鋼製車体の為に老朽化が進んでいたので廃車となったのもそのはずであります。

9106Fは、1997(平成9)年に西武所沢工場で更新された編成で、更新されてから池袋線一筋で活躍していたし。

もう1つの特徴としては、一番最初に前面のエコステッカーが剥がされたことでもありました。

明日(11月11日)、横瀬車両基地で行われる西武トレインフェスティバル2017in横瀬で、9106Fに関する寄せ書きコーナーが設けられることを聞いて、9000系がもう廃車になるのか!ということで驚きの状態でありました。

9107Fは、1997年から1998(平成10)年に掛けて更新された編成であるけど、2番目にVVVF化改造されていたことにより、次期の廃車候補とされています。

西武9000系は、京成電鉄の初代AE形(初代スカイライナー)から更新された3400形に似ているところがあります。

京成3400形は、足回り品が初代AE形のままなので、既に廃車が開始されている3600形と共に廃車候補と言われているし。

西武9000系は、9101Fがピンク色(元KPPトレイン)、9103Fが赤色(京急風のレッドラッキートレイン)、9108Fが紺色(L-Train、埼玉西武ライオンズのラッピング電車)となっているけど、これらの車両はもちろんのこと、従来の黄色い9000系も撮影しておく必要があります。

このように、池袋から石神井公園まで、西武9000系の9107Fに乗ることが出来て良かったです。

小田急ファミリー鉄道展2017の展示車両3 箱根登山カラーの1061F

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こちらは、10月21日に小田急電鉄の海老名検車区(海老名電車基地)で行われた小田急ファミリー鉄道展で展示されていた1000形の箱根登山カラー(スイスのレーティッシュ鉄道カラー)の1061Fです。

小田急1000形の箱根登山カラーは、1058,1059,1060,1061Fの4編成であり、2009(平成21)年3月14日の改正から、小田原(一部、新松田)~箱根湯本間用として、1059,1060,1061Fから施され、2012(平成24)年には、1058Fにも施されたことにより、小田原~箱根湯本間の各停が原則的に箱根登山カラーの1000形で運転されるようになっています。

1061Fは、1988(昭和63)年に日本車輌製造(豊川)で製造され、一時期は6連とペアが組まれた上で千代田線直通列車でも活躍していたこともありました。

1000形自体は、1987(昭和62)年から1993(平成5)年に掛けて196両製造され、1988年3月22日に営業運転入りしていたし。

営業運転開始当初は、各停の8両化が進められていた時であり、1000形が4+4の8連運用で使われていました。

1000形は1700番台のワイドドア編成以外全てリニューアルされる予定だけど、箱根登山カラーの編成もリニューアルされることになっています。

小田原~箱根湯本間の普通列車は、新松田発着の平日の下り3本(うち1本は本厚木発新松田経由)、上り2本、土休日の上り3本を除いて小田原発着であり、小田原発着の場合は、専用の11番線発着となります。

新松田発箱根湯本行き(下り)の時刻

平日 6時12分、21時ちょうど、22時57分(本厚木 22時21分)発

箱根湯本発新松田行き(上り)の時刻

平日 20時07分、21時ちょうど発

土休日 19時38分、20時58分、22時02分発

現在小田急線での通勤型車両による4両編成は、上記の列車のみであります。

小田原駅の11番線は、かつて登山電車の車両が乗り入れていた時に使われていたホームであり、12番線まであったし。

箱根湯本駅では、 2番線発着となります。

新松田から箱根湯本まで乗り換えなしで行ける列車は、ロマンスカーのはこね号の一部(旧、さがみ号の流れが組まれた列車、向ヶ丘遊園駅停車とセット)も挙げられているけど、来年3月の改正で向ヶ丘遊園駅と共に停車しなくなります。

あさぎり号の松田駅(JR東海御殿場線)停車のほうは当然のことながら継続されるし。

向ヶ丘遊園、新松田の両駅に停車するロマンスカー

平日下り(小田原、箱根湯本方面)

はこね81号 新宿 7時ちょうど発→向ヶ丘遊園 7時17分発→新松田 8時13分発→小田原 8時23分着→箱根湯本 8時40分着

はこね83号 新宿 7時27分発→向ヶ丘遊園 7時47分発→新松田 8時37分発→小田原 8時45分着→箱根湯本 9時01分着

平日上り(新宿方面)

さがみ76号 小田原 8時44分発→新松田 8時54分発→向ヶ丘遊園 9時39分発→新宿 9時59分着

はこね2号 箱根湯本 8時49分発→小田原 9時06分発→新松田 9時15分発→向ヶ丘遊園 10時03分発→新宿 10時20分着

さがみ90号 小田原 21時01分発→新松田 21時10分発→向ヶ丘遊園 21時57分発→新宿 22時14分着

さがみ92号 小田原 21時39分発→新松田 21時49分発→向ヶ丘遊園 22時35分発→新宿 22時52分着

土休日下り(小田原、箱根湯本方面)

はこね81号 新宿 7時ちょうど発→向ヶ丘遊園 7時16分発→新松田 8時05分発→小田原 8時13分着→箱根湯本 8時32分着

はこね83号 新宿 7時30分発→向ヶ丘遊園 7時46分発→新松田 8時34分発→小田原 8時42分着→箱根湯本 9時04分着

土休日上り(新宿方面)

さがみ68号 小田原 7時32分発→新松田 7時42分発→向ヶ丘遊園 8時32分発→新宿 8時48分着

はこね46号 箱根湯本 19時10分発→小田原 19時27分発→新松田 19時36分発→向ヶ丘遊園 20時22分発→新宿 20時38分着

はこね50号 箱根湯本 20時12分発→小田原 20時32分発→新松田 20時44分発→向ヶ丘遊園 21時31分発→新宿 21時48分着

これらの列車は、町田、本厚木、伊勢原(はこね81,83号のみ)にも停車しています。
 
松田と言えば広島県安芸郡府中町に本社のある自動車メーカーであるマツダ(MAZDA、旧、東洋工業)を思い出します。

自動車メーカーのマツダは、MATSUDAではなく、MAZDAとなっているのは、ゾロアスター教の最高神であるアフラ・マズダーが由来であるからであります。

1984(昭和59)年に5月には、マツダ(MAZDA)ブランドが浸透したことにより、東洋工業からマツダに社名変更されていたので、今年4月1日に富士重工業が自動車のスバル(SUBARU)ブランドの浸透により、SUBARUに変更されたことと同様であります。

