4月26日は、京成高砂から千葉ニュータウン中央まで、北総鉄道7500形の7503Fによる、ほくそう春まつり号に乗りました。
こちらは、この日に千葉ニュータウン中央駅前で行われた、毎年恒例のイベントであるほくそう春まつりに合わせて運転された列車であり、今年は京成線からの直通ではなく、京成高砂から運転されていました。
京成高砂では、上り線側の2番線から発車。
千葉ニュータウン中央行きの列車は、1995(平成7)年4月1日に印西牧の原まで延長された後も、2000(平成12)年7月22日に印旛日本医大まで延長されるまで見られていたけど、現在はほくそう春まつり号の時
しか見られない行き先となっています。
京成高砂始発の北総線方面の列車は、京成車による平日 22時44分、土休日 22時41分発の印西牧の原行きだけなので、北総車による運用は貴重でした。
北総7500形は、2006(平成18)年から2007(平成19)年に掛けて、ゲンコツ電車として親しまれていた7000形の置き換え用として導入されていた、京成3000形の北総バージョンであり、7501Fが、東急車輛(現、総合車両製作所横浜事業所)、7502Fと7503Fが、日本車輌で製造されていました。
営業運転が開始されたのは、2006(平成18)年2月20日のことでした。
7503Fは、2007年に7004Fの置き換え用として導入された編成であるし。
青帯は、北総鉄道所有車両(7000番台)の証であり、羽田と成田の両空港を結ぶ路線であることから、先頭車に飛行機の翼がデザインされた帯も入っています。
北総車は、羽田空港駅に乗り入れているけど、京成車や京急車のようにアクセス特急で成田空港まで乗り入れることはないけど、一昨年11月2日に馬込車両検修場で行われていた都営フェスタで、7503Fが普段使われることはないアクセス特急空港第2ビル行きの表示が披露されていたことを思い出しました。
7300形(京成3700形の北総バージョン及びそのリース車両)のほうも、同様の帯となっているし。
京成高砂駅を出た後、いつもと同じルートで新柴又へ。新柴又駅は、柴又駅と京成小岩駅の中間にある2面2線の高架駅であり、江戸川の土手に近いので、柴又駅と共に葛飾納涼花火大会の最寄り駅となっています。
江戸川を渡った後、栗山トンネルに入り、その中の地下駅である矢切駅へ。
この駅では、7501Fによる普通印旛日本医大行きの待避の為に停車していたので、普通列車が急行列車を追い抜くという前代未聞のシーンも見られていました。
この時には、ほくそう春まつりにも出演していたフリーアナウンサーである久野知美氏によるトークショーが行われていたので、最後部の車両に人が集まっていました。
それだけではなく、車両の撮影タイムとなっていたので、もちろん撮影も行いました。
北総線の急行は、普段平日の夜に、西馬込→印旛日本医大間に4本、羽田空港→印旛日本医大間に1本運転されているもので、北総線では、途中、新柴又、矢切、東松戸、新鎌ヶ谷と、新鎌ヶ谷より先の各駅に停車することになっています。
このように、北総線の急行が日曜日にも見られていたのは、イベント列車ならではであります。
平日の朝には、印旛日本医大発西馬込行きの特急が5本運転されるけど、北総線での途中停車駅は、新鎌ヶ谷までの各駅と東松戸となっているし。
矢切を出た後、JR武蔵野線への乗換駅である東松戸駅へ。
武蔵野線の東松戸駅は、1998(平成10)年3月14日に新設されていたけど、当時は北総線の急行が止まらなかったです。
北総線の急行や特急が東松戸駅にも止まるようになったのは、2009(平成21)年2月14日の改正のことで、翌年の2010(平成22)年7月17日に新設されたアクセス特急の停車駅にもなっています。
東松戸の次は新鎌ヶ谷。この時に新京成電鉄のくぬぎ山車両基地が見えたので、ピンクの新塗装の電車を初めて生で見ることが出来ました。
新京成線の新鎌ヶ谷駅は、北初富駅、初富駅と同様に高架化される予定となっているけど、工事が大幅に遅れています。
北初富~新鎌ヶ谷間には、1992(平成4)年7月8日の新京成線の新鎌ヶ谷駅開業まで、新京成線と北総線を結ぶ連絡線路があり、松戸~千葉ニュータウン中央間の直通運転が行われていました。
北総線の車両では、既に全廃となった7000形や、公団2000形(後の9000形)のほか、7300形の7308Fと7318Fも松戸に乗り入れていたこともありました。
新京成では、1990(平成2)年に全廃となった元京成の200形も吊り掛けモーター音を唸らせながら北総線に乗り入れていたこともあったし。
新京成で最後まで残った200形のうちのモハ204号車は、古巣の京成電鉄の宗吾車両基地で静態保存されています。
新鎌ヶ谷からは各駅に停車し、かつて車両基地のあった西白井駅へ。ここには7000形の7001号車(ローレル賞受賞車)がカバーが掛けられている状態で置かれていたのを確認しました。
北総線の新鎌ヶ谷信号所~小室間は、1979(昭和54)年3月9日に開業した区間であり、当初は7000形の6連が使われていました。
京成高砂~新鎌ヶ谷間が開業したのは、1991(平成3)年3月31日のことで、京成線、都営浅草線、京急線との4社局との直通運転開始により賑やかになっていたし。
新鎌ヶ谷駅を出た後に、記念乗車証が配られていました。
西白井からは、堀割区間で北千葉道路と併走し、白井駅へ。
小室駅は、北総線で唯一船橋市にある駅で、開業当時は、1面2線の島式ホームとなっていました。
2008(平成20)年には、線形の改良により2面2線の相対式ホームとなっています。
小室~千葉ニュータウン中央間は、1984(昭和59)年3月19日に開業した区間で、住宅・都市整備公団(後の都市基盤整備公団→独立行政法人都市再生機構(UR都市機構))によって建設された区間である為に北総・公団線と呼ばれていました。
同時に登場した公団2000形(後の9000形)が住宅都市整備公団所有だったのはその為でありました。
2004(平成16)年7月1日に、都市基盤整備公団が都市再生機構に改組されたことに伴い、新たに設立された京成電鉄の子会社である千葉ニュータウン鉄道に譲渡され、北総・公団線から現在の北総線となったのであります。
同時に北総開発鉄道から北総鉄道に社名変更されていたし。
千葉ニュータウン中央駅に到着後、印旛車両基地まで回送されていたけど、撮影者たちで賑わっていました。
ほくそう春まつり号は、2009(平成21)年3月に、北総線開業30周年記念記念として、9100形Cフライヤーによって京成上野→千葉ニュータウン中央間で運転されたのが最初であり、大好評であったことから毎年運転されています。
このように、ほくそう春まつり号に初めて乗ることが出来て良かったと思っています。
画像は矢切駅で撮影したものです。