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Channel: よしちゃん@しゃもじのパワフルフル寄り添い隊ステーションワールド♪
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京王れーるランドの2000系2015号車

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こちらは、5月21日に、京王れーるランドで撮影した、2010系の2015号車(緑色塗装の京王グリーン車)です。


京王2000系列は、1957(昭和32)年から1962(昭和37)年までの間に製造された京王初のカルダン式の高性能車両で、2010系は、1959(昭和34)年に導入された改良版となっていました。


2枚窓の湘南顔は、1953(昭和28)年から1981(昭和56)年まで活躍していた2700系に準じていたけど、2700系は吊り掛けモーター車となっていたし。


2010系は、付随車を連結出来るようにモーターが改良された車両でもあります。


付随車は、サハ2500形で、2010系と連結出来るように改造されていた車両となっていました。


一部の編成は、優等列車に使われていたことより、5000系と同じアイボリーに赤帯塗装となっていたこともあったけど、1971(昭和46)年には、緑色塗装に戻されていたし。


5000系以前の標準塗装だった京王の緑色の電車は、 グリーン車と呼ばれ、5000系や6000系の登場によって各駅停車用に格下げされていたので、阪神電車の赤胴車(優等列車用 )と青胴車(普通列車(各駅停車)用のジェットカー)の関係に準じていました。


グリーン車と言っても、JR等の特別車両(旧、1等車)とは無関係なので、それと区別する為に京王グリーン車と呼んでいます。


これらの車両は、冷房が付いておらず、冷房化されることもなく、1984(昭和59)年11月18日のさよなら運転をもって全廃となっていたけど、デハ2015号車も最後まで残されていました。


同年3月4日には、グリーン車の井の頭線バージョンだった旧1000系が、1月には、2700系の流れが組まれていた吊り掛けモーター車の1900系が全廃となっていたので、この年に京王から緑色の電車(グリーン車)が全廃されたことになったし。


そのうちの一部の編成が800系として伊予鉄道(愛媛県 )に譲渡され、旧1000系の台車や主電動機が転用されたことで、元京王グリーン車同士の組み合わせとなっていました。


伊予鉄道では、京王時代に行われなかった冷房改造が行われ、2両編成としても使えるように、中間車が京王5000系(伊予鉄道700系)もどきの先頭車に改造されていました。


元京王井の頭線の3000系の導入により2010(平成22)年7月25日をもって全廃されたけど、そのうちの2両2編成は、銚子電鉄に再譲渡されて2000形として活躍しています。


銚子電鉄2000形は、2001Fが京王グリーン車のリバイバル塗装、2002Fが銚子電鉄のリバイバル塗装であり、2002Fに関しては、アイボリーに赤帯の優等列車塗装が復元されていたことがありました。


京王れーるランドの2015号車は、1961(昭和36)年に日立製作所で製造された車両で、シールドビーム方式のヘッドライト、電照式の方向幕が初めて採用された特徴のある編成で、1984(昭和59)年11月まで活躍していました。


台車は、1435mmへの改軌を見据えたものとなっているけど、諸事情により中止となり、軌道線時代の1372mmのままとなっています。


京成では、都営地下鉄との直通運転により、1959(昭和34)年に1372mmから1435mmに改軌されていたし。


廃車となった後、若葉台検車区で保管され、1998(平成10)年には京王資料館へ。


1996(平成8)年12月1日に、若葉台検車区で行われていた京王5000系のさよなら撮影会の時に、2015号車が多摩動物公園の表示で展示されていたのはその為でありました。


京王5000系のさよなら運転の午後の部には、大阪府寝屋川市在住の友人であるハタボー氏が運良く当選し、最初で最後の乗車を楽しんでいたことを聞きました。


一昨年からは、京王れーるランドで展示されるようになり、現在に至っています。


2015ということは、今年の西暦の番号であり、1月2日の今年最初の京王れーるランドのオープン(新春イベント)の時には、迎光ヘッドマークが取り付けられ、1月3,4,10,11,12日には、運転台も公開されていました。


2015号車は、1963(昭和38)年4月1日に、京王線の新宿駅が地下化される前の面影のあった車両であり、新宿駅を出た後に、甲州街道の路面を走っていたシーンが印象的でした。


5月30日には、京王線の新宿乗り入れ100周年を迎えていたけど、開業当時の新宿駅は、東口の伊勢丹前にあり、新宿追分駅と呼ばれていました。


現在その真下には地下鉄副都心線の新宿三丁目駅があります。


1927(昭和2)年には、京王の本社があった新宿ビルディング(現在京王新宿三丁目ビルとなっている)の1階に移転され、ターミナル駅らしくなっていました。


京王の本社は、1988(昭和63)年に聖蹟桜ヶ丘に移転されるまでの間、この場所にあったけど、移転されてからは改築され、京王新宿三丁目ビルとなっています。


終戦間際の1945(昭和20)年7月には、現在の西口に移転され、1963(昭和38)年4月1日に地下化されるまで、13~16番線の地上ターミナル駅として使われていました。


こちらは、当時変電所の容量不足だったことから、南口の交差部分の坂を登れなかったので、移転されていたのも言うまでもないし。


京王線新宿駅が地下化された後、真上(地上ホーム跡地)に京王百貨店の新宿本店が建設され、翌年の1964(昭和39)年11月1日にオープンしていました。


京王百貨店の新宿本店は、1月に駅弁大会(元祖有名駅弁と全国うまいもの大会)が行われることで有名であります。


2015号車を見た時には、今年1月3日に銚子電鉄に乗りに行ったことを思い出していたけど、銚子電鉄が好きな松戸市在住の友人の藤次郎氏は、銚子電鉄を思い浮かべてしまうと言っていたので、そのはずであります。


この時に披露されていた行先表示は、京王多摩センターで、1974(昭和49)年10月18日の京王よみうりランド~京王多摩センター間の開業から、1984年の引退まで実際に見られていた表示でありました。


2015号車の行先表示も、5000系と同様のフレーム式の表示となっていたけど、多摩動物公園行きの場合は、ライオンがイメージされていたし。


このように、2015年に京王れーるランドに行き、2015号車を撮影することが出来て良かったです。


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