11月4日に東京ビッグサイトで行われていた東京モーターショーのマツダ(MAZDA)ブースで、マツダの赤い車を見ていいなと思いました。

かつてのマツダは、ファミリア、カペラ、ルーチェ、コスモなどが主力だったけど、現在は、アクセラ、アテンザ、デミオなどが主力とカーラインナップが大胆に変わっているし。

リーグ2連覇で話題になったプロ野球の広島東洋カープ(セ・リーグ)は、マツダが筆頭株主であり、マツダと同様に松田家によって設立された球団なので、旧社名の東洋工業由来の東洋が入っています。

本拠地である広島市民球場(広島市南区)がMAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島と呼ばれているのはその縁もあるし。

松田繋がりでこのことを話題にしました。

2012(平成24)年2月26日には、撮影ツアーとして、松田駅付近の連絡線で、あさぎり号の小田急20000形RSE車やJR東海371系によるあさぎり号の最後の勇姿を撮影し、その帰りに松田から新宿までJR東海371系によるあさぎり号に乗ったことを覚えています。

現在は20000形の20002Fと371系が3連化されて富士急行線(山梨県)で活躍しているし。

小田急の1061Fは、中間にゾロ目の1111号車が含まれているので、今日(11月11日、ポッキー&プリッツの日)の話題としました。

小田急ファミリー鉄道展での箱根登山カラーの1000形の展示は、2013(平成25)年以来だったけど、当時は10月20日の日曜日に行った時に悪天候により第一会場が中止となっていたので、今回リベンジに成功したのであります。

今回は回送の表示となっていたし。

このように、海老名での小田急ファミリー鉄道展2017で、箱根登山カラーの1000形を撮影することが出来て良かったです。

小田急ファミリー鉄道展2017の展示車両の紹介は以上となります。ご覧頂き、誠にありがとうございました。

田中れいな氏の誕生日

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今日(11月11日、ポッキー&プリッツの日)は、元モーニング娘。でLovendoЯのメンバーである、田中れいな氏の28回目の誕生日です。おめでとうございます。

尾久ふれあい鉄道フェスティバル2017での展示車両

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昨日(11月11日)は、JR東日本の尾久車両センター(東オク、東京都北区)で行われた、第17回みんな集まれ!ふれあい鉄道フェスティバル(ふれあい鉄道フェスティバル2017)に行ってきました。

このイベントは、毎年11月半ば頃に行われている人気鉄道イベントであり、今年は、小海線のHIGH RAIL1375(キハ100+キハ110系改、新潟エリアの越乃Shu*Kura(シュクラ、キハ40,48系改)、気仙沼線のポケモンウィズユートレイン(キハ100系改)が目玉となっていました。

いずれも運用を休んで上京してきたので千載一遇(滅多にない良い機会)でした。

この時にHIGH RAIL1375とシュクラの車内見学を行ったけど、ポケモンウィズユートレインのほうは残念ながら事前応募に当選した人でないと入れなかったし。

ポケモンウィズユートレインのほうは、今年3月20日に友人と気仙沼に行った時にリニューアル前の姿を撮影していたので、今回リニューアル後の黄色(ピカチュウ色)を撮影したことにより、ビフォーアフターとなりました。

この日は、西武鉄道の横瀬車両基地で行われた、西武トレインフェスティバルと被っていたけど、尾久での展示車両に興味があったので、掛け持ちを行わずに尾久でのイベントに専念したのであります。

昨年は今年4月に引退した583系(元祖寝台電車、月光型)、一昨年はきらきらうえつ、2014(平成26)年はジパングが目玉となっていたし。

このように、尾久車両センターに行き、イベント列車を撮影出来て良かったです。

11月11日の都電 8810号車と火災予防運動

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一昨日(11月11日)は、東京さくらトラム(都電荒川線)の大塚駅前電停で、全般検査から出場したばかりの8810号車(元祖幸せの黄色い都電)による三ノ輪橋行きを撮影しました。

こちらは、再塗装された直後に全般検査入りしていたので、2010(平成22)年12月25日にデビューした当時を彷彿とさせる状態となっています。

尾久車両センターでのイベント(ふれあい鉄道フェスティバル)の後に荒川車庫前まで歩いて行かずに大塚駅前まで移動したのは、荒川遊園地前付近の混雑を避けること、荒川車庫前に11月3日に行ったこと、大塚駅前で撮影してみたかったことでありました。

大塚駅の北口にあった大塚ビルは、最近までマクドナルド(マック、マクド)やくすりの福太郎が入っていたけど、現在取り壊し(解体)工事が進められています。

こちらは、1937(昭和12)年に旧白木屋百貨店(東急百貨店の前身)の大塚分店として開設され、1948(昭和23)年に閉店、1956(昭和31)年には、松菱ストア(静岡県浜松市にあった松菱百貨店の系列)として再開され、1959(昭和34)年から雑居ビルとして使われていました。

80年の歴史があった建物が解体されたのは残念だけど、老朽化だけでなく、三井不動産レジデンシャルに買収されたことや、耐震基準の関係により解体されたのはそのはずであります。

大塚駅前付近にはマクドナルドがない状態であるので池袋、巣鴨、王子、早稲田に移動する必要があるし。

マクドナルドでは、一時期異物混入騒ぎがあったけど、その影響による赤字で大量に閉店されていました。

イトーヨーカドーのほうも閉店が相次いでおり、かつて三ノ輪橋電停付近に三ノ輪店がありました。

現在三ノ輪店は、改築されてイトーヨーカドー食品館となっているし。

イトーヨーカドー食品館は、早稲田や王子にもあります。

イトーヨーカドーで、セブン&アイ・ホールディングスのロゴマークへの変更により、一時期途絶えていた鳩マークの屋上看板が復活したのは、経営再建によるものであり、4面あるうちの2面が鳩マークとなっています。

屋上看板で鳩マークが復活した店舗は、大森店(大田区)、草加店(埼玉県草加市)、沼津店(静岡県沼津市)などであり、大森店は、今年5月7日に鳩マーク復活第一号となっていました。

大森店で実際にイトーヨーカドーの鳩マークを見た時に、イトーヨーカドーと言えばやはりこれだと思ったのであります。

スパガことSUPER☆GiRLS(avex系のメジャーアイドルグループ)によるイトーヨーカドーのCMも放送されていたこともあったので、イトーヨーカドーと言えば鳩マークのほか、SUPER☆GiRLSを連想します。

SUPER☆GiRLSは、2010年に結成されたので、8810号車を含めた都電8800形の後期車と同い年であることが分かります。

自分(しゃもじ)が初めてSUPER☆GiRLSのイベントに行き、握手会に参戦したのは、友人からのお誘いを受けた今年4月15日のダイバーシティ(お台場)での「スイート☆スマイル」の発売記念イベントことであり、ゆめりんこと阿部夢梨氏(石川県金沢市出身、元JUMPIN'(石川県のご当地アイドルグループ)のメンバー)を見て1推しとなったのであります。

今年4月15日には、春日部のイトーヨーカドーの看板が、期間限定によりクレヨンしんちゃんとのコラボである、サトーココノカドー(コウモリマーク)となっていたし。

昨日(11月12日)は、アーバンドックららぽーと豊洲で行われた、SUPER☆GiRLSの11月29日発売予定のニューシングルである「汗と涙のシンデレラストーリー」のイベントに行き、ゆめりんこと阿部夢梨氏と久しぶりに握手したけど、メンバーカラーが青からピンクに変わっていました。

これにより、地下アイドルを含めた自分(しゃもじ)の推しメンがピンク色の可愛いメンバーに集中している状態となっています。

黄金時代のほののんこと安田帆花氏やステーション♪のうぶちゃこと桜田初姫氏もその一人であるし。

SUPER☆GiRLSのピンク色は、自分(しゃもじ)がSUPER☆GiRLSの現場に進出する直前の今年3月31日をもって卒業した、あみたこと前島亜美氏(現在はソロとして活躍中)から受け継がれているし。

ゆめりんこと阿部夢梨氏の地元である石川県金沢市へは、北陸新幹線ですぐに行けるようになっています。

SUPER☆GiRLSの握手会では、かつて自分(しゃもじ)も参戦していたハロプロ系の握手会とは違い、しゃもじを刺したままでの握手が可能であり、握手もハロプロほどの高速ではないので、自分(しゃもじ)もSUPER☆GiRLSの現場に行くことになったのであります。

昨年7月末をもって、自分(しゃもじ)がハロプロ系の握手会参戦から撤退してからは、アイドルの握手会やチェキ会参戦が例のしゃもじスタイルに統一させていたので、地上アイドル(メジャーアイドル)の握手会参戦は、SUPER☆GiRLSだけ(唯一)となっています。

自分(しゃもじ)の地上アイドルの現場参戦でSUPER☆GiRLSだけを残したことは、都電7000形の一部をリニューアル車である7700形として残したことに例えたくなるし。

SUPER☆GiRLSの表記は、SUPERGIRLSではなく、SUPER☆GiRLSであり、中間に☆が入っていることに加え、iだけが小文字となっています。

カバガことCoverGirlsと名前が似ている点もあるけど、CoverGirlsのほうも、CとGが大文字で、他は小文字となっているし。

この日は、秋の全国火災予防運動(毎年11月9日から15日まで)の期間中だったので、火災予防運動の旗が取り付けられていました。

春の全国火災予防運動(毎年3月1日から7日まで)も同様に旗が取り付けられているので、年に2回であることが分かります。

春と秋の交通安全運動(4月6日から15日(4年に一度の統一地方選挙の年は5月11日から20日)までと9月21日から30日)の間にも旗が取り付けられるので、撮影する楽しみがあります。

東急世田谷線では、火災予防運動になると、窓に火災予防運動実施中の表示が取り付けられるので、昨日、308Fによる招き猫電車を撮影しました。

自分(しゃもじ)が世田谷線の追っ掛けにも行くようになったきっかけは、編成毎に異なるカラフルな電車が走ることだけでなく、2011(平成23)年11月に都電荒川線の元祖幸せの黄色い都電の8810号車と黄色い世田谷線の306Fによるコラボイベントが行われたことの影響もあるので、元祖幸せの黄色い都電の8810号車があるから世田谷線の追っ掛けにも行くことになったのであるし。

昨年8月1日に黄色い8900形である8907号車と8908号車(現在は都電落語会のラッピングが施されている)がデビューしてからは、8810号車のことを元祖幸せの黄色い都電と呼ぶようにしています。

8907号と8908号車は、定期運用から離脱された7000形の7001号車と7022号車(どちらもリバイバルの黄色い塗装だった)の穴埋めとなっているし。

このように、大塚駅前で、検査出場した元祖幸せの黄色い都電こと8810号車を撮影することが出来て良かったです。






















東急世田谷線の308F(招き猫電車)と火災予防運動

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一昨日(11月12日)は、三軒茶屋から下高井戸まで、東急電鉄世田谷線の300系308Fによる幸福の招き猫電車に乗りました。

この日は、秋の全国火災予防運動の期間中であった為に、火災予防運動実施中の表示(東京消防庁 世田谷消防署のクレジット入り)が取り付けられていました。

世田谷消防署は、世田谷区三軒茶屋(三軒茶屋、西太子堂駅付近)に本署のある消防署であり、北沢、松原、上北沢、宮の坂、三宿の各出張所もあります。

そのうちの宮の坂出張所は、山下駅付近にあるし。

世田谷消防署の本署の近くには、世田谷警察署や世田谷郵便局もあります。

招き猫でお馴染みの豪徳寺へは、山下駅よりも宮の坂駅のほうが近いです。

宮の坂駅は東側に豪徳寺、西側に世田谷八幡宮があるけど、宮の坂の駅名や宮坂の地名は、世田谷八幡宮の脇にある宮坂が由来となっています。

世田谷線の宮の坂駅は、1945(昭和20)年7月15日に上町寄りにあった豪徳寺前駅と山下寄りにあった旧、宮ノ坂駅との統合により出来た駅であり、当時は宮の坂ではなく、宮ノ坂駅となっていました。

1966(昭和41)年1月20日に現在の宮の坂駅と変更されていたけど、同じ日には、田園都市線の溝ノ口駅が溝の口駅に変更されていたし。

東急世田谷線が開業したのは、玉川電気鉄道(玉電)時代の1925(大正14)年1月18日の三軒茶屋~世田谷間(当時は玉川線の支線だった)のことであり、同年5月1日に下高井戸まで延長されていました。

松原駅は、1949(昭和24)年9月1日に、山下寄りにあった六所神社前駅と、下高井戸寄りにあった七軒町駅との統合により出来た駅であり、1969(昭和44)年5月11日に世田谷線として独立する前は、玉電松原駅と呼ばれていました。

同様に、若林駅が玉電若林駅、山下駅が玉電山下駅と呼ばれていたけど、これらの駅は、松原駅と同様に人の名前の駅であることが分かります。

玉電区間で最初に開業した区間は、1907(明治40)年3月6日の道玄坂上~三軒茶屋間のことであり、今年で110周年を迎えていました。

世田谷線で記念ラッピング電車が運転されているのはその一環であり、幸福の招き猫電車もそれに含まれています。

軽自動車等が製造されているトヨタグループの自動車メーカーであるダイハツ工業(DAIHATSU、大阪府池田市に本社のある日本で最も歴史の長い量産車メーカー)は、1907年3月1日に発動機製造として創業されてから今年で110周年を迎えていたので、玉電と同い年であります。

ダイハツ工業のダイハツ(DAIHATSU)の由来は、大阪にある発動機製造の略称である大発(大阪の大に発動機の発)から来ているし。

今年の東京モーターショーでは、ダイハツブースで、ダイハツ110年の歴史として、今から60年前の1957(昭和32)年に登場したオート三輪自動車(軽三輪の商用車)であるミゼットや、ダイハツ工業初の四輪乗用車(小型乗用車)であるコンパーノベルリーナ(2ドアコンバーチブル、1963(昭和38)年に登場)が展示されていました。

ダイハツ工業の軽商用車であるハイゼット(HIJET、1960(昭和35)年に登場)は、ハイ(HI)の名の通り、ミゼットの高性能四輪バージョンであります。

昨年8月1日には、ダイハツ工業がトヨタ自動車(TOYOTA)の完全子会社となっていたけど、その18年前の1998(平成10)年8月1日にはトヨタ自動車の連結子会社となり、DAIHATSUのロゴも一新されていたし。

ダイハツ工業がトヨタの完全子会社となった昨年8月1日は、自分(しゃもじ)がハロプロ系の握手会やチェキ会参戦から完全撤退し、自分(しゃもじ)のアイドルの握手会やチェキ会参戦を例のしゃもじスタイルに統一させた時であり、黄色い都電の8907号車と8908号車が営業運転入りした日でもありました。

ダイハツ工業(DAIHATSU)のDマークは、ダイハツの伝統であり、トヨタ自動車のTマークや、同じトヨタ自動車の子会社のトラック、バスメーカーである日野自動車(HINO)のHマーク(本田技研工業(HONDA)の四輪車のHマークとは別)と対称的であります。

世田谷区役所は、松陰神社前駅と世田谷駅が最寄駅となっているので、世田谷区役所に行くなら世田谷区の南北を結ぶ世田谷線が便利ということになります。

周辺にある世田谷税務署は、世田谷都税事務所や東京法務局世田谷出張所と共に、昨年改築されて世田谷合同庁舎の中に入っています。

改築期間中には、用賀駅前にある世田谷ビジネススクエアタワーに仮移転されていたし。

世田谷合同庁舎には、世田谷区立の世田谷保健福祉センターや世田谷図書館も入っています。

玉電は、全盛期だった都電と同様に、1964(昭和39)年10月に行われた東京オリンピック1964(駒沢エリアが会場として使われていた)での輸送で活躍していたけど、玉電最後の新造車であったデハ150形は、東京オリンピック1964対策で4両導入されていたと思われます。

デハ150形は、導入から5年後に玉川線の廃止により世田谷線に移り、2001(平成13)年2月10日まで活躍していたし。

世田谷区と目黒区に跨がっている駒沢オリンピック公園は、東京ラーメンショーの会場としても有名であり、今年は、10月26日から31日までと、11月1日から5日まで行われていました。

こちらでは、アイドルのライブイベントも行われているので、11月3日には、ハイスピことHIGHSPIRITSが出てきたライブイベントに行きました。

この時には、1推しであるさやぽんこと葉月沙耶氏や、ゆきのんこと千葉憂紀乃氏とチェキを撮影したし。

前者のメンバーカラーは、ピンク色、後者のメンバーカラーはハイスピカラーでもある緑色であり、緑色の電車が世田谷線にもあります。

現在ピンク色と赤色の電車は、110周年記念ラッピングが施されているのでない状態であるし。

ハイスピ(HIGHSPIRITS)と言えば、昨日(11月13日)に結成1周年を迎えていたけど、記念すべき1周年当日であるこの日に、西新宿にある新宿ReNYで、ハイスピの2ndワンマンライブ「 ーさあ諦めるな その夢はきっと光っているー」が行われていたけど、自分(しゃもじ)も行きました。

この日は、地球史に千葉時代(チバニアン)が誕生したことで話題になっていました。

こちらは人名の千葉家ではなく、さやぽんこと葉月沙耶氏の出身地でもある千葉県が由来となっているし。

因みに、さやぽんからは、しゃもじではなく、しゃもぽんと呼ばれています。

また話が脱線してしまったけど、
世田谷線の幸福の招き猫電車の車内には、猫の吊革や猫の足跡のステッカーがあるので、乗る楽しみがあります。

東急電鉄では、東急多摩川線と池上線の新7000系の増備が2011(平成23)年以来6年ぶりに再開され、その第一弾となった7108Fと7109Fが、今日(11月14日)、逗子駅を出発し、八王子停泊の後、明日(11月15日)、長津田に到着する予定となっています。

これにより、初代7000系から改造された7700系の残りの6編成(7901,7903,7905,7906,7912,7914F)の動向が気になります。

12月1日には、世田谷線にノッテチャージサービスが導入される予定であります。

こちらは、PASMOで残額が運賃を下回った場合に一定額が自動的にチャージされ、チャージされた後に残高から運賃が減額されるシステムであり、今年1月23日に東急バスで導入されています。

その申し込みには、TOKYU CARD(東急カード、クレジットカード)が必要であり、PASMOオートチャージサービスの設定やノッテチャージサービスの申し込みという条件があるし。

このように、東急世田谷線で、火災予防運動の表示付きの幸福の招き猫電車を撮影することが出来て良かったです。

画像は、三軒茶屋駅と下高井戸駅で撮影したものです。











W7系W5編成によるかがやき539号、上越新幹線35周年

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こちらは、10月8日に、東京駅の10番線(上野東京ラインの南行(東海道線)ホーム)側から撮影した、20番線に停車中の北陸新幹線W7系(E7系のJR西日本バージョン)W5編成による、かがやき539号の金沢行きです。

かがやき539号は、東京駅の20番線を19時56分に発車し、途中、上野、大宮、長野、富山、新高岡に停車してから金沢へと向かう列車であり、臨時扱いでありながら、上りのかがやき536号と共に新高岡駅に停車することになっています。

新高岡発の時刻、下りのかがやき539号は、22時16分発、上りのかがやき536号は、7時22分発

12月からは、かがやき539号が日曜日、かがやき536号が土曜日中心と大幅に減ってしまうことになるけど、年末年始にももちろん運転されるし。

今日(11月15日)は、東京~高崎間で北陸新幹線と線路を共用している上越新幹線が、大宮~新潟間で開業してから35周年を迎えていました。

北陸新幹線の高崎~長野間が、長野新幹線として先行開業してから、10月1日に20周年を迎えていたし。

1982(昭和57)年11月15日に、上越新幹線の大宮~新潟間が開業した当時は、緑の疾風こと200系(ビュッフェ付きの12両編成)が当たり前であり、同年6月23日に大宮~盛岡間で暫定開業していた東北新幹線と共通となっていました。

当時の上越新幹線は、速達列車(ひかりタイプ)があさひ号、各駅に停車(こだまタイプ)がとき号(在来線特急から継承)となっていたけど、1997(平成)9年10月1日の長野新幹線(当時)が開業してからは、現在の小田急ロマンスカーと同様に行先別に愛称を分ける方針となったので、新潟行きはあさひ→とき号、高崎、越後湯沢行きがたにがわ号に変わったのであります。

あさひ号は、長野発着のあさま号と紛らわしかったので、2002(平成14)年12月1日(東北新幹線の八戸延長に伴う改正)にとき号に変更されて、ときの愛称が復活していたけど、佐渡島の朱鷺が由来のとき号のほうが新潟らしくて良いと思います。

こちらは、小田急ロマンスカーで、評判が悪かったサポート号が廃止されて、相模国由来のさがみ号が復活したことと同様であるし。

一方の東北新幹線では、ひかりタイプがやまびこ号、こだまタイプがあおば号となっていたけど、あおば号に関しては、1997年10月1日にやまびこ号への統合により廃止されていたし。

本庄早稲田駅は、2004(平成16)年3月13日に開業した、上越新幹線で唯一後から新設された駅であり、周辺に早稲田大学(早大)の本庄キャンパスがあることが由来となっています。

埼玉県三郷市にある早稲田は、早稲田大学とは無関係であるし。

上越新幹線の路線(東京~大宮間は東北新幹線と共用)

東京~上野~大宮~熊谷~本庄早稲田~高崎~上毛高原~越後湯沢~浦佐~長岡~燕三条~新潟

冬季のスキーシーズンには、越後湯沢駅から分岐されるガーラ湯沢駅(上越線の支線扱い)への直通臨時列車も運転されます。

停車駅は、定期のたにがわ号を除いて列車により異なるけど、最も速いとき311,312号(E2系による運転)は、途中大宮駅のみ停車で、大宮~新潟間ノンストップとなります。

この列車は、200系やE4系Maxが使われていた頃、東京~新潟間ノンストップとなっていたし。

大宮駅は、全ての列車が停車するようになったので、東海道・山陽新幹線の全列車が新横浜駅に停車することと同様であります。

北陸新幹線の路線(東京、高崎~上越妙高間はJR東日本、上越妙高~金沢間はJR西日本管轄)

(上越新幹線、東京駅まで直通運転)←高崎~安中榛名~軽井沢~佐久平~上田~長野~飯山~上越妙高~糸魚川(いといがわ)~黒部宇奈月温泉~富山~新高岡~金沢

かがやき号の停車駅、東京~(上野)~大宮~長野~富山~(新高岡)~金沢

はくたか号(金沢発着)、あさま号(東京~長野間)の停車駅は、列車により異なるけど、はくたか号に関しては、全列車が熊谷、本庄早稲田、安中榛名駅通過となります。

かがやき号は、東北・北海道新幹線のはやぶさ号、はやて号、秋田新幹線のこまち号と同様に全車指定席(全席指定)であり、はくたか号、あさま号、つるぎ号には自由席もあります。

つるぎ号は、富山~金沢間運転で、1号車から7号車(普通車)と11号車(グリーン車)のみ乗車可能となっているし。

乗換駅

東京 山手線、京浜東北線、中央快速線、上野東京ライン(東海道線、宇都宮線、高崎線、常磐線)、横須賀・総武快速線、京葉線、東海道・山陽新幹線、東京メトロ(丸ノ内線、東西線(大手町駅))

上野 山手線、京浜東北線、上野東京ライン(東海道線、宇都宮線、高崎線、常磐線)、東京メトロ(銀座線、日比谷線)、京成本線(京成上野駅)

大宮 東北・北海道・山形・秋田新幹線⇔上越・北陸新幹線、京浜東北線、上野東京ライン(東海道線、宇都宮線、高崎線)、湘南新宿ライン(東海道線⇔高崎線、横須賀線⇔宇都宮線)、埼京線、川越線(高麗川方面へは全て川越駅で乗り換え)、東武アーバンパークライン(野田線)、埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)

熊谷 高崎線(一部、上野東京ラインまたは湘南新宿ラインとして東海道線へ直通運転)、秩父鉄道線

高崎 上越新幹線⇔北陸新幹線、高崎線(一部、上野東京ラインまたは湘南新宿ラインとして東海道線へ直通運転)、上越線(高崎~水上間)、信越線(高崎~横川間)、両毛線、吾妻線、八高線(八王子方面へは全て高麗川駅で乗り換え)、上信電鉄線

越後湯沢 上越線(水上~長岡間)、北越急行ほくほく線(越後湯沢~六日町間はJR上越線)

浦佐 上越線(水上~長岡間)

長岡 上越線(水上~長岡間)、信越線(直江津~新潟間)

燕三条 弥彦線

新潟 信越線(直江津~新潟間)、白新線(特急いなほ号、酒田、秋田方面)、越後線

軽井沢 しなの鉄道線

佐久平 小海線

上田 しなの鉄道線、上田電鉄別所線

長野 信越線(篠ノ井~長野間、しなの鉄道線または篠ノ井線へ直通運転)、しなの鉄道北しなの線、飯山線(長野~豊野間はしなの鉄道北しなの線)、長野電鉄長野線

飯山 飯山線

上越妙高 えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン

糸魚川 大糸線(南小谷~糸魚川間)、えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン

黒部宇奈月温泉 富山地方鉄道本線(新黒部駅)

富山 高山本線、あいの風とやま鉄道線、富山地方鉄道(本線(電鉄富山駅)、富山市内軌道線(富山駅電停または電鉄富山駅・エスタ前電停)、富山ライトレール富山港線(富山駅北電停)

新高岡 城端線(高岡駅へは1駅)

金沢 北陸本線(小松、福井、敦賀方面)、IRいしかわ鉄道線、七尾線(金沢~津幡間はIRいしかわ鉄道線)、北陸鉄道浅野川線(北鉄金沢駅)

1982(昭和57)年11月15日に上越新幹線が大宮~新潟間で開業した当時は、あさひ号が11往復、とき号が10往復と少なかったけど、現在は東北新幹線系統と同様に大幅に増えています。

同年6月23日に東北新幹線が大宮~盛岡間で暫定開業した時には、やまびこ号が4往復(臨時列車1往復を含めれば6往復)、あおば号が6往復の計10往復と少なかったけど、上越新幹線が出来てからは、東北新幹線が30往復と大幅に増えていました。

上野~仙台間(東北本線経由)で運転されていた特急ひばり号が、東北新幹線開業後も残されていたのは、東北新幹線の本数が少なかったことの影響であり、同年11月14日に上野~新潟間の特急とき号(旧とき号)、上野~金沢間(上越線経由)の特急はくたか号(初代はくたか)と共に廃止されていたし。

ひばり号の愛称名は、1951(昭和26)年8月25日から1953(昭和28)年8月までの間、東京渋谷の東横百貨店(後の東急百貨店東横店東館)の屋上と玉電ビル(現在の東急百貨店東横店西館)を結んでいた子供専用のロープウェイ(定員12名)だった「空中電車ひばり号」にも使われていたました。

こちらは、東横百貨店側から乗り、1往復するだけの目的であったし。

1階に東横のれん街があった東急百貨店東横店の東館は、2013(平成25)年3月31日に、同年3月16日の地下鉄副都心線との直通運転開始に伴う東急東横線の渋谷駅の地下化(地下駅への移転)の後を追うように閉店、後に解体されていたので、空中電車ひばり号の面影が残らなくなっています。

現在東横のれん街は、渋谷マークシティEAST MALLの地下1階にあるし。

格安ビジネスホテルチェーンの東横イン(東横INN)の由来は、東京と横浜の中間である大田区蒲田で創業されたことであり、東急グループ(東急インや東急ホテルズ)とは無関係であります。

東横インは、上越新幹線沿線(新潟など)のほか、人気の北陸新幹線沿線(富山や金沢)にもあるし。

現在渋谷駅付近では再開発工事が行われ、東京メトロ銀座線の渋谷駅が表参道寄りにずれることになるので、昔の渋谷駅のイメージが薄れてきます。

新高岡駅には、今年1月24日に開業した東横インの新高岡駅新幹線南口もあり、周辺には、ジャポニカ学習帳、ドラえもんやポケモン(ポケットモンスター)などのキャラクター製品でお馴染みのショウワノートの本社もあります。

イオンモール高岡も、新高岡駅が最寄駅となっているし。

新高岡駅の城端線ホームは、佐久平駅の小海線ホームと同様に1面1線しかないので、方向に注意ということになります。

北陸新幹線のW7系W5編成は、川崎重工業製で、一昨年3月14日に北陸新幹線の長野~金沢間の開業の時からある10編成のうちの1編成であり、一昨年10月1日から、谷村新司氏(仲間由紀恵氏とのデュエット曲)による北陸新幹線のCMソングである「北陸ロマン」のチャイム曲が使われています。

北陸新幹線の開業から北陸ロマンに変わる前は、山陽新幹線と同じ「いい日旅立ち・西へ」が使われていたけど、谷村新司氏によって書き下ろされた曲という共通点があったし。

W7系のチャイムがいい日旅立ち・西へから北陸ロマンに変わった時は、当時の自分(しゃもじ)のステーション♪の推しメンが、卒業したきなりんこと石川きなり氏からほののんこと安田帆花氏(現在は黄金時代で活躍中)に変わった時と同じ時期でありました。

ステーション♪の1推しは、さやぽんこと葉月沙耶氏(現在はハイスピことHIGHSPIRITSで活躍中)を経て、うぶちゃんこと桜田初姫氏となっているし。

E7系は、2014(平成26)年3月15日に、長野新幹線(当時)のあさま号の7往復でデビューし、翌年3月14日の北陸新幹線の金沢開業までの間に17編成がE2系N編成の置換えを兼ねて急ピッチで導入されていました。

北陸新幹線が開業した当時、定期のあさま号(東京~長野間)にE2系N編成(8両編成、N5,7,10,13編成)が残されていたけど、こちらは、北陸新幹線よりも未だ長野新幹線のイメージが強かったです。

同年12月25日には、E7系のF18編成とW7系のW11編成の導入により定期のあさま号が北陸新幹線らしいE7系またはW7系(グランクラス付きの12両編成)に統一され、今年3月31日までの間、E2系のN5編成とN13編成が臨時あさま号で残されていました。

北陸新幹線のE2系N編成の全廃により、長野新幹線の時代か完全に終わっていたし。

今年5月23日に川崎重工業製のE7系F19編成が導入されたのは、E2系が抜けた穴を埋める為でありました。

北陸新幹線の列車がE7系またはW7系に統一されたことは、自分(しゃもじ)がしゃもじスタイル不可能なハロプロ系の握手会参戦から撤退したことにより、握手会やチェキ会の参戦をしゃもじスタイルに統一させたことに例えたくなります。

一昨日のハイスピことHIGHSPIRITSのチェキ会もしゃもじスタイルでも可能であったし。

1997年11月8日に、長野新幹線に初めて乗った時には、碓氷峠を自力により高速で走り抜けていた時に時代の流れを感じていました。

開業35周年を迎えた上越新幹線では、E2系J編成(10両編成)や、E4系MaxP編成(8両編成または重連の16両編成(ダブルマックス))が活躍しているけど、来年度からはE7系も導入され、E4系Maxや初期型のE2系が順次置換えられていくことになります。

11月11日には、普段東北・北海道新幹線専用となっているE5系(はやぶさ型車両)のU11編成による上越新幹線開業35周年記念号が新潟→上野間で運転されていたことで話題になっていました。

E5系のU11編成は、2012(平成24)年2月に川崎重工業で製造された編成であり、11月11日に因んで上越新幹線開業35周年記念号に選ばれていたことか分かります。

2012年11月17日には、E5系のU8編成による上越新幹線開業30周年記念号が運転され、E5系が初めて乗客を乗せたまま上越新幹線を走っていたことで話題になっていました。

往路は、翌年の2013年に引退した、200系のK47編成(オリジナルの緑の疾風塗装)が使われていたし。

あれから早いもんで5年が経とうとしています。

今年は、7月9日から10日に掛けて、E5系U27編成による東北新幹線開業35周年記念号が新潟~八戸間で運転されていたし。

北陸新幹線があるのは、上越新幹線や東北新幹線があるからこそであります。

このように、開業35周年を迎えた上越新幹線を話題にすることが出来て良かったです。









 



東急多摩川線の新7000系7101F

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こちらは、11月12日に、東急電鉄の蒲田駅で撮影した、新7000系のトップナンバーである7101Fによる東急多摩川線の多摩川行きです。

東急新7000系は、東急新7000系は、2007(平成19)年から2011(平成23)年に掛けて3両編成7本導入された、新5000系列(元をただせばJR東日本のE231系)ベースの3ドア18m車(3両編成、東急多摩川線と池上線(池多摩)用の車両)で、1986(昭和61)年まで活躍していた青ガエルこと初代5000系や、1969(昭和44)年まで玉電で活躍していたデハ200形(ペコちゃん、現在は204Fが、宮崎台にある電車とバスの博物館で展示されている)がイメージされた丸みを帯びた前面(可愛い系)が特徴であり、自分(しゃもじ)にとってお気に入りの車両であります。

デビューしたのは、2007年12月25日(クリスマス)のことで、7101Fと7102Fの2編成しかなかったことにより、捕まえるのが困難でありました。

2008(平成20)年に7103Fと7104Fが、2009(平成21)年に7105Fが、2010(平成22)年に7106Fが、2011年に7107Fが導入されて現在に至っているけど、今年になってからは、7700系の残りの置き換え用として導入が再開され、一昨日(11月14日)から昨日(11月15日)に掛けて、7108Fと7109Fが、逗子(総合車両製作所横浜事業所)から長津田まで甲種回送されていました。

2本繋がれた双子のような状態で輸送されたのは、2008年の7103+7104Fの時以来9年ぶりだったし。

今から丸10年前の2007年11月16日は、新7000系の7101+7102Fが長津田に到着していました。

12月25日には、営業運転入りしてから早いもんで10年経とうとしています。

当初の予定では、2011年度までに19編成導入されて、7700系、7600系の全てと1000系の一部が置き換えられる予定となっていたけど、副都心線直通に伴う東横線への5050系の導入が優先されたことや、2013(平成25)年3月16日に東横線と日比谷線の直通列車が副都心線直通と入れ替わりに廃止されたことに伴い、1000系が余っていたことにより、2011年の7107Fの導入をもって中断されていました。

日比谷線直通で活躍していた1000系8両固定編成の8編成のうち、先に運用離脱され、伊賀鉄道伊賀線(三重県、旧近鉄伊賀線)に譲渡されていた1006Fを除いて、先頭車を含めた3両が1500番台に改造されて東急多摩川線、池上線に転用されたことで7700系や7600系が置き換えられていました。

近鉄伊賀線(伊賀上野~伊賀神戸間)が、伊賀鉄道に、近鉄養老線(桑名~大垣~揖斐間)が養老鉄道にそれぞれ移管されてから10月1日で10年経ったけど、奇しくも移管された日(2007年10月1日)が郵政民営化と同じ日でありました。

7600系(7200系からの改造車)に関しては、一昨年2月10日をもって最後を迎えていたけど、最後まで残されていた7601Fが歌舞伎顔から7200系の登場当時のクラシックスタイルに戻されていました。

同年2月7日にイベントが行われ、それを撮影したことを覚えています。

7000系のトップナンバーだった7001Fから改造された7700系の7910Fも、2012(平成24)年4月から、池上線開業90周年記念として赤帯が外されたクラシックスタイルとなっていたけど、2014(平成26)年5月に廃車となるまでそのままとなっていました。

現在残る7700系の6編成(7901,7903,7905,7906,7912,7914F)のうち、最古参なのは、7023Fから改造された7903Fであり、1963(昭和38)年に製造されていたし。

東急多摩川線は、2000(平成12)年8月6日に、これまでの目蒲線(目黒~蒲田間)の分割(目黒~多摩川(旧、多摩川園)間は目黒線に継承)によって出来た路線であり、西武鉄道の多摩川線(武蔵境~是政間、西武では多摩川線が正式名称である)や、かつて存在した東急玉川線(玉電)と区別する為に、多摩川線ではなく、東急多摩川線が正式名称となっています。

こちらは、西武鉄道で西武秩父線や西武有楽町線が正式名称となっていることと同様であり、前者は、秩父鉄道の秩父線と区別することはもちろんのこと、西武秩父へと向かう路線であることがアピールされています。

西武有楽町線(東京メトロ副都心線経由で東急東横線にも続いている)も、営団地下鉄→東京メトロ有楽町線と区別する為に西武が付く路線となっているし。

7700系を除いた東急多摩川線の車両のLED表示では、東急多摩川線ではなく、多摩川線と表示されています。

東急目蒲線では、1989(平成元)年3月から、2000年8月4日までの間、7000系→7700系または7200系の4両編成が使われていたけど、1000系も使われていたこともありました。

当時鵜の木駅では、目黒寄りの1両がドアカットされていたし。

2000年8月6日に東急多摩川線として独立してからは、ワンマン化されて池上線と共通の3両編成(雪が谷検車区の本区(雪が谷大塚)所属)が使われるようになったことで、3両編成に戻されていました。

7月3日から8月5日までの間には、準備により3両編成での目黒~蒲田間での運転が行われていたので、目蒲線の末期に3両編成が復活していたし。

目蒲線で使われていた車両は、奥沢検車区→雪が谷検車区奥沢班(奥沢車庫)所属で、奥沢がベースとなっていました。

現在奥沢車庫は、元住吉検車区管理による目黒線の車庫となっているし。

因みに東急世田谷線の上町車庫は、雪が谷検車区上町班であり、以前は上町検車区→長津田車両工場上町班→長津田検車区上町班と呼ばれていました。

東急多摩川線の路線

多摩川~沼部~鵜の木~下丸子~武蔵新田~矢口渡~蒲田

多摩川駅では地下ホーム(5,6番線)からの発着となります。

東急池上線の路線

五反田~大崎広小路~戸越銀座~荏原中延~旗の台~長原~洗足池~石川台~雪が谷大塚~御嶽山~久が原~千鳥町~池上~蓮沼~蒲田

地下にある駅、荏原中延、長原

乗換駅

多摩川 東急多摩川線⇔東横線(横浜駅からはみなとみらい線元町・中華街まで、渋谷駅からは東京メトロ副都心線経由、東武東上線または西武池袋線へ直通運転)、目黒線(目黒駅からは東京メトロ南北線経由埼玉高速鉄道線または都営三田線へ直通運転)

五反田 JR山手線、都営浅草線

旗の台 池上線⇔大井町線

蒲田 東急多摩川線⇔池上線、JR京浜東北線

東急多摩川線と池上線の蒲田駅は、降車専用ホームのある5面4線の駅であり、地上時代の東横線の渋谷駅や、阪急電鉄の梅田駅(京都本線、宝塚本線、神戸本線が乗り入れているターミナル駅)と雰囲気が似ています。

エンド側の車止め部分に花壇があることも共通しているし。

東側の1,2番線は池上線、西側の3,4番線は東急多摩川線の乗り場となっており、朝夕の出入庫に伴う池上線⇔東急多摩川線直通列車の場合は、2番線発着となります。

現在の東急多摩川線(旧、目蒲線)の路線は、1923(大正12)年3月11日に、前身の目黒蒲田電鉄目黒線として、目黒~沼部間が開業したのが始まりであり、同年11月1日に沼部から蒲田まで延長されて目蒲線となっていました。

2000年8月6日に、目蒲線が目黒~多摩川~武蔵小杉間の目黒線、多摩川~蒲田間の東急多摩川線として分離されてからは、目黒線の路線名が復活していました。

一方の東急池上線は、1922(大正11)年10月6日に、池上本門寺の参拝客輸送の為に、池上電気鉄道によって、蒲田~池上間が開業したのが始まりであったので、目蒲線→東急多摩川線と生い立ちが異なる路線であることが分かります。

翌年の1923(大正12)年5月4日には、池上~雪ヶ谷(現、雪が谷大塚)間が、1927(昭和2)年8月28日に、雪ヶ谷~桐ヶ谷間、同年10月9日に、桐ヶ谷~大崎広小路間がそれぞれ開業し、翌年の1928(昭和3)年6月17日には、五反田まで延長されたことにより、現在の池上線の路線が出来上がっていました。

桐ヶ谷駅は、大崎広小路~戸越銀座間にあった駅であり、1945(昭和20)年7月に休止、1953(昭和28)年8月に廃止されていました。

当初の地下鉄乗り入れ計画では、桐ヶ谷駅を復活させ、そこから泉岳寺方面への都営三田線への連絡線路を通すことになっていたけど、目黒経由に変更された為に、東武鉄道による和光市~高島平間の連絡線(東武高島平線計画)と共に幻となっています。

池上電気鉄道は、1934(昭和9)年10月1日に目黒蒲田電鉄に吸収合併され、後に東急のものとなっているし。

雪が谷大塚駅は、1933(昭和8)年6月1日に、これまでの雪ヶ谷駅と、1927年8月に開業した調布大塚駅との統合により出来た駅であり、統合当時は、雪ヶ谷駅と呼ばれていました。

1943(昭和18)年12月に雪ヶ谷大塚駅となったことを経て、
1966(昭和41)年1月20日に現在の雪が谷大塚駅となったけど、当時は、東急線で、ヶの付く駅で、がの表記に、ノの付く駅で、のの表記にそれぞれ変更された時でありました。

1928年10月5日から1935(昭和10)年10月までの間は、池上電気鉄道によって開拓された支線である、新奥沢線(雪ヶ谷~新奥沢間)が出ていました。

こちらは、国分寺方面への延伸を見据えた路線であったけど、全長が1.44Kmしかなく、中間駅が諏訪分駅しかなかったことにより、利用客が少なかった為に僅か7年で廃止されていたし。

調布高等女学校(現、田園調布学園、現在でも女子校)のすぐ近くを通っていたので、女学校の生徒以外はほとんど使われていなかったです。

新奥沢駅(現在の世田谷区東玉川二丁目にあった駅)の跡には、新奥沢駅跡の碑が残されています。

同じ1928年4月7日に京成電気軌道によって開業し、1936(昭和11)年に廃止された京成白髭線(向島~白髭間)も、似たような路線であり、僅か8年で廃止されていました。

京成白髭線は、当時の京成線と同様に、1372mmの馬車軌間の時代であった為に、白髭から三ノ輪橋まで延長され、王子電気軌道(現在の都電荒川線)と結ばれる計画もあったし。

東急線の蒲田駅は、開業当時は、目蒲線と池上線の乗り場が異なっており、目蒲線が並行、池上線が直角に配置されていたので、西武線の国分寺駅で、国分寺線が並行、多摩湖線が直角に配置されていることと同様となっていました。

1927年には、池上線の駅が目蒲線側に移転され、1940(昭和15)年に直角の位置に再移転、1968(昭和43)年10月29日に高架化されて現在に至っています。

今年は、池上線開業90周年という節目の年を迎えたことによりイベントが目白押しであり、大崎広小路までの延長開業から90年経った10月9日には、東急池上線1日フリー乗車券の無料配布により、無料(タダ)で乗れたことで話題になっていました。

自分(しゃもじ)は行かなかったけど、列車が満員になったことで大フィーバーとなっていたし。

7108+7109Fは、6年半ぶりに導入された編成であるので、仕様変更が行われていると思われます。

新7000系の増備が再開された理由は、日比谷線直通列車の廃止によって余剰となった1000系(1500番台の種車)の先頭車を使い果たしたことであり、その中間車は、福島交通飯坂線(福島県)への譲渡依頼があるのでそのはずであります。

福島交通飯坂線では、元東急初代7000系から元東急1000系への置き換えが進められているし。

このように、来月でデビュー10周年を迎える東急多摩川線と池上線の新7000系を話題にすることが出来て良かったです。














谷本安美氏の誕生日

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今日(11月16日)は、つばきファクトリーの谷本安美氏の18回目の誕生日です。おめでとうございます。

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